学位論文要旨



No 216633
著者(漢字) 新山一雄
著者(英字)
著者(カナ) シンヤマ,カズオ
標題(和) 職権訴訟参加の法理
標題(洋)
報告番号 216633
報告番号 乙16633
学位授与日 2006.10.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16633号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 交告,尚史
 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 高田,裕成
 東京大学 教授 高見澤,磨
 東京大学 教授 荒木,尚志
内容要旨 要旨を表示する

一 現行行政事件訴訟法(以下、「行訴法」)32条では、行政処分を取り消す判決の効力は、第三者にも及ぶとされている――いわゆる「第三者効」――。このたてまえによれば、当該処分により権利を得た者が、訴訟のそとにありながら、直接に法的地位を覆滅されることになる。このことについては、かって、兼子一博士により、疑問をなげかけられたことがある。〔第3章第1節で、くわしく分析されている。〕

 行政処分のなかには、名あて人に権利・利益を与えるが、その反面で、周囲の者の権利・利益を侵害するものがある――二重効果的行政処分――。かような場合には、後者が、原告となり、処分を行った行政庁を被告として(改正行訴法では、被告は国または公共団体であるが、実質は行政庁であるので、以下、「被告行政庁」とする)、処分の取消しを求める訴えを提起することになり、名あて人は、訴訟のそとに、おかれることになる。公権力の行使により権利を毀損された者の救済を、第一義とする取消訴訟においては、その者が勝ちとった取消判決の趣旨を貫徹するため、とうぜんのごとく、判決の効力は第三者――処分の名あて人――にも及ぶとされるのである。

 しかし、これでは、訴訟のそとにありながら、直接に法的地位を覆滅されることになる(取消訴訟の)第三者の権利保護に欠ける、といわざるをえないのではないか。そのことを、兼子博士が、指摘されたのである。取消訴訟の第一の目的である、公権力の行使より権利を毀損されたと主張する原告の権利保護をはかりつつ、いっぽうで、いかにして、かような第三者の権利も保護するか、というのが、本稿の基本的な問題関心である。

二 第三者の権利保護について、ひとつの解決モデルとなるのが、ドイツの「必要的訴訟参加」の理論である。〔第2章で、この理論分析を、行政訴訟の学説・判例、民事訴訟法(ZPO)の「必要的共同訴訟」、「共同訴訟的補助参加」、「第三者効」、「構成要件効」などの理論の分析により、行っている。〕

 ドイツの行政裁判所法(VwGO)の前提では、処分を取り消す判決の効力(既判力)は、手続関係人にのみ及ぶとされているが、いっぽうで、訴訟参加人も、手続関係人とすると規定されているので、訴訟当事者いがいの第三者も、訴訟参加することにより、既判力をうけることになる。このように規定されていることの根底には、同法65条2項の「必要的訴訟参加」の制度への配慮がある。それは、訴訟の結果が、当該争訟に関わりある第三者についても、合一的にのみ確定すべき場合には、裁判所は、その者を訴訟参加させなければならない、というものである。

 つまり、公権力の行使により権利を毀損された原告が、提起した取消訴訟において、処分の取消判決の既判力を、処分が取り消されることにより法的地位が覆滅される、第三者にも及ぼす便法として、訴訟参加が、ここでは、用いられるのである。それにより、原告が得た勝訴判決の趣旨が貫徹されるとともに、第三者の手続上の権利保護も、同時にはかられるのである。そして、この後者のことを、より強調する目的で、ドイツの行政訴訟理論では、訴訟参加させることが必要的な第三者を、訴訟参加させないで下された(取消)判決は、そもそも、効力をもたないとまで、されている。

 しかし、この論理においては、ドイツの行政訴訟理論においても認められているはずの、処分の取消判決は形成判決であるということ――つまり、訴訟参加してもしなくても、第三者に取消判決の効力は及ぶ――が、黙殺されていることに注意しなければならない。このことを、民事訴訟学者のシュローサーが、するどく指摘しているのである。

三 もうひとつの解決モデルと考えられるのが、伊藤洋一教授の研究により示唆された、フランスの第三者再審の活用策である。フランスでは、訴訟参加できなかった第三者の再審は、事後的な訴訟参加と考えられており、原訴訟に訴訟参加していれば許された主張・証明は、原判決に影響を与えないものであっても、すべて、再審において、することができるとされ、じっさいに、そのような運用が行われているのである。これは、訴訟参加する必要性が認められる第三者に対する、完全な意味での権利保護といえる。〔この分析は、第3章第1節で、行っている。〕

