学位論文要旨



No 216654
著者(漢字) 樫永,真佐夫
著者(英字)
著者(カナ) カシナガ,マサオ
標題(和) 黒タイの系譜認識と祖先祭祀 : 家霊簿資料を例として
標題(洋)
報告番号 216654
報告番号 乙16654
学位授与日 2006.11.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16654号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 助教授 箭内,匡
 東京大学 助教授 森山,工
 東京大学 教授 木村,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

1,本論文の対象・目的・独自性

 ベトナム西北地方を中心に分布している黒タイは、灌漑水稲耕作を主生業とする盆地民である。19世紀末以来、黒タイは文化的に特異なタイ語系言語集団として研究者に注目されてきた。タイ語系言語集団に共通する文化的特性として、(1)広義のタイ語、(2)上座仏教の受容、(3)姓をもたないこと、(4)灌漑水稲耕作、(5)ムオンとよばれる封建土侯的な伝統的盆地政体の形成、といった諸点が挙げられる。一方、黒タイは仏教徒でないが、仏典の継承とは無関係に古クメール系の固有文字を継承し、しかも父系的に姓を継承してきた。そこで従来の研究は、とくに非仏教徒でありムオンを形成する点に注目して、黒タイを仏教化以前の原タイ的な文化と社会組織をもつタイ語系言語集団として扱いがちであった。しかし、彼らの文字文化の継承が、中華文明との政治関係の中で歴史的に導入された父系理念、および彼らの伝統政体とどのように関わっていたのかについては十分に議論されてこなかった。これに対して本論文では、文字文化が社会にどのように埋め込まれ、また逆に社会をどのように成形しているのかという視点から、黒タイの文字文化と父系理念の関わり合いを考察する。その過程で、同姓集合の区分が社会階層の区分に持ち込まれていた植民地期(19世紀末―1954)までのムオンの構造的特徴、過去一世紀にわたる祖先祭祀のあり方、文書の生産・閲覧・保持が社会の中で持つ意味を分析する。

 本論文では、文書の中でも、とくに人々が系譜文書として理解している「家霊簿(ソー・フィー・フオン)」に焦点を当てている。これが父系祖先をまつる祖先祭祀との関わりで用いられる系譜文書である点では、漢字文化圏で広く継承されてきた譜(族譜、家譜など)に近い。しかし記述文字、内容、編纂過程から見て両者は一線を画している。すなわち、(1)家霊簿が漢字ではなく黒タイ文字で記されている点、(2)譜には一族の淵源、祖先の名誉と忌祭日、各祖先の婚姻・兄弟・親子関係など故人に関する情報や系譜関係がしばしば明示されているのに対し、家霊簿は故人の姓名の列挙に過ぎず系譜関係が記されていない点、(3)譜が東南中国に顕著に見られるように父系理念に基づいて組織され政治経済的機能を兼ね備えた宗族の活動の一環として編纂されてきたのに対し、家霊簿はかなり個人的な編纂にとどまってきた点、である。本論文では家霊簿の形式、内容、用法上の特徴に焦点を当て、現地調査に基づく村落での祖先祭祀のあり方、家霊観念、系譜意識が家霊簿にどのように反映されているかを考察する。

 本論文の研究の独自性は次の諸点にある。(1)譜の研究では、編纂という文書の生産過程に注目することで、記述の中に史実とフィクションがどのように共存しているかを明らかにし、そこから保持者たちの歴史認識や系譜認識を考察してきた。しかし譜とは異なり家霊簿には故人の系譜関係が記されていない。では家霊簿がなぜ系譜文書として観念されているのかについて、儀礼における使用と閲覧の局面や黒タイ文書をめぐる読書行為を視野に入れて考察している点、(2)村落における親族結合を父方キンドレッド概念を用いて理解し、黒タイ社会が父系氏族によって分節されているという従来の通説の修正を試みている点、(3)従来の黒タイに関する人類学的研究と異なり、現地文書に基づく分析と1997年以降の現地調査に基づく分析を結合させている点、である。

2,各章の内容

 本論文は次の5章からなる。「1,序章」で、人類学および黒タイ研究史における本論文の位置づけと研究の方法を示す。「2章」では黒タイの文字文における家霊簿の位置づけを示す。「3章」では家霊簿の形式と内容の特徴を明らかにする。「4章」では、家霊簿が祖先祭祀との関わりから、誰に、どのように読まれてきたかを考察し、またその過程で黒タイ文字文書をめぐる読書行為のあり方を示す。「5章」で全体の議論を整理する。さらに別冊中には、本論文の分析素材である家霊簿資料の原文・黒タイ語校注・日本語訳注、およびこれらに基づいた系図も資料として掲載し、家霊簿資料をめぐる書誌学的研究への貢献をも目指した。本論部分の詳細は次の通りである。

 1章では、まず本論文を父系理念がものや行為を通してどのように実現しているのかを考察する黒タイ親族研究として位置づけ、黒タイ村落の社会経済的概況、研究の方法論を示す。次に2章で黒タイ文字文化の中で家霊簿を位置づけた。

