学位論文要旨



No 216674
著者(漢字) 小林,哲人
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,テツト
標題(和) マウス喘息モデルの研究 : 新規モデルの開発と責任細胞の同定
標題(洋) Experimental asthma in murine : identification of a sensitive strain and responsible cells
報告番号 216674
報告番号 乙16674
学位授与日 2007.01.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16674号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 喘息は気道における慢性の炎症であり、好酸球の浸潤、気道上皮の剥離、それに伴う種々の刺激に対する気道反応性の亢進(気道過敏性)などによって特徴づけられる疾患である。疾患の発症には遺伝的な要因に加え、抗原に繰り返し暴露される事による炎症性の免疫反応が大きな役割を果たすと考えられている。我々はこれらのヒト喘息に特徴的な臨床症状を示すマウスの喘息モデルを確立し、気道過敏性が成立するメカニズムを明らかにする事を目的として研究を行なった。まず、アトピー性皮膚炎のモデルとして知られているNCマウスの気道反応性を調べ、喘息モデルとしての可能性を追求した。続いて、抗原誘発による喘息モデルにおける気道過敏性の成立に関与する細胞の同定を試みた。

マウス喘息モデル

 病態解析あるいは薬効評価に動物モデルは重要な役割を果たしてきた。これまで、喘息のモデル動物としてはモルモットが広く用いられてきた。しかし近年、マウスにおいても抗原刺激を繰り返し行うことにより好酸球の浸潤や気道過敏性が誘導できる事が知られるようになり、喘息モデルとして広く用いられている。マウス喘息モデルは各施設において異なるプロトコールで実施されている。我々は、免疫時の抗原量や免疫間隔などを検討し、短い実験期間で多量の好酸球浸潤が見られる条件を見出し、以下に示すプロトコールを確立した。

 BALB/cマウスに10 μgの卵白アルブミン(OVA)と1 mgのalumの混合物を腹腔内に免疫し(day 0)、day 5に同様の条件で追加免疫を行なう。続いてday 12、day 16、day 20に0.5%のOVA溶液を1回あたり10分間吸入させ、気道系で炎症を惹起する。最終抗原吸入の24時間後に気道反応性の測定と肺胞洗浄液の回収を行なう。気道反応性の測定は、Konzett and Rosllerの方法を用いる。このような条件で抗原の免疫と吸入を行なうと、アセチルコリンに対する気道反応性の上昇、すなわち気道過敏性が認められ、肺胞洗浄液中には顕著な好酸球の浸潤とリンパ球や好中球の浸潤が認められる。また、末梢血中にはOVA特異的なIgE抗体とIgG1抗体が検出され、肺胞洗浄液では、IL-4やIL-5などのTh2型のサイトカインも検出される。以上の現象は、ヒトの喘息の病態に極めて類似していると言える。

NCマウスにおける先天的気道過敏性と抗原誘発による気道過敏性の亢進

 NCマウスは近年、アトピー性皮膚炎の自然発症モデルとして注目を集めているが、喘息モデルとしての可能性は未知数である。そこで我々はNCマウスの気道反応性について調べた。初めに、in vitroでNCマウスの摘出気道のアセチルコリン、セロトニンに対する反応性を他系統のマウス(A/J,BALB/c,C57BL/6)と比較した。アセチルコリンに対し、NCマウスの気道はBALB/cとC57BL/6マウスのそれと比べて強い収縮を示した。その程度は先天的に気道の反応性が亢進していると報告されているA/Jマウスと同程度であった。セロトニンはアセチルコリンよりも気道を収縮する作用が弱いものの、BALB/c、C57BL/6と比べてNCマウスとA/Jマウスで強い気道の収縮が観察された。続いてin vivoにおけるマウスのアセチルコリンに対する気道の反応性について検討した。その結果、NCマウスはin vivoでもA/Jマウスと同程度の強い気道反応性を示す事が明らかとなった。続いて、抗原の免疫と吸入によって気道の反応性がどのように変化するのかをBALB/cマウスと比較した。抗原(OVA)の免疫と吸入は前述の様に行なった。NCマウスでは無処置マウスと比較して抗原の免疫と吸入を行なう事によってOVA特異的IgEの産生と好酸球を主体とした炎症性細胞の集積が肺においてみられ、その程度はBALB/cマウスと同程度であった。また、BALB/cマウスでは無処置マウスと比較して抗原の免疫と吸入によって気道の反応性が増大した。NCマウスはBALB/cマウスに比べるとその程度は低いものの、抗原の免疫と吸入によって気道の反応性がさらに亢進する事が明らかとなった。以上の結果より、NCマウスは先天的気道過敏性のみならず、抗原の免疫と吸入による気道反応性の亢進も見られる事が明らかとなった。

