学位論文要旨



No 216686
著者(漢字) 市川,忠史
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,タダフミ
標題(和) ビデオプランクトンレコーダーを用いた親潮域 : 黒潮親潮移行域におけるメソ動物プランクトン群集構造の解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 216686
報告番号 乙16686
学位授与日 2007.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16686号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 助教授 津田,敦
内容要旨 要旨を表示する

 動物プランクトン群集は,海洋生態系において物質輸送,生物生産および魚類資源加入における仲介者として重要な役割を担う.動物プランクトンの現存量を把握し,分布構造と群集構造を明らかにすること,さらに,変動機構を解明して他生物への影響を明らかにしていくことは,海洋生態系の研究や水産資源の研究において重要な課題である.しかし,従来行われてきたプランクトンネットによる採集だけでは,脆弱な動物プランクトンの正確な現存量の把握,あるいは詳細な分布構造の解明は困難であり,また採集試料のデータ化に時間と労力を要する問題もあった.

 本研究では,このようなプランクトン研究における問題解決のため,国内では使用例がない画像記録系測器であるビデオプランクトンレコーダー(VPRII)を用いた観測および解析手法の確立を行った.また,本州東方海域のメソ動物プランクトン群集を対象に,VPRIIで記録された画像データとプランクトンネットによる採集結果を比較し,それぞれの長所・短所を検討した.さらに,水産資源的に,かつ環境変動に関わる物質循環の観点から重要な海域と考えられる親潮域,黒潮・親潮移行域において,魚類仔稚魚やカイアシ類などの捕食者として重要なクラゲ類,クシクラゲ類の正確な現存量をVPRIIを用いて見積もるとともに,カイアシ類を中心としたメソ動物プランクトンの詳細な鉛直分布構造の解析を行い,メソ動物プランクトンの群集構造ならびに生物相互関係について考察した.

1. VPRIIにおける画像取得パラメーターの特性

 VPRIIを用いてゼラチン質プランクトンの画像を確実に記録するため,画像取得過程において重要な2パラメーター(Segmentation Threshold;以下Seg-T,Sobel Threshold;以下Sob-T)の特性を把握し,また,VPRIIが記録した一定空間の体積(視野体積)の正確な算出法および合焦画像の選択手法を検討するため,カイアシ類と管クラゲを用いた室内実験を行った.

 実験の結果,Seg-TおよびSob-Tがカイアシ類はそれぞれ160以上と70以上,管クラゲは130以上と80以下の場合,合焦画像のみ記録されること,この時のパラメーターはカイアシ類と管クラゲで異なることが明らかになった.従って,複数の分類群の画像を確実に記録するためは,非合焦画像も含め広い範囲で記録できるようなSeg-TおよびSob-Tの条件が不可欠であることが示された.そこで非合焦画像を含むプランクトン画像から一定の視野体積内にある合焦画像のみ選択するため,客観的な数値として得られた画像の輝度階調の値を用いてカメラからの距離および合焦の適否を判断する手法を開発した.本研究では画像の輝度階調の最大値が150以上の場合に合焦した画像と判断された.本研究により画像記録パラメーターの特性が明らかになり,さらに一定の視野体積内の画像を客観的な判断基準により選択することで精度の高い動物プランクトン定量化が可能となった.

2. メソ動物プランクトン個体数密度把握におけるVPRIIとMOCNESSとの比較

 VPRIIで得られた動物プランクトン個体数密度の有効性を検討するため,2003年7月に本州東方の黒潮・親潮移行域に設定した測点において,VPRIIで記録された画像とMOCNESSで採集された動物プランクトンの個体数密度を比較した.また,VPRII画像の自動解析結果と肉眼による計測結果を比較し,主要な分類群について自動解析結果からプランクトンの主要部位の長さを求める換算式を作成した.

2-1. VPRIIとMOCNESSの個体数密度の比較

 プランクトンが検出されない確率(P(nd))が0.05以下について検討した結果,MOCNESS採集において物理的な破損を受けにくいと考えられたカイアシ類の個体数密度はVPRIIとMOCNESSの間で有意な正の相関(n=29, p<0.5)が得られた.一方,脆弱な放散虫類,ヒドロクラゲ類およびクシクラゲ類の個体数密度は手法間に有意な相関がなくVPRIIで高い傾向を示した.特に,ヒドロクラゲ類およびクシクラゲ類は常にVPRIIの個体数密度が高く,ネット採集による物理的な破損や固定による溶解・収縮の影響を受けやすい分類群に対し,VPRIIを用いた観測が有効であることが示された.これに対し毛顎類の個体数密度はMOCNESSよりVPRIIで低く,逃避による影響の結果と推察された.管クラゲ類,サルパ・ウミタル類および尾虫類の個体数密度はVPRIIが高い場合,逆にMOCNESSが高い場合のいずれも観測され,一定の傾向は認められなかった.これは,群集団の形成などプランクトンの分布形態による影響あるいはVPRIIの照明の問題で透明性の高い個体が記録されなかった結果と考えられた.

