学位論文要旨



No 216663
著者(漢字) 山田,益義
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,マスヨシ
標題(和) APCI/ITMSによる環境有害物質のリアルタイム計測システムに関する研究
標題(洋)
報告番号 216663
報告番号 乙16663
学位授与日 2006.12.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16663号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 高木,周
内容要旨 要旨を表示する

1 緒言

 近年、ダイオキシン、環境ホルモンなどの環境有害物質が全世界的な問題となり、消滅・削減が図られている。発生源から有害物資が漏洩していないかを常時モニタリングすることは効果的な排出管理に繋がり、特にごみ焼却場からのダイオキシン、ポリ塩化ビフェニル(PCB)処理施設からのPCBなどを短時間で測定する計測システムを待ち望む声が大きい(1)。数分程度の短時間で常時オンサイト計測することにより、異常な漏洩を迅速に検知でき、プラントの停止など適切な対応を取ることが可能になる。一方、こうしたガス中の環境有害物質の従来の公定分析手法では、複雑な前処理により夾雑物を除去した上で、ガスクロマトグラフ/質量分析法を用いるもの(JIS K0311)で、試料採取から分析まで数日〜数週間かかり、分析費用も数万〜数十万かかるのが現状である。環境分析を目的としたオンサイト分析技術としては、レーザーイオン化/飛行時間型質量分析計(REMPI/TOFMS)(2,3)や、オンラインGC(4)などがある。また、半導体プロセスで用いる高純度ガス中の不純物測定を目的にしたオンサイト分析技術として、大気圧イオン化/四重極型質量分析計(API/QMS)(5)がある。本論文は、環境中の有害物質(ダイオキシン前駆体やPCB)を迅速かつ現場で連続に測定することを目的とした、大気圧化学イオン化/イオントラップ型質量分析による計測システムに関する研究成果を纏めるものである。本手法は、上記の他のオンサイト分析手法と比較して、構成がシンプルで安定性が高い特徴がある。

2 装置構成

 公定分析で用いるガスクロマトグラフ(GC)は、分離に時間がかかり、頻繁なメンテナンスも必要なため、適用が困難である。本研究では、GC分離なしで、試料ガスを直接イオン源に導入する構成を採用した(6)。ごみ焼却排ガス中のトリクロロフェノール(TCP)の測定の場合、負のコロナ放電によりガス中の酸素分子がイオン化され、その酸素イオンとTCP分子の間でイオン-分子反応を起こすことによりTCPイオンが生じる(7)。装置の概要を図1に示す。GC分離を用いない連続的なイオン化は、半導体プロセスで用いるAPI/QMSで実績があるが、夾雑物が非常に多い環境計測に適用するには、NOラジカルによる感度低下、ガス中夾雑物による定量性悪化、および放電不安定化に対する改善が必要であった。本研究では、まず大気圧化学イオン化部においてNOラジカルの流れる方向とイオンが流れる方向を逆向きにすることで、NOラジカルによる阻害反応を抑制できることを、実験的・理論的に明らかにした上で、NOラジカルの拡散線速度の10倍以上の試料ガス線速度を保つことで、測定対象のイオンを高感度に測定できることがわかった。次に、同時にイオン源に導入される夾雑物濃度により測定対象物の感度が変動し定量性が悪化する課題に対して、夾雑物と測定対象物との競合反応モデルにより解析した結果が実験結果とほぼ合致することを確認した上で、一定濃度で(13)C置換同位体を内部標準試料として添加する方法により、リアルタイムで濃度補正して定量精度を向上させた。また、放電不安定化に対しては、原因が放電針先に堆積した付着物が原因であることを確認し、針先に付着物が堆積した状態でも放電が安定になる条件を実験的に明らかにし、放電距離と針先曲率半径の比が大きいほど放電は安定しやすく、感度は低下するというトレードオフの関係にあるという知見が得られた。以上の対策の結果、実排ガス測定時にサブppbレベルの高感度で2ヶ月間以上の現場での連続測定が可能になった。

