学位論文要旨



No 216672
著者(漢字) 松井,宏之
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,ヒロユキ
標題(和) 利根川水系における水資源の動態分析モデルの開発
標題(洋)
報告番号 216672
報告番号 乙16672
学位授与日 2006.12.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16672号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 助教授 溝口,勝
 東京大学 助教授 西村,拓
内容要旨 要旨を表示する

 20世紀後半の降水量の変動幅の拡大に伴う小雨化により,日本各地で現況の水資源開発施設の利水安全度が低下している.なかでも,利根川水系は,利水安全度が1/5渇水年に設定されており,その影響が懸念されている.こうした状況のもと,古くから利水者間においては種々の水利調整が行われている.また,近年,農業用水は減反政策を反映して余剰傾向にあることから,農業用水から水道用水への水利調整は実効性のある方策として,社会的要請が高まることが予想される.しかし,水利調整も僅かな水量で局所的なものならば関係利水者以外への影響は少ないが,一定規模以上となると,流域水循環に影響を及ぼす影響を考慮する必要がある.すなわち,水利調整を有効に機能させるためには流域水循環の視点が不可欠であり,現況の水資源の動態を把握し,分析しておく必要がある.また,降水量の変動幅の拡大は,流域水循環の与件となる水資源賦存量に影響することから,時間軸での水資源賦存量の動向についても把握しておく必要がある.

 本研究では,水資源の動態分析モデルを開発することを命題として,河川レベルでの水資源の空間動態を表現できる分布型流出モデルの開発すること,時間軸での水資源の動態を分析することができる水文流出モデル(月水収支モデル)について検討することの2つを目的とした.

時間軸での水資源の動態分析モデル

 時間軸での水資源の動態分析を行う月水収支モデルでは,データ収集の困難さをふまえて,文字通り月単位で水収支を計算する.

 まず,月水収支モデルのための蒸発散量推定式として,気温のみを入力データとするHargreaves式に着目し,まずわが国の計143官署で観測された小型蒸発計蒸発量への適応性を検証した.その結果,同じく気温データのみから蒸発散量を推定するThornthwaite式,Hamon式と比較して,Hargreaves式が優れた推定精度を有していることを示した.さらに,その精度を向上させるため,式中に含まれる日射量の推定に関わる地域定数,パラメータ的属性を有する経験定数の2つの係数について検討し,再現性を向上させる係数の算出式を導出した.その結果,二乗平均平方根誤差RMSEで0.65±0.26 mm/dの精度で月平均小型蒸発計蒸発量を推定できることを示した.

 次に,Penman-Monteith式によって求められる基準蒸発散量(全国59官署)へのHargreaves式の適応性,およびその推定精度を向上させる経験定数の算出式について検討した.その結果,提示した算出式を用いた推定値の精度は高く,RMSEで0.34±0.10 mm/dの精度で月平均基準蒸発散量を推定できることを示した.

 月水収支モデルは,対象とした中禅寺ダム,相俣ダム,下久保ダムがある利根川上流域が積雪地帯であることを考慮して,雪サブモデルと月水収支サブモデルにより構成されるものとした.その際,蒸発散量は提示した係数の算出式を用いたHargreaves式により求めた.雪サブモデル,月水収支サブモデルには既往のモデルの適用を基本とし,雪サブモデルでは3モデル,月水収支サブモデルでは6モデルを対象とした.パラメータの同定に際しては,雪サブモデルと月水収支サブモデルの同定を同時に行うと,雪による過度な貯留が生じることがあり,雪サブモデル,月水収支サブモデルの順で同定を行う必要があることを示した.雪サブモデル,月水収支サブモデルでそれぞれ同定を繰り返し,利根川上流に位置する3ダム流域に適した月水収支モデルを提示した.この選出された月水収支モデルによる実測流量と計算流量の平均相対誤差の平均は約22%と比較的良好なものであった.

