学位論文要旨



No 216646
著者(漢字) 木下,一哉
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,カズヤ
標題(和) クローン病モデル動物における消化管運動機能障害に関する研究
標題(洋)
報告番号 216646
報告番号 乙16646
学位授与日 2006.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16646号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

 クローン病は口腔から肛門まで広範囲にわたり全層性の炎症を引き起こす疾患で、本邦では厚生労働省の特定疾患(難病)に指定されている。クローン病患者では消化管運動の抑制が報告されており、その結果、下痢やイレウスの発生がみられる。しかし、クローン病患者における消化管運動機能不全の詳細なメカニズムは不明である。

 消化管は自動能を持ち自発的に収縮を繰り返す。この自発収縮が神経ネットワーク(アウエルバッハ神経叢あるいは筋層間神経叢)で統合化され、システム化された蠕動運動となって消化管内容物の攪拌や輸送が可能となる。消化管の自発収縮は、カハールの介在細胞(以下ICC)の律動的な電気興奮によりなされている。ICCはアウエルバッハ神経叢と同一平面上にネットワーク構造を形成するが、実はこのネットワーク上には常在型マクロファージが多数分布し、このマクロファージが消化管運動に関与する可能性が示唆されている。

 本研究ではクローン病による消化管運動機能障害のメカニズムを明らかにする目的で、消化管運動に関与する上述の細胞群の炎症による変化、消化管運動の変化及び炎症性サイトカインの関わりについて、ハプテンである2,4,6, trinitrobenzenesulfonic acid(以下TNBS)誘発クローン病モデルラットあるいはマウスから摘出した消化管平滑筋を用い、特に以下の3点に着目し実験を行った。

 (1)ICC、アウエルバッハ神経叢、常在型マクロファージ、自発収縮および蠕動運動がどの様に変化するか。

 (2)消化管平滑筋の刺激誘発収縮に対する炎症性変化とその分子機構。

 (3)TNFα欠損マウスを用いたTNBS誘発腸炎におけるTNFαの役割。

(1)TNBS誘発腸炎におけるICC、神経、筋層間常在型マクロファージの変化

(方法)

 TNBSにより結腸に炎症を惹起し、2及び7日後の結腸平滑筋標本のICC、神経叢、常在型マクロファージを免疫染色し、共焦点レーザー顕微鏡を用い、形態学的変化を検討した。また、結腸輪走筋標本の自発収縮、結腸全標本の蠕動運動の変化についても検討した。

(結果と考察)

 TNBS処置により、ICCと神経のネットワーク構造の破綻、消失などの変化が見られた。また、常在型マクロファージの数が増加し、形態変化も認められた。さらに、ICCあるいは神経と常在型マクロファージを二重染色すると、TNBS処置により筋層間のICCや神経の形態変化が特に顕著に見られた部位では、常在型マクロファージの変化も強かった。さらに、TNBS処置した結腸輪走筋の自発収縮は強く抑制され、結腸全標本のtetrodotoxin感受性(神経性)の蠕動運動も抑制された。

(2)TNBS誘発腸炎における結腸輪走筋の収縮性の変化とその分子機構

(方法)

 TNBS誘発クローン病モデルラットより結腸輪走筋を摘出し、各種刺激による収縮反応を測定した。また、収縮蛋白系の変化を検討する目的で、Staphylococcal α-toxin(α-toxin)で脱膜化した輪走筋標本の収縮能についても検討した。次に、収縮に重要な因子である電位依存性L型Caチャネルの変化を検討するために単離結腸輪走筋細胞を作製し、パッチクランプ法を用いた電気生理学的解析と生化学的解析を行った。

(結果と考察)

 TNBS誘発クローン病モデルラット結腸より摘出した結腸輪走筋標本では高濃度カリウム、carbacholによる収縮が抑制された。この収縮抑制は、炎症性のメディエーターとして知られているprostaglandinやnitric oxideの阻害剤処置により影響を受けなかった。このことよりTNBSによる収縮の抑制は筋原性(平滑筋自身)の変化によるものであることが示唆された。

 α-toxinにより脱膜化したラット結腸輪走筋標本において、Ca収縮の絶対張力とCa感受性はTNBS処置により変化しなかった。このことより、TNBS誘発腸炎による収縮の抑制に平滑筋収縮蛋白系の変化は関与しないと考えられた。

 次に、消化管平滑筋の興奮-収縮連関を調節している電位依存性L型Caチャネル活性に対するTNBS処置の影響を検討した。Vehicle処置したラット結腸輪走筋標本における自発性収縮は、L型Caチャネル活性化薬BayK8644により増強したが、TNBS処置した標本ではこの作用は消失した。さらに、ホールセルパッチクランプ法でL型Caチャネル電流を観察したところ、TNBS処置したラット結腸より単離した輪走筋細胞では、vehicle処置と比べ脱分極パルスによるCaチャネル電流が有意に小さかった。また、vehicle処置ラットより単離した輪走筋細胞ではBay K 8644によりCaチャネル電流の増強が見られたが、TNBS処置した輪走筋細胞では電流の増強は見られなかった。

