学位論文要旨



No 216617
著者(漢字) 舩橋,惠子
著者(英字)
著者(カナ) フナバシ,ケイコ
標題(和) 育児のジェンダー・ポリティクス
標題(洋)
報告番号 216617
報告番号 乙16617
学位授与日 2006.09.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第16617号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 名誉教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 武川,正吾
 慶応義塾大学 教授 渡辺,秀樹
 東京女子大学 教授 矢澤,澄子
内容要旨 要旨を表示する

 現代社会において「男は仕事/女は家庭」という単純な性別役割分業は、あまり支持されず、女性の就労や男性の家事・育児参加は、次第に当たり前になってきた。互いに平等でありたいと願うカップルも増えている。しかし、育児期の問題は未解決で、育児をとおしてカップルが不平等な関係に陥っていく傾向は依然として存在している。本研究は、そのような育児に内在するジェンダーのメカニズムとそれに抗して平等であろうとする諸実践を、ミクロなカップルの主体的戦略的行動とマクロな社会政策との絡み合いの中で解明することを目指す。そのために、(1)家族内在的なジェンダー秩序、(2)育児に関わる社会政策のジェンダー効果、(3)マクロな社会政策とミクロな家族戦略の相互関係に注目する。

 育児をめぐるジェンダー・ポリティクスをマクロ・ミクロ両面から問うために、私は比較社会学的変動論の立場をとった。異なる制度を持つ複数の社会について、マクロな制度面だけでなく、制度を生きる個々の家族のリアリティと戦略に迫り、共通性と異質性を抽出しながら比較分析を行う。具体的には、人口構造や産業構造の変化、家族文化、福祉レジームなどのありかたにおいて異なる3カ国(日本・フランス・スウェーデン)を選び、1999年にフィールドワークを行った。本論文では3カ国合計47(+1)家族のオリジナルなインタビュー・データに根ざした概念化と理論化を試みる。

 論文は3部から成る。第I部:調査研究の枠組(1章〜3章)では、先行研究をふまえて研究の枠組を示し、方法とフィールドワークの実際、およびそこから得られたデータの基本類型論を示す。第II部:「夫婦で育児」の通文化的4類型(4章〜7章)では、3カ国に共通の4類型について、典型的な事例を紹介したうえで、インタビューの語りをジェンダーの視点から丹念に分析する。第III部:ジェンダー・ポリティクス(8章〜10章)では、4類型間で「平等主義」タイプへの変動プロセス、世代間の変動、そして社会政策と家族戦略との循環的相互規定の順に、分析を展開し総合化していく。

 第1章(育児とジェンダーをめぐる理論的課題)は、家族と労働市場とジェンダーの基本的関係、ジェンダー秩序の理論、福祉レジーム論におけるジェンダーの視点の導入、家事・育児分担をめぐる実証的な研究について検討した。その結果、基本的な変革の方向性として「育児の社会化」と(女性のエンパワーメントを伴う)「男性ケアラー化」という2つの軸が確認され、ジェンダーの脱構築を伴う男女の生き方の変容過程を明らかにするという研究課題が導かれた。育児をめぐるジェンダー関係は、ミクロな家族生活の場でもマクロな社会政策の場でも一貫して見いだされるが、それを流動化させていくためには、ミクロ・マクロ両方の場における「新しいジェンダー契約」の具体的かつ理論的な姿を探求していかねばならない。そのために、(1)少数の先進事例に注目して、(2)変化の過程を研究し、(3)社会政策との関係を捉えることが、研究課題として設定された。

 第2章(比較社会学の視点と方法)は、文化還元主義に陥らない国際比較の方法を検討し、比較社会学的変動論を提唱する。そして、対象とした日本、フランス、スウェーデンの3カ国の育児環境を政策だけでなくその背景になっている生活文化のレベルにおいても概観した。3カ国はそれぞれ大きく異なるが、フランスやスウェーデンと較べて日本の育児政策における状況依存性が浮かび上がった。また、男女ともにケア意識は高まっているが、日本の新しい意識のなかには自ら好んでジェンダー秩序嵌っていく傾向も見られた。

 第3章(フィールドワークからの発見)は、3カ国の調査デザイン、データの方法的限定、実施経過、分析方法を述べ、結果として抽出された4類型を提示した。10歳以下の子どもを持ち育児をシェアしている3カ国47カップルに半構造化面接を行い、ストラウスの「データ対話型理論」および木下康仁の修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを参考に、その語りを分析した。