 こうして得られた月水収支モデルを用い,利根川上流域にある4ダム流域(上記3ダムに加えて,草木ダム)を対象として,長期にわたる年流出高および期別流出高のトレンド分析を行った.その結果,20世紀初頭からのトレンド分析が可能な3ダム流域のうち2ダム流域では年流出高が2.0mm/year強の減少トレンドを示し,豊水年および渇水年の流出高も概ね減少トレンドにあること,利根川上流域全体で流出高のトレンドは必ずしも一様とはなっていないことを示した.また,年流出高のトレンドは年降水量のトレンドと,期別流出高のトレンドは期別降水量のトレンドで概ね近似できることを示した

空間軸での水資源の動態分析モデル

 流域内での水資源の空間的な偏在性の評価に資するべく,流域における水資源の動態を分析でき,農業水利に重点をおいた分布型流出モデル(鬼怒・小貝モデル)の開発を行った.このモデルは流域を1km正方のグリッドで網羅し,グリッドを構成するセル間の水移動を物理的な式に基づき計算するものである.モデルの開発は基本モデルを開発した後に,その課題を整理し,基本モデルを改良する手順で行った.

 基本モデル,改良モデルに共通する基本的な流出過程のモデリングは次のように行う.地表流はSt.Venant方程式の二次元Dynamic wave近似方程式,中間流は二次元不飽和流動式,地下水流は不圧地下水を対象としてBoussinessq型の方程式をそれぞれ差分化し,適用した.こうして河道に集められた水は河道の河床勾配によりSt.Venant方程式あるいはKinematic wave方程式に則り,流下過程が計算される.こうした水の流れのなかで,水田のモデリングは,田面水を地表に湛水させる形とし,湛水深が期別湛水深を超えたときに流出が生じる形とした.そして,水田灌漑のモデリングは河道に取水施設を設置し,河川水の取水・灌漑を行うとともに,期別湛水深に対して不足が生じたときには必要に応じてセルへの流入水を水田に貯留させる形とした.そして,流域の有する空間的不均一性の表現には,国土数値情報を用いてセル毎に土壌,表層地質,水田面積率などを与え,土壌,表層地質ではその種別毎に透水係数,間隙率などのパラメータを与える形とした.

 この基本モデルを利根川の一大支川である鬼怒川水系・小貝川水系(流域面積2800km2)に適用したところ,山地部だけでなく,水田灌漑が盛んに行われている平野部の流量観測点でも平均相対誤差で30%前後の良好な計算結果を得た.しかしながら,その一方で,地下水位変動の再現性には問題が残った.つまり一部のセルで浸透量が過大に評価され,地下水位が低下しにくくなっていることがわかった.この過大評価の原因について考察し,「(1)地表流を薄層流と仮定し,地表流に中小河川の代替的役割を期待する.(2)隣接するセルからの流入水が地下水の涵養源となりうる」というグリッド型の分布型流出モデルが構造的に抱える問題に帰着することを示した.

 そこで,グリッド型の分布型流出モデルの構造的問題の解決策として,セル内を流路と流域面に分割し,さらに流域面を地目別(水田および非水田)に分け,その地目別にタンクモデルを配置するモデリングを行い,基本モデルに付加した.このモデリングにより,基本モデルで課題となった「浸透量の過大評価」に対応することができるだけでなく,従来のグリッド型の分布型流出モデルでは曖昧なモデリングがなされていた水田が明示的に扱われることとなり,より農業水利を適切に表現することが可能となった.この地目別の流出過程を考慮した改良モデルを用いて,改めて計算を行ったところ,河川流況の再現性は基本モデルと同様,平均相対誤差で30%前後であり,良好な計算結果を得た.その一方,地下水位変動の再現性は決定係数で比較すると0.42から0.65と大きく改善されることがわかった.とくに灌漑期終了後の地下水位の低下が再現されており,地目別の流出過程を考慮したモデリングが有効であったことが確認された.これらの結果から,本論文で開発した鬼怒・小貝モデルが流域における水資源の動態の把握,分析する際に有用なモデルであるとした.

