学位論文要旨



No 216687
著者(漢字) 井上,直子
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ナオコ
標題(和) ブタ卵胞閉鎖時の顆粒層細胞アポトーシスにおける細胞死受容体系の役割
標題(洋) The roles of cell-death ligand and receptor systems for granulosa cell apoptosis during follicular atresia in porcine ovary
報告番号 216687
報告番号 乙16687
学位授与日 2007.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16687号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 哺乳類の卵巣には、出生時すでに何万〜百万という数の原始卵胞が含まれ、出生後も原始卵胞が作られ続けるにもかかわらず、生涯にわたり99%以上の卵胞が発育途上で選択的に閉鎖することで消滅してしまい、排卵されて次世代に受け継ぐことが可能な卵胞は1%未満である。近年この閉鎖過程には卵胞上皮細胞(顆粒層細胞)のアポトーシスが支配的に関与していることがわかってきたが、未だその分子制御機構は解明されていない。アポトーシスシグナルの伝達経路には様々なものが存在するが、その一つにcell-death ligand and receptorを介したものがある。Cell-death receptorはligandからのアポトーシスシグナルを細胞内に伝える細胞膜受容体で、細胞表層に存在し細胞内領域にdeath domain (DD) を持つ。特異的なcell-death ligandがcell-death receptorと結合すると、これに同様に分子内にDDを持つFas-associating death domain (FADD) やtumor necrosis factor (TNF) associated death domain (TRADD) 等のアダプタータンパクがDDを介して結合する。これらのアダプタータンパクは分子内にdeath effector domain (DED) を持っており、これを介してシステインプロテアーゼであるprocaspase-8を誘導してdeath inducing signal complexes (DISC) を形成する。ここでprocaspase-8は2量体を形成して活性化し、これが下流のcaspase等を分解することで活性化させてアポトーシスを実行する。ヒトやマウスにおいてはcell-death receptorを介したアポトーシスシグナル伝達経路であるFas ligand (FasL)/Fas系やTNFα/TNF receptor (TNFR) 系が卵巣で発現していることが報告されているが、その役割には不明な点が多い。重要な家畜であり多産であることが有用な形質とみなされているブタの卵巣においてはcell-death ligand/receptor系の役割についてほとんど研究されていないため、本論では卵胞閉鎖に焦点をあてて究明した。

 私の研究グループは、ブタ卵胞顆粒層細胞においてcell-death ligand系のひとつであるTNFαを介してアポトーシスシグナルを伝達するTNFR1が発現せず、細胞生存・増殖シグナルを伝達するTNFR2のみが発現していることを見出し、TNFαがブタ卵胞においては生存因子として働いていることを明らかにした。この知見は卵胞閉鎖に関わるcell-death ligand/receptor系に種属差があることを示唆する。そこで本研究ではブタ卵胞閉鎖に関わるcell-death ligand/receptor系を検索し、それらの顆粒層細胞アポトーシスにおける役割を調べた。

 第1章ではtumor necrosis factor-related apoptosis-inducing ligand (TRAIL) とTRAIL receptor (TRAILR) のブタ卵胞における発現ならびにブタ顆粒層細胞におけるアポトーシス誘導能について調べた。ブタ卵巣組織におけるTRAILとそのレセプター (death receptor 4: DR4) の局在を免疫組織化学的に調べたところ、TRAILとDR4は顆粒層の基底膜側の細胞に局在し、TRAILは退行にしたがって発現が増加したが、DR4の大きな変化は見られなかった。Western blot法にてタンパク発現量の解析を行ったところ、TRAILの発現は卵胞閉鎖に伴って上昇したが、DR4はどの段階の卵胞においても等しく発現していた。RT-PCR法により顆粒層細胞におけるTRAIL mRNAの卵胞閉鎖に伴う推移を調べたところ、閉鎖に伴って発現が上昇した。さらにブタ初代培養顆粒層細胞を用いてTRAILのアポトーシス誘導能を調べた結果、TRAILを添加して共培養開始12時間後までは濃度および経過時間依存的にアポトーシスが誘導された。これらよりブタ卵胞の閉鎖時にTRAILが顆粒層細胞におけるアポトーシスの制御に関与し、TRAILは顆粒層細胞にアポトーシスを誘導できることが分かった。