2-2. VPRIIによるヒドロクラゲ類,クシクラゲ類の個体数密度の把握

 2003年7月の黒潮・親潮移行域においてVPRIIで記録されたヒドロクラゲ類の25-500m層の個体数密度は0.8〜1.3m(-3),クシクラゲ類の個体数密度は0.5〜0.8m(-3)であった.ヒドロクラゲ類の個体数密度はVPRIIがMOCNESSより2.2〜4.5倍高かった.VPRIIで記録されたヒドロクラゲ類は全個体数の89%が傘幅10mm以下,クシクラゲ類は87%が体長5mm以下の個体であった.MOCNESS採集試料から3mm以下の個体は確認できず,従来のプランクトンネット採集は特に小型個体が過小評価となっていたことが示された.ヒドロクラゲ類のカイアシ類に対する個体数密度の割合はMOCNESSが3%,VPRIIが7〜16%であり,VPRIIがMOCNESSより最大5倍高かった.またクシクラゲ類のカイアシ類に対する個体数密度の比がヒドロクラゲ類のそれに匹敵するほど高い場合もあった.

3. VPRIIを用いた親潮域および黒潮・親潮移行域中表層におけるメソ動物プランクトンの現存量および鉛直分布特性の把握

 2003年7月および2004年6月に本州東方の親潮域および黒潮・親潮移行域においてVPRIIによる観測ならびにプランクトンネットによる層別採集を行い,従来のネット採集では過小評価されてきたクラゲ類,クシクラゲ類の現存量を正確に見積もった.さらに,カイアシ類を中心とした動物プランクトン群集の詳細な鉛直分布構造を把握し,水塊構造が動物プランクトン群集に与える影響および生物相互関係について考察した.

3-1. ヒドロクラゲ類,クシクラゲ類の鉛直分布および現存量

 ヒドロクラゲ類,クシクラゲ類の鉛直分布はカイアシ類とは異なり断続的であった.ヒドロクラゲ類の分布極大層は北太平洋中層水(NPIW)の指標とされる26.6σθより深い深度に形成され,密度躍層以浅(表層)には分布極大層が認められなかった.クシクラゲ類の分布極大層は表層およびNPIWのいずれにも認められた.表層のクシクラゲ類の分布極大層は蛍光光度の極大層直下に認められ,餌料環境との関係が推察された.VPRIIとプランクトンネット双方のデータを用いて採集層別に見積もったクラゲ類・クシクラゲ類の平均現存量は0.002〜0.106mgCm(-3)(平均±標準偏差=0.035±0.031, n=40)であった.この値はプランクトンネットの結果のみを用いて見積もった場合に較べ平均14倍高く(0.3〜260, 標準偏差=43.8, n=40),従来のネット採集結果が過小評価であったことが示された.クラゲ類現存量のカイアシ類現存量に対する割合は0.01〜5.13%となった.1%以上となった分布層は全てNPIW内にありヒドロクラゲ類またはクシクラゲ類の分布極大層と一致した.カイアシ類の日間生産速度に対するクラゲ類の日間餌料要求量の割合は1.5%〜5.4%の範囲であった.クラゲ類は群集団を形成する可能性が高く,分布極大層では他の生物群に対してより大きな影響を及ぼすと考えられた.

3-2. カイアシ類を中心とした表層〜中層におけるメソ動物プランクトン鉛直分布特性

 カイアシ類および懸濁粒子の鉛直分布の極大層は,密度躍層以浅の表層では蛍光光度の極大層直下に認められ,カイアシ類の分布と餌料環境との関係が推察された.密度躍層以深の中層におけるカイアシ類の分布極大層は,塩分または水温極小以深(26.7σθ以深)のNPIW内に存在した.NPIW内で最も浅い深度に出現したカイアシ類の分布極大層は,VPRIIの1キャストを除き,26.8σθ付近に出現した.また,水塊の水平貫入(または移流)があったと考えられた水塊の直下に分布の極大層が出現する傾向が認められた.放散虫類もNPIW内で同様な分布が認められた.懸濁粒子の鉛直分布ならびに過去の研究事例から検討した結果,中層におけるカイアシ類の分布深度は餌料環境と関係した可能性が高いこと,また放散虫,懸濁粒子と同様に,カイアシ類の鉛直分布構造も水塊構造による影響を受けていた可能性が指摘された.中層においても深度または水塊構造ごとに群集構造の解析が必要と考えられた.

 以上,本研究では,VPRIIの画像取得パラメータの特性を明らかにし定量性の高いデータを得るための手法を開発するとともに,クラゲ類,クシクラゲ類を中心とした脆弱な動物プランクトンの現存量の把握およびメソ動物プランクトンの詳細な分布構造の把握にVPRIIを使った観測が有効であることを示した.また,VPRIIとプランクトンネット採集の双方の結果を用いることで動物プランクトンの詳細な鉛直分布構造と脆弱なプランクトンの現存量に関する新たな知見が得られ,新たな視点から動物プランクトン群集構造を解析できる可能性を示した.