 リアルタイムRT-PCR法、ウエスタンブロット法によりL型Caチャネルのpore-formingサブユニットであるα1cサブユニットの発現を検討したが、mRNAならびに蛋白の発現はともにTNBS処置により変化しなかった。以上の成績から、TNBS処置によるL型Caチャネル電流の抑制はL型Caチャネルの機能異常により生じると考えられた。

 NF-κBは炎症性サイトカン等の炎症性メディエーターの発現に関与する転写因子であり、クローン病炎症にNF-κBが深く関わることが報告されている。しかし、消化管運動機能不全とNF-κBとの関連についての報告はない。本研究では、TNBS処置による平滑筋収縮とCaチャネル活性の障害に、NF-κBが関与するかどうかを検討する目的でNF-κB阻害剤(PDTC、sulfasalazine)の影響について検討した。NF-κB阻害剤をTNBS処置2時間前と24時間後に腹腔内投与すると、TNBS処置による高濃度カリウム、carbachol、BayK8644収縮の減弱、Caチャネル電流の減少はともに部分的ではあるが回復した。

 以上の成績から、TNBS処置による結腸輪走筋の運動機能異常はL型Caチャネルの機能的変化が原因と考えられた。さらに、L型Caチャネルの機能的変化にはNF-κB依存性の炎症性サイトカインの関わる可能性が示唆された。

(3)TNBS誘発腸炎におけるTNFαの機構解析:TNFα欠損マウスを用いた検討

(方法)

 野生型マウスおよびTNFα欠損マウスの結腸にTNBSを注入し、2日後に結腸を摘出し、ヘマトキシリン-エオジン染色による組織学的検討を行った。さらに、好中球遊走の指標となるミエロペルオキシダーゼ(MPO)活性、ELISA法による炎症性サイトカイン量、結腸輪走筋の収縮などの測定を行った。

(結果と考察)

 TNFα欠損マウスでは野生型マウスと比較してTNBS処置による大腸の炎症が肉眼的にも軽度であり、大腸炎に特徴的な大腸の長さの短縮も見られなかった。組織学的検討でも野生型マウスではTNBS処置により上皮細胞の損傷、壊死、平滑筋層の水腫、炎症性細胞浸潤が見られたが、TNFα欠損マウスでは粘膜下織に水腫、炎症性細胞の浸潤が見られるものの、上皮の損傷は軽度であった。また、平滑筋層の変化も野生型マウスと比較すると軽度であった。さらに、炎症の指標であるMPO活性は、TNFα欠損マウスの粘膜層、平滑筋層ともに野生型マウスよりも有意に低値であった。

 次に、TNBS処置した時の粘膜、平滑筋層の炎症性サイトカインの上昇について検討した。野生型マウスではTNBS処置により炎症性サイトカインであるTNFα、IL-1β及びIL-6の発現量が結腸粘膜および平滑筋層で上昇したが、TNFα欠損マウスではその上昇は野生型マウスと比較すると弱かった。また、粘膜層と平滑筋層ではサイトカイン変化のプロファイルには差が認められた。

 野生型マウスの結腸輪走筋では、TNBS処置により高濃度カリウム、carbachol、BayK8644による収縮が有意に抑制されたが、TNFα欠損マウスでは収縮の抑制は見られなかった。さらに、器官培養法を用いた検討では、TNFα処置により結腸縦走筋収縮が抑制され、TNFαが直接平滑筋に作用して収縮抑制をもたらしている可能性が示唆された。

 以上の成績から、TNBSで惹起される炎症、炎症性サイトカインの上昇、消化管運動機能障害はTNFαが深く関わることが示唆された。さらに、粘膜層と平滑筋層ではサイトカインプロファイルに差が認められたが、このことから平滑筋層には粘膜層とは性質を異にするに独自の免疫系が存在することが示唆された。

(まとめ)

 本研究より、消化管の運動機能障害に関わる筋層に炎症が生じること、そしてこの炎症にはTNFαが主要な役割をはたすことが明らかとなった。消化管に炎症が発症するとTNFαやIL-1βをはじめとする様々な炎症性サイトカインが産生され、これによってICC、アウエルバッハ神経叢、常在型マクロファージ、平滑筋細胞などが二次的に障害を受け、その結果として消化管の運動機能不全が惹起されると想像される。TNBSによる炎症は形態学的、免疫学的にクローン病と酷似していることが報告されている。ヒトにおけるクローン病の症例においても同様の分子機構で消化管運動機能障害が起こっている可能性が考えられ、今後検証されることが期待される。本研究により、これまで蓄積された粘膜病変の研究に加えて筋層病変の重要性が再認識された。これらの成果がクローン病の薬物治療あるいは病態管理に役立てられることが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 クローン病は口腔から肛門までの広範囲に全層性の炎症を引き起こす疾患で、消化管運動抑制が報告されている。しかし、クローン病患者における消化管運動機能不全の詳細なメカニズムは不明である。本研究ではクローン病による消化管運動機能障害のメカニズムを明らかにする目的で、消化管運動に関与する細胞群の炎症性変化、消化管運動の変化及び炎症性サイトカインの関わりについて、2,4,6, trinitrobenzenesulfonic acid(以下TNBS)誘発腸炎ラットあるいはマウスから摘出した消化管平滑筋を用い、実験を行っている。

