学位論文要旨



No 216695
著者(漢字) 井堀,洋一
著者(英字)
著者(カナ) イホリ,ヨウイチ
標題(和) 新規光学活性ビナフトール配位子を用いたキラルLewis酸触媒の開発
標題(洋)
報告番号 216695
報告番号 乙16695
学位授与日 2007.02.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16695号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 金井,求
 東京大学 講師 杉浦,正晴
内容要旨 要旨を表示する

 Mannich反応は、β-アミノエステルやβ-アミノケトンなどを与える最も有用な炭素―炭素形成反応の一つである。これまでにZr(OtBu)4、二分子の(R)-6,6'-Br2-BINOL及びN-メチルイミダゾール(NMI)から調製されるキラルジルコニウム触媒が、ケイ素エノラートを求核剤とするMannich型反応の有効な不斉触媒となることが見出されている。しかし、この反応では触媒に二座で配位するイミンが必須であり、イミンを活性化するためには触媒は安定な配座からイミンが配位できる配座に構造変換しなければならない。そこで、予め二分子のBINOLを固定化した配位子を用いることで、より効率的に効果的な不斉環境を構築することが出来るのではないかと考え、新規架橋型BINOL配位子及びこれを用いた高活性キラルLewis酸触媒の開発を目指し研究に着手した。

1)新規キラルジルコニウム触媒を用いるMannich型反応の開発

 二分子の(R)-6,6'-Br2-BINOLから調製したキラルジルコニウム触媒の遷移状態モデルから、2つのBINOLそれぞれの3位が近接していることが示唆された。そこで、二分子の(R)-BINOLのそれぞれの3位をメチレンで架橋した配位子BBM(4)を合成し、これを用いたキラルジルコニウム触媒によるイミン1とケテンシリルアセタール2のMannich型反応を行った。その結果、収率82%、94%eeという高いエナンチオ選択をもってS体のMannich付加体が得られることが判った。しかし、二分子の(R)-6,6'-Br2-BINOLを配位子としたキラルジルコニウム触媒によるMannich型反応における主生成物の立体化学はRであり、同じR体由来のBINOLを用いているのにも関わらず、架橋している配位子と架橋していない配位子とでは、生成物の絶対立体化学が逆転するという興味深い結果を見出した。次にこの現象を解明する目的で4の類縁体の合成を行い、これを用いたキラルジルコニウム触媒によるMannich型反応を検討した。その結果、配位子4の一つのBINOLを単純なフェノールに変換した三座BINOL誘導体が、選択性逆転の必要最小限の構造であることが判った。さらに、三座配位子の側鎖フェノールのベンゼン環上に種々置換基を導入したところ、水酸基のオルト位にイソプロピル基を有する配位子5が、最も高いエナンチオ選択性(収率95%、94%ee)を与えることを見出した。

 次に触媒構造の解明を目指し、三座配位子5を用いてキラルジルコニウム錯体のNMR実験を行った。その結果、主に三種の錯体(A、B、C)が生成しており、これらの生成比は用いる5の当量に依存することも判った。さらに、錯体AはZr:5:NMI=1:1:1、錯体BはZr:5=2:2、錯体CはZr:5=1:2の組成を有していると考察することが出来た。また、本触媒反応系において、配位子もしくは触媒のエナンチオ過剰率と生成物エナンチオ過剰率に非線形現象が観測されないことから、活性種はZr:配位子=1:1の単量体である可能性が高いことが示唆された。

 次に、活性種に関する情報を得る目的で、錯体A(Zr:三座配位子:NMI:OtBu=1:1:1:1の六配位構造)についてDFT計算を検討した。分子力学計算により予め配座異性体を7種に絞り込み、これらについてDFT計算を行い錯体Aの最安定構造(A-1)を得ることが出来た。一方、キラルジルコニウム錯体では、NMIの付加・脱離平衡が存在し、熱力学的に安定な錯体が生成すると考えられている。そこで、錯体AからNMIが脱離した四配位構造をDFT計算により求めたところ、五配位の錯体AとNMIが脱離した四配位錯体Eでは、配位子の構造が類似していることが判明した。従って、錯体Aと錯体E間での平衡も容易に進行すると予想された。さらに、NMIが脱離した四配位錯体Eは高いLewis酸性を有していると予想され、錯体Eが真の活性種である可能性が高いと推測された。これらの結果から、活性種に対して基質のイミンが二座で配位する際に、配位子との立体反発のため、配位方向とRe面からの求核剤の攻撃方向が一義的に決定される遷移状態モデルを考察することが出来た。

