学位論文要旨



No 216639
著者(漢字) 山次,康幸
著者(英字)
著者(カナ) ヤマジ,ヤスユキ
標題(和) 植物1本鎖RNAウイルスの遺伝子構造と複製に関わる宿主因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 216639
報告番号 乙16639
学位授与日 2006.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16639号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 勝間,進
 東京大学 助教授 鈴木,匡
 玉川大学 特任教授 日比,忠明
内容要旨 要旨を表示する

 植物1本鎖RNAウイルスは植物ウイルスの70%以上を占めており、農作物生産に甚大な被害を与えるだけでなく、その防除は極めて困難である。本研究ではこの植物1本鎖RNAウイルスを対象にその遺伝子構造の解析と複製に関わる宿主因子の分子生物学的解析を行った。

1.植物1本鎖RNAウイルスの種のボーダーラインに関する解析

 チューリップXウイルス(TVX, Tulip virus X)は長さ約495nm、幅約13nmのひも状ウイルスであり、Flexivirus科Potexvirus属に属する。TVXはチューリップに感染し、葉に退緑斑および壊死斑を生じ、花弁には線状斑を形成する。1982年にスコットランドで初めて発見された(Mowat,1982)が、本邦では1994年、日本で隔離検疫中のオランダ産チューリップから分離され(藤原ら,1994)、1997年には新潟県で栽培中のチューリップから分離される(宮川ら,1997)などその被害が広がりつつあり早急な対策が望まれている。しかし、TVXはその性状が明らかではなく、従って抗体やPCRなどによる感染植物からの検出技術も確立していなかった。そこで、本研究ではTVXのゲノムの全塩基配列を解読し、系統解析によりその分類学的性状を明らかにした。

TVXの遺伝子構造

 TVX新潟分離株(TVX-J)のゲノムRNAの全長塩基配列を解読したところ3'末端のpolyA配列を除き全長6056塩基からなることが明らかになった。ゲノムには5つのopen reading frame(ORF)が含まれていて、5'非翻訳領域(UTR,untranslated region)は95塩基、3'UTRは130塩基であった。ORF1には153kDa複製酵素タンパク質(RdRp,RNA-dependent RNA polymerase)、ORF2、3、4には25kDa、12kDa、10kDaトリプルジーンブロック(TGB,triple gene block)タンパク質、ORF5には22kDa外被タンパク質(CP,coat protein)がコードされ、典型的なPotexvirus属ウイルスの遺伝子構造を示した。

分子系統学的解析

 TVXの分類学的所属を明らかにする目的で、各ORFにコードされる遺伝子について系統学的解析を行ったところ、TVXはPotexvirus属ウイルスであると判断された。またオオバコモザイクウイルス(PlAMV,Plantago asiatica mosaic virus)と最も近縁であり、各タンパク質配列のidentityも極めて高い値を示した。そこで、TVXとPlAMVのタンパク質配列のidentityをPotexvirus属ウイルスの種間のidentityおよび系統間のidentityと比較し、pairwise解析(Shukula and Ward,1988)を行った。CPのpairwise解析ではTVXとPlAMVは同一種と判断されたが、RdRpやTGBを用いた解析では異種と判断された。以上の結果と生物学的・理化学的性状などをもとに総合的に判断した結果TVXとPlAMVは近縁ではあるが異種ウイルスであると結論づけられた。

 以上のように本研究ではTVXの全塩基配列を明らかにするとともにTVXとPlAMVが近縁な異種ウイルスであることを明らかにした。最近、属レベル以上の分類にはRdRp遺伝子、種レベルの分類にはCP遺伝子が用いられている。しかし、本研究により1本鎖RNAウイルスの分類はCPのみでは種レベルにおいて分類に支障を生じるケースが見出されるため、分類基準を見直す必要があることを示した。すなわち、Potexvirus属をモデルにCPのみならずその上流の遺伝子も比較し生物学的性状とも併せ、総合的に判断する必要があることを示した。

