学位論文要旨



No 216634
著者(漢字) 田辺,明生
著者(英字)
著者(カナ) タナベ,アキオ
標題(和) 日常実践における倫理の文化政治学 : インド・オリッサにおけるカースト、地域社会、ヴァナキュラー・デモクラシー
標題(洋) Cultural Politics of Ethics in Everyday Practice : Caste, Local Society and Vernacular Democracy in Orissa, India.
報告番号 216634
報告番号 乙16634
学位授与日 2006.10.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16634号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 助教授 箭内,匡
 東京大学 助教授 名和,克郎
 東京大学 教授 関本,照夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、インド・オリッサ地域社会における社会政治関係について、その歴史的変容と現代的動態を明らかにしようとするものである。対象地域はクルダ県マニトリ城塞を中心とするが、常に国家および市場との相互関係に注目する。扱う時代は18世紀から2005年までである。

 まず第一章において、本論の問題と視角を提示する。1990年代の後半から、地域政治への下層民(サバルタン)の参加がいっそう進展した。本論の主なる問いは、この民主化の倫理的基盤はいかなるものかということである。この問題は、現代インドに展開するポストコロニアル版リベラル・コミュニタリアン論争と直結する。つまり国家・社会の倫理的基盤として尊重さるべきは、近代国家が保証する権利なのか、それとも共同体に継承された徳なのかをめぐる議論である。本論では、この議論の二分法的枠組み自体が(ポスト)植民地の歴史のなかで形成されたものであることを示す。そして、そうした植民地的二分法を凌駕していく可能性を現代の社会政治変容の動態そのもののなかに発見し、その歴史的意義を、過去300年余りの地域史のなかで明らかにしようと試みる。

 第二章は、前植民地期18世紀のクルダ王国およびマニトリ城塞地域共同体について論じる。地域共同体における社会関係の基盤となったのは、それぞれの世帯が国家・共同体に寄与する職に従事し、地域の生産物から取り分をうけとるという世襲的な「権利の体系」であった。権利の体系は、地域女神の代表する全体のためにそれぞれの世帯が奉仕するという供犠原理に基づくものであったが、地域共同体のみで完結するものではなく、権利の付与者そして供犠祭主たる王を象徴的中心として必要とした。近世において、王はオリッサの「真の支配者」たるジャガンナート神のこの世の代理として神聖化されるようになり、当時盛んになりつつあった神へのバクティ(信愛)運動ともあいまって、人々は自らの職を、地域女神およびジャガンナート神への供犠的奉仕として意味づけた。こうして近世の「供犠祭主国家と供犠共同体」の関係のもとにおける権利の体系は、地域における日常活動を意味づけ、人々の社会・政治・宗教アイデンティティを基礎づけるものとして機能した。さらに地域レベルでも宝貝貨幣による市場経済が進展し、地域共同体は、後背地における生産拠点として、インド洋交易に寄与した。近世オリッサにおいて、地域共同体・国家・市場は補完的に機能していたといえよう。

 第三章は、植民地期における社会変容について論ずる。植民地時代においてインド社会には二段階の大きな変化があった。まず植民地直後の土地私有制の導入により、権利の体系は崩壊し、階層的土地所有を基礎として支配カーストを中心とするジャジマーニー関係が形成された。また植民地政府によるバラモンの重用により、カースト・ヒエラルヒーが強化された。こうして地域社会におけるヒエラルヒーと支配の側面を植民地政府は「伝統化」したのであった。一方、供犠組織における存在論的平等性に基づく協力や神への信愛に基づく奉仕といった側面は、宗教儀礼領域に閉じ込められ、社会経済関係から切り離された。第二の大きな変化は19世紀後半における農業の商業化の進展である。ここで新興階層が出現する一方、旧支配層の一部は没落しまた貧民層は農業労働者化していった。これとともに地域社会は帝国経済に取り込まれていったが、他方では植民地的枠組みにおいて「現地社会」は「近代国家・市場」から明確に区別された。19世紀後半には民族運動が始まるが、ここでも植民地的二分法を反映して、合理主義・自由主義を運動の基盤とするエリート・ナショナリズムとカーストや王権や宗教に基づく民衆のパトリオティズムは、一時的な協力はあったものの矛盾と対立を含んだまま並立していた。

