学位論文要旨



No 216645
著者(漢字) 揚山,直英
著者(英字)
著者(カナ) アゲヤマ,ナオヒデ
標題(和) 造血幹細胞による遺伝子治療のためのサル類を用いた前臨床評価系の樹立
標題(洋) Establishment of The Preclinical Model for Hematopoietic Stem Cell Gene Therapy Using Non-Human Primates
報告番号 216645
報告番号 乙16645
学位授与日 2006.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16645号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

 1975年にDonnell Thomasらによる基礎実験により造血幹細胞の概念が築かれて以来、この細胞は移植医療の普及に伴って、医療現場で広く使われるようになっている。最近では造血幹細胞が自己複製能と多分化能を有することから、遺伝子導入の理想的な標的細胞として期待されている。

 特に、2000年にはX連鎖重症複合免疫不全症の症例を対象とした造血幹細胞を用いた遺伝子治療がフランスの研究グループによって報告され、初の極めて優れた治療効果をあげた例として世界中の注目をあびた。しかしその反面、2002年には治療を行った患者が白血病を発症した事が報告され、その後もヒトに対する造血幹細胞による遺伝子治療の問題点が明らかになりつつあり、安全性の確認をヒトに近縁なサル類などの大型動物を用いて適切に行うことは全世界的な要請になっている。

 一方、造血幹細胞の評価系は直接移植して確かめるin vivoの方法しかなく、免疫不全マウスであるNOD/SCIDマウスや、免疫能の完成していない羊の胎児がレシピエントとして用いられている。しかし、これらのモデルは異種体内での細胞動態であることから、必ずしも実際のヒト造血幹細胞の動態を反映しているとは言えない。すなわち造血幹細胞の動態を把握しなければならない造血幹細胞遺伝子治療の安全性・有効性評価を行うためにはサル類における造血幹細胞自家移植システムを用いた評価系の樹立が必須となる。本論文は以下の構成からなる。

 造血幹細胞は骨髄、末梢血、臍帯血のいずれからも採取できるが、臨床応用のソースとしてはサイトカイン動員末梢血幹細胞が最も理想的であるため、サル類での採取方法の開発が求められる(第一章)。

 まず、サイトカイン動員末梢血幹細胞を採取する際の体外循環、移植時の輸血や採血などの指標として、サル類の正確な循環血液量を算出する必要がある。サル類の正確な循環血液量を求めた報告はこれまでにほとんどなく、血液生理学に関する基礎的データとしてもサル類の循環全血量の標準値を明らかにすることは重要であり、その算出を行った。カニクイザルのオス34頭、メス30頭を対象として、エバンスブルーを静脈内投与し、血漿中のエバンスブルーの濃度を測定し、エバンスブルーの希釈率から全血漿量を求め、さらに、全血漿量からヘマトクリット値により補正した値を循環全血量とした。その結果カニクイザルにおいて雌雄別に正確な循環全血量算出式を樹立した。体重6キロ以上のオスを除き、全血量と体重との相関が認められた。循環全血量を算出することによりカニクイザルの採血量や採血頻度、輸血などの指標とすることが可能となった。また、正確な循環血液量を指標とすることで、サイトカイン動員末梢血幹細胞採取時の体外循環も効率良く行う事が可能となった(第一章、第一節)。

 従来造血幹細胞は骨髄から採取されてきたが、サイトカイン動員末梢血幹細胞からも採取できることが明らかとなり、臨床応用されはじめている。しかし、サイトカイン動員末梢血幹細胞は体外循環により採取されるため、ヒト新生児や体重の小さい小動物において安全・有効に行うことは困難である。そのため、サル類に適応可能な、より安全で有効な新規サイトカイン動員末梢血細胞採取法の開発を試みる必要があった。サイトカイン動員末梢血幹細胞採取は既存装置において、体外循環量を縮小し、さらに手動でポンプスピードをコントロールするなどの改善を施し、より安全な施行法を開発した。モデル動物としては、ヒト乳幼児に相当する体重のアカゲザル9頭を使い延べ12回の施行を行い、採取された細胞から単核球、CD34陽性細胞を単離し、細胞の評価を行った。動物の全血球算定、生化学検査も随時行った。その結果、改善した方法ですべての動物、すべての施行で貧血などの副作用が無く、安全に末梢血幹細胞を採取することができた。改善した末梢血幹細胞採取方法で移植に必要十分な量の単核球、CD34陽性細胞を採取することができた。すなわち、体外循環量を縮小し、循環スピードをコントロールすることにより、より安全で有効なサイトカイン動員末梢血幹細胞採取法を確立することができた(第一章、第二節)。続いてより小さいヒト新生児相当体重のカニクイザルにおいて、今回確立したサイトカイン動員末梢血幹細胞採取方法の有効性・安全性を評価した。改善前と改善後のサイトカイン動員末梢血幹細胞を用いて、それぞれ6頭ずつのカニクイザルで施行した。改善前と改善後で採取された細胞数や血液データの比較、評価を行った。その結果、改善前に比べ改善後の方法で各種細胞の採取効率上昇が有意に認められた。また、改善前に比べ改善後の方法で貧血などの副作用の減少が有意に認められた。これらのことからヒト新生児相当の体重であるカニクイザルでも体外循環による新規サイトカイン動員末梢血幹細胞採取が、より有効に安全に施行できることが示唆された。本法を用いることでより小さな動物での末梢血幹細胞採取を行うことが可能となり、得られた造血幹細胞を用いた遺伝子治療の評価を行うことも可能となった(第一章、第三節)。

