学位論文要旨



No 216689
著者(漢字) 山中,隆史
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,タカシ
標題(和) ノイラミニダーゼ阻害薬による馬インフルエンザの化学療法に関する研究
標題(洋) Studies on the Chemotherapy with Neuraminidase Inhibitors for Equine Influenza
報告番号 216689
報告番号 乙16689
学位授与日 2007.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16689号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

 馬インフルエンザ(EI)は馬インフルエンザウイルス(EIV)の感染に起因する馬の急性呼吸器疾患である。典型的な臨床症状は、急性の発熱、咳嗽、鼻漏および沈うつ等であり、しばしば2次的な細菌性肺炎を招来する。EIVは伝染力が極めて強いことから、競馬場等の馬を密集させて繋養している施設に本ウイルスが侵入した場合には、感染が急速に拡大し、大きな経済的被害をもたらす。

 本研究の目的は、EIVが属するA型インフルエンザウイルスが増殖するために必要なノイラミニダーゼ(NA)の阻害薬がEIの化学療法剤として有用であるか否かを明らかにすることである。本論文は以下の3章より構成されている。

 第1章では、in vitroにおけるカルボン酸オセルタミビル(OC)およびザナミビル(ZA)のH7N7(1株)およびH3N8(11株)のEIVのNA活性および増殖性に対する抑制効果を検討した。OCおよびZAのNA活性に対する抑制効果は、フェツインを基質とする比色定量法により測定し、50%抑制濃度(IC(50))で表した。また、OCおよびZAの増殖性に対する抑制効果は、MDCK細胞を用いた50%プラック減少法により測定し、50%阻害濃度(EC(50))により表した。OCおよびZAのIC(50)は、それぞれ0.017-0.130μMおよび0.010−0.074μMの範囲にあった。両化合物間および株間のIC(50)に、10倍を越える様な明らかな相違が認められなかったことから、OCおよびZAは、概ね同程度にEIV株のNA活性を阻害することが明らかとなった。また、OCおよびZAのEC(50)は、耐性を示した1株(A/equine 2/Italy/5/91, それぞれ13.328μMおよび6.729μM)を除き、それぞれ0.015-0.097μMおよび0.016-0.089μMの範囲にあった。両薬物間および株間のEC(50)に、10倍を越える様な明らかな相違が認められなかったことから、OCおよびZAは、同程度に殆どのEIV株の増殖性を阻害することが明らかとなった。以上のことから、OCおよびZAは、同程度に殆どのEIV株のNA活性および増殖性を抑制することが示された。

 第2章では、EIVを実験的に感染させた馬を用いて、オセルタミビルの投与が実際に効果を発現するか否かを検討した。第1章において、OCおよびZAは、同程度に殆どのEIV株のNA活性および増殖性を抑制することが示された。従って、オセルタミビルおよびZAは、EIに対する予防および治療法に有用と思われた。しかしながら、ZAは気道に直接噴霧する必要があることから、獣医師は、患馬の呼気と投与のタイミングを一致させる必要があり、実際の臨床応用には困難を伴うと予測された。それゆえ、本章ではOCのプロドラッグであるオセルタミビルのみを対象とすることとした。9頭の軽種馬を対照群、治療群 [2mg/kg,1日2回,発熱(≧38.9℃)後5日間]および予防群(2mg/kg,1日1回,ウイルス接種1日前より5日間)の3群各3頭に分け、超音波吸入器を用いてウイルスを接種(A/equine 2/La Plata/93, 2×108 egg infectious dose (50)/20 ml)した。治療群におけるウイルス排泄および発熱期間(平均±標準偏差)は、それぞれ、2.3±0.6および2.0±1.0日であり、対照群(それぞれ、6.0±0.0および8.0±1.0日)に比較して明らかに短縮していた。予防群では、発熱およびウイルス排泄は防ぐことはできなかったものの、ウイルス排泄および発熱期間は、それぞれ、5.0±0.0および4.7±1.5日であり対照群に比較して短縮していた。また、ウイルス接種7日後に採取した全ての馬の気管支肺胞洗浄液から、2次的な細菌性肺炎の一般的な原因菌として知られるStreptococcus equi subsp. zooepidemicusが分離されたが、治療群および予防群の菌数は対照群の菌数よりも有意に少なかった。

