学位論文要旨



No 216665
著者(漢字) 稲場,典康
著者(英字)
著者(カナ) イナバ,ノリヤス
標題(和) 階層型制御構造を利用した宇宙ロボットによる衛星捕獲技術の実験的研究
標題(洋)
報告番号 216665
報告番号 乙16665
学位授与日 2006.12.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16665号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 町田,和雄
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 講師 矢入,健久
内容要旨 要旨を表示する

 宇宙ロボットとそれを操作する地上系の間には大きな空間,時間の隔たりがあり,また宇宙の放射線,温度等の厳しい環境の制約から宇宙ロボットの機能には大きな制約がある.

 本論文は,宇宙ロボットの運動制御,視覚処理並びに力覚制御技術等の要素技術を統合し,地上系,搭載系の特性,制約条件のもと,両系に跨る多重ループ状の階層制御構造を形成し,これにより,外乱下で位置・姿勢が動的に変化する衛星を,ダイナミックに変化する宇宙の照明環境の中で確実に捕獲するための宇宙ロボットの計画・実行・監視システムの開発を目的として行った実験的研究の成果を纏めたものである.

1. 序論

 宇宙機の大型化や,宇宙システムの多数・大規模化を実現するための方策として,軌道上での宇宙機の組立,補修,軌道変換等の「軌道上サービス」は必須の技術である.軌道上サービスの実現のために不可欠な基本技術である衛星搭載型マニピュレータによる宇宙機の捕獲は,現在はスペース・シャトル搭乗の宇宙飛行士のマニュアル操作のみで実現しているが,本技術の自動化を進めることは今後ますます重要となると考えられる.

 衛星搭載型マニピュレータによる衛星捕獲は,運動・視覚及び力覚制御等の多種要素技術が不可欠であり,各分野での精力的な研究が行われている,また,左記要素技術の統合化技術においても地上実験装置等を利用した研究が行われているが,宇宙環境の制約条件を考慮した研究は十分には行われていない.結果,スペース・シャトルでの飛行士の手動操作による準静的な衛星の捕獲のみが実用化されているに留まっている.

2. 衛星捕獲システム設計問題の一般化と課題整理

 まず,衛星搭載型マニピュレータによる衛星捕獲問題の一般的定式化として,地球近傍の飛行運動方程式,多リンク剛体のダイナミクス,視覚サーボならびに捕獲接触時のインピーダンス制御,以上の要素技術を統合することにより一貫した記述を行う.

 上記定式を宇宙空間で動作する実システムに適用するに当たっては,(1)地上品より性能が劣る,過酷な宇宙環境への耐性を備えた宇宙用計算機の能力,(2)視覚センサの性能に大きな影響を与える宇宙での照明環境の迅速かつ大きな変化,更に(3)通信回線を利用した地上から教示・監視等の支援に際する通信の容量・時間遅延を考慮する必要がある.

 また,地上のマニピュレータでは異常発生時の安全確保のための基本動作はマニピュレータの動作を停止させることであるが,宇宙空間に浮遊する衛星搭載型マニピュレータによる衛星捕獲作業は,作業中の異常事象の発生時に単にマニピュレータや衛星本体の動作(制御)を停止させただけでは,宇宙空間での残留速度により宇宙機同士が衝突する可能性があり十分な安全は確保できない.異常の状況を素早く検知し状況に応じたマニピュレータや衛星本体の回避動作等の積極動作が必要になる.

3. 宇宙ロボットの階層型制御構造と自律監視技術手法の提案

 上記の宇宙環境の制約を考慮した安全な衛星捕獲システムを構築するための手法として,搭載システムが実行する必要のある必要タスクを,センサ入力からレスポンスまでに許容される時間で分割整理し,地上からの通信時間遅れ以下のレスポンスタイムを要するものは全て搭載系に具備させる一方,地上では搭載系が宇宙環境との相互作用の中で安定的に制御ループが回せる様,搭載パラメタ・モデル情報等の一部を抽象化情報として必要周期で教示するという,地上と宇宙を跨る階層型制御構造内の多重ループによるシステム構築の設計指針を示すことができる.

 また,危険作業である衛星捕獲を安全に遂行するために,多重階層制御構造内のパラメタ・モデルの中の一部として,環境やシステムの状態量,並びにセンサの計測状態の良し悪しを簡潔かつ忠実に把握できる内部抽象量(「指標特徴量」と命名)で定義される,システムの安定動作を保証する領域,即ち「運用エンベロープ」として所持・管理し,このエンベロープを逸脱するケースでは作業の中断や積極的退避行動を取ることにより安全かつ確実な捕獲作業が行える手法を提案する.

 運用エンベロープ管理のために行う監視として,以下2種の監視手法によりセンサの故障や誤検出に対応することを提案する.第一の監視である「直系監視(Lineal Monitoring)」は,制御フィードバックに直接的に利用される情報処理ループ内に存在する情報を用いた監視である.一方,第二の監視である「傍系監視(Collateral Monitoring)」は制御に直接的に利用されない情報処理ループ内の情報を用いた監視である.