 造血幹細胞による遺伝子治療の評価のためには人と最も近縁なサル類において、実際に遺伝子導入した造血幹細胞を移植して評価する必要がある(第二章)。

 カニクイザルを用いた造血幹細胞遺伝子治療評価系確立のために造血幹細胞移植法の樹立を試みた。カニクイザルにG-CSF、SCFを投与し、骨髄血を採取、もしくは樹立された方法を用いてサイトカイン動員末梢血幹細胞の採取を行った。これらからCD34陽性細胞を分離し、全身放射線照射を行い骨髄抑制をしたサルに自家移植を行った。移植後サルを無菌室に収容し、必要に応じ中心静脈栄養、輸血、抗生剤投与等を行った。カニクイザルの造血はいずれも約3週間以内に再構築された。さらに移植後1年以上にわたって副作用、後遺症は認められなかった。このように様々な集中管理を行うことによって安全に造血幹細胞が定着できることを確認し、カニクイザル造血幹細胞移植モデルを樹立した。この系はヒトの造血幹細胞移植技術を評価する有用なモデル系となるのみならず、サル類を用いた造血幹細胞遺伝子治療の前臨床試験として重要な知見をもたらすものである(第二章、第一節)。

 最後に、サルを用いた造血幹細胞移植に際して解決すべき主要な問題点の克服を試みた。サル類を用いた遺伝子治療の前臨床試験を行う場合は、サイトカインなどのヒト由来遺伝子や組換えタンパク質をサル類に投与する必要がある。しかしながら、異種生体内で、このタンパク質に対する抗体が産生され実験に支障をきたすことが知られている。そこでカニクイザルにおいて、免疫抑制剤を併用投与する事により、ヒト由来のサイトカインに対する抗体産生を抑制する方法を確立する必要があった。カニクイザル2頭を用いてヒトエリスロポエチン(hEPO)を単独で皮下および静脈内投与し、血中のhEPO濃度をELISAにより測定した。続いて2頭のカニクイザルを用いてシクロスポリン(CyA)の筋肉内投与を行い、CyA血中濃度をモニターしながらhEPOの併用投与を行った。hEPO単独投与を行ったサルでは、hEPOに対する中和抗体が速やかに産生され、血中からhEPO濃度が減少することが確認された。筋肉内投与によりCyAの血中濃度を維持させると、感染や肝機能障害などの副作用なしに、同時投与したhEPOに対する中和抗体の産生が抑制され、hEPOの血中濃度もほとんど変化せず安定に維持できた。CyAを併用投与する事により、カニクイザルにおいてヒト組換えEPOに対する抗体産生を抑制する方法を樹立した。この方法はサル類のみならず、様々な実験動物による実験系で、ヒト組換えタンパク質に対する抗体産生を抑制する有効な方法となりうる(第二章、第二節)。

 以上の実験結果より、ヒトにより近縁なサル類を用いた造血幹細胞による遺伝子治療法の安全性・有効性評価系を樹立する事ができた。すでにこの系を用いて一部の造血幹細胞遺伝子治療の前臨床レベルにおける評価が進んでおり、貴重な情報をもたらしている。さらに、本評価系及び内包する知見は遺伝子治療のみならず、将来における骨髄移植、再生医療、臓器移植の前臨床研究の進展に大きく寄与することが予想される。