 治療群のウイルス排泄期間が短縮していたことは、オセルタミビルによるEIの治療が、他馬へのウイルス拡散のリスクを減少させることを示唆している。したがって、オセルタミビルによるEIの治療は、馬を集団的に飼育管理している施設の衛生管理にとって、有意義なものと考えられた。また、ウイルス接種7日後における気管支肺胞洗浄液中の菌数が治療群および予防群において、対照群よりも減少していたことは、ウイルス増殖が抑制された結果、線毛の損傷が軽減されたことにより、上部気道からの細菌の流入が抑制されたことによると考えられた。EIの後遺症として肺の硬化症が挙げられるが、初期のウイルス感染よりも2次的な細菌性肺炎の方が主に関与していると考えられている。このことから、オセルタミビルによるEIの化学療法は個体管理の観点からも有意義であると考えられた。以上のことから、オセルタミビルの経口投与は、EIV感染によるウイルス排泄および発熱を抑制するだけでなく、2次的な細菌性肺炎の緩和に寄与することが示唆された。

 第3章では、人で推奨されているオセルタミビルの1回投与量(2mg/kg体重)を経口投与した後における馬血漿中のオセルタミビルおよび代謝活性体(OC)の薬物動態を調べた。経鼻食道カテーテルを用いて、6頭の軽種馬(1歳)にオセルタミビル(2mg/kg体重)を投与した。オセルタミビル投与後0, 0.25, 0.5, 0.75, 1.0, 1.5, 2, 3, 4, 5, 6, 8, 10, 12, 18, and 24時間(h)に血漿を採取し、血漿中のオセルタミビルおよびOCの濃度を測定し、それらの値に基づき薬物動態学的パラメーターの算出を行った。また、OCの馬血漿蛋白質との結合について限外濾過法により検討を試みたところ、殆ど結合しなかった(<1%)。さらに、3頭の軽種馬(1歳)に過剰量のオセルタミビル(6 mg/kg体重)を1日2回5日間経口投与し、健康状態を観察することによりオセルタミビルの安全性についても検討した。オセルタミビルの吸収速度定数は4.1 ± 2.1 h(-1)であり、オセルタミビルは、経口投与後速やかに消化管から血液中に吸収されることが示された。また、血液中のオセルタミビルは速やかにOCに変換され、オセルタミビル投与後1.7 ± 0.3 hで最高血漿中OC濃度(257.9 ± 0.3 ng/ml) に達した。しかしながら、OCの半減期は極めて短く(2.5 ± 0.4 h)、血漿中から速やかに消失することが示された。また、過剰量(6mg/kg体重)のオセルタミビルを5日間投与された馬に、異常な臨床所見を伴う健康状態の変化は観察されなかったことから、オセルタミビルは馬に安全に経口投与できることが示された。人医学において、OCは人血漿蛋白質と殆ど結合しないことから、オセルタミビルの投与量および間隔は、血漿中OCのトラフ濃度がin vitroにおいて求められたIC(50)およびEC(50)を下回らないことを根拠に設定されている。本研究においても、OCは馬血漿蛋白質と殆ど結合しないことが確認されたことから、馬においても、血漿中OCのトラフ濃度とIC(50)およびEC(50)の関係に基づいて、投与量および間隔を設定することが可能と考えられた。第1章において、著者は12株のEIVのIC(50)およびEC(50)は耐性を示した1株を除き、それぞれ0.017-0.130μM(4.8-36.9 ng/ml)および0.015-0.097μM(4.3-27.5 ng/ml)であることを示した。現在のところ、IC(50)あるいはEC(50)のどちらが、馬体における治療効果とより相関するかは不明であるが、オセルタミビルを馬に投与する場合には、血漿中OC濃度をIC(50)およびEC(50)の最高値である36.9 ng/mlを下回らないよう維持することが望ましいと考えられる。本研究において、オセルタミビル投与後10 hおよび12 hの血漿中OC濃度は、それぞれ37.2 および26.6 ng/mlであった。このことから、オセルタミビルの1回投与量を2mg/kg体重とした場合には、十分な血漿中OC濃度を維持するために投与間隔を10 h以内にする必要性が示された。