2)新規キラルニオブ触媒を用いる不斉Mannich型反応の開発

 5価のニオブ化合物は高いLewis酸性を有しているが、これまで不斉反応に用いられた例はほとんどない。また、5価のニオブ化合物は安定構造として二量体をとり易いことが知られている。そこで、先に見出した三座BINOL配位子が、キラルニオブ錯体において配座異性体の制御と高度な不斉空間の構築に効果的に機能するのではないかと考えた。この様な観点から、ニオブの特徴を活かした高機能不斉Lewis酸触媒の開発を目指し、研究を開始した。

 まず、モデル反応としてMannich型反応を採り上げ検討を行った。10 mol%のNb(OEt)5、15 mol%の三座BINOL配位子5及び10 mol%のNMIから調製した触媒を用い、イミン1とケイ素エノラート2のMannich型反応を行ったところ、化学収率73%、不斉収率69%(S)と、比較的高いエナンチオ選択性をもって反応が進行することが判った。そこで、反応条件を詳細に検討したところ、ニオブ源としてはNb(OMe)5、溶媒としてはトルエン-ジクロロメタンの混合溶媒が有効で、さらにMS3Aの添加が効果的であることを見出し、最高で99%eeのエナンチオ選択性を達成することが出来た。そこで次に、触媒構造解明を目的にNMR実験を検討した。重塩化メチレン中、錯体を調製し、室温で1H及び(13)CNMRの測定を行った。その結果、溶液中ではNb:三座配位子 5:OEt:NMI=1:1:2:1の組成を有する単一の錯体が生成していることが判った。

 さらに本触媒系において、配位子のエナンチオ過剰率と生成物エナンチオ過剰率の関係を調べた。その結果、光学純度の低い配位子5を用いて調製した触媒(low ee BINOL)を用いてMannich型反応を行うと、正の非線形現象が観測された。しかし、光学的に純粋な配位子5から調製した錯体を任意の割合で混合することで調製した触媒(mixed catalyst solution)を用いた場合には、弱いながら負の非線形現象が観測されることが判った。これらの結果から、触媒はニオブ二核錯体である可能性が高いことが強く示唆された。続いてキラルニオブ錯体の単結晶化について検討を行ったところ、Nb(OEt)5、三座配位子5及びNMIの1:1.2:1.2混合物をトルエン中60℃で3時間反応させた後、室温に冷却し石油エーテルを加え、アルゴン雰囲気下室温にて静置することで錯体の単結晶化及び単結晶X線解析に成功した。その結果、この錯体は二つのニオブ原子が一つの酸素原子で架橋されたμ-オキソ-ニオブ二核錯体であることが判った。また、配位子5の側鎖フェノール水酸基はBINOLの水酸基とは異なるニオブ原子に結合しており、二つのニオブ原子は二つのエトキシ基と二分子の三座配位子により四重にロックされた剛直な構造を有していることも判った。しかし、この結晶を重塩化メチレンに溶解させNMRをしたところ、重塩化メチレン中で調製した触媒とは異なる構造であることが明らかとなった。さらに、この錯体を用いて1と2のMannich型反応を行ったが、反応性、選択性いずれも低いものであったことから、活性種ではないことが確認された。従って、μ-オキソ-ニオブ二核錯体の前駆体、すなわち溶液中でのキラルニオブ錯体は、二つのニオブ原子が二つのエトキシ基と二分子の不斉配位子5で架橋されたニオブ二核錯体である可能性が高いものと推測された。さらに、真の活性種はこの錯体からNMIが脱離することで生成し、その錯体にイミンが配位する際に配位方向が一義的に規制されるため、Re面からの求核攻撃が優先するものと説明することが出来た。

