学位論文要旨



No 216671
著者(漢字) 数藤,恭子
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,キョウコ
標題(和) 人物属性抽出を目的とした足圧情報に基く歩行計測法の研究
標題(洋)
報告番号 216671
報告番号 乙16671
学位授与日 2006.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 第16671号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嵯峨山,茂樹
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 助教授 篠田,裕之
 東京大学 講師 川上,直樹
 東京大学 講師 小野,順貴
内容要旨 要旨を表示する

様々な分野で,サービスの質の向上のために,人物属性情報が必要とされている.大勢の人が暮らす社会において,対象者の属性を把握し,それに応じてふさわしい内容を提供することは,人々の安全性,快適性,あるいは健康維持を目的としたサービスの基本だからである.このため,IC カードやタグなどの技術開発が進む一方,生体情報を用いた属性の自動認識技術の研究が数多く行われている.本研究はこの一つに位置づけられるものである.

 従来,顔,指紋,声,虹彩,筆跡,歩行などの生体特徴を用いた属性認識研究が行われている.これらのうち顔,筆跡,歩行には,ユーザの負担の少なさ,心理的抵抗の少なさ,万人が確認可能である,といった属性認識に適した特性がある.しかし,顔や筆跡では実用レベルの個人認証が実現しているのに対し,歩行に基く認証はまだ実用には遠い.歩行は人間の基本的且つ重要な機能として運動学,体育学,医学,装具学,工学(ロボット工学,コンピュータグラフィックス,画像処理,パターン認識,人間工学),心理学など様々な研究分野で扱われ,知見が蓄積されているにもかかわらず,統一的な計測手段や有効な識別特徴が確立していない.このため属性認識への有効な利用が行われていない.

 本研究では,人物の歩行動作から,セキュリティ,マーケティング,医療,健康の各分野へ横断的に利用可能な人物属性を抽出する基盤技術の確立を目指し,歩行から安定した情報を得るための計測法の確立と各種のパラメータの自動抽出の手法,そのパラメータを用いた具体的な属性抽出方法について取り組んだ.人間にとって最も基本的な歩行という動作に注目し,属性と結びつけることを可能にすることで,社会が求める安全監視技術や顧客サービス,健康指導などの幅広いアプリケーションの構築に重要な役割を果たすものである.扱う属性の範囲は,生体計測によって情報が得られる人の属性のうち,社会的なニーズが大きいものとして,個人性,性別,年齢層,病状の有無,健康状態,高齢者の事故リスクを対象とした.

 以上,従来背景と本研究の目的については本論文の第1章で述べた.第2章では,様々なカテゴリの属性を共通の歩行計測データに基いて認識するためのシステムの構築方法について述べた.認識システムは,計測・特徴抽出・識別処理から構成されるが,計測手法は属性のカテゴリによらず統一的なものとしたい.そのため,これに適した計測手法として,運動学や装具学などの分野で古くから注目され,様々な属性との関連性について知見が豊富である足裏の圧力分布計測を用いた.要求仕様を満たすデバイスとして,NTTサイバースペース研究所が開発した圧力センサを用いた.このセンサの上を床との境目を意識せず自然に歩くことができ,健常者の場合で5〜6歩の歩行データが計測できる.これを用いて計測した結果,圧力の大きさを階調値で表した濃淡画像の時系列(以下,足圧データ)が得られる.

 足圧データから,様々な属性のカテゴリに依存して異なる特徴量の抽出を行い,識別のための正規化を行う.このとき,歩行データの時間的・空間的な単位である一歩を認識して切り出さなくてはならない.足圧画像時系列からの一歩の切り出しは,手書き文字の認識と問題の性質上類似点が多い.文字に「へん」や「つくり」などの分離や結合の認識の難しさがあるように,足形状の踵,爪先,指などの空間的に近いが必ずしも連続はしていない部分領域を分離したり結合するのは困難である.そのため,安定して一歩一歩空間的・時間的にセグメンテーションすることは容易ではない.文字の場合,空間的に密な部分を領域候補としてテンプレートマッチングを行うのが一般的である.文字種は多数存在するのに対し,足の形状は基本的には1種類であるため,基本的には1種類のテンプレートとの照合になる.ただし,形状の個人差や歩行時の試行ごとのぶれなどによる変化を吸収できる必要がある.本研究では,接地パターンについて,足の骨格に基いて主な部位に内在している確率分布があると考え,混合分布でモデル化することで,これを解決した.混合分布によるモデル化により,接地パターンを確率情報として表現し,解析的に扱うことができる.また,混合正規分布のパラメータ推定には,解法として確立している,EM(Expectation-Maximization)アルゴリズムを用いることができる.本研究では,回転・位置・スケールのパラメータを同時に推定できる手法を適用し,足の変形や歩行の不安定さの大きいサンプルに対しても安定したセグメンテーションが可能であることを実験により示した.

