学位論文要旨



No 216669
著者(漢字) 伊藤,智樹
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,トモキ
標題(和) セルフヘルプ・グループにおける自己物語構成「回復の物語」によらない生の創出
標題(洋)
報告番号 216669
報告番号 乙16669
学位授与日 2006.12.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第16669号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 名誉教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 放送大学 教授 船津,衛
 東京学芸大学 教授 野口,裕二
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、セルフヘルプ・グループで人々が行なう自己物語構成の社会的意味を理解することにある。こんにちセルフヘルプ・グループは、従来の専門的な治療・援助にはない特性を持つものとして、益々人々の耳目を集めるようになっている。それに伴って、セルフヘルプ・グループに固有な特性を積極的に認めようとする研究から、支配的な物語の再生産ないし強化というシニカルな見方によってそれをとらえようとする研究に至るまで、さまざまな見方がセルフヘルプ・グループに対して投げかけられるようになっている。

 このような情況をふまえて、本論文は、参加者たちが自己物語構成によってどのような生を創出しようとするのかを分析し明らかにする。従来の研究においては、セルフヘルプ・グループが自己物語構成の場になっていること自体は、既に気づかれていたが、それによって参加者個人がどのような生を切り開くことができるのかは探求されないままになっている。しかし、この点が明らかになって初めて、社会の中でセルフヘルプ・グループが持つ特性を適切に把握することができるのである。

 第1章では、上記の問題関心を定めたうえで、導入される基本的な概念と、研究および調査の方法とを示した。具体的な調査の対象となったのは、体験の語りに目的を特化した集会を持つアルコホリズムと死別体験のセルフヘルプ・グループである。

 第2章では、セルフヘルプ・グループに固有な特性を積極的に認めようとする研究をレヴューし、その限界を指摘した。それらの研究群は、1970年代後半以降、社会福祉研究の分野で発展したものである。そこでは、セルフヘルプ・グループの特性は、「コミュニティの感覚」を生じさせること、社会的学習のプロセスを作動させること、通常は援助サービスの受け手と思われる人が援助する側にたって心理的な報酬を得ること、そして、体験者だからこそ得られる知識を伝達することに求められている。しかし、これらの説明は、セルフヘルプ・グループにおいて行なわれている言語活動、とりわけその中で大きなウェイトを占める体験の語りについて充分な説明を与えていない。

 それに対して、人々の語りを「物語」という概念でとらえようとする研究が、主に1990年代に生じる。それらによれば、セルフヘルプ・グループは、参加者がどう変わってゆくかを教える物語を共有しており、参加者個人はそのような物語を身につけることによって変化を創造してゆく。さらに、物語の良き語り手となることによって、参加者個人はセルフヘルプ・グループに社会化され、メンバーとしてのアイデンティティを確立してゆく。これらの知見は、人々の語りが意味するものに初めて分析の光をあてた点で評価できるが、しかし、以下のふたつの限界を孕んでいる。第一に、人々の語りを物語として具体的に分析し特徴づける枠組みを発達させていないこと。第二に、参加者がどのような生を創出しようとするのかというよりも、参加者がどのようにしてメンバーとして認められるようになるのかという観点に限定しているために、参加者個人の生活ないし人生の文脈が視野に入らない。

 こうした限界を乗り越えるために、第3章では「物語」概念の基礎的な検討にまで立ち返ったうえで、ふたつの有効な分析モデルを整備した。ひとつは、W.ラボフとJ.ワレツキーによるモデル(ラボフ=ワレツキー・モデル)であり、もうひとつはC.リースマンによる詩モデルである。前者は、自己物語において、語り手が登場人物(主人公)とは分離した視点から物語内の出来事に対して行なう「評価」に着目することで物語の筋をとらえるものである。それに対して後者は、語り手の「評価」が必ずしも明確でなく、それゆえに混沌とした印象を与えやすい物語を、詩に見立てて全体的に解釈するものである。