 以上の研究は、オセルタミビルの代謝活性体であるOCがEIVのNA活性およびウイルス増殖を抑制することを明らかにし、そのプロドラッグであるオセルタミビルの馬への経口投与が、EIV感染によるウイルス排泄および発熱を抑制するだけでなく、2次的な細菌性肺炎の緩和にも寄与することを示した。さらに、本研究はオセルタミビルの経口投与後のオセルタミビルおよびOCの馬血漿中における薬物動態についても検討し、適切な投薬プロトコールの構築の基礎となる知見を提供した。

審査要旨 要旨を表示する

 馬インフルエンザ(EI)は馬インフルエンザウイルス(EIV)の感染に起因する馬の急性呼吸器疾患である。本論文は、以下の3章より構成されており、EIVが属するA型インフルエンザウイルスが増殖するために必要なノイラミニダーゼ(NA)の阻害薬のEIの化学療法剤として有用性について研究したものである。

 第1章では、in vitroにおけるカルボン酸オセルタミビル(OC)およびザナミビル(ZA)のH7N7(1株)およびH3N8(11株)のEIVのNA活性および増殖性に対する50%NA活性抑制濃度(IC50)およびMDCK細胞を用いた50%ブラック形成阻害濃度(EC50)を測定した。その結果、OCおよびZAは耐性を示した1株を除き、NA活性抑制およびブラック形成阻害を示した。以上のことから、OCおよびZAは、殆どのEIV株のNA活性および増殖性をnMレベルで抑制することが示された。

 第2章では、EIVを接種した馬を用いて、オセルタミビルの投与が実際に効果を発現するか否かを検討した。第1章において、OCおよびZAの間にEIV株のNA活性および増殖性に対する抑制の程度に大きな差は認められなかったことから、OCのプロドラッグであるオセルタミビルのみを試験の対象とした。9頭の馬を対照群、治療群および予防群の3群各3頭に分け、EIV (A/equine 2/La Plata/93)を接種した。治療群の平均ウイルス排泄および発熱日数は、それぞれ、2.3日および2.0日であり、対照群(それぞれ、6.0日および8.0日)よりも明らかに短縮していた。予防群では、発熱およびウイルス排泄は防ぐことはできなかったが、平均ウイルス排泄および発熱日数は、それぞれ、5.0日および4.7日であり対照群よりも短縮していた。また、接種7日後に採取した全ての馬の気管支肺胞洗浄液から、Streptococcus equi subsp. zooepidemicusが分離されたが、治療群および予防群の菌数は対照群に比較して減少していた。

 第3章では、6頭の馬を用いて、オセルタミビル(2mg/kg)の消化管への投与後における馬血漿中におけるオセルタミビルおよびその代謝活性体(OC)の薬物動態を調べた。オセルタミビル投与1.7時間後に、血漿中OC濃度は最高濃度に達した。しかし、OCの半減期は極めて短く(2.5時間)、血漿中から速やかに消失することが示された。オセルタミビルを馬に投与する場合には、血漿中OC濃度をIC50およびEC50の最高値を下回らないよう維持することが望ましいと考えられる。このことから、オセルタミビルの1回投与量を2mg/kgとする場合には、必要な血漿中OC濃度を維持するために投与間隔を10時間未満にする必要性が示された。

 以上本論文は、オセルタミビルの代謝活性体であるOCがEIVのNA活性およびウイルス増殖を抑制することを明らかにし、そのプロドラッグであるオセルタミビルの馬への経口投与が、EIV感染によるウイルス排泄および発熱を抑制するだけでなく、2次的な細菌性肺炎の緩和にも寄与することを示した。さらに、OCの馬血漿中における薬物動態についても検討し、適切な投薬プロトコールの構築の基礎となる知見を提供したもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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