 以上のように、筆者は、より効率的且つ効果的な新規触媒の開発を目指し、1)二分子の(R)-6,6'-Br2-BINOLからなるキラルジルコニウム触媒の遷移状態をモデルに、新たな三座BINOL配位子を開発することが出来た。さらに、この新規三座配位子を用いてNMR実験、DFT計算などを行い、触媒構造の推定を行った。その結果、最も安定な五配位の錯体構造と、そこからNMIが脱離した四配位の錯体が活性種であることを推測することができた。これらの結果から、6,6'-Br2-BINOLを用いた場合とは異なる機構で選択性が発現することを解明することが出来た。2)Nb(OMe)5、三座配位子5、NMI及びMS3Aから調製されるキラルニオブ触媒が、イミンとケテンシリルアセタールのMannich型反応において有効な不斉触媒となることを見出した。また、NMR実験、非線形現象などから、触媒はNb:OMe:三座配位子:NMI=2:4:2:2の組成を有していることを明らかとした。さらに、触媒からジエチルエーテルが脱離して生成したと考えられるμ-オキソ-ニオブ二核錯体の単結晶化及び単結晶X線構造解析に成功した。さらに、このX線構造から溶液中での触媒構造及びエナンチオ選択性発現機構を考察することが出来た。これらの知見は高機能、かつ高活性なキラルLewis酸触媒の創製に貢献するものと考えている。

Scheme 1. Design of Linked bis-BINOL methane.

Scheme 2. Mannich-type reaction using chiral Zr catalyst.

Figure 1. Assumed structures of chiral Zr complexes.

Scheme 3. Formation of the active catalyst.

Figure 2. Assumed stereoselection model.

Scheme 4. Mannich-type reaction using chiral Nb catalyst.

Figure 3. Non linear effect.

Figure 4. Single crystal X-ray structure of the chiral Nb complex.

Figure 5. The most plausible catalyst structure.

Figure 6. Proposed stereoselection model.

審査要旨 要旨を表示する

 不斉Mannich反応は、光学活性β―アミノカルボニル化合物を与える最も有用な炭素―炭素形成反応の一つである。すでに当研究室では、Zr(OtBu)4、二分子の(R)-6,6'-Br2-BINOL及びN-メチルイミダゾール(NMI)から調製されるキラルジルコニウム触媒が、ケイ素エノラートを求核剤とする不斉Mannich型反応の有効な触媒となることを報告している。

 本論文はまず、ここで用いられている触媒に着目し、より効果的な不斉環境を構築することが出来る新規光学活性BINOL配位子及びこれを用いる高活性キラルLewis酸触媒の開発を目指し、研究を行っている(第一章)。まず、Zr(OtBu)4、(R)-6,6'-Br2-BINOL及びNMIから調製したキラルジルコニウム触媒の遷移状態モデルの考察から、二分子の(R)-BINOLの3位をスペーサーとしてメチレンで架橋した配位子BBMを設計、合成している(第二節)。続いて、これを用いてキラルジルコニウム触媒を調製し、ベンズアルデヒドとo-アミノフェノールから合成したイミンとイソ酪酸メチル由来のケイ素エノラートのMannich型反応を行い、高収率かつ高エナンチオ選択性をもって生成物が得られることを明らかにしている。さらに、ここで得られた生成物の絶対配置はSであり、この配位子をデザインする基となった(R)-6,6'-Br2-BINOLを配位子としたキラルジルコニウム触媒によるMannich型反応の生成物の絶対立体配置がRであることから、配位子は同じR体由来のBINOLを用いているのにも関わらず、架橋させているものとさせていないものとで、生成物の絶対立体化学が逆転するという興味深い結果を見出している。