 また、第3章では、人々の自己物語を特徴づけるためにA.フランクによる「回復の物語(restitution narrative)」を参照する意義を論じた。ここでいう「回復の物語」とは、「昨日私は健康であった。今日私は病気である。しかし明日には再び健康になるであろう」という基本的な筋を持つ物語を指す。つまり、個人の内にある欠損ないし欠落を中間とし、物語の始点と終点とを取り戻されるべき同一の健全な状態とする、というところにこの物語の特徴がある。「回復の物語」に着目する意義は、この物語に自らを適合させにくい人々がいるかもしれない点にある。

 第4章では、セルフヘルプ・グループのテーマについて治療の専門家たちが「病気」として語る言説を扱う。ここでの観点は、それらの中にどのような物語が埋め込まれているかということである。さまざまな説明図式を俯瞰すると、人々の経験を包摂するような大きな物語が医学ないし心理学によって提供されているとはいえず、むしろ物語の不在ないし散在として事態をとらえることができる。ただし、そうした中にあって、アルコホリズムの精神病理学的説明と、死別による悲嘆の段階論とは、「回復の物語」としてとらえることができる。

 第5章では、アルコホリズムのセルフヘルプ・グループにおける人々の自己物語構成を分析した。まず、ラボフ=ワレツキー・モデルによって集会での自己物語を分析した結果、いくつかの形態が見出されたが、その中では「転落と再生の物語」が最も主要な物語の形態だと考えられる。また、セルフヘルプ・グループの参加者の中から、継続的な参加に積極的な人と、ある程度の参加を経てグループを離れようとする人との複数回のインタヴューを、比較対照しながら分析した。前者は後者に比べて、物語の筋を転落から再生へと転じさせる契機となる出来事、すなわち「エピファニー」(N.デンジン)に繰り返し言及し、細部までありありと描くように語りなおそうとするところに特徴があった。

 第6章では、死別体験のセルフヘルプ・グループにおける人々の自己物語構成を分析した。ラボフ=ワレツキー・モデル、および、リースマンの詩モデルによって集会での自己物語を分析した結果、いくつかの形態が見出された。その中で特徴的な部分は、第一に、主人公の状態が良くなってゆく「前進的な物語」がある一方で、主人公の状態が良くならない「ネガティヴな感情の物語」も見出せること、第二に、語り手が故人の存在をありありと感じ取ることができるような「記憶の物語」が語られることである。また、第5章と同じように、セルフヘルプ・グループへの継続的な参加者を好む人と、そうでない人との比較分析も行なった。その結果、前者の自己物語の方に、セルフヘルプ・グループの物語形態がよく反映していることが分かる。他方、そこでは、長期的に見れば悲嘆を癒してゆく変化のように見えても、その過程に注目すれば、他者の物語に「回復者」のイメージを読み込んで、そこから距離をとって「私」を描こうとしているのが特徴的であり、このようにして、いかに自分が容易にはポジティヴに変わっていけないかを示すことに、死別体験者の自己物語構成の特徴があると考えられる。

 第7章では、これまでの分析をふまえて、本論文の問いである、参加者たちはセルフヘルプ・グループにおける自己物語構成によってどのような生を創出しようとするのかを考察した。

 第一に、参加者がセルフヘルプ・グループの良き語り手になることで可能になることは、グループのテーマによって異なる。アルコホリズムの場合には、エピファニーを細部までありありと描くように語りなおすことで、転落と再生の筋を際立たせ、それに合うように酒を断つ人生を組み立てようとする。一方、死別体験の場合には、近代社会における良き死の基準である個別性を、いかに自分が容易にはポジティヴに変わっていけないかを物語る身振りの個性と、固有な死者とのつながりを再確認させる記憶の物語とによって、満足させようとする。

 第二に、こうした人々の語る物語はA.フランクのいう「回復の物語」とは異なるものとしてとらえられるべきである。「転落と再生の物語」や「前進的な物語」は、直感的に「回復」をイメージさせやすい。しかし、参加者たちの自己物語と、アルコホリズムの精神病理学的説明、および、死別による悲嘆の段階論にみられる「回復の物語」との間には乖離がある。このような乖離の背景には、セルフヘルプ・グループの語り手たちが「回復の物語」を見事に語ることのできない理由があり、本論文では、アルコホリズムと死別体験それぞれの場合について、その理由を考察した。