 以上の結果から,本論文では,水資源の時間的・空間的動態を分析する水文流出モデルを構築した,と結論づけた.

審査要旨 要旨を表示する

 近年の小雨化、新たな水資源開発の困難化により、今後、既存の水利システムを活用した水利調整の重要性が高まることが予想される。本論文は水利調整を有効に機能させるためには水文学的なアプローチ、つまり流域水循環の視点が不可欠であるとの認識のもと、流域水循環をふまえた水資源の動態分析モデルの開発を命題としている。論文は5章で構成されており、各章の内容は以下のようにまとめることができる。

 第1章では、研究の背景、既往の研究を整理し、目的、論文の構成を記している。

 第2章では、月水収支モデルへの入力データとなる蒸発散量の推定精度を向上させるため、気温データのみから蒸発散量を推定できるHargreaves式に着目し、観測された小型蒸発計蒸発量、Penman-Monteith式によって求められた基準蒸発散量への適合性の検証を行い、さらに推定精度を向上させる係数の算出式の導出を行っている。適合性の検証では、全国143官署で観測された計器蒸発量、同じく59官署で求められた基準蒸発散量の推定においてHargreaves式が高い適合性を示すことを述べている。係数の算出式の導出では、回帰分析を用いて蒸発量の推定式、蒸発散量の推定式それぞれについて係数の算出式を提示し、それらの式を用いることにより推定精度が向上することを示している。

 第3章では、利根川上流域に位置する3ダム流域を対象とし、既往の月水収支モデルによる計算結果を比較することで、利根川上流域に適した月水収支モデルの提示を行っている。この月水収支モデルは、利根川上流域が積雪地帯であることを考慮して、雪サブモデルと月水収支サブモデルにより構成されている。提示された月水収支モデルは、月平均流量を良好に再現しており、長期的な水資源量を再現できるモデルとなっている。

 第4章では、農業水利が卓越している利根川水系の鬼怒川流域・小貝川流域(流域面積:2,800km2)を対象として、流域における水資源の動態を分析でき、流域内での水資源の空間的な偏在性の評価に資するグリッド型流出モデル(鬼怒・小貝モデル)の開発を行っている。この鬼怒・小貝モデルは流域を1km四方のグリッドで網羅し、グリッドを構成するセル間の水移動を物理的な式に基づき計算する構造となっている。地表流には二次元拡散波近似方程式、中間流には二次元不飽和流動式、不圧地下水を対象とした地下水流はBoussinessq型方程式が差分化され、適用が図られている。こうして河道に集められた水が河道の河床勾配に応じてSt.Venant方程式あるいはKinematic wave方程式に則り、河道内を流下することで任意地点での河川流量が求められている。地表流のモデリングでは、従来のグリッド型モデルが構造的に浸透量を過大に評価している可能性を指摘した上で、その課題を克服するために地目別に1段タンクモデルを配置するモデリングを提案している。このモデリングにより、降雨や灌漑に伴う水田での湛水深変化を明示的に表現することに成功している。開発された鬼怒・小貝モデルは、人為的影響の少ない上流域だけでなく、水田灌漑が活発に行われ、灌漑期には人為的影響が卓越する中流域、下流域の流量観測点においても比較的良好に河川流況を再現している。また、地下水位変動についても変動傾向の定性的な再現を達成している。

 第5章では、本研究の成果がまとめられ、今後の課題が述べられている。

 以上、流域水循環の与件となる水資源量が長期的に変動しているなかで、長期的な水資源量の変動を評価できる水文流出モデル(月水収支モデル)、水資源の空間的な動態を把握・分析できる水文流出モデル(グリッド型流出モデル)の開発を行い、地目別に配置した1段タンクモデルが地下水位変動の再現性の向上に寄与していることが示され、そのモデリングの有効性が検証されている。このように、本研究は分布型流出モデルの重要性を示すなど、学術上寄与するところが大きい。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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