 2つの監視技術の具体例として,捕獲時のマニピュレータ視覚サーボに利用する受動型画像センサへの適用を考える.受動型画像センサは,計測結果が照明条件に大きく影響される頑健性に課題を有するセンサである.画像センサの精度・信頼性を管理するための運用エンベロープ遵守のための「直系監視」としては,画像計測のプロセス中で識別されたマーカの形状制約(真円度,相関値)や画素の輝度分布,分散状況等を「指標特徴量」として行うことが妥当と考えられる.また,「傍系監視」としては,異種センサ情報や照明条件の異なる位置に配置した画像センサの計測結果を利用することにより.制御用画像センサの照明条件や計測値の妥当性を監視することが可能となる.

4. 技術試験衛星VII型(ETS-VII)による軌道上実験

 上記一連の階層制御構造を利用した衛星捕獲の技法を,視覚マーカと捕獲ハンドルを備えた被捕獲衛星(協力的ターゲット)の捕獲問題へ適用した具体事例として,技術試験衛星VII型(ETS-VII)を利用した「宇宙マニピュレータによる衛星の自動捕獲実験」を世界に先がけ軌道上で成功裏に実施・実証した.その結果,タイムライニングによる照明環境の確保や,搭載系の閉ループを大局包含する地上ループによる画像処理パラメタの教示や,円形マーカ画像処理の真円度判定による「主系監視技術」等から成る階層制御手法の有効性を確認した.

5. 高難度衛星捕獲に向けた検討

 ETS-VII実験は,視覚サーボのためのマーカや捕獲把持のためのハンドルを備えた協力的ターゲットの準静的捕獲であったが,将来的な捕獲のニーズとしては,故障衛星の捕獲等,上記マーカや結合ハンドルを備えない,かつ姿勢運動を行う一般衛星の捕獲問題(高難度捕獲問題)が考えられる.

 高難度捕獲では非マーカ画像処理が必要となり,マーカ画像処理のケースに比べ画像センサの頑健性は更に低下し,このためにセンサの誤計測の確率が高まる.また,ターゲットが姿勢運動を行っているため,時間遅延を伴う地上監視による退避指示では安全が確保できない可能性が高まる.従って,ETS-VIIでは地上系機能であった傍系監視の搭載化を含め,搭載系の監視機能強化が必須となる.

 以降の具体的な高難度捕獲問題の検討課題として,一般衛星が構体底部に供える,打上げロケットとの結合機構である円形状のフランジ金具に着目し,これを視覚サーボのための特徴部位とし,かつこれをマニピュレータのハンドで把持するという問題を具体例とし,以下提案技術の適用を行う.

6. 高難度捕獲への提案技術の適用

 前章に記した高難度捕獲問題への提案手法の具体的適用として,まずは階層制御構造の下層に位置するサブタスク遂行上の視覚及び力覚制御技術について,それぞれ、多段画像フィルタによりフランジ金具の円形エッジを抽出する画像処理手法と,安定的接触を保つためのターゲットの質量特性とマニピュレータの関節剛性値を考慮したインピーダンス制御パラメタの設定手法を記す.

 次に,階層制御構造上の監視技術技法に関し,ETS-VIIでは地上系に委ねられていた画像センサの傍系監視機能を3章で提案した手法に基づき,ターゲットの姿勢回転方向を考慮し,監視カメラを視覚サーボ用画像センサの照明環境を時間的に先行して体験できる設置方向に据え付け,この監視カメラの画像処理情報の利用により実現する.

7. 実験と考察

 6章に記した提案手法を利用した高難度衛星捕獲技術の確認のため,暗室内に軌道上の運動を模擬できる衛星モデルとこれを捕獲するマニピュレータを設置し,照明方向を変化できる模擬太陽装置の照明下での捕獲実験が可能な地上装置を製作し,これを利用した実験を行った.階層制御構造内の2種の監視技術による運用エンベロープの管理手法の適用により,画像計測が十分な精度・確度で行える状態を的確に把握し,動的に変化する照明環境の中に於いて,確実な捕獲が行えることを確認した.

8. 結論と今後の課題

 宇宙ロボットの運動制御,視覚処理並びに力覚制御技術等の要素技術を統合し,地上系,搭載系の特性,制約条件のもと,両系に跨る多重ループ状の階層制御構造を形成し,これにより,外乱下で位置・姿勢が動的に変化する衛星を,ダイナミックに変化する宇宙照明環境の中で確実に捕獲するための宇宙ロボットの計画・実行・監視システムを提案し,世界初の宇宙ロボットの衛星捕獲となるETS-VIIを利用した宇宙実験,ならびに地上実験装置を利用した実験によりその有効性を確認した.

 ロボットが膨大な試行錯誤の結果として自律的に運用エンベロープの構造や閾値を決定する手法に比べ,「指標特徴量」という尺度やその閾値を人間が教示する方式は,実環境での学習機会が限られた宇宙システムには効率的であり有利な手法である.しかしながら,「指標特徴量」の選択やその閾値の決定に必要なターゲットの精密なモデル情報が事前に地上で得られないターゲットへの対処方法は今後の課題であると考える.