マウス喘息モデルにおける好酸球とマスト細胞の役割

 続いて抗原の免疫と吸入によって誘導される気道過敏性の成立における炎症性細胞の役割について検討した。好酸球の浸潤は喘息の増悪因子として注目されている。そこでまずこの好酸球の関与について検討した。好酸球の分化・増殖に重要な役割を果たしているサイトカイン、IL-5に対する抗体(TRFK-5)を投与し、抗原の免疫と吸入によって誘導される肺への好酸球の浸潤と気道過敏性について調べた。抗体は各吸入の2時間前に3 μg/mouseあるいは30 μg/mouseをi.p.で投与した。肺への好酸球浸潤は3 μg/mouseの抗IL-5抗体の投与で抑制傾向を示し、30 μg/mouseの抗IL-5抗体の投与でほぼ完全に抑制された。しかし、気道過敏性については好酸球浸潤を完全に抑える用量である30 μg/mouseの投与でも全く抑制されなかった。以上の結果より、気道過敏性の成立に好酸球が関与しない事が明らかとなった。続いてマスト細胞の関与について、マスト細胞欠損マウス(WBB6F1/ W/Wv)とそのコントロールマウス(WBB6F1 +/+)を用いて比較検討した。抗原の免疫と吸入はこれまでと同様に行なった。肺への好酸球の浸潤と肺胞洗浄液中のIL4、IL-5の濃度および末梢血中のOVA特異的IgE、IgG1の濃度についてはマスト細胞欠損マウスとコントロールマウスとの間に差異は認められなかった。ところが気道反応性については、マスト細胞欠損マウスでは亢進が認められず、気道過敏性の成立にマスト細胞が関与している可能性が示唆された。W/Wvマウスはstem cell factor (SCF)のレセプターであるc-kitに変異があり、その影響は他の血球系細胞、例えば赤血球などにも及ぶ事が知られている。そこでマスト細胞の関与を確実に証明する為に、+/+マウスからマスト細胞を誘導し、それをW/Wvマウスに移入する事によって気道反応性が亢進するのかどうか検討した。培養マスト細胞(BMMC)は+/+マウスの骨髄細胞をIL-3 (10 ng/ml)存在下にて5週間培養する事によって得た。その培養マスト細胞2×107個をi.v.にてW/Wvマウスに移入し、マスト細胞再構成マウス(W/Wv+BMMC)を作製した。移入4週間後から抗原の免疫を開始した。マスト細胞再構成マウスの肺をカルノア固定し、トルイジンブルーで染色したところマスト細胞の存在が確認された。抗原の免疫と吸入による肺胞洗浄液中の炎症性細胞の浸潤については、3種類のマウス、即ちW/Wv、+/+、W/Wv+BMMCの間で差は認められなかった。気道の反応性については、これまでと同様にW/Wvマウスでは有意な気道反応性の亢進はみられず、+/+マウスで有意な気道反応性の亢進が認められた。注目されるのはマスト細胞を再構成したW/Wv+BMMCマウスであるが、W/Wv+BMMCマウスでは+/+マウスと同程度の気道反応性の亢進が認められた。以上の結果より、我々のマウス喘息モデルではマスト細胞が気道過敏性の成立に中心的役割を果たしている事が明らかとなった。

 マウス喘息モデルにおけるマスト細胞の役割については他のグループからも報告されている。Takedaらは我々と同じくW/Wvマウスを用いて検討を行った。彼らの結果ではW/Wvマウスでも+/+マウスと同程度の気道反応性の亢進が認められ、気道過敏性の成立にマスト細胞は必要無いと結論づけている。なぜ異なる結論に至ったのか。可能性として、抗原の免疫方法や吸入方法、気道過敏性の測定方法の違いが挙げられる。そこで、我々は抗原の吸入条件を強くした場合、気道反応性がどのように変化するか調べた。抗原の吸入は1% OVAをday 12, 14, 16, 18, 20に1回あたり30分間、1日に3回吸入させた。その結果、W/Wvマウスでも+/+マウスと同等の気道過敏性が誘導される事が明らかとなり、実験条件によってはマスト細胞の関与が無くても気道過敏性が成立しうる事を明らかにした。以上により、我々が確立した喘息モデルでは気道過敏性の成立に好酸球の関与は少ないこと、マスト細胞欠損マウスでは気道過敏性が生じず、マスト細胞欠損マウスにマスト細胞を再構成する事によって気道過敏性が生じたことからマスト細胞の関与が証明された。また、実験条件によってはマスト細胞が関与しない気道過敏性が起こりうることを明らかにした。