審査要旨 要旨を表示する

 海洋生態系において物質輸送,生物生産および魚類資源加入における仲介者として重要な役割を担う動物プランクトン現存量を把握し,分布・群集構造を明らかにすることは重要課題である.従来のプランクトンネット採集では脆弱な動物プランクトンの正確な現存量や詳細な分布構造の把握は困難であり,採集試料のデータ化に時間と労力を要する問題もあった.本研究では,国内では使用例がないビデオプランクトンレコーダー(VPRII)を用いた観測および解析手法を確立し,その結果を用いて捕食者として重要なクラゲ類,クシクラゲ類の正確な現存量ならびにカイアシ類を中心としたメソ動物プランクトンの詳細な鉛直分布構造を解明し,メソ動物プランクトンの群集構造ならびに生物相互関係について考察することを目的とした.

第1章ではVPRIIにおける画像取得条件の特性を把握し,定量性の高いデータの取得に必要な手法を検討するためカイアシ類と管クラゲを用いた室内実験を行い、両者間の合焦画像の取得条件が異なること,複数の分類群の画像を確実に記録するために非合焦画像も含めて記録する設定が不可欠であることが解明された.非合焦画像を含むプランクトン画像から一定の視野体積内にある合焦画像を選択するため,客観的な数値として得られた画像の輝度階調の値を用いてカメラからの距離および合焦の有無を判断する手法を開発し、また一定の視野体積内の画像を客観的に選択する手法を開発することで定量性の高いVPRIIのデータ取得が可能となった.

第2章では個体数把握におけるVPRIIの有効性を検討するため,親潮域〜黒潮・親潮移行域においてVPRIIで記録された画像とMOCNESSで採集された動物プランクトン個体数密度を比較した.ネット採集で破損が少ないカイアシ類個体数密度は両者の間に有意な正の相関(n=29,p<0.5)が得られた.一方,脆弱なヒドロクラゲ・クシクラゲ類は常にVPRIIで個体数密度が高く,ネットに対するVPRIIの優位性が示された.これに対し毛顎類,管クラゲ類,サルパ・ウミタル類および尾虫類の個体数密度はVPRIIが高い場合,逆にMOCNESSが高い場合のいずれも観測され,プランクトンの分布性状や逃避行動の影響,あるいはVPRIIの視野や照明など技術的問題が影響したと考えられた.

第3章ではVPRIIとプランクトンネット双方のデータを用いて親潮域〜黒潮・親潮移行域のクラゲ・クシクラゲ類の正確な現存量を見積もった.層別の平均現存量は0.002〜0.106mgCm(-3)(平均±標準偏差=0.035±0.031,n=40)で,ネットの結果のみを用いた場合より平均14倍高く(0.3〜260,標準偏差=43.8,n=40),従来のネット採集結果が過小評価であったことが示された.カイアシ類現存量に対するクラゲ・クシクラゲ類現存量の割合は0.01〜5.13%であり,1%以上となった深度はヒドロクラゲ・クシクラゲ類の分布極大層と一致した.カイアシ類の日間生産速度に対するクラゲ類,クシクラゲ類の日間餌料要求量の割合は1.5%〜5.4%と低かったが,クラゲ類が群集団を形成した場合の影響は少なくないと推察された.

第4章では親潮域〜黒潮・親潮移行域においてクラゲ・クシクラゲ類とカイアシ類を中心とした動物プランクトン群集の詳細な鉛直分布構造を把握し,水塊構造が動物プランクトン群集に与える影響ならびに生物相互関係について考察した.カイアシ類の鉛直分布は連続的で表層と躍層以深の北太平洋中層水(NPIW)内に複数の分布極大層が存在したが,ヒドロクラゲ・クシクラゲ類の鉛直分布は断続的であった.NPIW内におけるカイアシ類分布極大層は塩分または水温極小以深(26.7σθ以深)に存在し,26.8σθ付近ならびに水塊の水平貫入(または移流)の可能性のある水塊直下に出現する傾向があった.放散虫類もNPIW内ではカイアシ類と同様な分布が認められた.懸濁粒子の鉛直分布ならびに過去の報告から検討した結果,中層におけるカイアシ類分布極大は放散虫,懸濁粒子と同様に水塊構造による影響を受けていた可能性が高く,また,餌料環境と関係していた可能性も指摘された.VPRIIを用いた観測により新たな視点から動物プランクトン群集構造を解析できる可能性が示された.

 以上、本論文はこれまで通常のネットでは採集が不可能であった脆弱な体をもつクラゲ類などの調査にビデオプランクトンレコーダーが大変有効な採集方法であることを、室内実験および野外観測により明らかにし、同時にメソ動物プランクトンの詳細な鉛直分布構造を定量的に解析したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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