四 わが国の行政訴訟では、訴訟の結果に利害関係を有する(訴訟外の)第三者については、むかしから、民事訴訟の補助参加いがいに、行政訴訟固有の訴訟参加の手続を認めてきた。その中心は、裁判所が、職権で、第三者を訴訟参加させることができる、ということにあった。ただ、伝統的行政訴訟理論においては、この「職権訴訟参加」の主旨は、かかる第三者を訴訟参加させることにより、審理を実質化させ、実体的真実の探求に資するようにすることにある、とされていた。〔この分析は、第3章第1節〕

 現行行訴法の理論においては、取消判決の効力をうけ、第三者の法的地位が直接に覆滅される関係にあることに着目され、かような第三者に対する権利保護として、第三者が訴訟参加することが重要な意味をもつと、とかれているのである。

 ところで、処分の取消訴訟においては、第三者は、行訴法22条の「第三者の訴訟参加」の手続で訴訟参加することもできるし、民訴法42条の「補助参加」の手続で訴訟参加することもできる。制度が、このように、二本だてになっている趣旨は、けっきょくのところ、前者においては、裁判所が職権で第三者を訴訟参加させることができるとされていること――その反面で、「第三者の訴訟参加」は裁判所の決定を要する――に、求められる。しかし、これまでのところ、このような職権が行使された例は、ほとんどない。

五 訴訟参加も、訴訟外にある第三者に対する、訴訟手続上の権利保護であるが、その第三者に法的地位を付与した行政処分の取消しが、他の者により求められたという、取消訴訟の特殊構造にてらして、なにが、かかる第三者にとって真の権利保護たりうるか、ということを考える必要がある。もっぱら、行政処分の適法性審査に終始する取消訴訟においては、処分の適法性維持のための主張・証明は、被告行政庁によって行われ、かりに、第三者が、行政庁のがわに訴訟参加したとしても、それ以上の主張・証明は、よくなしうるところではない。〔この分析は、第3章第3節で、行っている。〕

 かように考えると、取消判決により自己の法的地位が覆滅される第三者に対する、真の権利保護は、訴訟参加させ、主張・証明の機会を与えるということの「てまえ」にあることに気づく。それは、まさに、そのような取消訴訟が、他の者より提起され係属しているということの「告知」である。それにより、第三者は、自己の法的地位が覆滅される可能性がでてきたということを認識し、訴訟の経緯を見まもることで、追加的なさまざまな投資を見あわせ、(処分の取消しによる)実体的損害の拡大を予防し、あるいは、訴訟参加を申し立てることを検討することもできるのである。〔この分析は、第3章第5節。〕

六 この点で、フランスの第三者再審の活用策には、問題がある。それは、事後的に再審の機会が与えられるというのでは、第三者の実体的損害が、すでに拡大してしまっており、ておくれである。

 また、ドイツの必要的訴訟参加の理論では、訴訟参加させることが必要的である第三者を、訴訟参加させなければ、処分を取り消す判決は、効力をもたないとされるが、これは、公権力の行使により権利を毀損された原告の権利保護を、第一義とする取消訴訟においては、本末転倒である。

 それからすると、取消判決により自己の法的地位が覆滅される第三者が、訴訟参加しようが、しまいが、処分を取り消すという判決の効力は、第三者にも及ぶことを、大前提とし、その反面で、訴訟参加という手続保障で、第三者の権利保護をはかろうとする、わが国のシステムこそ、もっとも正当な途をあゆんでいるといえよう。しかし、その場合の重要なポイントが、第三者に対する、訴訟係属の「告知」である。もし、これが十全に果たされなければ、フランスやドイツよりも、第三者の権利保護は、はるかに劣ることになるのである。〔この分析は、第3章第6節で、行っている。〕

七 裁判所が、処分を取り消す判決を下すことにより、処分による既得の権利を覆滅されることになる第三者、すなわち、授益的処分の名あて人に、職権で訴訟の係属を「告知」しうるという根拠は、行訴法22条1項の職権訴訟参加の内容により、よういに解釈しうる。〔この解釈論は、第3章第6節で、展開されている。〕