 以下のA〜Dの類型が析出され、それを「夫婦で育児」の通文化的4類型と呼んだ。

 A「男性の二重役割」タイプは、基本的な性別役割分業のうえに、夫の家事育児参加が高いものである。日本だけでなく、フランスやスウェーデンにも存在する。

 B「女性の二重役割」タイプは、夫婦ともに職業を持ち、家事・育児も分担するが、妻の負担が夫よりも重いものである。このタイプの母親は職業を継続しているが、しばしば家族のニーズに合わせて自分の仕事を調整している。

 C「平等主義」タイプは、夫婦ともに職業を持ち、家事・育児もほとんど平等に分担している。このタイプの父親は、妻の職業活動に一目置いており、仕事と家庭との綱渡りを妻だけに被せず、自分も必要な調整を行う。

 D「役割逆転」タイプにおいては、性役割が逆転している。父親は職業から降り、家族の扶養を妻に頼る代わりに、主体的に家事・育児を担当している。このタイプの妻は、ほとんどが高学歴の専門職で、みずからの職業に強いアイデンティティーを持っている。

 4章から7章までは、これらの4類型について詳しく分析し、ジェンダー秩序のベクトルの遍在が確認された。

 Cタイプでは、共同性、平等規範、妻の職業的能力への誇り、親世代への反発などの様々な要因から<平等>が目指され、ある程度実現しているが、微妙なジェンダー秩序が存在し、常にジェンダー秩序に抗して振る舞うことによって保たれる<平等>関係であった。

 Dタイプでは、逆転は不徹底で不安定、常に男性には稼ぎ手に戻ろうとするベクトルが、女性にはケアを引き受けようとするベクトルが作動していた。これらの夫は、自らの内なる声に従って葛藤の多い職場を辞し、自分らしい職業人生の再構築を目指していた。

 Aタイプでは、父親の育児参加は稼ぎ手役割と抵触しない限りにおいてなされ、母親の社会活動や職業活動も、家族ケア役割を脅かさない程度に抑えられていた。このジェンダー秩序のベクトルは、当事者にとって自明とされ、<見えない権力>として作動している。

 Bタイプでは、性別特性に基づく相補性という考え方や、ハビトゥスなどにより、家事分担の不平等が正当化されていた。ジェンダー秩序のベクトルは見えており、しばしば葛藤を生むが、家庭の平和のために対抗ベクトルが抑えられ、<潜在化>しがちである。

 このように、どのタイプにおいてもジェンダー秩序のベクトルは作動しており、4類型は、ジェンダー秩序のベクトルと対抗ベクトルとの均衡点と捉えられた。

 第8章(平等主義タイプへの移行過程)は、共稼ぎと男女平等の主流化という視点から、「平等主義」タイプに向かっていく4類型間の移行プロセスを、マージナルな事例や移行事例の語りを中心に分析した。<不可視的権力>を可視化し、<個>に基礎づけられた<共同性>を通じて、より平等に向かっていく機制が明らかにされる。その基本にあったのは、夫と妻の仕事に優先順位をつけず、聖域なしにすべてをすりあわせていく姿勢であった。そして、移行過程の全体像の中で、「役割逆転」が新たな位置づけを獲得する。一定期間の役割交替機会は、ジェンダー秩序のおかしさを見せてくれる。

 第9章(世代間の変動)は、親世代との比較を通じて、生活世界の社会的枠組の変化を分析した。親世代へのひとつのインタビューと、それぞれの親世代に関する語りを分析する中から、母親規範や父親規範の変化と生活様式の変化を捉えた。そこで発見されたのは、親世代の女性は専業主婦であったり働く母親であったりしたが、いずれも家事育児を一手に引き受けていたこと、親世代の父親はほとんど育児に関わらなかったことであった。そこで、女性の就労状況に注意を払いつつも、新たに父親役割についての社会的言説の変化によって、一世代の間の変動を読み解く仮説的モデルを提示した。さらに、父親役割の歴史的変化についての中間考察を行い、生物学的性差に対する認識(ジェンダー知)のあり方を脱構築するヒントを示した。