2.植物1本鎖RNAウイルスの複製に関わる翻訳伸長因子の解析

 ウイルスの防除が極めて困難である背景には、ウイルスが宿主の遺伝子産物の多くを巧みに利用しながら増殖や移行を行うため、その増殖のみを特異的に抑える戦略が立てにくいというジレンマがある。この状態を克服するためには、ウイルス感染に関与する宿主因子がウイルスの複製・移行にどのように関わるかを明らかにすることが必要である。RNAウイルスの複製に関連して、これまで様々な宿主因子の関与が報告されてきたが、中でも翻訳伸長因子(EF,translation elongation factor)の関与が数多く報告されており、動植物を通じてRNAウイルスの複製に普遍的に関与している可能性が考えられる(Lai,1998)。2002年にwheat germ extractより単離されたeEF1A(eukaryotic translation elongation factor 1A)がタバコモザイクウイルス(TMV,Tobacco mosaic virus)ゲノムRNAの3'UTRに結合することが明らかにされた(Zeenko et al.,2002)。そこで本研究では、eEF1AがTMVのRNA複製に際し、担っている機能について解析を行った。

2-1.翻訳伸長因子とTMV複製因子の結合解析

eEF1AとTMVゲノムRNAの結合解析

 Nicotiana tabacum cv.XanthiからタバコeEF1A遺伝子をクローニングし、得られた配列をもとに大腸菌内でeEF1Aを大量に発現させ精製した。これを用いて、以下の研究を行うとともに、その抗体を作出した。次いで、eEF1AとTMVゲノムRNAとの結合をGST pull-down法およびゲルシフト法で解析したところ、eEF1AはTMV 3'UTRと結合することが明らかになった。

eEF1AとTMV RdRpの結合解析

 eEF1AとTMV RdRpとの結合を免疫沈降法により解析した。TMV感染タバコよりRdRpを多く含む画分を抽出し、抗eEF1A抗体により免疫沈降を行った。沈降画分にTMV RdRpが検出されたことから、両者がin vivoで結合することが示された。次いでTMV RdRpの部分領域とeEF1Aを酵母内で発現させ、酵母two-hybridシステムを利用してそれらの間の結合を検出したところ、eEF1AがTMV RdRpのMドメインと結合することが示された。

 以上の結果よりeEF1AはTMVゲノムRNAおよびRdRpと結合することが示された。TMV RdRpが多様な機能をもつことから、eEF1Aがそれらに関わる可能性も考えられた。

2-2.複製における翻訳伸長因子の機能解析

eEF1AのTMV感染への影響

 eEF1AがTMVの感染に与える影響について調べる目的で、ジャガイモXウイルス(PVX,Potato virus X)ベクターを用いたvirus-induced gene silencing(VIGS)法を用いてeEF1Aのサイレンシングを誘導し、TMV感染に対する影響を調べた。その結果、eEF1Aサイレンシング区では対照区に比べ蓄積量が減少した。さらにeEF1AのサイレンシングがTMVの増殖を抑制する様子を可視化するため、緑色蛍光タンパク質(GFP,green fluorescent protein)発現TMVベクター(TMV-GFP-CP)を接種し、感染葉を蛍光観察したところ、TMV-GFP-CPによる蛍光斑の面積はeEF1Aサイレンシング区では対照区と比較して著しく縮小した。

eEF1AのTMV RNA複製への影響

 eEF1AのサイレンシングによりTMVの感染が抑制されることを示したが、植物ウイルスの感染過程には主に単細胞での複製と細胞間移行の2つのステップがあり、eEF1Aがそのどちらに関わるかは明らかではない。そこで、これを解析するためにタバコプロトプラストにおけるTMVのRNA複製に対するeEF1Aの影響を調べた。eEF1Aを過剰発現するタバコ培養細胞を作製し、そこから抽出したプロトプラストにおけるTMV RNAの複製を解析したところ、eEF1A過剰発現タバコプラストでは野生型タバコプラストと比較してTMV RNA蓄積量が増加したことから、eEF1Aの過剰発現によりTMV RNAの複製が促進されることが示唆された。

eEF1Aの翻訳への影響

 eEF1AがTMVのRNA合成に影響を与えているのか、TMVタンパク質やTMV感染に関わる宿主タンパク質の翻訳に影響を与えているのかを明らかにするため、eEF1Aのサイレンシングにより宿主翻訳活性に与える影響について調べた。アグロインフィルトレーションにより植物体にGFPを発現させ、GFPのRNA量とタンパク質量を比較し、翻訳活性を調べたところ、eEF1AのサイレンシングはGFP mRNAの翻訳に影響を与えないことが示された。このことは、eEF1AがTMV RNA複製におけるRNA合成に関わっていることを示すものである。