 第三に、セルフヘルプ・グループは、「回復の物語」を見事に語ることができない人々、言い換えれば物語論的な生き難さを抱える人々にとって、自分に合った物語を模索してゆく過程に連れ添って耳を傾ける聞き手としてとらえられる。この聞き手は、語り手を刺激したり退屈したりすることによって、さらなる自己物語構成を促す一面も持っている。

 第8章では、本論文の問いをふりかえって結論をまとめ、今後の展開について述べた。セルフヘルプ・グループにおける自己物語構成によって、参加者たちは「回復の物語」によらない生を創出しようとする。このような生の創出を支える機能を果たしうる点にこそ、われわれの社会におけるセルフヘルプ・グループの固有な特性を認めるべきである。社会学は、こうした特性をふまえながら、さまざまなテーマを持つセルフヘルプ・グループにおける物語の布置を分析的に理解し、必要に応じて独自の見方と助言を与えることができるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、アルコホリズムその他の問題を抱えた人々自身による活動であるセルフヘルプ・グループについて、その活動が当事者たちにとっていかなる意味を持つものであるかを、そこで実践される自己物語構成の分析を通じて明らかにすることを目的としている。セルフヘルプ・グループに関する近年の社会学的研究は、当事者たちの発話行為に注目して、物語の共同体の生成とその構造的特性をさまざまに探求してきている。本論文はこれらの既存研究を踏まえた上で、アルコホリズムと死別体験の2グループにおける集会での参与観察とインタビュー調査を実施し、セルフヘルプ・グループにおける語りにおいては、既存研究が標準的なものとして提示している形式に従うことよりも、むしろそこからの乖離を意識した自発的な物語構成の方が重視されていることを詳述しながら、当事者たちにとっての意義を新しく解明したものである。

 本文は全8章からなり、第1章で課題設定と調査方法を説明したあと、第2章は既存研究をレビューして、物語論的なアプローチの多くが、参加者は集団の物語を身につけ、集団に社会化されていくという受動的な側面を強調しすぎていると批判する。第3章では物語概念の基礎的な検討に立ち返り、人々の語りの構造を分析する枠組みとして、語り手自身による物語内の出来事への「評価」に着目したラボフ=ワレツキー・モデルや、今日、セルフヘルプ・グループでの自己物語に関する標準的パラダイムともいえる、A.フランクの「回復の物語」が検討される。第4章では、セルフヘルプ・グループについての治療的言説が「回復の物語」としての性質を持っていると指摘し、第5章では、アルコホリズムのグループにおける自己物語構成では「転落と再生の物語」が主要な形態ではあるものの、「回復の物語」とは異なるいくつかの特徴があることを示す。第6章は死別体験のグループでの調査から、納得の調達やポジティブな生活態度への変化が容易ではないことが、むしろ強調されると指摘している。第7章において、これらの調査データをまとめて分析し、(1)自己物語が、経験から構成されると同時に経験を構成していくものであって、人生を創出する営みになっていること、(2)セルフヘルプ・グループに集まる人々は、治療の言説や「回復の物語」に生き難さを抱える人々であること、そして、(3)自己を語る人にとって、セルフヘルプ・グループにおける他の人々は単に「語りを受け止めてくれる」聞き手であるだけではなくて、語り手の「人生の物語化」を促す積極的な存在である、という結論が導かれる。第8章は、本論文の全体を振り返って、今後の研究の展望を述べている。

 本論文は、セルフヘルプ・グループにおける人々の語りと相互作用の構造を、参与観察等の詳細な一次データに基づいて分析し、既存のセルフヘルプ・グループ研究では見過ごされていた諸特徴を丁寧に浮き彫りにし、セルフヘルプ・グループの機能を、参加する当事者たちにとっての意味という観点から、新しくかつ説得的に提示している。データの分析のしかた、考察における論の運び方、そして結論等において、著者による独自の工夫と発見とが鮮やかにうかがわれ、この分野における研究水準を大きく進展させた、きわめて独創的で革新的な論考として高く評価することができる。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論をえた。

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