まとめ

 以上より、我々はNCマウスが先天的気道過敏性を有し、抗原の免疫と吸入によりさらにそれが亢進する事を明らかにした。先天的気道過敏性にはT細胞やIL-9などの関与が示唆されているものの、先天的気道過敏性と抗原の暴露によって誘導される喘息との関わりは良く分かっていない。NCマウスは先天的に気道過敏性を有し、しかも抗原の免疫と吸入によってさらにその亢進が見られるので、それらの関わりについて調べるのに適している系だと言える。また、我々は抗原の免疫と吸入による気道過敏性の成立にマスト細胞が重要な役割を果たしていることを証明した。従って、我々の喘息モデルはマスト細胞を標的とした抗喘息薬の薬効評価に適した実験モデルとして有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は「マウス喘息モデルの研究:新規モデルの開発と責任細胞の同定」と題し、ヒト喘息に特徴的な症状を示すマウス喘息モデルを開発し喘息をはじめとする気道過敏症発症においてどの細胞が重要であるかを明らかにし、治療薬開発の基礎として確立したか結果を述べたものである。喘息は気道における慢性の炎症であり、好酸球の浸潤、気道上皮の剥離、それに伴う種々の刺激に対する気道反応性の亢進(気道過敏性)などによって特徴づけられる。疾患の発症には遺伝的な要因に加え、抗原に繰り返し暴露される事による炎症性の免疫応答が大きな役割を果たす。本論文は4部から成り、General Introductionとして気道過敏症のメカニズムの概観が、第1章にアトピー性皮膚炎のモデルとして知られているNCマウスの気道反応性を調べて喘息モデルとしての可能性を追求した結果が、第2章に抗原誘発による喘息モデルにおける気道過敏性の成立に関与する細胞の同定を試みた結果が、General Conclusionにこれらの研究の位置付けが述べられている。

 第1章では、まず、マウスにおいて比較的簡便にまた抗原感作後早期に喘息用症状を起こす実験系を確立した。マウス腹腔内に卵白アルブミンとalumの混合物を投与して免疫し、5日後に同様の条件で追加免疫を行なった。12、16、及び20日後に0.5%のOVA溶液を吸入させ、気道系で炎症を惹起した。抗原の免疫と吸入を行なうと、アセチルコリンに対する気道反応性の上昇、すなわち気道過敏性が認められ、肺胞洗浄液中には顕著な好酸球の浸潤とリンパ球や好中球の浸潤が認められた。末梢血中には抗原特異的なIgE抗体とIgG1抗体が検出され、肺胞洗浄液では、IL-4やIL-5などのTh2型のサイトカインも検出され、ヒトの喘息の病態に極めて類似していた。次に、アトピー性皮膚炎の自然発症モデルとして注目を集めているNCマウスが喘息モデルとして有用であるかどうかを、先天的な気道過敏症と抗原投与後に見られる抗原特異的な過敏症に関して他の系統のマウスと比較した。NCマウスの摘出気道のアセチルコリン、セロトニンに対する反応性を他系統のマウス(A/J、BALB/c、C57BL/6)と比較した。アセチルコリン、セロトニンに対し、NCマウスの気道はBALB/cとC57BL/6マウスのそれと比べて強い収縮を示した。その程度は先天的に気道の反応性が亢進していると報告されているA/Jマウスと同程度であった。続いてin vivoにおけるマウスのアセチルコリンに対する気道の反応性について検討した。その結果、NCマウスはin vivoでもA/Jマウスと同程度の強い気道反応性を示す事が明らかとなった。抗原の免疫と吸入によって気道の反応性がどのように変化するのかをBALB/cマウスと比較した。NCマウス、BALB/cマウスともに無処置マウスと比較して抗原の免疫と吸入を行なう事によってOVA特異的IgEの産生と好酸球を主体とした炎症性細胞の集積が肺においてみられた。また、NCマウス、BALB/cマウスでともに無処置マウスと比較して抗原の免疫と吸入によって気道の反応性が増大した。NCマウスはBALB/cマウスに比べるとその程度は低いものの、抗原の免疫と吸入によって気道の反応性がさらに亢進した。すなわち、NCマウスは先天的気道過敏性のみならず、抗原の免疫と吸入による気道反応性の亢進も見られ、喘息モデルとして有用であることが判明した。