八 なお、本稿では、処分の取消判決の既判力の拡張について、筆者独自の見解が示されている。〔この論理は、第3章第3節で、展開されている。〕

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「職権訴訟参加の法理」は、ある行政処分の名宛人として受益している者がいる場合に、その行政処分によって不利益を被った第三者が取消訴訟を提起したという局面を想定し、そこに存在する紛争をその実質に即して抜本的に解決するためには行政処分の名宛人に対していかなる手続的保障を与えるべきかという問題を考究した作品である。そこで念頭に置かれている行政処分は、Aには利益を与えるが同時にBに不利益を及ぼすということで、行政法学上、一般に二重効果的行政処分と呼ばれている。具体的な係争事例としては、Aが行政庁から建築許可を受けたところ、隣人Bが当該建築により日照等の面で不利益を受けると主張して争うとか、ある営業許可について業者Aと業者Bが競願状態にあったところ、Aに許可が与えられたので、不許可となったBがAに対する許可処分の取消しを求めるといった事案が考えられる。

 著者は、そのような事例において、懸案の行政処分の名宛人であるAが訴訟の枠外に放置されることを懸念する。すなわち、Bが取消訴訟で勝訴して判決が確定すると、やがてその事実がAに伝わり、Aは、まさに自分に与えられた行政処分が自分の関わらないところで訴訟審理の対象とされていたことをその時点で知らされる。そのような扱いを受けたAは、はたして当該判決を受け容れられるであろうか。これが、著者の問題意識である。

 このような事態を回避しようと思えば、行政事件訴訟法22条1項に規定された第三者の訴訟参加の制度を使うことが考えられる。しかし、第三者としては、訴訟の係属を知らなければ、自ら申し立てて参加するというわけにはいかない。条文では職権による参加も予定されているけれども、実務上裁判所が職権を行使して第三者を参加させることはほとんどないと言われている。そうであれば、第三者が突然取消判決を知らされて驚愕するといったことのないように、何らかの手立てを講じておくべきではないか。そのように考えて著者は、そのような取消訴訟が提起されたならば、裁判所は行政処分の名宛人に対して訴訟の係属を通知すべきであり、それは裁判所の義務であると説く。この立論は解釈論として展開されているが、論文の末尾では、行政事件訴訟法にその旨の一文を置くべきであるとの提言もなされている。

 本論文は、3つの章と附論とから成る。以下その内容を詳述する。

 1.第1章「問題の所在と本稿の目的」

 本章では、問題の所在と目的とが明らかにされる。冒頭で著者はある第三者再審(行政事件訴訟法34条)の事件の下級審判決(東京地判平成10年7月16日判時1654号41頁)を取り上げる。本件で再審原告は、原取消訴訟について訴訟係属の通知がなされなかったことは無効原因に当たると主張した。しかし、本判決は、裁判所には訴訟の結果により権利を害される第三者に対して訴訟の係属を通知する義務がないことは明らかであると判示した。著者は、この判決を批判的に受け止め、第三者再審はあくまで非常用の救済手段であり、それに至るまでに訴訟参加の段階で決着をつけることが望ましいと説く。

 著者の思索の根底には、紛争の抜本的解決という観念がある。たとえば競願関係にある業者AとBのうちAに許可が与えられたとすると、その許可処分はすでにAとBの対抗関係に関して一応の解決を与えていることになる。不許可になったBが訴えを提起してAに与えられた許可処分の取消しを求めた場合、訴え提起の事実を知らないAは訴訟審理の舞台に現れて来ない。しかし、当該行政処分を核としてAとBとの間に紛争が生じているわけであるから、その紛争を抜本的に解決するためには、当然Aを訴訟に参加させてしかるべきである。それで著者は職権訴訟参加の制度の活用を提唱するわけであるが、そもそも日本では職権で参加させるという運用は実際上なされていないので、検討の素材となる裁判例の蓄積がない。そこで、次章で、ドイツにおける必要的訴訟参加に目が向けられることになる。

 2.第2章「ドイツ行政訴訟の必要的訴訟参加」

 最初に、行政裁判所法の関係規定が説明される。まず取り上げられるのは65条で、その第1項が通常訴訟参加、第2項が必要的訴訟参加の規定である。後者においては、「訴訟の結果が、当該訴訟に関わりのある第三者についても合一的のみ確定すべき場合には、その者を参加させなければならない」と定められている。