 次に、この現象を解明する目的で種々BBMの類縁体の合成を行い、これを用いるキラルジルコニウム触媒によるMannich型反応を検討し、最終的に、フェノール水酸基のオルト位にイソプロピル基が置換した配位子を用いた際、最も高いエナンチオ選択性(92%収率、87%ee)を与えることを明らかにしている。

 さらに第三節では、この三座配位子を用いてキラルジルコニウム錯体のNMR実験を行い、本触媒系では、配位子もしくは触媒のエナンチオ過剰率と生成物エナンチオ過剰率に非線形現象が観測されないことから、活性種はZr:配位子=1:1の単量体である可能性が高いことを示唆している。さらに活性種に関する情報を得る目的で、錯体(Zr:三座配位子:NMI:OtBu=1:1:1:1の六配位構造)についてDFT計算を行い真の活性種であると考えられる錯体構造を特定し、その結果から、活性種に対して基質のイミンが二座で配位する際に、配位子との立体反発のため、配位方向とRe面からの求核剤の攻撃方向が一義的に決定される遷移状態モデルを提唱している。

 第二章では、5価のニオブの特徴を活かした高機能不斉Lewis酸触媒の開発研究を行っている。まず、モデル反応としてMannich型反応を採り上げ検討を行っている。10 mol%のNb(OMe)5、15 mol%の三座BINOL配位子及び10 mol%のNMIから調製した触媒を用い、イミンとケイ素エノラートのMannich型反応を行い、最高で99%eeのエナンチオ選択性を達成している。次に、ニオブ触媒の構造解明を目的に種々検討を行っている。まず、NMRを用いることにより、三座BINOL配位子及びNMIの組成比はNb:配位子:OEt:NMI=1:1:2:1であることを明らかにし、この結果から、キラルニオブ錯体はニオブと配位子の1:1錯体であると予想している。さらに本触媒系において、配位子のエナンチオ過剰率と生成物エナンチオ過剰率の関係を調べ、光学純度の低い配位子を用いて調製した触媒(low ee BINOL)を用いると、正の非線形現象が観測されるのに対し、光学的に純粋な配位子から調製した錯体を混合した触媒(mixed catalyst)を用いた場合には、弱いながら負の非線形現象が観測されることが分かり、これらの結果から、活性種は二量体であると推定している。

 続いて、構造に関する詳細な情報を得る目的で、キラルニオブ錯体の単結晶X線構造解析を行っている。その結果、二つのニオブ原子が一つの酸素原子で架橋されたμ-オキソ-ニオブ二核錯体であることが判り、また、配位子の側鎖フェノール水酸基はBINOLの水酸基とは異なるニオブ原子に結合しており、この錯体は二分子の三座配位子により二重にロックされた剛直な構造を有していることも明らかにしている。しかし一方、この結晶を重塩化メチレンに溶解させNMRをしたところ、重塩化メチレン中で調製した触媒とは異なる構造であることが明らかとなり、さらに、この錯体を用いてMannich型反応を行ったが、反応性、選択性いずれも低いものであったことから、真の触媒活性種ではないことを確認している。

 一方系内で調製した触媒に水を添加してもμ-オキソ-ニオブ二核錯体は生成しないことも見い出している。この錯体の生成には石油エーテルの添加が必須であることから、溶媒の極性の劇的な変化によりニオブ原子近傍の歪みが増大し、それを解消する力を駆動力として生成したものと推測し、さらにμ-オキソ-ニオブ核錯体の前駆体、すなわち溶液中でのキラルニオブ錯体は、二つのニオブ原子が二つのエトキシ基と二分子の不斉配位子で架橋された、ニオブ二核錯体であると推定している。さらに、真の活性種はこの錯体からNMIが脱離することで生成し、その錯体にイミンが配位する際に配位方向が一義的に規制されるため、Re面からの求核攻撃が優先するものと考察している。

 以上のように、本論文は、より効率的な不斉触媒の開発を目指し、新規キラルジルコニウム触媒およびニオブ触媒を開発したものであり、有機合成化学、医薬品化学に貢献するところ大である。よって、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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