学位論文要旨



No 216690
著者(漢字) 小林,雅之
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,マサユキ
標題(和) 戦後日本における高等教育機会の均等性 : 高等教育政策と学生の選択・適応行動
標題(洋)
報告番号 216690
報告番号 乙16690
学位授与日 2007.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16690号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 矢野,眞和
 東京大学 教授 山本,清
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 小川,正人
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究目的と問題関心

 本研究の目的は,学生の選択・適応モデルという新しい分析枠組を用いて,高等教育機会の選択と学生生活を明らかにすることにより,戦後日本における高等教育の機会均等化政策を,包括的・実証的に検証し,今後の高等教育政策のあり方に寄与することにある。

 この目的を設定した本研究の基本的な問題関心は,「日本における学生援助制度の貧困」,「高等教育政策の理念と具体的な政策の関連の不明確さ」,「高等教育の実証研究の高等教育政策に対する有効性」の3つである。これらの研究目的と問題関心に基づき,以下の四つのテーマに関して分析を行う。

(1)高等教育の機会均等化政策・制度と,それらに関する研究をアメリカを中心とする先進国と日本と比較して検討し,政策と制度の日本的特質を明らかにするとともに,残された研究課題を確定する(第2章)。

(2)高等教育のマス化にともなう高等教育システムの構造変容と高等教育政策・計画とりわけ高等教育の機会均等化政策の展開と帰結を解明し,その評価を行う(第3章)。

(3)高等教育機会の選択とその格差の要因をマクロ・ミクロの選択モデルによって実証的に明らかにする(第4章)。

(4)学生生活を適応モデルによって分析し,高等教育の機会と学生生活に対する学生援助の効果と限界を明らかにする(第5章)。

2. 分析枠組みとデータ

 本研究では,学生の選択・適応行動について,3ステップ・モデルを用いて分析を行う。第1のステップは,高校卒業後,進学か非進学かの選択である。第2のステップは,進学を前提として,大学や専攻あるいは居住形態(自宅,寮,アパート)など,どのような高等教育機会を選択するかというステップである。第3のステップは,入学後にどのような学生生活を送るか,具体的には,学習,レジャー,アルバイトなどの生活活動の選択である。学生生活は居住形態など学生の選択によって大きく規定されているものの学生の意思によって大きく変更することもできるので,これを選択ではなく「適応」と呼ぶことにする。

 第1ステップの進学機会と第2ステップの高等教育機会の格差と学生援助の効果を,家計所得や家計所在地などの家計特性,学力など学生特性,さらに国立・私立,専攻,大学所在地など学生の在学する大学特性,さらに,家計・学生の特性と大学の特性のマッチングを考慮した選択モデルにより分析する。また,適応モデルにより学生生活費を通じて,第3ステップの学生生活の適応状況と学生援助の効果を分析する。

 本研究で用いる主要なデータは,文部科学省「学校基本調査」などのマクロデータと文部科学省「学生生活調査」やアメリカ教育省National Center for Education StatisticsのIntegrated Postsecondary Education Data System (IPEDS)などのミクロデータである。

3. 本研究の主な知見

 本研究の主な知見は以下の通りである。

3.1. 学生援助制度の日本的特質

 先進国では,高等教育機会の均等化のために,高等教育の公的供給や低授業料政策や学生援助制度が発達してきた。しかし,高等教育のマス化と公財政の逼迫に伴い,教育の公費負担に対する懐疑と批判が生じているのは,先進各国に共通の現象と言えよう。福祉国家的政策に対して,小さな政府や自助努力を標榜する市場化論は,教育においてもより強くなっている。こうした状況の中で,従来の教育費負担のあり方を再考し,隘路を切り開く政策が求められている。