 次に、通常訴訟参加との対比において、必要的訴訟参加の特質が明らかにされる。二重効果的行政処分に関する案件では、当該処分の名宛人として受益している第三者を職権で参加させておかなければ、その者に判決の効力が及ぶことはないというのがドイツ法の大前提である。行政裁判所法121条において判決の効力は関係人またはその権利承継人に及ぶとされているところ、訴訟参加した第三者は行政裁判所法63条3号によって関係人の地位を与えられ、判決の効力を受ける者となる。必要的訴訟参加の案件で裁判所が参加させるのを怠っていると、その事実は判決手続の本質的な瑕疵と評価され、当該判決には効力が生じない。つまり、必要的訴訟参加という制度には、「通例は訴訟当事者に限定されているところの判決の効力のうちに第三者を取り込む」という意義が認められることになる。

 では訴訟参加がなぜ必要的となるかであるが、この点について連邦行政裁判所は、判決の実質的確定力を必要的参加人に及ぼすことが主目的であると判示している。行政処分の取消訴訟では当該処分の適法性が審査されるが、それは、訴訟当事者間の事柄として当該処分が適法ないし違法であるとの認定が行われたということでしかない。判決の実質的確定力は基本的に当事者間にのみ及ぶ。したがって、必要的訴訟参加の目的は必要的訴訟参加人を訴訟当事者と同じ立場に立たしめ、同じ判決に服せしめることにあるというわけである。

 著者は、このことを踏まえ、かつ行政裁判所法の必要的訴訟参加について民事訴訟法上の類似制度との比較をも行ったうえで、判決の効力が第三者に及ぶということの意味を再考する。ドイツでも行政処分を取り消す判決に形成効があることは認められている。形成効という効力は、本来なら訴訟参加の有無とは無関係に第三者にも及ぶはずのものである。したがって、第三者に判決の効力を及ぼすことと、その者の参加が必要的とされるかどうかということは、当然に結び付くものではないのではないかと著者は考える。ここに及んで著者は、第三者の訴訟参加が必要的とされる本来の理由は判決の効力の拡張とは別のところ(たとえば参加人の利益保護)にあるのではないかという疑念を抱く。

 その疑念は、すぐ後で著者のドイツ法理解として明確に記述される。著者によれば、必要的訴訟参加の必要性の所以は、二重効果的行政処分の場合に判決の効力を拡張しなければ重大な訴訟上の矛盾が生じることから、ひるがえって合一的確定の必要ありとされるという順序で説明した方が腑に落ちる。そして、その場合に訴訟参加を必要的とすることの真の意義は、いずれは判決の効力を受けてそれに服さなければならない第三者に、手続上の正義としてあらかじめ自らの利益を防御する機会を与えることにあると著者は見る。

 ただし、二重効果処分を巡る紛争であっても、Xが建築官庁を相手取って「建築許可を発給せよ」との義務付け訴訟を提起した場合、建築許可によって不利益を被る隣人Aの訴訟参加は必要的ではないというのが判例である。それは、この事例では、建築官庁とXとの間で「建築許可を発給せよ」との法律関係が問題になっているところ、その法律関係にAは関与していないからである。もしその後義務付け判決が確定して行政庁が建築許可を下ろしたならば、そのときにAは取消訴訟を提起して争えばよいという認識が背景にある。すなわち、訴訟参加が必要的になるためには、合一確定の要請のほかに、法律関係関与性の要件を充たさなければならず、利益処分の発給を求める義務付け訴訟の場合の第三者には通例それが欠けているということである。

 続けて、法律関係関与性の要件の判定基準として、コンラッドの理論が紹介される。コンラッドによれば、第三者の訴訟参加が必要的と認められるには、次の2つの要件が充たされなければならない。1つは、第三者の法律関係関与が「消極的なもの」であること、すなわち原告の求める判決が当該第三者にとって不利なものであること、もう1つは、第三者の法律関係関与が「直接的なもの」であること、すなわち原告の求めている判決が当該第三者の実体的地位を定め、判決の内容がその者に向けられたものであることである。

