学位論文要旨



No 216648
著者(漢字) 久米,良昭
著者(英字)
著者(カナ) クメ,ヨシアキ
標題(和) 借家人保護制度の住宅市場への影響と立法政策に関する分析
標題(洋)
報告番号 216648
報告番号 乙16648
学位授与日 2006.11.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16648号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 助教授 貞廣,幸雄
 東京大学 講師 大森,宣暁
内容要旨 要旨を表示する

 この論文の目的は、都市の土地利用が社会にもたらす福利厚生を増進するためには、土地・建物売買や建物賃貸借に伴う契約に関する取引費用を削減することが必要であり、様々な建物床利用ニーズに対応するためにも建物賃貸借市場が円滑に機能することが重要であるという基本認識のもとで、借地借家法による借家人保護制度が市場に与える阻害的影響を分析する手法を開発するとともに、その実証分析結果を踏まえて、制度改善課題を具体的に摘出することにある。

 日本では、1941年の借家法改正により、家主は「正当ノ事由アル場合ニ非サレハ」更新拒絶又は解約申入れができないとする正当事由制度が導入された。この正当事由に関しては、戦災による住宅難、さらには戦後の高度経済成長に伴う大都市への人口流入による慢性的な住宅不足の中で、借家人保護の観点から、狭く、厳格に解釈して解約を制限する判例が蓄積されていった。また都市化の進展、経済成長に加えたインフレに伴い、都市部の市場家賃は一貫して上昇していったため、契約更新時の家賃改定を巡る紛争も多発したが、裁判所は解約制限を背景とする借賃増減請求権に基づき、市場家賃を大きく下回る水準に継続家賃を据え置く判決を下すことが一般的となった。

 このような強力な解約制限と継続家賃規制は、戦後日本の賃貸住宅市場において、既存借家人を保護する一方で、潜在的な需要者である新規借家人には賃料の高額化を余儀なくさせるとともに、広い面積や部屋数の多い借家の著しい供給不足、借手の回転の早いワンルーム借家市場の肥大化等の問題を発生させた。

 こうした中、2000年3月に施行された改正借地借家法により、正当事由制度の適用を除外した定期借家制度が導入され、日本の賃貸住宅市場を巡る状況は、大きく変貌しつつある。

 この論文では、このような状況を踏まえて、次の3つの事項を解明する。

 第1に、都市的土地利用を実現するためには、土地・建物売買又は建物賃貸借を通じて建物床に関する権原を取得することが前提条件であり、社会的福利厚生の増進のためには、その取引費用を極力低減させるように制度設計すること、特に短期の床利用ニーズに対応するうえでも、建物賃貸借市場が円滑に機能することが重要であることを示す。

 第2に、それもに拘わらず日本の建物賃貸借市場は、1941年に導入された借地借家法の正当事由制度により、借家供給が阻害され、適切に機能していないことを実証的に解明する。

 具体的には、借地借家法が借家市場にもたらす影響に関する学説・研究史を振り返り、すでに解明された論点と残された研究課題を示したうえで、後者については新たなモデルの構築による実証分析を行うことにより、借家人保護制度による市場への供給阻害影響を解明する。

 また、特に定期借家制度創設の是非を巡る論議を振り返り、その創設に対する反対論における学術研究上の方法論に関する問題点を摘出し、制度の市場影響を分析するうえでの有効な手法の構築を試みる。

 第3に、定期借家制度創設後の借家市場の実態分析を行い、その家賃低減効果等を解明するとともに、特に長期の定期借家契約についての普及制約要因を明らかにしたうえで、定期借家制度のさらなる改善課題を摘出する。

 この論文は、序章及び6つの章から構成されている。

 序章では、この論文の構成、研究目的及び意義について論じた。

 第1章では、家計における持家・借家の選択要因と床利用の取引費用の分析を通じて、建物賃貸借が都市の土地利用市場において果たす機能を解明した。次いで借地借家法による借家人保護制度の導入経緯を要約するとともに、このために借家供給が抑制されるなど、市場に与える弊害を指摘した。さらに1991年の借地借家法制定に至るまでの借家人保護制度に関する学説をレビューするとともに、これを経済学の観点から再検討した。

 第2章では、1990年代の借地借家法制定以降の借家人保護制度に関する学説研究史を振り返ったうえで、残された論点の摘出・解明を試みた。

 具体的には、1990年代半ば、借家人保護制度が借家供給に抑制的影響をもたらすか否かを巡って争われた学術論争につき、解明された論点を整理・要約したうえで、まだ解明されていなかった論点として「戦後、日本の持家率を上昇させた要因は何か」を摘出し、戦後の所得税率上昇は持家率を高めた要因ではないことを論証することによって、その主要な要因は借家人保護制度に帰せられることを示した。

 さらに、2000年3月に施行された改正借地借家法により創設された定期借家制度に関して、その導入の是非を巡って交わされた論議を整理・分析し、導入反対論者によって展開された立論における方法論上の問題点を摘出し、法制度の市場影響を分析するうえでの適切な方法論の構築を試みた。

 第3章では、借地借家法の正当事由制度がもたらした供給阻害影響を実証的に分析した。具体的には1988年時点での全国賃貸住宅市場を対象として、借家及び持家に関する需要関数及び供給関数を推計し、借家人保護制度を緩和することによる家賃低減効果及び供給促進効果を計測し、仮に同年時点で借家人保護制度が撤廃されていたとしたら、全国の賃貸住宅床面積は実績値を15.6%上回る水準に、平均家賃は実績値を19.5%下回る水準にあったと推定されることを示した。