 第2章では、マウス喘息モデルにおける好酸球とマスト細胞の役割を比較した結果が述べられている。好酸球の浸潤が喘息の増悪因子として注目されているので、その関与が検討された。好酸球の分化増殖に重要な役割を果たしているサイトカインであるIL-5に対する抗体(TRFK-5)をマウスに投与した際に見られる、あらかじめ感作した抗原の吸入によって誘導される肺への好酸球の浸潤及び気道過敏性への影響が詳細に検討された。肺への好酸球浸潤は3 μg/mouseの抗IL-5抗体の投与で抑制傾向を示し、30 μg/mouseの抗IL-5抗体の投与でほぼ完全に抑制された。しかし、気道過敏性については好酸球浸潤を完全に抑える用量である30 μg/mouseの投与でも全く抑制されなかった。以上の結果より、気道過敏性の成立に好酸球が関与しない事が明らかとなった。続いてマスト細胞の関与について、マスト細胞欠損マウス(WBB6F1 W/Wv)とそのコントロールマウス(WBB6F1 +/+)を用いて比較検討した結果が述べられている。肺への好酸球の浸潤と肺胞洗浄液中のIL-4、IL-5の濃度および末梢血中のOVA特異的IgE、IgG1の濃度についてはマスト細胞欠損マウスとコントロールマウスとの間に差異は認められなかった。気道反応性については、マスト細胞欠損マウスでは亢進が認められず、気道過敏性の成立にマスト細胞が関与している可能性が示唆された。W/Wvマウスはstem cell factor (SCF)のレセプターであるc-kitに変異があり、その影響は他の血球系細胞、例えば赤血球などにも及ぶ事が知られていた。そこでマスト細胞の関与を確実に証明する為に、+/+マウスから骨髄由来培養マスト細胞を誘導し、それをW/Wvマウスに移入する事によって気道反応性が亢進するのかどうかが検討するという実験が行われた。骨髄由来培養マスト細胞を+/+マウスの骨髄細胞をIL-3 (10 ng/ml)存在下にて5週間培養する事によって得、その培養マスト細胞2×107個を静脈注射にてW/Wvマウスに移入し、マスト細胞再構成マウスを作製した。移入4週間後から抗原の免疫を開始した。マスト細胞再構成マウスの肺では組織化学的にマスト細胞の存在が確認された。抗原の免疫と吸入による肺胞洗浄液中の炎症性細胞の浸潤については、3種類のマウス、即ちW/Wv、+/+、マスト細胞再構成マウスの間で差は認められなかった。気道の反応性については、これまでと同様にW/Wvマウスでは有意な気道反応性の亢進はみられず、+/+マウスで有意な気道反応性の亢進が認められた。骨髄由来培養マスト細胞を移入再構成したマウスでは、+/+マウスと同程度の気道反応性の亢進が認められた。以上の結果より、このマウス喘息モデルではマスト細胞が気道過敏性の成立に中心的役割を果たしている事が明白となった。抗原の吸入条件を強くして気道反応性がどのように変化するか調べた結果、W/Wvマウスでも+/+マウスと同等の気道過敏性が誘導される事が明らかとなり、実験条件によってはマスト細胞の関与が無くても気道過敏性が成立しうる事も明らかにされた。

 以上の様に学位申請者はNCマウスが先天的気道過敏性を有し、抗原の免疫と吸入によりさらにそれが亢進する事を明らかにした。先天的な気道過敏性と抗原の暴露によって誘導される喘息との関わりは良く分かっていなかったので、NCマウスはこれを解明するのに適切なモデルであることが明らかになった。抗原の免疫と気道からの吸入投与による気道過敏性の成立にマスト細胞が重要な役割を果たしていることを証明した。この喘息モデルはマスト細胞を標的とした抗喘息薬の薬効評価に有用である。これらの結果は、免疫病理学及び創薬生物学に寄与するものである。よって、本研究を行なった小林哲人は博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと判断した。

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