 さて、必要的訴訟参加の案件で裁判所が第三者を参加させなかった場合の扱いに関しては、民事訴訟法学者から行政法学界の通説に対して痛烈な批判が寄せられている。たとえばシュローサーによれば、判決の実質的確定力は参加をしなかった第三者には及ばないが、判決の形成効は、行政処分が取り消されれば、すべての者に及ぶ。問題は、万人に対して生じる形成効を、訴訟参加させられなかった第三者についてのみ生ぜしめないという相対的な処理が許されるかどうかであるが、そのようなことを認める規定は、行政裁判所法には見出せない。そうすると、行政法学界の通説は取消判決に形成効が生じることを失念していることになる。この問題点に関しては、参加すべき者が参加しなかったことをもって判決を無効とするのではなく、参加できなかった第三者に上訴によって判決を争う権利を付与するという解決策もあるところで、その筋を採るものとしてマロチュケの説が引かれる。

 以上のドイツ法研究の成果を、著者は次のようにまとめる。まず、どのような場合に訴訟参加が必要的になるかであるが、それは、第三者の実体法上の地位、つまり係争の行政処分と第三者との関わりによって決まる。決め手になるのは法律関係関与性の要件であり、その判定のあり方はコンラッドの理論で説明できる。次に、なぜ訴訟参加が必要的になるかであるが、それは、第三者、原告および国家(裁判所)の3者にとって、第三者の参加に意義が認められるからである。すなわち、第三者にとっては自己の権利防衛の機会が得られ、原告にとっては判決の無効という結果を回避することができ、国家(裁判所)にとっても第三者を参加させることにより判決の効力を維持することができるということである。

 3.第3章「職権訴訟参加の法理」

 必要的訴訟参加の制度がないわが国において、「実体法的に見て訴訟参加させることが必要的であると思われる場合には、裁判所は職権により第三者を積極的に参加させなければならない」という法理の構築を図るのが本章の狙いである。

 最初に、日本の訴訟制度の法制と学説の歴史が通観される。まず、明治期に行政裁判所法の31条1項で職権参加と申立て参加の仕組みが構築され、同条2項で判決の効力は第三者にも及ぶものとされた。著者は、この制度下の学説として佐佐木惣一と美濃部達吉の理論を取り上げ、前者にあっては行政訴訟における訴訟参加はほぼ裁判所の裁量事項とされ、後者にあっては実体的真実探究の手段として捉えられていると評価する。

 戦後昭和23年に施行された行政事件訴訟特例法は、その8条で職権参加のみを明文化した。この制度の下で、田中二郎は、訴訟参加の目的は第一次的には行政事件の適切な解決であるとし、副次的には判決の効力を参加人に及ぼすことも目的であると説いた。この副次的目的に言う判決の効力は実質的確定力であると著者は見る。この点に関して、昭和32年に『行政争訟法』を世に問うた雄川一郎は、取消判決には対世効が生ずると考えていたので、判決の効力の拡張ということには重きを置かず、適正な審理裁判の確保と第三者の利益保護に参加の意義を見出した。雄川は、ドイツの行政裁判所法制定以前の思考枠組を正確に理解し、多面的な紛争の一挙解決の見地から、必要的訴訟参加の制度を立法政策上望ましいものと評価した。この評価は、原告と被告の関係にとどまらない行政事件の拡がりを注視する著者の構想に親和する。

 続いて著者は、民事訴訟法学者である兼子一の理論に着目する。兼子によれば、裁判所の役割は当事者間において形成要件を確定することにあり、実質的確定力(既判力)の作用によりその確定が争えない限りにおいて形成効が生ずる。したがって、既判力の及ばない者は、自己の立場で形成要件の不存在を主張して、形成の効果を否認することができる。昭和37年に至り、行政事件訴訟特例法の後継として行政事件訴訟法が制定され、取消判決の第三者効を認める規定(32条1項)が置かれた。この規定について著者は、立法過程に関与した杉本良吉の解説を引いて、取消判決の形成効が第三者にも及ぶ旨の定めであると説明し、兼子理論との訣別が決断されたとの判定を下す。

 著者は、さらに、伊藤洋一のフランス法研究に依拠して同国の第三者再審の制度を詳細に分析し、次の2点に注目する。(1)第三者再審の利益は訴訟参加の利益と同一と解されている。(2)第三者再審の原告は、従前の訴訟で当事者が主張した攻撃防御方法を重ねて主張することができ、それに対して裁判所は改めて明示的に判断する義務を負う。このようにフランスでは容易に第三者再審の制度を利用できる設計になっているので、「訴訟参加させられなかった第三者にも取消判決の効力を及ぼすことが妥当であるのか」という兼子一が突きつけた難問に直面しないで済むと著者は見る。