 本研究では,特に学生援助の進んでいるアメリカについて,詳しく取り上げ,先行研究のレビューや制度上の比較だけではなく,実証的なデータを用いて,アメリカと日本における授業料と奨学金の問題を検証した。その結果,アメリカの多くの大学で多彩な授業料・奨学金政策がとられ,高等教育機会に対して正の効果も負の効果ももっていることが示された。これに対して,日本ではかつては国立大学の低授業料が機会均等に寄与していた。しかし,現在では国立私立大学とも高授業料であり,それらに比して,学生援助は制度としては定着しているものの,受給率などからみると,実質的には普及していないことが示された。

3.2. 高等教育機会の均等化政策の帰結

 本研究では,高等教育の均等化政策の展開を解明するために,教育機会の問題がどのように認識され,それがどのように具体的な政策に反映されたかを政策文書により包括的に分析した。戦後日本における高等教育機会の均等化政策として,システム・レベルの拡大抑制政策や地方分散化政策による高等教育機会格差の是正と,個別ポリシーレベルの国立大学低授業料政策や育英奨学政策による所得階層間格差の是正に大別することができる。

 戦後日本における一連のシステム・レベルの高等教育の均等化政策はある程度の効果をあげたと評価することができる。特に,地域間の格差是正や,国私格差の是正に対しては効果があった。しかし,個別レベルの政策は,財政制約などの外的要因のために,一貫して政策課題として掲げられながら,現実には後退する歴史であった。高等教育機会の均等化に関する包括的な政策が策定されなかったことも,この大きな要因となった。結果として,高等教育の均等化政策は第1ステップの進学機会それも地域間格差の是正策に集中していた。このため,第2ステップの高等教育機会の格差の是正にはあまり政策的対応がなされなかったと考えられる。

3.3. 高等教育機会の選択

 高等教育機会の均等性について,学生の進路選択行動をマクロ時系列的に分析することにより,進学選択に対する高等教育の拡大・抑制政策が一定の効果をもったことを明らかにした。ついで,高等教育機会の地域間格差の是正のための政策の効果を,マクロ・クロスセクショナルデータを用いて,明らかにした。第1ステップの大学進学か否かに関しては,マクロ・レベルでは,授業料の高騰,とりわけ国立大学の授業料の高騰にもかかわらず,教育需要は弱まっていない。さらに,教育機会の地域間あるいは所得階層間の格差は縮小している。そのことが高等教育機会の格差が政治問題や社会問題化せず,高等教育政策の課題として重要性を失った要因の一つであるかもしれない。

 しかし,本研究の実証分析結果は,第2ステップの高等教育機会について,ミクロ・レベルで詳細にみると,なお多くの問題が未解決なままに残されていることを明らかにした。具体的な国立私立大学の選択,専攻の選択,あるいは居住形態の選択について,さらに学費や生活費について所得階層間の格差はまだ明確に残されている。とりわけ低所得層に対して,高等教育機会は十分に開放されているとは言えない。また,地域間格差についても,特に大都市の高生活費により高等教育機会が制約されているという大きな問題が残されている。とりわけ地方からの流入は高生活費が大きな制約になっている。抑制政策による大都市圏の大学とりわけ私立大学の授業料の高騰は,大都市圏の生活費の高さとあいまって,地方からの大都市圏への進学を困難にした。地方分散化政策による高等教育の機会の大都市圏での抑制政策と国立大学低授業料政策の放棄は,複合的に地域間の高等教育機会に対して大きな影響力をもっていたとみることができる。

3.4. 学生生活と家計の学費負担

 本研究では,第3ステップの学生生活について,学生生活費を分析することにより,学生の生活適応に大きな所得階層間格差が存在していることを明らかにした。しかし,こうしたミクロ・レベルの高等教育機会の格差が存在するにもかかわらず,それが顕在化しない要因のひとつとして重要なのは,「無理をする家計」と「学習・生活環境の劣った学生」の存在であることが実証分析の結果から明確に示された。奨学金を受給していないで,重い教育費の負担している家計の問題が顕在化していない。学生に関しても,生活費を切りつめたり,アルバイトを増やすなど,生活環境や学習環境に問題があると考えられる。しかし,こうした学生の実態もこれまでほとんど明らかにされてこなかった。本研究の実証研究の結果は,こうした「無理する家計」と「学習・生活環境の劣った学生」が,結果として,日本における高等教育機会の不平等の問題を顕在化,深刻化させず,政策課題として重要視されなかったことを強く示唆した。