 第2章では、はじめにFasL/Fas系のブタ卵巣組織における発現を免疫組織化学的に調べた。FasLは健常卵胞では発現しておらず、閉鎖を開始した卵胞の顆粒層細胞で発現し、閉鎖に伴って増加した。Fasは健常卵胞でもわずかに発現しており、退行閉鎖に伴って増加した。FasLとFasタンパクの発現をWestern blot法にて定量的に確認したところ、免疫組織化学的知見と同様にFasLは健常卵胞で発現しておらず閉鎖に伴って増加し、Fasも閉鎖に従って増加した。RT-PCR法によりFasLとFasのmRNA発現の推移を調べたところ、FasL mRNAは閉鎖に伴って増加し、Fas mRNAは退行初期に増加し、その後も高値であった。これらの結果に加えて下流の細胞内シグナル伝達因子であるcaspase-8およびcaspase-3の顆粒層細胞における発現は、閉鎖に伴って活性型caspase-8とcaspase-3の発現が増加するという私の研究グループの過去の知見より、ブタの卵胞においては閉鎖時FasLが顆粒層細胞の細胞膜に発現しているFasと結合することにより、アポトーシスが誘起されcaspaseカスケードが活性化され、細胞死を引き起こしていると考えられた。

 第3章では、cell-death ligand/receptorを介した細胞内アポトーシス伝達系について精査を進めるために、ブタFADDとprocaspase-8のクローニングを行い、アポトーシスシグナル伝達能について検討した。ヒトとマウスのFADDとprocaspase-8のDEDドメインをタグとしてESTデーターベースを検索してクローニングを進め、EST clones FADD (db8904657, GenBank accession no. BI32504) 、procaspase-8 (db9143457, GenBank accession no. BI336359) を得た。ブタFADDは全長636bp (211 aa) 、N末端にDED (1-81, 81 aa) を、C末端にDD (87-181, 95 aa) をもち、アミノ酸の相同性はヒトFADDに対して74.0%、マウスFADDに対して65.4%であった。ブタprocaspase-8は全長1431bp (476 aa) で、2つのDEDと、caspaseドメインから構成され、アミノ酸の相同性はヒトprocaspase-8に対して70.6%、マウスprocaspase-8に対して63.4%であった。Caspaseドメインの酵素作用部位はヒト、マウスおよびブタの間で高く保存されていた。このようにしてクローニングしたブタFADDとprocaspase-8のアポトーシスシグナル伝達機能について培養細胞を用いて検討した。リポフェクション法によりヒト子宮頸癌由来細胞株 (HeLa-K)、ヒト顆粒層細胞由来細胞株 (KGN)、マウス顆粒層細胞由来細胞株 (KK1)、ブタ顆粒層細胞由来細胞株 (JC410) にブタFADDまたはprocaspase-8発現ベクターを導入した。なお各発現ベクターには下流にenhanced green fluorescent protein (EGFP) 配列を組み込み、FADDまたはprocaspase-8が導入された細胞が蛍光を発するように設計した。FADDまたはprocaspase-8を発現させた細胞では生細胞数が激減していたが、caspaseインヒビターであるp35を共発現させた細胞では多くが生存していた。顆粒層細胞においてFADDならびにprocaspase-8は種をこえてアポトーシスシグナル伝達することが分かった。

 第1章から第3章の結果より、ブタ卵巣においてはTNFファミリーの一員であるTRAILならびにFasLが卵胞閉鎖時における顆粒層細胞のアポトーシス誘起機構に支配的に関与していること、これらリガンドが顆粒層細胞の細胞膜に発現しているレセプター (DR4やFas) にそれぞれ結合し、アダプタータンパク (FADD) を介して下流の細胞死実行因子であるprocaspase-8などのカスパーゼカスケードの活性化を誘導して、アポトーシスを完了させること、その結果として卵胞が閉鎖することが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