 黒タイ文字で継承されている文書は、歌謡、呪術書、年代記、慣習法などさまざまである。これらのうち家霊簿は筆者が確認しているだけで6書と数が少ない。にもかかわらず本論文が家霊簿を分析対象とする理由を2章では次のように整理した。 (1)家霊簿に記されている者同士の系譜関係を検討することで、黒タイの系譜認識と父系理念の関わりが解明できるからである。(2)家霊簿と祖先祭祀の関わりを分析することで、家霊観念や系譜認識のあり方を理解できるからである。

 3章では、筆者が収集した近年の家霊簿3書と、20世紀初頭に記述された「カム・オアイ家霊簿」2書を比較する。これらは次の点で共通している。(1)黒タイ文字で記述され、自己中心的に近祖から遠祖へと遡る形式で記されていること、(2)姓名ともに記されていること、(3)故人の生年月日、事績、墓、世代・兄弟・婚姻関係などの記述を欠いていること、である。一方、差異は次の点である。(1)近年の家霊簿に記述されている故人が3代くらいまでの近祖に限られる点、(2)句読点や余白の効果的使用により、ページの紙面レイアウトが見やすく工夫されている点である。つまり「カム・オアイ家霊簿」2書に単語、句、節の区切りが非常に少なく検索に不便なのとは対照的である。近年の家霊簿の記述者は、ベトナム語による公教育を受け、しかも1950年代以降の民族自治区内でおきた黒タイ文字の改訂の様子も知っている現地の文化的エリートである。家霊簿の紙面レイアウトに、記述者が受けた教育をめぐる背景が反映されているのである。

 上述のように、近年の家霊簿記述には近祖しか記されていない。しかもそこに記述されている故人は現在生きている人が見知っていた祖先に限られている。このように見知らぬ遠祖との系譜上のつながりには無関心なのはなぜか。その回答として、家霊簿は祖先祭祀執行のために不可欠な実用的道具としてはなく、あればパフォーマンス効果を高める道具であり、内容が重要というより、文化的ステイタスとの結びつきから家霊簿が保持されていることを示した。現在の村落生活を見ても、エゴからせいぜい3代遡るだけの父方キンドレッド的紐帯、および婚姻結合に基づく小規模な親族集団間の不均衡関係が認識されているにすぎない。さらに同姓集合は外婚単位ではない。旧貴族出自のロ・カム系統の同姓集合を除いて、同姓の者同士は遡れば同根という意識も共有してはいない。このような村落生活における系譜認識と親族結合の特徴が家霊簿記述にもあらわれているのである。

 このように家霊簿の形式と内容の特徴と村落における系譜認識と親族結合のあり方を示したあと、4章では家霊簿の形式と内容が家霊簿の用法とどのように関わっているのかを考察する。まず村落生活における姓と同姓集合が持つ役割に注目すると、個人を識別する際に姓が用いられていないこと、各人の姓がかならずしもはっきりと記憶されていないこと、黒タイの同姓集合が宗族のような機能団体でないことが明らかである。さらに、祖先祭祀の中で故人がどのように想起されるのかを分析し、黒タイの家霊は、個人名や事績などによって記憶され続けるような個性をもつ祖先ではなく、名前も性別もない没個性的な霊的存在であることを明らかにした。「カム・オアイ家霊簿」でも、人々が生前の姿をまだ思い出すことができる近祖ほど没個性的であるが、遠祖には事績や諡によって個性が描かれた祖先が登場する。首領の場合、正統な世系を示すことが支配の正当性の根拠になるからである。「カム・オアイ家霊簿」は、3年に1度開催されたムオンの大祭セン・パーン・パインにおいて、首領一族の各祖先を呼びもてなすために記された系譜文書と考えられている。この文書記述の特徴も、こうした儀礼での用法を視野に入れて考える必要がある。しかし、宗教役職者モ・ムオンがこれを儀礼中に読誦したときの具体的状況は、70年前のことでありもはやわからない。カム・チョンは、ムオン・ムオイ、ムオン・ラー各首領の家霊簿を相互参照しながら始祖まで遡ったと述べている。しかし筆者はこの説を批判的に検討する過程で、現在に至るまで黙読という作法が確立されていない黒タイ文書をめぐる読書行為のあり方を明示した。

 5章ではここまでの議論を整理している。父系制を自認する黒タイの親族結合を検討すると、他の東南アジア諸社会と同様に自己中心的で婚姻連帯的な志向があらわれている。また家霊簿を父系的な系譜文書として認知させるのは祖先を饗応する儀礼で読む行為そのものであるが、しかもそこに記された故人の系譜関係には自己中心的な親族関係が反映されているのである。