 第四章と第五章は、ポスト植民地期における社会儀礼領域と政治経済領域の二分的状況を描く。これは、植民地期における現地社会と近代国家・市場の分断を継承したものである。社会儀礼領域においては、身体と土地と職との有機的なつながりが重視され、親族・カースト間の共同体的協力の論理が実践・確認される。ただしこうした「有機的全体」は限定された領域における閉じられたものであって、政治経済領域の倫理的基礎をなしているわけではない。むしろ現実の政治経済と対比される形でこそ、理念化された宗教・存在論的アイデンティティは重んじられている。他方、政治経済領域においては、派閥政治と汚職が蔓延している。そこは文化倫理の及ばない領域であり、強い者・賢い者が勝つという競争的論理が支配している。インドにおける下への民主化の過程は、国家による財の再分配というポピュリズムとつながっており、地域社会では派閥を通じて国家資源を取り合うようになった。派閥の中心メンバーは支配カーストであったが、これは地域社会の権力構造を反映している。ポスト植民地期インド社会の課題は、民主主義と文化倫理をどのように接合するかにあるといえよう。これは植民地的二分法をいかに克服するかという問題でもある。しかし文化倫理が、植民地期に伝統化されたバラモン的ヒエラルヒーと支配カーストの中心性におかれたままでは、民主主義の精神と架橋することは不可能である。それではいかなる文化倫理がこれを担えるかを次に検討する。

 第六章では、女神儀礼の分析を通じて、儀礼領域に継承されている文化倫理の多元的内容をより詳しく検討する。儀礼の過程においては、平等性、ヒエラルヒー、中心性という三つの価値が、ジレンマと葛藤を含みながら展開する。供犠の中心となる破壊は、あらゆる差異を否定し、存在論的平等性を現出せしめるのであるが、それは地位と権力を含む構造の再生を可能にするだけでなく、そのヘゲモニー構造に対して、下からの別様(subalternate)の社会性の可能性を示唆しつづける。

 第七章は、カースト間関係の変容を分析し、地位・権力に基づく上からのヘゲモニーと、平等性を基盤とする下からの批判・抵抗とのあいだの交渉は、儀礼構造に見られるだけでなく、インド社会全体の動態を支えるメカニズムでもあることを示す。インドにおける社会関係は、規範と権力によってのみ決定されるものではなく、あるべき関係性を追求するエージェントが反省的かつ実践的に構成するものでもある。植民地下において形成されたジャジマーニー関係の多くは次第に市場交換によって代替されたが、これにはカースト団体による地位向上運動が関わっていた。下位カーストは支配カーストと交渉し、パトロン・クライエント関係を廃して市場原理を導入したのであった。だが儀礼領域においては、カースト分業が維持されたことは注目される。下位カーストも自らのカースト・アイデンティティ自体を捨て去ろうとはしなかったのである。ただし儀礼的役割の内容については、自らの尊厳にみあうものとなるよう再編成しようとした。ここでは、下からの伝統の再定義の試みが見られる。下位カーストにとって、自らのアイデンティティを保証する伝統とは、ヒエラルヒーや支配構造を意味するのではなく、平等で必要不可欠な各部分が全体のために奉仕することであった。ここには、あるべき社会関係の定義をめぐる倫理の文化ポリティクスがみられる。