1.TNBS誘発腸炎におけるカハールの介在細胞(ICC)、神経、筋層間常在型マクロファージの変化

 ここでは、TNBSにより結腸に炎症を惹起し、2及び7日後の結腸平滑筋標本のICC、神経、常在型マクロファージを免疫染色し、形態学的変化を検討した。また、結腸輪走筋標本の自発収縮、結腸全標本の蠕動運動の変化についても検討した。TNBS処置により、ICCと神経のネットワーク構造の破綻、消失などの変化が見られた。また、常在型マクロファージの数が増加し、形態変化も認められた。さらに、TNBS処置により筋層間のICCや神経の形態変化が顕著に見られた部位では、常在型マクロファージの変化も強く、TNBS処置した結腸輪走筋の自発収縮(筋原性)と結腸全標本の蠕動運動(神経性)が抑制されていた。

2.TNBS誘発腸炎における結腸輪走筋の収縮性の変化とその分子機構

 TNBS誘発腸炎ラットより結腸輪走筋を摘出し、各種刺激による収縮反応を測定した。また、L型Caチャネル活性の変化をパッチクランプ法を用いて検討した。TNBS処置したラット結腸輪走筋標本では高濃度カリウム、carbachol、L型Caチャネル活性薬Bay K 8644による収縮が抑制された。L型Caチャネル電流の観察では、TNBS処置した結腸輪走筋細胞のCaチャネル電流はvehicle処置と比べ小さかった。また、TNBS処置した輪走筋細胞ではBay K 8644による電流の増強は見られなかった。しかし、チャネルの発現はTNBS処置により変化しなかった。以上の成績から、TNBS処置によるL型Caチャネル電流の抑制はチャネルの機能異常によると考察した。

 次に、TNBS処置による平滑筋収縮とCaチャネル活性の障害に対するNF-κB阻害剤(PDTC、sulfasalazine)の影響について検討した。NF-κB阻害剤投与により、TNBS処置による高濃度カリウム、carbachol、BayK8644収縮の減弱、Caチャネル電流の減少はともに部分的ではあるが回復した。以上の成績から、TNBS処置による結腸輪走筋の運動機能異常はL型Caチャネルの機能変化が原因と考えられ、それにはNF-κBを介した経路の関わる可能性を示唆している。

3.TNBS誘発腸炎におけるTNFαの機構解析

 野生型およびTNFα欠損マウスの結腸にTNBSを注入し、2日後に結腸を摘出し、組織学的検討、炎症性サイトカイン量、結腸輪走筋の収縮などの測定を行った。TNFα欠損マウスでは野生型マウスと比較するとTNBSによる炎症は軽度であり、細胞浸潤の指標であるMPO活性も、TNFα欠損マウスの粘膜、平滑筋層ともに野生型マウスよりも低値であった。

 次に、TNBS処置した野生型マウスの粘膜、平滑筋層ではTNFα、IL-1β及びIL-6の発現量が上昇したが、TNFα欠損マウスではその上昇は野生型マウスより弱かった。また、粘膜層と平滑筋層ではサイトカイン変化のプロファイルには差が認められた。

 野生型マウスの結腸輪走筋では、TNBS処置により高濃度カリウム、carbachol、BayK8644による収縮が有意に抑制されたが、TNFα欠損マウスでは収縮の抑制は見られなかった。器官培養法を用いた検討では、TNFαが直接平滑筋に作用して収縮抑制をもたらしている可能性が示唆された。

 以上の成績から、TNBSで惹起される炎症性変化と消化管運動機能障害はTNFαが深く関わることが示唆された。さらに、平滑筋層には粘膜層とは性質を異にするに独自の免疫系が存在することが示唆された。

 以上の成績より、消化管の運動機能障害に関わる筋層の炎症にはTNFαが主要な役割をはたすことが明らかとなった。ヒトにおけるクローン病の症例においても同様の分子機構で消化管運動機能障害が起こっている可能性が考えられ、粘膜病変に加えて筋層病変の重要性が再認識された。これらの知見は、学術上の重要性はいうに及ばず、今後の消化器系作用薬の開発にとっても有用な知見と考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の論文として価値あるものと認めた。

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