審査要旨 要旨を表示する

 樫永真佐夫氏の博士学位申請論文「黒タイの系譜認識と祖先祭祀――家霊簿資料を例として」は、ベトナム西北地方に居住する黒タイ族についての詳細な民族誌的研究である。この集団についての人類学的・民族誌的研究は、第二次大戦前のフランス植民地時代にいくつかの前例があるものの、その後長い間空白となっていた。本論文はその空白を埋める貴重な労作である。黒タイは言語系統上広義のタイ系民族の内に数えられるが、自分たちは父系の親族体系を持つと観念し祖先祭祀中心の信仰体系を持つなど、中華文明的な特徴も示す。このことはすでに知られていたものの親族組織や祭祀の実態は明白になっていなかった。本論文は長期のフィールドワークに基づいて実態を明らかにし、一方の中華文明圏、他方の双系的とか、「ゆるやかな構造」とか言われる東南アジア圏との接点に位置する民族の社会・文化における移行域的様相を示したものである。全体は5章からなり補遺として179ページに及ぶ詳細な資料が付されている。

 最初の序章では、筆者が「家霊簿」と訳する個別家族の祖先の名を列記した文書に着目してベトナム西北部の黒タイ族を研究することの意味が説かれ、また村落生活のありさまと民族間関係が論じられる。家霊簿の朗誦は家族の祖先祭祀の時に不可欠である。筆者は人類学における親族研究の歴史、東南アジア大陸部における人類学的親族研究の流れ、さらに中・韓など東北アジア地域における父系親族集団研究といわゆる族譜研究を、相互に結びつけながら振り返り、家霊簿に着目したこの研究がこれらをつなぎ合わせ、研究の新しい展望を開くことを明らかにしている。筆者が調査収集した家霊簿は古クメール系の黒タイ固有文字で書かれた手書きの文書であり、これを黒タイ出身の碩学を師として読み解き、原文、筆者が作成した黒タイ文字フォントによる写本、日本語訳と詳細な校注を補遺として提示しているのは、本論文のもうひとつのきわめてオリジナルで価値の高い貢献である。

 第2章「黒タイの文字文化における家霊簿」は、黒タイにおける文字と文書の社会学というべき章である。他のタイ語系諸民族と同様に、黒タイは文字と文書を有しているが、東北アジアと比するならばオーラルな性格が強い。そうした社会における文字と文書がいかなるものであり、どのようなタイプの文書と書記媒体があり、どのように扱われ用いられるかが、識字率や文書と読み書き能力との継承の問題も合わせ詳述されている。地域や時代を問わずオーラルなコミュニケーションと文字文化との関係一般を考察する研究者にとって、本章は興味深く詳細な事例を提供する。

 第3章「黒タイ家霊簿の形式と内容に関する分析」では、筆者が10ヵ村から収集した各家族の家霊簿について、相互間の異同も明らかにしながら詳細に論じられ、その上に立って黒タイの父系理念がどのように村落生活の中で認識されているかが明らかにされる。従来のフランス人やベトナム人による研究が、黒タイの親族組織を父系の同姓集団ないしクランと特徴づけていたのに対し、筆者は黒タイの家霊簿にはひとつの同姓集合全体が父系的な系譜関係に基づくひとつの血縁集団であることを示す意志がないという、重要な指摘を行う。姓の継承、相続、日常の家族・親族関係と行動、さらには嫁を与える一族と嫁を受け取る一族との特別な関係など、筆者は現地調査に基づく広いデータを活用し、中華文明圏と東南アジア圏との狭間に位置する黒タイにおける父系観念の性質を的確に解明することに成功している。

 第4章「家霊簿の読者と読書」は、家霊簿の用途、誰にどのように読まれるのかを論じている。家霊祭の時には家族の長たる男子によって家霊簿が読まれるのだが、それは儀礼過程の一部であり、音読し参加者の皆がそれを聞くという共同行為である。そこには識字能力の問題があり、家霊簿の保持・使用は村落社会内の上層に偏る。さらに地域的政体のかつての首領家族の家霊祭は、その政体全体の祭祀でもあったことが語るように、家霊簿の作成、保持、使用は政治的行為であった。また筆者は、近年のベトナムにおける市場経済化の波の中で、新たに家霊簿が作成されたり、祭壇、墓その他の祖先を記憶するものが数を増している状況も明らかにしている。文字文化論から政治・経済にまでいたる興味深い論述である。

 第5章「終章」は全体のまとめであり、家霊簿が個人の姓名の列挙であって儀礼の場の行動の道具であり、一族の淵源や祖先の名誉の文字記録ではない点を再確認する。そこから、一見中華文明周辺域における漢族的族譜の模倣のように見える黒タイの家霊簿が、タイ系諸言語を話す東南アジア大陸部諸民族の個人中心的で双系的な特徴と結びついていることを述べる。

 本論文は家霊簿という黒タイ独特の文字資料の緻密な研究であるが、それを柱としつつ黒タイの家族、親族、信仰、村落生活などのデータが豊富に紡ぎ出されたユニークな民族誌である。筆者は現地におけるフィールドワークと土地に残る文字資料の徹底的な読みにより、東アジア、東南アジアにおける民族誌的研究に新たな提起を行った。先行研究の量との関係で、中国、韓国との比較が充実しているのに対し、東南アジアにおける家族や系譜、祖先観の諸事例との比較分析はまだ出発点にとどまっているが、すでにその方向ははっきり示しており、今後の研究の発展が期待される。 以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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