 第八章は、1990年代の後半、下からの社会関係の再定義の試みが政治領域にまで及んだ状況について論ずる。90年代初頭には、派閥政治に対する批判が強まり、下位カーストは地域政治への平等な参加権を要求するに至った。しかし派閥政治は貴重な現金収入を提供したので、支配カーストはその権益をみすみす捨てようとはしなかった。こうした状況を変えたのが、91年の経済自由化と92年のパンチャヤット(地域自治体)改革であった。パンチャヤット改革によって下位カーストおよび女性の留保枠が保証された結果、政治の支配カーストによる独占は崩され、派閥の影響力は限定的となった。地域政治に新たに参入した下位カーストや女性は、政治の意味を、権力による資源の統御から、社会の諸部分の代表による平等参加と奉仕と協力を通じて全体の発展をめざすことと再定義しようとしている。これは、存在論的平等に基づく供犠倫理と民主主義的政治実践とを接合する試みとして注目に値する。ただし派閥政治の衰退とパンチャヤットの隆盛の裏側には、経済自由化による市場経済の台頭があることにも注意する必要がある。支配カーストが地域政治に興味を失った理由のひとつは、市場が政治に代わる新たな現金収入源となったことがある。また地域政治の隆盛を支える巨額の財の再分配を支えているのは、経済自由化以降のインド経済の発展である。地域社会の民主主義とグローバル資本主義のあいだをどのように調停するかがインド社会にとっての新たな課題として現れている。

 第九章は結論である。現代における地域社会の変容は、ヒエラルヒーと中心性という植民地下において強化されたヘゲモニー構造を乗り越え、サバルタン的供犠倫理と民主主義とを接合したヴァナキュラー・デモクラシーの成立として理解することができる。これは、ポストコロニアル版リベラル・コミュニタリアン論争でも扱われた、近代国家の原理(権利・合理性)と現地社会の文化倫理(徳・供犠的奉仕)の対立という植民地的二分法を架橋するものであることから、インド社会のポスト・ポスト植民地期への移行を示唆するといえよう。ただし現在、グローバル資本主義を基盤とした新たなヘゲモニー構造が形成されつつあるなかで、あるべき社会関係の定義をめぐる倫理の文化ポリティクスは依然その重要性を失っていない。

審査要旨 要旨を表示する

 田辺明生氏の博士学位請求論文、「Cultural Politics of Ethics in Everyday Practice: Caste, Local Society and Vernacular Democracy in Orissa, India (日常実践における倫理の文化政治学―インド・オリッサにおけるカースト、地域社会、ヴァナキュラー・デモクラシー)」(英文)は、インド東部に位置するオリッサ州の、一地域社会における社会政治関係について、その歴史的変容と現代的動態を明らかにし、下層民、サバルタンの供犠の倫理と、民主主義とを接合したヴァナキュラー・デモクラシー、この地に根ざした民主主義、の成立を主張するものである。

 本論は英語で書かれ、前書きと全9章からなり、28枚の表、2枚の図、11枚の地図、41葉の写真が付されている。

 第1章において、論者は、1990年代の後半からインドの地方政治が変容したことを述べ、これは、現代インドに展開するポストコロニアルの文脈におけるリベラル・コミュニタリアン論争と直結する、ことを指摘する。すなわち、地域政治に下層民、サバルタンが進出する過程で、彼らの参加する民主政治の倫理的基盤は近代法が保証する「権利」なのか、または共同体に継承された「徳」の概念によるのか、という論争である。論者はこうした議論の二分法的枠組み自体が植民地、及びポスト植民地の歴史のなかで形成されたものであることを主張する。以下、その形成の過程を、この地の300年余りの歴史の中に探ろうとする。

 第2章では、前植民地期、18世紀のクルダ王国およびマニトリ城塞地域共同体がその分析対象となる。そこにおける社会関係の基盤となったのは、それぞれの世帯が地域女神への供犠の中でそれぞれの職に従事し、その奉仕に対して地域の生産物の取り分をうけとる、という世襲的な「権利の体系」であった。この体系は、地域共同体のみで完結するものではなく、権利の付与者そして供犠祭主たる王を、象徴的中心として必要とした。王はオリッサの「真の支配者」たるジャガンナート神の、この世の代理として神聖化されるようになり、人々は自らの職を、地域女神およびジャガンナート神への供犠的奉仕として意味づけた。この「供犠祭主国家と供犠共同体」の社会関係を明らかにするに当たっては、論者は自らが見出した資料である、貝葉に書かれた行政文書を解読し、それを有効に利用しつつ分析することに成功した。この発見、解読、利用、はそれ自体、この地域の近世史への大いなる貢献である。その分析によって、人々の日常活動が明らかになっただけでなく、この地域に子安貝貨幣による市場経済が進展していたこともわかった。すなわち、近世オリッサにおいて、地域共同体・国家・市場は補完的に機能していたことが明確になったのだ。