 以上のところまでを総括して著者は、抗告訴訟が元々原告の権利救済を目的とする制度であることに鑑みれば、必要的訴訟参加の案件で第三者が参加の機会を得なければ判決自体を無効にしてしまうドイツよりは、日本の方が正道を歩んでいると評価する。

 節を改めて著者は、第三者再審が提起された農地買収事件の判決(大阪高判昭和44年1月30日行集20巻1号115頁)を引き、そこで再審原告が「公の機関が遂行している訴訟にわざわざ参加する必要はないと一般私人が思料するのは当然である」と主張していたことに注意を促す。参加を控えた第三者の心理としては、ほかに、行政の訴訟活動の邪魔になることへの遠慮や、自分が主張できる程度のことはすべて行政が主張してくれているはずだという行政への信頼も考えられる。こうした心理面の探究は、第三者参加の実際上の必要性に関する考察に繋がる。

 行政訴訟では、行政処分を行う行政と当該処分の名宛人である私人が当事者になっているものの、実際の紛争はその範囲を超えた拡がりを見せることが多い。1つの紛争に関わる多数者のうちの誰を参加させる必要があるのかということについては、著者は、やはり二重効果的行政処分論によって規律される法律関係が基本になると説く。具体的にいかなる第三者をいかなる場合に参加させるかの判定基準としては、ドイツ法に学んだ法律関係関与性の要件に手がかりを求める。著者は、少なくとも、コンラッドのいう「消極的なもの」と「直接的なもの」という要件がともに充たされ、第三者が訴訟参加する必要があると認められる場合は、その者の訴訟参加を促す措置が講じられるべきだと考えている。

 誰を参加させるべきかが決まったとして、はたして本当にその者を参加させる必要があるのかと著者は問いかける。行政庁が実体的真実の究明を目指して調査義務を果たせば果たすほど、訴訟の場で行政が成す以上の主張・立証を第三者が行う余地は減少することはずである。もしそのような主張・立証を行う余地があるとすれば、第三者は本来行政処分の手続でそれを提示すべきではなかったかということにもなる。

 しかし、ここで著者は、訴訟参加には承服性確保の手段という意義があることを強調する。つまり、第三者も、訴訟に参加し、共に見守り、共に判決の言渡しを受けたのであれば、それを受け容れることができるであろうということである。もっとも、訴訟参加した第三者に判決を承服させるには、判決の形成効という実体法上の効力では不足であり、訴訟参加したことに基づく訴訟法上の効力が望まれる。この見地から、行政が第三者の訴訟担当者として訴訟活動を行っている(民事訴訟法115条1項2号)と見て、当該第三者に既判力を拡張することが考えられる。著者はそれは可能であると考えるが、この論法では第三者が参加しなくても既判力が拡張されるので、判決受容の根拠を現実の参加に求める理論の支柱としては物足りない。そこで著者はさらに進んで、近時の民事訴訟学説のなかには、現実の参加と共同的な訴訟追行を前提として、参加的効力に類する拘束力を参加人と相手方当事者の間にも生じさせようとするものがあることに注目し、その理は取消訴訟において益々妥当すると説く。

 しかし、著者は、行政処分の適法性が審査される取消訴訟の場合、そこでの手続保障としては、第三者に確実に参加の機会が提供されるべきではあるが、行政の訴訟活動と並んで当該第三者の主体的な訴訟行為が現実に行われることまで要求する必要はないと主張する。そして、第三者再審には行政処分が発せられたときからすでにかなりの時間が経過しているという難点があることなども考慮すると、結局、取消訴訟における第三者に対する手続保障の本質は、早めに訴訟係属の事実を認識させ、権利の覆滅という結果の予測を可能にしてやり、それに備えさせることにあるというのが著者の思想である。

 したがって、著者が構想する第三者の手続保障は、結局、裁判所による訴訟係属の告知ということになる。行政事件訴訟法22条は職権参加を規定しているので、これを根拠にして裁判所は訴訟係属を告知することができると著者は見る。同条の書きぶりでは、参加させるかどうかは裁判所の裁量に委ねる趣旨に読めるが、著者によれば、裁判所には訴訟法に定められた諸制度を円滑かつ有機的に運営する責任があるので、職権で訴訟係属を告知することは裁判所の義務となる。