TMV感染タバコプロトプラストにおけるeEF1AとVRCの細胞内局在

 感染細胞におけるウイルス複製複合体(VRC,virus replication complex)とeEF1Aの細胞内局在観察を行った。まずeEF1Aの局在を調べるため、eEF1AとGFPの融合タンパク質(eEF1A:GFP)をプロトプラストで発現させたところ、複雑なネットワーク状の局在を示した。しかし、ER阻害剤であるbrefeldin Aを処理したところ、局在が大きく変化し、細胞内が一様に染色された。このことから、eEF1AはERに局在することが示された。一方、TMV VRCには移行タンパク質(MP,movement protein)が含まれることが明らかにされており(Heinlein et al.,1998)、MPとGFPの融合タンパク質MP:GFPを経時的に観察することによりVRCの観察が可能である(Asurmendi et al.,2004)。そこでMP:GFPを発現するTMVベクターTMVom-MP:GFPを作出し、TMVom-MP:GFP感染プロトプラストに対して抗eEF1A抗体で免疫染色を行ったところ、VRCは抗eEF1A抗体で染色されたER膜上に分布しており、VRCの集積により形成される大型のVRCはER膜の窪みに形成される様子が観察された。これらの結果より、eEF1AがTMV複製の場に深く関わることが明らかになった。

 以上、本研究ではeEF1AのTMV感染機構における関与について解析し、eEF1AがTMVゲノムRNAの3'UTRおよびTMV RdRpと結合すること、eEF1AのサイレンシングによりTMVのRNA複製が阻害されること、TMV VRCがeEF1Aが局在するER膜上に分布することなどから、eEF1AがTMVのRNA複製に強く関与していることを明らかにした。

 以上を要するに、本研究では植物1本鎖RNAウイルスに種のボーダーラインの概念を導入し、従来の分類基準に一石を投じた。また、植物1本鎖RNAウイルスの複製に関わる宿主翻訳伸長因子について解析することにより、翻訳伸長因子が動植物を通じてRNAウイルスの複製に深く関わる事を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 植物ウイルスにより、作物は自身の品質と生産量を著しく低下させるだけにとどまらず、種子伝染による被害拡大の危険性もはらんでいる。ウイルスによる被害は全作物生産量の約10パーセントにも上るといわれているが、局所的にはより深刻な被害を与えていると考えられる。本研究では植物1本鎖RNAウイルスを対象としてその種のボーダーラインに関する分子系統学的解析ならびに複製に関わる宿主翻訳伸長因子に関する解析を行った。

1.植物1本鎖RNAウイルスの種のボーダーラインに関する解析

 チューリップXウイルス(TVX,Tulip virus X)は長さ約495nm、幅約13nmのひも状ウイルスであり、チューリップに感染し、葉に退緑斑および壊死斑を生じ、花弁には線状斑を形成するが、TVXはその性状が明らかではなく、従って抗体やPCRなどによる感染植物からの検出技術も確立していなかった。そこで、本研究ではTVXのゲノムの全塩基配列を解読し、系統解析によりその分類学的性状を明らかにした。

 TVXのゲノムRNAの全長塩基配列を解読したところ3'末端のpolyA配列を除き全長6056塩基からなることが明らかになり、典型的なPotexvirus属ウイルスの遺伝子構造を示した。

 TVXの分類学的所属を明らかにする目的で、各ORFにコードされる遺伝子について系統学的解析を行ったところ、TVXはPotexvirus属ウイルスであると判断された。またオオバコモザイクウイルス(PlAMV,Plantago asiatica mosaic virus)と最も近縁であり、各タンパク質配列のidentityも極めて高い値を示した。そこで、TVXとPlAMVのタンパク質配列のidentityをPotexvirus属ウイルスの種間のidentityおよび系統間のidentityと比較し、pairwise解析(Shukula and Ward,1988)を行い、その結果と生物学的・理化学的性状などをもとに総合的に判断した結果TVXとPlAMVは近縁ではあるが異種ウイルスであると結論づけられた。