 第3章以下、第5章までは、この地の植民地期からポスト植民地期における社会変容について論じられている。

 まず第一に、植民地時代におけるインド社会の変化は、階層的土地所有を基礎とした支配カーストを中心とするジャジマーニー関係の形成と、植民地政府によるバラモンの重用によるカースト・ヒエラルヒーの強化により、地域社会におけるヒエラルヒーと支配の側面が「伝統化」されたと述べる。一方、供犠組織における平等性に基づく協力や、神への信愛に基づく奉仕は、宗教儀礼の中だけのこととされ、現実の社会経済関係からは切り離された。第二の大きな変化は19世紀後半における農業の商業化の進展である。ここで新興階層が出現する一方、旧支配層の一部の没落、貧民層の農業労働者化が起きた。これとともに地域社会は帝国の経済に取り込まれていったが、他方では植民地的枠組みにおいて「現地社会」は「近代国家・市場」からは区別された存在となった。こうした二分法は独立運動に際しての、合理主義・自由主義を運動の基盤とするエリート・ナショナリズムとカーストや王権、宗教に基づく民衆のパトリオティズムのあいだにも見られた。

 ポスト植民地期に至っても、現地社会の、身体と土地と職との有機的なつながりが重視された社会儀礼領域と、近代国家の作り出した、広域のレベルでの政治と市場経済による政治経済領域が切り離された二分的状況は変わらなかった。だから、社会儀礼領域においては、親族・カースト間の共同体的協力の論理が実践・確認されても、それは国家などの、より高次なレベルの、政治経済領域の倫理的基礎をなしているわけではない。それゆえ、政治の世界では、派閥政治と汚職が蔓延し、人々が言う"The logic of the fish"、弱肉強食の競争的論理が支配していた。論者は、ポスト植民地期インド社会の課題は、民主主義と文化倫理をどのように接合するかにあるととらえるが、地域社会の文化倫理が、植民地期に伝統化されたバラモン的ヒエラルヒーと支配カーストの中心性におかれたままでは、民主主義の精神とのあいだに架橋することは不可能である、と考える。論者はそれに代わる文化倫理を次章以下で検討する。

 第6章では、女神儀礼を、現地での観察による綿密な記述と適切な写真を補うことで提示する。論者は、その分析を通じて、儀礼領域に継承されている文化倫理の多元的内容を分析する。儀礼の過程では、さまざまな象徴的な行為や物によって、平等性、ヒエラルヒー、中心性という三つの価値が、葛藤を含みながら示される。供犠の中心となる破壊は、意味としてあらゆる差異を否定し、平等性を現出する。一方、それは地位と権力を含む構造の再生を可能にするだけでなく、その権力構造に対し、下からの別様(subalternate)な社会性の可能性をも示唆している。

 第7章は、カースト間関係の変容の分析である。植民地下において形成されたジャジマーニー関係、カースト間のサービスと物の授受の関係、の多くは次第に市場交換によって代替されたが、これにはカースト団体による地位向上運動が関わっていた。すなわち、下位カーストは支配カーストと交渉し、パトロン・クライエント関係を廃して市場原理を導入したのであった。だが儀礼領域においては、論者は別種のことが起きたことを鋭く指摘する。すなわち、下位カーストは、自らのカースト・アイデンティティ自体は捨て去ろうとはせず、むしろ、儀礼的役割の内容について、自らの尊厳にみあうものとなるよう再編成しようとした、と論ずるのだ。そして、下位カーストにとって、自らのアイデンティティを保証する伝統とは、ヒエラルヒーや支配構造を意味するのではなく、平等で必要不可欠な各部分が全体のために奉仕することである、として、伝統を再定義しようとする。