 次いで、このような借家人保護制度の緩和がなされれば、中堅勤労者向け住宅対策が不要となるため、その財政支出節約を財源として年収400万円以下の全国賃貸住宅居住世帯に対し、過去5年間に新たに民間借家に居住した世帯の平均家賃水準の2/3に相当する家賃補助を実施できるとの試算を示した。さらにこの結果を踏まえて、低所得層向け住宅補助政策として、直接供給と家賃補助の優劣についての比較検討を行い、最終的にはそれが行政費用の多寡によって決せられることを示すとともに、家賃補助導入に向けた社会実験の実施スキームを提案した。

 第4章では、1999年12月に成立した良質な賃貸住宅等の供給の促進等に関する特別措置法について、定期借家制度創設に関する条文を遂条的に分析するともに、法施行後に提示された幾つかの解釈論及び立法論を批判的に検討した。

 第5章では、定期借家制度創設後の東京23区における賃貸住宅物件データを分析することにより、(1)定期借家は借家全体の1.3%を占めるに過ぎないが、床面積70m2から120m2のいわゆるファミリー向け借家を見ると、共同建では4%を、戸建では20%を占めていること、(2)定期借家は普通借家に比較し、共同建の場合で6.6%、戸建の場合で10.6%、それぞれ家賃が安くなっていること、(3)定期借家においては、契約期間が2年から3年へと長くなることによって月額家賃が2.5%安くなることを示した。

 併せて今後の定期借家制度の改善のため、(1)家主の書面による事前説明義務を廃止すること、(2)普通借家から定期借家への切替禁止措置を撤廃すること及び(3)借家人からの中途解約権を排除する特約を有効とすることが必要という法改正課題を摘出した。

 終章では、本研究で得られた成果を総括するとともに、今後の研究課題を摘出した。

 Appendix1では、古典的な立地モデルに関して土地利用転換に伴うタイムラグを明示的に導入して、すなわちフォン=チューネンモデルに対して明示的に需要関数を導入することにより、前年度の農作物価格に応じて今年度の土地利用が定まるというタイムラグを導入して動学的分析を行うことにより、この場合には安定的な土地利用均衡は得られないこと、このため土地利用転換に伴うタイムラグが小さい建物賃貸借による床利用が都市の安定的土地利用を実現するうえで重要であることを示した。

 Appendix2では、第3章で借地借家法の正当事由制度がもたらした供給阻害影響を推計したモデルを、家計効用最大化モデルにもとづき、理論的に導出した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「借家人保護制度の住宅市場への影響と立法政策に関する分析」は、1941年に導入された正当事由制度(借家法1条の2)による解約制限と継続家賃抑制が、戦後日本の賃貸住宅市場において、新規借家人に家賃の高額化を余儀なくさせ、規模の大きな良質な借家の著しい供給不足をもたらし、都市部の住宅問題を深刻化させたとの仮説の下で、その借家人保護制度が市場に与える供給阻害影響を理論的・実証的に分析する手法を開発するとともに、その分析結果を踏まえて、借家法制に関する制度改善課題を具体的に摘出することを目的とした論文である。

 本論文では、次の事項が解明されている。

1.家計における持家・借家の選択要因と床利用の取引費用の分析を通じて、都市的土地利用においては、特に短期の床利用ニーズに対応するためにも、建物賃貸借契約による取引費用を低減させ、借家市場が円滑に機能させることが重要であることが示されている。

2.借家法制定以降の借家人保護制度に関する学説・研究史をレビューし、残された論点を摘出して、これを解明している。具体的には、未解明だった論点として「戦後、日本の持家率を上昇させた要因は何か」を摘出し、戦後の所得税率上昇は持家率を高めた要因ではないことを論証することにより、主要な要因は借家人保護制度に帰せられること等を示している。

3.1988年時点の全国賃貸住宅市場を対象として、借家人保護撤廃による効果を計測し、仮に同年時点で制度が撤廃されていたとしたら、賃貸住宅床面積は実績値を15.6%上回る水準に、平均家賃は実績値を19.5%下回る水準にあったと推計されることを示している。

 このような制度改正がなされれば、中堅層向け住宅対策も不要となるという財政節約によって、年収400万円以下の全国賃貸住宅居住世帯に対し、新規民間借家・居住世帯の平均家賃水準の2/3に相当する家賃補助を実施できるとの試算を示したうえで、家賃補助導入に向けた社会実験の実施スキームを提案している。

4.1999年12月に成立した良質な賃貸住宅等の供給の促進等に関する特別措置法について、定期借家制度創設に関する条文を遂条的に解明するともに、法施行後に提示された幾つかの解釈論及び立法論を批判的に検討して、その問題点を解明している。

5.定期借家制度創設後の東京23区における賃貸住宅物件データ(2003年)を分析することにより、(1)床面積70m2から120m2の借家を見ると、定期借家シェアが、共同建では4%、戸建では20%に達すること、(2)定期借家は普通借家に比較し、共同建の場合で6.6%、戸建の場合で10.6%、家賃が安くなること、(3)定期借家では、契約期間が2年から3年へと長くなることにより、月額家賃が2.5%安くなることを示している。

 併せて今後の定期借家制度の改善のため、(1)家主の書面による事前説明義務を廃止すること、(2)普通借家から定期借家への切替禁止措置を撤廃すること及び(3)借家人からの中途解約権を排除する特約を有効とすることが必要という法改正課題を摘出している。

 以上のように、本論文は、今後の都市・住宅に係る立法政策に対して、多くの重要な知見を提示している。また都市・住宅政策における社会的弱者対策に関する研究の進展にも寄与するものと評価される

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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