 成熟した哺乳類の卵巣には減数分裂を途中で停止している卵母細胞が数十万から数百万個含まれている。性周期毎に一定数の卵母細胞とそれを取り囲んで保育する顆粒層細胞からなる卵胞が発育を開始するが、排卵に至るまでに99%以上が選択的に閉鎖してしまい、排卵されて遺伝子を次世代に受け継がせることが可能なものは1%未満にすぎない。近年になってこの卵胞閉鎖の調節には顆粒層細胞におけるアポトーシスが支配的に関与していることがわかってきたが、未だにこれを制御している分子機構の詳細は明らかにされていない。申請者は、主要な家畜のひとつであり多産であることが有用形質であるブタを対象として、卵胞閉鎖時に顆粒層細胞に発現している細胞死受容体がそのアポトーシスにどのように係わっているのか調べた。

 齧歯類の卵胞顆粒層細胞ではアポトーシス誘導因子として作用するtumor necrosis factor(TNF)αがブタ卵胞では増殖因子として働いていることを申請者らは示した。すなわち、ブタ卵胞顆粒層細胞ではアポトーシスシグナルを伝達するTNF receptor(TNFR)-1が発現しておらず、逆に細胞増殖シグナルを伝達するTNFR-2のみが発現していることを見出した。そこで申請者はブタ卵胞の閉鎖に係わる細胞死リガンド-受容体系を検索し、tumor necrosis factor related inducing ligand(TRAIL)とその受容体(TRAIL receptor: TRAILR)およびFas ligand (FasL)とその受容体Fasがブタ顆粒層細胞においてアポトーシスを誘導しているドミナントな細胞死リガンド-受容体系であることを見出した。TRAIL-TRAILR系については次の知見を得た。すなわち、ブタ卵胞顆粒層細胞は腫瘍化していない健常細胞であるが、従来腫瘍化した細胞の死滅にのみ係わっていると考えられてきたTRAILおよびその受容体のひとつdeath receptor 4(DR4)と囮受容体(decoy receptor 2: DcR2)が発現していること、生化学および組織細胞化学的にこれらのmRNAとタンパクの発現と局在の卵胞の発育と閉鎖にともなう推移を調べたところ卵胞閉鎖にともなってTRAILの発現が上昇し逆にDcR2の発現が減少するがDR4は変化しないことなどがわかった。さらに初代培養ブタ顆粒層細胞を用いてTRAILにアポトーシス誘導能があること、DcR2を取り除くと極低用量のTRAILでもアポトーシスが誘導されることなどを示した。ついでFasL-Fas系についても同様に生化学および組織細胞化学的に卵胞の発育と閉鎖にともなうmRNAとタンパクの発現と局在の推移を調べ、FasLは健常卵胞の顆粒層細胞には発現しておらず閉鎖を開始した卵胞の顆粒層細胞にのみ発現しており発現量が閉鎖に伴って増加すること、受容体Fasは健常卵胞の顆粒層細胞でも発現しており発現量は閉鎖に伴って増加することなどを明らかとした。これらの知見を踏まえて細胞内アポトーシスシグナル伝達系を調べ、ブタ顆粒層細胞では特異的タンパク分解酵素であるprocaspase-8、procaspase-9、procaspase-3などが次々と活性化して下流の基質タンパクを部分分解することで活性化させてシグナルを伝達するcaspaseカスケード系を介してシグナルが伝達されていることを明らかとした。この研究過程で未だ全塩基配列が明らかでなかったブタのFas associating death domain(FADD)タンパク(リガンドと結合して活性化した受容体と結合してシグナルを下流に伝えるアダプタータンパク)とprocaspase-8(caspaseカスケードの上流に位置するタンパク分解酵素で基質タンパクBidを部分分解して活性化させる)のクローニングを行い、培養細胞を用いてこれらが種を超えてアポトーシスシグナル伝達機能を保存していることを示すとともに、顆粒層細胞はアポトーシスシグナルがBidを介して一度ミトコンドリアに伝わってチトクロームCを放出させてからprocaspase-9の活性化がおこるミトコンドリア依存性のII型アポトーシス細胞であることなどを明らかとした。

 このようにブタ顆粒層細胞においては腫瘍細胞のアポトーシスにのみ係わっていると考えられてきたTRAIL-TRAILR系が生理的細胞死である卵胞顆粒層細胞のアポトーシスの制御において重要な役割を果たしているという新規知見を含む申請者の研究業績をとりまとめた論文の内容および関連事項について試験を行った結果、審査委員一同が博士(農学)の学位を受けるに必要な学識を有する者と認め、合格と判定した。

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