3.5. 学生援助の効果と限界

 高等教育機会の選択や家計負担あるいは学生の生活への適応に対して,学生援助は一定の効果をあげていることが,本研究の分析から明らかになった。しかし,実証的な分析の結果は,学生援助の効果と同時に,それが不十分であり,現在の学生援助が限界をもっていることも明らかにした。奨学金の金額は諸外国に比べても少なくはないものの,授業料や生活費を考慮すると,高等教育機会の選択の幅を広げたり,学習環境の整った学生生活を送るには十分な額とは言えない。さらに,奨学金の受給率は低く,多数者に受給するようになっていない。学費免除に関してはこのことはより強くあてはまる。このように,学生援助に関しては,少数に多額という育英主義がまだ日本では強く残存している。

4. 結論

 本研究は,こうした知見から,政策の効果に対する比較研究や実証研究の有効性を明らかにした。本研究は,今後の高等教育政策や学生援助制度のあり方や研究の方向性に対して,高等教育のエリート段階の育英型からマス段階に対応した奨学型への転換の必要性を示唆する政策的インプリケーションを与えるものと言えよう。

審査要旨 要旨を表示する

 わが国の高等教育の特質の一つは、欧米に比べて家計の負担への依存度が高く、また奨学金の役割も小さいことにあった。それにもかかわらず、一般にきわめて高い進学意欲を背景として、高等教育機会の均等性は必ずしも社会的に大きな問題とされてきたわけではなく、また必ずしも十分な実証的研究が行われてきたとは言いがたい。本研究は、日本における大学進学機会の均等性をさまざまな角度から実証的に解明するとともに、そうした状況の中で奨学金制度がどのような役割を果たしてきたかを明らかにしようとするものである。

 論文は第1章から第6章にわたっている。第1章では論文全体の枠組みとして、大学への進学行動を進学自体の選択、個別大学・専門領域の選択、そして実際に進学してからの経済的条件への適応、という三つの段階からなるモデルを提示している。第2章ではアメリカにおける高等教育機会の均等性確保にむけての奨学金政策の流れを概観し、またその効果についての実証研究の成果をまとめつつ、日本の研究成果とを比較、検討している。さらに第3章では戦後の日本における高等教育政策の展開を詳細にあとづけ、機会均等の確保が重要な政策課題とならなかった背景を分析している。

 第4章では学校基本調査および学生生活の集計結果と個票データを用いて、大学進学選択の地域間格差、および家庭の所得階級間の格差を詳細に分析したうえで、さらに家庭背景の差が大学入学後の学生の生活および出身家庭の家計に大きな影響を与えていることを示した。さらに第5章では、学生支援機構(旧日本育英会)の奨学金を中心として、奨学金が高等教育機会にどのような影響を与えているかを分析している。データの制約上、進学選択そのものへの影響は分析しえないが、大学や専門分野の種別の選択、生活形態の選択などにおいて奨学金の受給の有無が、重要な要因となっていることが示されている。第6章では以上の分析を総括し、残された研究課題を述べている。

 以上の分析をつうじて本研究は、常に潜在的な超過需要を抱えていたために日本の高等教育政策が教育の機会均等に十分な配慮をなしえなかったこと、しかし現実には日本の高等教育機会が家庭の所得水準や出身地によって重要な影響を受けていること、またその中で奨学金の受給者数は限られているが、少なくとも入学後の生活形態を通じて重要な役割を果たしていることを示した。多様な視点からの分析を行ったために議論の焦点が拡散する傾向がある点、とくに選択・適応行動という枠組みが必ずしも十分に活かされてない点、またデータの制約から奨学金が進学選択自体に与える影響についての分析が不十分であることが指摘されたが、入手しえるデータを幅広く分析し今後の実証分析の基礎を作ったことは高く評価された。このような観点から博士(教育学)の論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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