 第8章は、1990年代の、インド国内の政治状況の変化と、グローバル資本主義によるインド経済の活性化を背景として説明したのち、第7章で論じた、供犠の示す社会関係を再定義することにより、倫理と政治の接合がいかになされたかを論ずる。90年代初頭には、派閥政治に対する批判が強まったが、支配カーストはその権益をみすみす捨てようとはしなかった。しかし、91年の経済自由化と92年のパンチャヤット、地方自治体の改革は、大きな転機となった。地方自治体改革によって下位カーストおよび女性の留保枠が保証された結果、支配カーストによる政治的独占は崩され、派閥の影響力は限定的となった。地域政治に新たに参入した下位カーストや女性は、政治の意味を、権力による資源の統御から、社会の諸部分の代表による平等参加と奉仕と協力を通じて全体の発展をめざすことと再定義しようとしている、と論者は主張する。また、派閥政治の衰退とパンチャヤットの隆盛の裏側には、経済自由化による市場経済の台頭がある。支配カーストは、市場が政治に代わる新たな現金収入源となったことも理由の一つとして、地域政治に興味を失った。また地域政治の隆盛を支える巨額の財の再分配を、経済自由化以降のインド経済の発展が支えている。地域社会の民主主義とグローバル資本主義のあいだをどのように調停するかはインド社会にとっての、今後の新たな課題となっている。

 第9章の結論において、論者は、現代における地域社会の変容は、ヒエラルヒーと中心性という植民地下において強化されたヘゲモニー構造を乗り越え、サバルタン的供犠倫理と民主主義とを接合したヴァナキュラー・デモクラシーの成立として理解することができる、と述べ、今後のいくつかの問題点を指摘して本論を閉じる。

 本論文は、論者の、あしかけ15年を越える現地調査を基礎とした労作であり、過去300年の歴史的経緯を自らが入手した新資料も含め通覧した力作であり、カーストと王権に関する文化人類学的論争から現代インドの政治・社会状況をめぐる議論までを見据えた真摯な学術論文である。その学的貢献には大きく三つの点が上げられる。

 第一に、現代のインド地域社会の文化人類学的調査を、歴史研究の中でとらえ返すだけでなく、出来うる限り、地域の歴史を精査し、共時的研究と通時的研究を接合させたことである。それは言うは易く行うは難い作業であるが、論者は長い年月をかけてそれを成し遂げた。この論文はそうした研究の一つのランドマークになり、インド研究の中でも、確固とした礎石となるであろう。

 第二に、特定の社会の徹底的な調査と歴史的実証に基づいた仕事でありながら、インドの近代政治、一般に関する浩〓な社会科学の成果に立ち向かい、吸収し、それらの議論に一石を投じるべく、政治における倫理に関する新たな理論を立てた。また同様に、内部での議論に自足しがちなインドの人類学的研究に十分な貢献をしながら、他の地域を専門とする研究者との対話が可能な形で論を提出することが出来た。

 第三に、インドの地域社会の政治をつぶさに見て、そこに生まれつつある、ヴァナキュラー・デモクラシーの姿をとらえることが出来た。そして論文中に示された、地域に根ざした民主主義は、社会科学の研究者としての本分を弁えながらも、その地で生活に根ざした民主主義は、社会科学の研究者としての本分を弁えながらも、その地で生活を共にした者として、その運動にいくばくかでも資するところがあればとの真摯な願いがあってこそ可能な、ダイナミックな筆致をもって描かれていた。

 また本論文の論証は、堅固に構成されている。たとえば第8章で、論者は、サバルタンが主体となった、あるべき社会関係の定義をめぐる、倫理の文化ポリティクスが働いているとユニークな主張を行うのだが、ここでも、論証は十分に説得的である。それは歴史的な論証においても同様であり、オリジナルな古史料を元に厳密な考証が行われている。しかしながら、歴史上300年にわたる、スケールが大きく意欲的な本考察に、誰が見ても疑問の余地がないほどの論証が伴っているわけではない。だが、今後資料的考証と議論の両面でさらに研究を飛躍させるだろうことは、この論文に示された田辺氏の高い研究資質を見れば、確実に期待できる。

 以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。従って、審査員一同は、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与されるに充分な資格があるものと認める。

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