 最近、属レベル以上の分類にはRdRp遺伝子、種レベルの分類にはCP遺伝子が用いられている。しかし、本研究により1本鎖RNAウイルスの分類はCPのみでは種レベルにおいて分類に支障を生じるケースが見出されるため、CPのみならずその上流の遺伝子、特にRNAウイルスで保存されており、その複製に普遍的な機能を果たすと考えられるRdRpを比較し、生物学的性状とも併せ、総合的に判断する必要があることを示した。

2.植物1本鎖RNAウイルスの複製に関わる翻訳伸長因子の解析

 RNAウイルスの複製に関連して、これまで様々な宿主因子の関与が報告されてきたが、中でも翻訳伸長因子(EF,translation elongation factor)の関与が数多く報告されており、動植物を通じてRNAウイルスの複製に普遍的に関与している可能性が考えられる(Lai,1998)。そこで本研究では、長らく植物のモデルウイルスとして研究が進められてきたタバコモザイクウイルス(TMV,Tobacco mosaic virus)を対象としてeEF1AがRNA複製に際し、担っている機能について解析を行った。

(1) 翻訳伸長因子とTMV複製因子の結合解析

 eEF1AとTMVゲノムRNAとの結合をGST pull-down法およびゲルシフト法で解析したところ、eEF1AはTMV 3'UTRと結合することが明らかになった。また、eEF1AとTMV RdRpとの結合を免疫沈降法により解析したところ、両者がin vivoで結合することが示された。次いでGST pull-down法および酵母two-hybridシステムを利用した解析により、eEF1AがTMV RdRpのMドメインと結合することが示された。以上の結果よりeEF1AはTMVゲノムRNAおよびRdRpと結合することが示された。

(2) 複製における翻訳伸長因子の機能解析

 eEF1AがTMVの感染に与える影響について調べる目的で、ジャガイモXウイルス(PVX,Potato virus X)ベクターを用いたvirus-induced gene silencing(VIGS)法を用いてeEF1Aのサイレンシングを誘導し、TMV感染に対する影響を調べた結果、eEF1AのサイレンシングによりTMVの感染が抑制されることを示した。次いで、eEF1Aを過剰発現するタバコ培養細胞を作製し、そこから抽出したプロトプラストにおけるTMV RNAの複製を解析したところ、eEF1Aの過剰発現によりTMV RNAの複製が促進されることが示唆された。eEF1AがTMVのRNA合成に影響を与えているのか、TMVタンパク質やTMV感染に関わる宿主タンパク質の翻訳に影響を与えているのかを明らかにするため、eEF1Aのサイレンシングにより宿主翻訳活性に与える影響について調べたところ、eEF1AのサイレンシングはGFP mRNAの翻訳に影響を与えないことが示され、eEF1AがTMV RNA複製におけるRNA合成に関わっていることが示唆された。

 感染細胞におけるウイルス複製複合体(VRC,virus replication complex)とeEF1Aの細胞内局在観察を行った。eEF1AとGFPの融合タンパク質(eEF1A:GFP)をタバコプロトプラストで発現させ、阻害剤処理やマーカータンパク質との局在比較を行ったところ、eEF1AはERに局在することが示された。一方、MP:GFPを発現するTMVベクターTMVom-MP:GFPを作出し、TMVom-MP:GFP感染プロトプラストに対して抗eEF1A抗体で免疫染色を行ったところ、VRCは抗eEF1A抗体で染色されたER膜上に分布しており、VRCの集積により形成される大型のVRCはER膜の窪みに形成される様子が観察された。これらの結果より、eEF1AがTMV複製の場に深く関わることが明らかになった。

 以上を要するに、本研究では植物1本鎖RNAウイルスに種のボーダーラインの概念を導入し、従来の分類基準に一石を投じた。また、植物1本鎖RNAウイルスの複製に関わる宿主翻訳伸長因子について解析することにより、翻訳伸長因子が動植物を通じてRNAウイルスの複製に深く関わる事を明らかにした。これらの成果は、学術上また応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論分が博士(農学)に値するものと認めた。

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