審査要旨 要旨を表示する

 航空宇宙工学修士稲場典康提出の論文は,「階層 制御構造を利用した宇宙ロボットによる衛星捕獲技術の実験的研究」と題し,8章と付録からなっている.

 宇宙ロボットは軌道上での宇宙構造物の組み立て,宇宙機の修理・廃棄,デブリの除去などを行う重要な基盤技術になると予想される.しかし,宇宙ロボットと地上システム間の通信時間遅れやオンボードコンピュータの計算能力の制約,搭載できるセンサのリソース制約等の厳しい条件により,制御対象の姿勢運動や日照条件のように予測が難しく状況が刻々と変化するような環境条件下で,安全かつ効率的に作業を行うことを保障できるような自律ロボットの制御アーキテクチャを構築することが困難であるのが現状である.

 本論文は,その問題に対し,搭載系・地上系を包括した階層的な宇宙ロボット制御構造を構築することで解決を図ることを目的としている.特に,画像フィードバック等に利用するセンサを利用した「直系監視」と,俯瞰的に状況を監視する「傍系監視」による階層的な監視機能を導入し,運用エンベロープを定義してその空間上で「指標特徴量」を管理するという手法で,安全かつ効率的な作業を保障できることを示している.その結果,予測不能な外乱下で位置・姿勢が動的に変化する衛星を,多様に変化する照明環境の中で確実に捕獲する計画・実行・監視システムが構築できることを示し,シミュレーション,ETS-VIIを使った軌道上実験および地上実験にてその有効性を実証している.

 第1章では,宇宙開発の流れを概観し,衛星捕獲技術の今後の重要性を説明するとともに,関連する技術課題の研究状況,スペースシャトル・アームによる衛星捕獲の現状技術を概観することにより,研究の背景ならびに目標,方向性を整理している.

 第2章では,まず衛星捕獲のニーズを被捕獲衛星の種類,運動の状況等によって整理・分類し,衛星捕獲に必要な各サブタスクについて利用可能な要素技術・技法の候補を整理している.ついで,捕獲のための基本シナリオを定式化するとともに,従来の研究で検討が不十分であった搭載系の計算機能力,軌道上照明環境並びに地上との通信遅れ等のシステム制約と監視機能の必要性を考察している.

 第3章では,衛星捕獲を安全かつ効率的に遂行するための宇宙ロボットの計画・実行・監視システムの検討がなされている.まず,制御の時定数や緊急度,タスクや対象のモデル化の複雑度等を考慮して,地上系と搭載系の適切な機能分担を行い,両者を包含するシステム内に階層的で多重のループを形成する設計手法が提案されている.次に,上記制御システムの重要機能である監視機能を,タスク実行のための直接制御ループ内センサが行う「直系監視」と,タスク実行の制御に直接的に関与しないセンサが行う「傍系監視」の2種により補完的に実現し,タスクに応じて定められる運用エンベロープによりその作業を管理する概念を提案した.また,その座標軸には,作業の遂行状態を端的かつ汎用的に表現できるセンサの内部状態量である「指標特徴量」も加えて表現することにより,運用エンベロープを簡潔,かつ少ない更新頻度で正確に記述し,地上系と搭載系の通信量・頻度を低減する手法も提案している.

 第4章においては,第3章に記した階層型の制御構造による衛星捕獲システムの一部の構築及び技術確認を目的とし,技術試験衛星VII型(ETS-VII)上での画像フィードバックによる衛星の自動追尾・捕獲実験の結果を記している.

 第5章では,特定の視覚マーカを持たず高速の姿勢運動を行う衛星を捕獲するという,より高度な問題を定式化し,特に従来地上系に置かれていた傍系監視のオンボード化の必要性に焦点を当てて実現方法の基礎検討を行っている.

 第6章では,前章に記した高度捕獲問題に提案手法を適用するために,まずはサブタスクとしての視覚処理,力覚制御技術の機能向上を検討し,次に傍系監視の搭載化の実現手法として,監視カメラを制御に利用する手先カメラと異なる位置・姿勢に配置し,ターゲットの位置・姿勢を補完的に計測するとともに,先行的計測により急激な照明環境変化を予見する方法を提案している.

 第7章においては,第6章に記した高度な捕獲問題を模擬する地上実験システムを構築し,提案手法の検証実験の結果をまとめている.

 第8章では,結論として,本研究で明らかにしたこと及び提案手法の限界を要約し,本論文の意義を明確にしている.

 付録では,研究の背景となる現状の宇宙空間でのロボット実験の概要と,本文中で使用した式の導出などが説明されている.

 以上要するに,本論文は,直系・傍系の階層的監視機能の導入,運用エンベロープの定義などの新しい方法論を導入することで,搭載系・地上系を包括した階層的な宇宙ロボット制御構造を構築する手法を提案し,それによって,軌道上の多様に変化する照明条件下で,かつ搭載系の限られたリソースの中で安全・効率的に衛星を捕獲できるシステムを構築できることを示したものであり,宇宙工学上貢献するところが大きい.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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