審査要旨 要旨を表示する

 造血幹細胞は自己複製能と多分化能を有することから、遺伝子治療の理想的な標的細胞として期待されている。近年、X連鎖重症複合免疫不全症を対象とした造血幹細胞による遺伝子治療で、極めて優れた治療効果が公表され脚光を浴びた。しかし、後にこの患者らが白血病を発症した事が報告され深刻な問題となった。このことより、造血幹細胞を用いた遺伝子治療の安全性・有効性評価を行うためにはヒトに近縁なサル類において造血幹細胞自家移植システムを用いた前臨床評価系が全世界的に必須となった。本研究はその評価系のための基盤技術の開発を目指したものである。

 造血幹細胞は骨髄、末梢血、臍帯血のいずれからも採取できるが、臨床応用のソースとしてはサイトカイン動員末梢血幹細胞が最も理想的である。このためサル類での採取方法の開発が求められる。サイトカイン動員末梢血幹細胞を採取する際の体外循環、移植時の輸血や採血などの指標として、サル類の正確な循環血液量を算出する必要がある。カニクイザルのオス34頭、メス30頭を対象として、エバンスブルーを静脈内投与し、その希釈率から循環全血量を求めた。その結果、体重6キロ以上のオスを除き、全血量と体重との間に正の相関が認められ、循環全血量算出式を樹立する事ができ、サイトカイン動員末梢血幹細胞採取時の体外循環も効率良く行う事を可能とした(第1章1節)。

 サイトカイン動員末梢血幹細胞は体重の小さい動物において安全かつ有効に行うことは困難であるため、サル類に適応可能な採取法の新規開発を試みる必要があった。既存の方法より体外循環量を縮小し、さらにポンプスピードをコントロールし、より安全な改善法を開発し、アカゲザル9頭において施行を行った。その結果、貧血などの副作用が無く、移植に必要十分な量の単核球、骨髄幹細胞(CD34陽性細胞)を採取することができた。続いて、改善前と改善後の方法を、それぞれ6頭ずつのカニクイザルを用いて施行し、細胞数や血液データの比較を行い、有効性・安全性を評価した。その結果、改善前に比べ改善後の方法で各種細胞の採取効率上昇が有意に認められ、貧血などの副作用は有意に減少した(第1章2節)。

 造血幹細胞による遺伝子治療の評価のためには人と最も近縁なサル類において、実際に遺伝子導入した造血幹細胞を移植し評価する必要があることから、カニクイザルを用いて造血幹細胞移植法の樹立を試みた。骨髄もしくはサイトカイン動員末梢血幹細胞からCD34陽性細胞を分離し、全身放射線照射を行い骨髄抑制したサルに自家移植を行った。移植後サルを無菌室に収容し、必要に応じ中心静脈栄養、輸血、抗生剤投与等の管理を行ったところ、サルの造血はいずれも約3週間以内に再構築された。このように様々な集中管理を行い、より安全に造血幹細胞の定着を促すことができる造血幹細胞移植モデルとそのプロトコルを樹立した(第2章1節)。

 第2章2節ではサル類を用いた造血幹細胞移植に際して解決すべき主要な問題点の克服を試みた。サル類を用いた遺伝子治療の前臨床評価を行う場合は、ヒト由来遺伝子や組換えタンパク質をサル類に投与する必要があるが、このタンパク質に対する抗体が産生され実験に支障をきたすことがある。本研究ではカニクイザル2頭を用いてヒトエリスロポエチン(hEPO)を単独で皮下および静脈内投与し、続いて2頭のカニクイザルを用いてシクロスポリン(CyA)の筋肉内投与を行い、血中のhEPO濃度、抗EPO抗体濃度をELISAにより測定した。hEPO単独投与を行ったサルでは、hEPOに対する中和抗体が速やかに産生され、血中からのhEPO濃度減少が確認された。一方CyAの筋肉内投与により、同時投与したhEPOに対する中和抗体の産生が抑制され、hEPOの血中濃度もほとんど変化せず安定に維持できた。CyAを併用投与する事により、カニクイザルにおいてヒト組換えEPOに対する抗体産生を抑制する方法を樹立することが出来た(第2章2節)。

 以上の結果より、ヒトに近縁なサル類を用いた造血幹細胞による遺伝子治療法の安全性・有効性評価系を確立するための基盤技術を樹立する事ができた。この系を用いて一部の遺伝子治療の前臨床レベルにおける評価が進み、さらに、本評価系は将来における再生医療、移植医療の進展に大きく寄与することが予想される。本研究はヒトへのトランスレーショナル研究として、その基盤技術は国際的にも広く利用されるものである。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42884