3 実ガス適用結果

 3.1 ごみ焼却排ガス中ダイオキシン前駆体の測定

 TCPは、縮合反応によりダイオキシン類を生成することから、ダイオキシン前駆体として知られており、ダイオキシンとの濃度相関も高い(8,9)。ごみ焼却排ガス中のTCPをオンサイトで1分間隔で連続測定した結果、ごみ焼却プロセスの変動に応じたTCP濃度変化が検知され、ごみ質の違いに起因して平日と休日でTCP濃度レベルが異なることを、初めて検知した。一方、従来の燃焼制御の指標である一酸化炭素濃度は、こうした変化は観察されず、TCPを指標に燃焼制御を行った方が、ダイオキシン排出の低減にはより有効であろうということが示唆される。また、別の焼却炉において、ダイオキシン削減のための完全燃焼促進触媒の投与量を増加させるとともに、TCP濃度が減少することを検証し、時々刻々の完全燃焼促進型触媒の投入量を最適化した場合には、最適化を行わない場合に比べ、使用量を約20%程度節減できる見通しを得た(10)。これによって、ごみ焼却炉のダイオキシン排出量の安定的な低減と大幅な維持管理費の削減が可能となる。

 3.2 PCB処理プラントからのガス中PCBの測定

 2001年施行された「PCB(ポリ塩化ビフェニル)特別措置法」により、これまで保管されてきたPCB廃棄物の処理が全国で進んでいる。周辺環境保全と安全管理を目的として、処理プラントからの排ガスおよび作業環境中のPCB濃度の連続測定を行った。正のイオン化を用いるPCBの分析で、主な夾雑成分は水分であり、水分濃度の増加とともにPCB感度が減少する。水分濃度変動に対する挙動が近いTCPを内部標準試料として添加し、乾燥空気により水分濃度を低減させる方法により定量精度を向上させた。その結果、公定法であるGC/MSで分析した定量結果との相関係数が0.96〜0.99と良好な一致を見た。処理プラントからの実排ガス測定では、真空加熱プロセス時に処理したPCB廃棄物由来の4、5、6塩素化PCBが過渡的に揮発し排気される挙動を初めて確認した(11)。

4 結言

 大気圧化学イオン化/イオントラップ型質量分析計による環境有害物質のリアルタイム計測システムに関する上記研究により、下記の知見を得た。

 ・負の大気圧化学イオン化で、針先に向かって試料ガスを流す逆流二段イオン源で、無次元速度Vs/Vk>10となるように逆流量を設定することにより、NO*ラジカルの影響を抑え、高感度化できる。

 ・コロナ放電の放電距離と先端曲率半径の比をとった無次元量l/ρ>50となる領域で安定なコロナ放電を生成できる。

 ・(13)C置換同位体を連続的に一定量添加することにより、夾雑物の影響による感度補正を精度良く行うことができる。

 ・ごみ焼却排ガス中のトリクロロフェノールは、二酸化炭素のモニタリングでは検知できない燃焼状態の変化を捉えることができる。

 ・PCB処理プラントからの排ガス測定において、トリクロロフェノールを内部標準試料とした較正手法が有効で、真空加熱プロセス時に過渡的なPCB濃度変化を捉えることができた。

参考文献(1)伊藤裕康、第34回日本環境化学会講演会予稿集、44 (2001)(2)R. Zimmermann, H.J. Heger, M. Blumenstock, R. Dorfner, K.-W. Schramm, U. Boesl, A. Kettrup, Rapid Commun. Mass Spectrom., 13, 307 (1999)(3)R. Zimmermann, H.J. Heger, A. Kettrup, U. Boesl, Rapid Commun. Mass Spectrom., 11, 1095 (1997)(4)M. Tanaka, H. Fujiyoshi, S. Hatazawa, T. Yokoyama, H. Nagano, and T. Iwasaki, Organohalogen Compounds, 59, 61 (2002)(5)Y. Mitsui, H. Kambara, M. Kojima, H. Tomita, K. Katoh, K. Satoh, Anal. Chem., 55, 477 (1983)(6)M. Yamada, M. Sakairi, Y. Hashimoto, M. Suga, Y. Takada, I. Waki, Y. Yoshii, Y. Hori, M. Sakamoto, 17 suppl., 559 (2001)(7)I. Dzidic, D.I. Carroll, R.N. Stillwell, E.C. Horning, Analytical Chemistry, 47, 1763 (1975)(8)小野寺祐夫、環境技術、18(3) 153 (1989)(9)R.G. Hise, B.T. Wright, S.E. Swanson, Chemosphere, 20, 1723 (1990)(10)M. Yamada, I. Waki, M. Sakairi, M. Sakamoto, T. Imai, Chemosphere, 54, 1475 (2004)(11)M. Yamada, M. Suga, I. Waki, M. Sakamoto, M. Morita, International Journal of Mass Spectrometry, 244, 65 (2005)