 4.附論「訴訟参加と行政事件の解決」

 著者はここで「行政事件」の意味をあらためて説明する。二重効果的行政処分の場合は、最初から私人Aと私人Bとの間に紛争の火種が潜在しているので、行政庁がたとえば私人Aに建築許可を与えるという行為は、すでに1つの行政事件をそれなりに解決していることになる。それが訴訟になった場合は、裁判所は、判決をもってより高次の解決を与えることになる。一般に、訴訟参加の目的としては第三者の権利保護と訴訟資料の充実が語られているが、著者は、そこに「行政事件の解決」という第三の目的を持ち込むことによって取消訴訟の実質化が図れるとする。

 最後に、著者は、民事訴訟法上の補助参加しか認められない事案でも、利害関係人を訴訟に引き込むことには取消訴訟を実質化する意義があることを強調する。合わせて著者は、当事者訴訟などの取消訴訟以外の訴訟類型との関係でも補助参加の効用を説く。

[評価]

 次に、本論文の評価を述べる。本論文には、以下のような長所が見られる。まず第1に、本書は、行政訴訟における参加を本格的に論じた最初の著作である。行政事件訴訟法に関する主要な注釈書を繙いてみても、訴訟参加の項目は、著者自身が担当した1冊を除けば、たいてい実務家が執筆している。そのように研究者の手になる論考の蓄積がないなかで、ドイツ法と日本法の双方についてこれだけの詳細な研究を完成させたわけであるから、行政法学界にとってその意義は頗る大きい。

 第2に、著者は、ドイツ法についても、日本法についても丁寧に文献を収集し、しかもそれを綿密に読み込んでいる。また、論理の展開を阻む問題点が現れた際には、他分野である民事訴訟法の論点であっても煩を厭わず関連文献を一から読みこなして裏付けを取っており、筋道を誠実に辿っていくその態度は敬服に値する。厖大な読書量に支えられた粘り強い思索によって、本書は後進にとって信頼のおける導きの書となった。

 第3に、行政訴訟における参加に関して、新たな観点を提示しているということができる。従来は、行政事件訴訟法22条に基づく参加には、訴訟資料の充実が図れることと、同法32条において取消判決の第三者効が規定されたことの訴訟手続面での手当という2つの意義があると説明されてきた。著者は、そこに実質的な意味における行政事件の解決という新たな意義を付け加えており、多面的な考察の成果であるだけに相当の説得力を有している。

 もっとも、本論文にも短所がないわけではない。第1に、著者の努力にもかかわらず、民事訴訟法学の成果の吸収に難があるように見受けられる。本論文は兼子一が突きつけた難問への著者なりの回答という意味をもつこともあって、兼子の著作とその周辺の論考に関しては深い読み込みがなされているのであるが、近年の民事訴訟法学界には形成効と必要的訴訟参加との関係についての研究史があるにもかかわらず、その成果への対応が欠落している。また、本論文では、第三者に判決を受け容れさせること、つまり承服性の確保が主眼なのであるから、平成8年に人事訴訟手続法に導入された訴訟係属の通知制度(現在は人事訴訟法28条)などにも目を向けていたならば、より豊かで説得的な議論を展開できたものと思われる。

 第2に、本論文は著者の思考の流れをそのまま文章にしているような面があり、その結果繰り返しの表現が多くなっている。また、幾分情緒的な表現が目に付く箇所もある。反復を整理するなどして全体の調子を調えれば、締まりが効いて一層読みやすい作品になったものと惜しまれる。

 しかしながら、これらの短所は、本論文の価値を大きく損なうものとは思われない。本論文が纏められたことで、今後新たに行政法学と民事訴訟法学との対話が始まるものと予想される。これまで断片的な解説しかなかったところにこれだけの思索の基盤を構築した著者の功績をまずは讃えるべきであろう。また、著者の表現方法や文体に違和感を覚えさせるところがあるとしても、そのことによって本論文の趣旨が不明確になっているわけではない。

 以上述べたとおり、本論文は、著者の高い研究能力、とりわけ、緻密で持続的な思考力をよく示した重厚な作品であり、これまで議論の広がりと深みに欠けていた問題領域において新たな地平を開き、学界の発展に貢献する特に優秀な論文であると認められる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価する。

 以上

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