 次に,接地パターンから各種のパラメータを求める.このときの要求条件は,目的とする属性ごとに,属性の特徴が強調されるような次元圧縮を適切に行うこと,従来の知見と直感的に結びつく物理量であって,わかりやすく可視化できることである.これらを満たすようなパラメータとして,荷重変化パラメータ,時空間パラメータ,あおりパラメータとローリングパラメータを定義しそれぞれの特徴と抽出方法を述べた.また,従来から用いられている歩行基本パラメータである,空間パラメータと時間パラメータについても同じ枠組みで抽出できることを示した.以上,属性認識システムの構成及び,計測・特徴抽出・識別処理の各段階における手法の詳細について,第2章に述べた.

 以上のパラメータを用いて人物属性情報(個人性,性別,年齢層,病状の有無,健康状態,高齢者の事故リスク)のそれぞれの抽出を行った実際の応用例について第3章に示した.応用分野として,セキュリティの分野では,入退室の監視などに利用できる,個人性の識別の可能性について検討した.マーケティングの分野では,性別の識別について検討した.いずれも実験室レベルであるが,少人数の人物が短時間に出入りする場所への適用や,プライバシー上カメラを設置しづらい場所への応用など,限定した用途では将来的に有効な属性認識手段として利用できる見込みが得られた.医療・健康の分野への応用については,健康的な正しい歩行かどうかを評価する定量的な指標を提案し,指導の専門家の評価との間に高い相関値(R=0.8)が得られることを示した.年齢層,高齢者の事故リスクについては,年齢や転倒危険度との相関について考察した.これらについては有意な相関があることを示したに留まったが,今後これを手がかりとして定量的な評価指標の確立が望まれる.

 上記の応用例以外の足圧データの利用方法として,第4章では,他のセンサと組み合わせた利用方法を示した.圧力センサは接触型であることから,照明等の環境変化の影響を受けない,ON/OFF判定のみで前処理を必要とせず物体の存在が検知できる,などの利点がある.したがって,カメラなどとの組み合わせにおいて,相補的な情報を用いた認識精度の向上と,他のセンサ情報のセグメンテーションを容易にするための同期信号としての利用が期待できる.画像や音と圧力センサを統合的に用いて歩行者の男女識別を行う手法とその実験について述べ,単独のセンサを用いる場合に比べ識別率が向上する結果を示した.

 以上の内容について第5章に結論を述べた.従来の歩行を用いた認識では,統一的な計測手法が確立しておらず,あらかじめ計測対象の属性を絞ったうえでそれに適した計測手段を選択しなくてはならなかった.本研究では対象の属性を限定せずに取得可能な圧力センサによる足裏の圧力分布計測に着目し,各分野への横断的な利用を試みた.これによって,あらゆる属性の人から計測可能な生体特徴である歩行を属性抽出手段として有効に活用する可能性を示した.また,その過程において歩行動作自体の詳細な解析を行い,従来知見に対して工学的な裏付けを行ったことにより,医療・健康分野において従来定性的に行われていた歩行評価や歩行指導の定量的な表現を可能にした.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,各分野へ横断的に利用可能な人物属性抽出の基盤技術の確立を目的とするものである.人の歩行動作から安定した情報を得るための計測法と,その計測データから様々な属性識別特徴を効率的に抽出する手法について論じ,具体的な属性抽出例が示されている.

 人物属性の自動認識は,セキュリティ,マーケティング,医療,健康といった,主要なサービスの分野で必要とされる,社会的に重要な課題である.このため,生体情報を用いた属性の自動認識は数多く研究されており,本研究はそれらの一つに位置づけられるものである.種々の生体情報のなかで,計測のしやすさや心理的負担の少なさにおいて,顔と歩行が有利であるといわれている.しかし,歩行については人間の基本的且つ重要な機能として様々な分野で研究対象として取り上げられているにもかかわらず,これまで統一的な計測手段や有効な識別特徴が確立しておらず,属性認識への有効な利用が行われていなかった.本研究は歩行と属性と結びつけることで,個人性・性別・年齢層・病状の有無・健康状態・高齢者の事故リスクといった幅広い属性への適用可能性を示すものである.以上,従来背景と本研究の目的について第1章にまとめられている.