図 オンサイトリアルタイム計測システムの構成

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、環境中の有害物質(ダイオキシン前駆体やポリ塩化ビフェニル)を測定対象に、大気圧化学イオン化/イオントラップ質量分析法(APCI/ITMS)により迅速かつ現場で連続に測定するシステムの構築を目的として、多様な夾雑物中の極微量な測定対象物質を高感度かつ安定にイオン化する手法、リアルタイムに較正して濃度を測定する手法、さらに本システムを用いて環境有害物質を連続測定し得られた知見に関する研究成果をまとめたものである。本論文は、以下の8章よりなる。

 第1章は序論であり、本研究の背景と目的、従来の測定方法と比較した本研究の位置づけについて述べている。ダイオキシンやPCB(ポリ塩化ビフェニル)の汚染は地球全体の規模で問題となっており、世界的に削減が求められる中、発生源からの排ガスを常時監視するモニタに対するニーズが高まっている。従来の公定分析手法は、複雑な前処理により夾雑物を除去し、微量な測定対象物を濃縮して質量分析を行うもので、分析に要する手間・時間・コストがかかる。本研究による手法は、他のオンサイトでの測定装置と比較して、構成がシンプルで安定性が高い特徴があることを述べている。

 第2章は、本システムの概要とイオン化方法について述べている。1データあたり数分程度のリアルタイムな測定が必要なため、GC分離を用いずにサンプルガスを連続的に大気圧化学イオン源に導入し、生成したイオンをイオントラップ型質量分析計にて感度よく測定する構成を用いている。イオン化で生じるNOラジカルを試料ガスの流れを逆向きにすることにより排除し、測定対象物であるトリクロロフェノールの感度を高くする新しい大気圧化学イオン源の構成と、高感度を得るために必要な条件を明らかにしている。

 第3章では、サンプルガス中の夾雑物により、トリクロロフェノールの感度が変動してしまうことへの対策として、内部標準試料を添加してリアルタイムに較正する手法について述べている。排ガス中の主要な夾雑物である塩化水素が、トリクロロフェノールのイオン化反応と競合して感度変動を起こすことを、理論的な解析を行った上で実験で検証した。この変動を較正して定量精度を確保する手段として、(13)Cで置換した同位体を連続的に添加し、信号強度を常時比較する方法を用いた結果、従来のオフラインGC/MSによる定量分析結果と良好な一致を示しており、本手法の有効性が実証されている。

 第4章では、ごみ焼却排ガスを連続測定した場合に、イオン源のコロナ放電が長期間安定に持続できる手法について述べている。従来方式で排ガス測定時に数時間で放電が不安定になり測定が出来なくなってしまう現象に対して、針先の堆積するSiO2が不安定化の原因であることが分かり、針先に堆積した状態でも安定に放電が持続できる条件を実験的に明らかにし、放電距離と針先曲率半径の比が大きいほど放電は安定しやすいという知見が得られた。感度、安定性の両面から適切な条件を設定して測定した結果、排ガス測定時にサブppbレベルの高感度で2ヶ月以上連続に測定することが可能になった。

 第5章では、ごみ焼却排ガス中のダイオキシン前駆体のトリクロロフェノールを連続測定した結果を示している。平日と休日の燃焼状態の差など、従来の燃焼制御の指標である一酸化炭素のモニタリングでは検知できない燃焼状態の変化を捉えることができた。

 第6章では、ダイオキシン削減のための完全燃焼促進触媒の投与量の制御を目的に、トリクロロフェノール濃度と触媒投与量の関係を検証している。時々刻々の完全燃焼促進型触媒の投入量を最適化した場合には、最適化を行わない場合に比べ、使用量を約20%程度節減できる見通しを得た。

 第7章は、PCB処理プラントからの排ガスおよび作業環境中のPCB濃度の連続測定を行うための手法とその測定結果について述べたものである。正のイオン化を用いるPCBの分析では、サンプルガス中の水分濃度の増加とともにPCB感度が減少する。水分濃度変動に対する挙動が近いトリクロロフェノールを内部標準試料として添加し、乾燥空気により水分濃度を低減させる方法により定量精度を向上させた。処理プラントからの実排ガス測定では、真空加熱プロセス時に処理したPCB廃棄物由来の4、5、6塩素化PCBが過渡的に揮発し排気される挙動を初めて確認した。

 第8章は、結論を述べたもので、上記得られた知見を纏めたものである。

 これらの成果は、ごみ焼却場におけるダイオキシン前駆体モニタに実用化され、ダイオキシン抑制のための適正な運転管理に用いられている。また、PCB処理施設における環境・安全管理のためのPCB漏洩監視モニタとして運転中であり、施設内作業者・周辺住民の安全管理に貢献しており、大きな工業的成果を生み出すことができた。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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