 第10章(社会政策とカップルの戦略)は、各社会の家族文化と福祉レジームに規定されて特定の政策がスタートし、その政策を与件として活用するカップルの戦略の無数の集積が社会的ニーズを構成し、その政策をさらに拡大していくという、マクロ・ミクロ・リンクの解釈枠組を提示した。その枠組に基づいて、スウェーデンにおける育児休業制度の拡大過程とその軌道上の父親の育児休業促進政策、フランスにおける保育・教育制度の発展を跡づけた。さらに、それぞれの制度を主体的に利用しようとするカップルの戦略を分析すると、スウェーデンにおいては育児休業の引き伸ばし戦略が、フランスにおいては市場の家事・育児サービス利用という階層戦略が浮かび上がった。いまEUの枠内で共通の社会政策への収斂化も起こっている。これらの知見から、現代日本社会がはまりこんでいる隘路の構図を照らしだした。

 本論文の分析は、ジェンダー秩序のベクトルの遍在を明らかにし、それに対して<個>に基づく<共同性>を基礎に「役割逆転」をひとつの鍵として相互に活動主体であり支え手であろうとする対抗ベクトルの動きも見いだすことによって、家族内在的なジェンダー秩序の動態的な把握の道を開いた。さらに、育児休業や保育・教育制度のタイプ間移行に与える影響の分析から、ジェンダーに敏感な政策の基礎的認識が得られ、男性ケアラー化を導くひとつの政策としての「パパ月」の意義と限界も明らかになった。最後に、スウェーデンの平等主義タイプの家族事例に示されたような、男性ケアラー化+短時間正社員+短時間保育が望めば可能であるような社会政策の方向が見いだされた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は男女平等の鍵となる「夫婦で育児」を実践する先進的なカップルを対象とし、3つの社会を比較社会学の方法で比較しながら、育児支援政策というマクロレベルと、個々の家族戦略というミクロレベルとがいかに連関するかの分析を通じて、これからの育児問題を解明しようとする意欲的な労作である。

 本論の問いは以下の3つである。(1)育児を通じて男女の不平等を生みだしていく家族内在的なからくりは何か?(2)育児に関わる社会制度はジェンダー秩序とどのような関係にあるか?(3)マクロな社会政策とミクロな家族戦略はどのような関係にあるか?

 この問いに答えるために著者が採用した方法は、質的調査による比較社会学的方法である。具体的には、育児の社会化と男性の育児参加を尺度に対照的な社会的枠組みを持つ日本、スウェーデン、フランスの3つの社会を選び、10歳以下の子どもを持つ育児をシェアするカップル47ケースを対象に半構造化面接を行い、そのデータを通文化的に比較することで、変化のプロセスに注目して、のぞましい社会政策を考察する。

 「夫婦で育児」の4つの類型のうち、「平等主義タイプ」は完全な平等タイプではなく、ジェンダー秩序につねに対抗するベクトルを持たなければ維持できない点で、平等を志向する平等主義タイプにとどまる。「役割逆転タイプ」はつねに「平等主義タイプ」に移行しようとする不安定な傾向を持つ。「女性の二重役割タイプ」は夫の仕事を優先することに合意がありながら、不平等な役割分担に夫婦の葛藤が顕在化しやすい。「男性の二重役割タイプ」は夫の寛大さによって男性優位が維持され、ジェンダー秩序はかえってゆるがない。またこれらの類型のあいだには、「女性の二重役割タイプ」から「男性の二重役割タイプ」「役割逆転タイプ」を経て「平等主義タイプ」へと移行する変動過程がある。どの類型のカップルも、利用可能な社会資源を前提に家族戦略を立てており、マクロの社会政策の影響のもとにある。以上の分析と発見は、具体性とディテールに富んでおり、説得力がある。分析結果にもとづいて著者が提示する提言は、(1)保育サービスの整備、(2)短時間雇用の保障、(3)男性の育児参加の3つであり、これらの条件が満たされれば、どの社会でもジェンダー・ポリティクスの点から見てのぞましいとされる平等主義タイプへの移行が可能であるとする。

 本研究の意義は(1)社会政策と家族戦略というマクロ・ミクロ・リンクを、(2)実証的な事例に即して、(3)しかも通文化的な比較社会変動論のもとで明らかにしたことにある。限界としては(1)男性の育児参加が大きくかつ育児の社会化の程度が低い自由主義レジームの社会、たとえばアメリカを比較対象に含める必要があること、(2)階層・エスニシティの変数に対する分析が弱いこと、さらに(3)メゾレベルでの平等化プロセスの検証が必要であること等が挙げられたが、それらを越えて評価に値する。

 審査の結果、本審査委員会は本論文を博士(社会学)の学位にふさわしいすぐれた業績と認める。

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