 第2章では,属性認識システムの構築方法について述べられている.計測には,シート状のユニット結合型の高精度な圧力センサが用いて,物理的・心理的負担のない歩行データ取得を実現している.その出力である時系列データ(以下,足圧時系列データ)から各種の特徴量を抽出するには,歩行を特徴づける一歩一歩の単位パターンを認識しなくてはならない.足圧時系列データは,個人差や試行のぶれによる時間的な変動が大きく,また空間的にも踵・爪先・指などの部分領域から成るため,単位パターンを認識する問題は,手書き文字認識における文字分離の問題とも類似した難しい課題である.これに対しパターンのモデル化とフィッティングというアプローチによる,ロバストな切り出し・正規化手法が提案されている.主な部位に内在している確率分布があると考え,足の骨格を初期値とする正規混合分布で単位パターンをモデル化し,正しくフィットした時に尤度最大となるように共通モデルを学習する.これをフィッティングすることで,単位パターンの検出を行うというものである.確率情報として表現したことにより,パターン分離の問題を解析的に扱うことが可能になり,混合正規分布のパラメータ推定法として確立しているEM(Expectation-Maximization)アルゴリズムを用いて効率よく解くことができる.混合分布の回転・位置・スケールのパラメータを同時に推定できる手法を適用することで,足の変形や歩行の不安定さの大きいサンプルに対しても安定したセグメンテーションが可能である.複数歩のパターンを含むデータからのパターン分離も可能であるとの見通しが実験により示されている.単位パターンを求めることで,歩幅など従来から用いられている基本パラメータをはじめ,足のあおり運動などの知見を反映した独自のパラメータなど,各種のパラメータを容易に求めることが可能になる.

第3章には,上述のパラメータを用いて人物属性情報(個人性,性別,年齢層,病状の有無,健康状態,高齢者の事故リスク)のそれぞれの抽出を行った実際の応用例について示されている.接地パターンに基くパラメータを用いた,個人性や性別の識別についての検討では,個人識別で90%程度,性別の識別で80%程度の識別率が得られ,入退室の監視やマーケティングへの適用可能性が示されている.医療・健康の分野への応用については,第2章で導いた点数化式による評価結果と指導の専門家の評価との間に高い相関値(R=0.8)が得られることを示した.年齢層,高齢者の事故リスクについては,年齢や転倒危険度との相関について考察し,有意な相関があることを示した.今後これを手がかりとして定量的な評価指標の確立が望まれる.

 第4章では,上記の応用例以外の足圧データの利用方法として,他のセンサと組み合わせた利用方法が示されている.照明等の環境変化の影響を受けない,ON/OFF判定のみで前処理を必要とせず物体の存在が検知できる,などの圧力センサの特徴を活かし,カメラと組み合わせることで,相補的な情報を用いた認識精度の向上と,他のセンサ情報のセグメンテーションを容易にするための同期信号としての利用が期待できる.画像や音と圧力センサを統合的に用いて歩行者の男女識別を行う手法とその実験,および単独のセンサを用いる場合に比べ識別率が向上するという結果が示されている.

 第5章は以上の内容の結論である.足圧情報に基く個別の属性抽出手法としての能力について,個人性と性別への適用については「代替手段があるがそれらとの組み合わせが可能であり,組み合わせによって識別率の向上が見込まれる」,健康度と年齢層については「代替手段が確立していないが本研究により一つの指針が示される」,高齢者の事故リスク,病状の有無については「代替手段と同等の結果が得られる」との3つの達成度に分類されている.

 従来の歩行を用いた認識では,統一的な計測手法が確立しておらず,あらかじめ計測対象の属性を絞ったうえでそれに適した計測手段を選択しなくてはならなかった.本研究では対象の属性を限定せずに取得可能な圧力センサによる足裏の圧力分布計測に着目し,各分野への横断的な利用を試み,歩行を属性抽出手段として有効に活用する手法を示したことが業績として認められる.また,それに至る過程において導いた,時系列データのセグメンテーション問題は,確率モデルとして解析的に扱われているため,今後一般的なパターン分離問題への応用も可能と考えられる.さらに,医療・健康分野において従来定性的に行われていた歩行評価や歩行指導の定量的な表現を可能にしたこと,歩行の従来知見を工学的に裏付ける結果を得たことなどにも意義が認められる.よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51209