学位論文要旨



No 216697
著者(漢字) 宍戸,善一
著者(英字)
著者(カナ) シシド,ゼンイチ
標題(和) 動機付けの仕組としての企業 : インセンティブ・システムの法制度論
標題(洋)
報告番号 216697
報告番号 乙16697
学位授与日 2007.02.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16697号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩原,紳作
 東京大学 教授 江頭,憲治郎
 東京大学 教授 中里,実
 東京大学 教授 高見澤,磨
 東京大学 教授 石川,健治
内容要旨 要旨を表示する

I.分析枠組み

 企業活動は、ジョイント・ベンチャーのような共同事業から、不特定多数の株主が存在する公開企業にいたるまで、物的資本の拠出者(株主・債権者)が提供する資金を、人的資本の拠出者(経営者・従業員)が運用して、付加価値をあげ、それを、各資本の拠出者間で分配するものである。これら四当事者は、企業活動に不可欠な資源の提供者であり、かつ、企業活動の果実の分配に与る者であるが、各資源の提供者がその拠出を躊躇すると、企業活動は成功し得ないので、四当事者は、各自の利益を最大化するために、他の資源の提供者との間で動機付け交渉を行う必要がある。

 これら四当事者は、企業活動が成功することに共通の利益を有しているものの、類型的な利害対立関係にあり、各当事者は、その資源を拠出するに当たって、他の当事者の機会主義的な行動によって、提供した資源が無駄にされるのではないか、あるいは、企業活動の果実が生じても搾取されるのではないか、という不安を抱くことになる。このような不安を放置すると、各自の資源を拠出するインセンティブが阻害されてしまうので、各当事者は、自らの不安を緩和するとともに、他の当事者の不安をも緩和し、さらに、積極的なインセンティブを付与し合う必要がある。

 物的資本の拠出者は、その提供する資金が適切に運用されないのではないかという不安を抱いているので、人的資本の拠出者の資金運用をモニタリングする権限を確保したいという要求を共有している。他方、人的資本の拠出者は、一旦運用を任された資金を引き上げられて、企業特殊的投資を無駄にされるのではないかという不安を抱いているので、資金運用に関するオートノミーを維持したいという要求を共有している。しかし、オートノミーとモニタリング権限は天秤の両端のような関係にあるため、一定量の支配をいかに両者間で分配すると最も効率的な動機付けが達成されるかという問題になる。

II.非公開企業における動機付け交渉

 動機付け交渉の観点から見た共同事業の特色は、人的資本の拠出者と物的資本の拠出者が分離していないことである。各出資者が拠出する人的資本の価値は、必ずしも、その金銭的出資割合と対応しているわけではないので、物的資本の拠出者としての果実の取り分と、人的資本の拠出者としての貢献との間に乖離が生じ、それが、人的資本を拠出するインセンティブを阻害する危険性が高い。

 ジョイント・ベンチャーでは、このような物的資本の拠出と人的資本の拠出の「ねじれ」の問題を、各出資者企業とジョイント・ベンチャーとの取引によって処理しようとするが、相手方の機会主義的行動に対して相互に疑心暗鬼に駆られると、どちらも人的資本の拠出を控えるという囚人のジレンマ状況に陥ることになる。ただし、持分割合の修正等によって、囚人のジレンマ状況から逃れることは可能である。

 これに対して、ベンチャー企業においては、物的資本の拠出者と人的資本の拠出者とが分離しているため、物的資本の拠出と人的資本の拠出のねじれを調整する必要はなく、また、物的資本の拠出者と人的資本の拠出者、それぞれの内部は未分離であるため、物的資本の拠出者のチームと人的資本の拠出者のチームとの間で動機付け交渉が行われる、典型的な「二チーム間交渉」が観察できる。ベンチャー・キャピタリストは、物的資本の拠出者と人的資本の拠出者の間を仲介する経営の専門家として、機関投資家や持株会社との共通性があり、この点において、ベンチャー企業と公開企業のコーポレート・ガバナンスの連続性が見出せる。

III.公開企業における動機付け交渉

 ベンチャー企業が、成長して、公開企業になると、動機付け交渉が、しだいに、二チーム間交渉から乖離していく傾向が見られる。人的資本の拠出者サイドでも、物的資本の拠出者サイドでも、内部における利害対立が明確化・複雑化し、それぞれがチームを構成して、他のチームと動機付け交渉を行うことが困難になってくる。その他、公開企業化における動機付け交渉は、ベンチャー企業における動機付け交渉に比して、さらに次の三つの特色を指摘できる。

 第一に、経営者が、四当事者交渉の唯一の交渉窓口であることが明確になり、より強力な役割を果たすことになる。第二に、いわゆる「経営者支配」を前提として、物的資本の拠出者が人的資本の拠出者に対するモニタリング権限を確保することがより困難になる。しかし、そのような状況では、物的資本の拠出者が人的資本の拠出者に資金の運用をゆだねる不安が大きくなるので、逆に、人的資本の拠出者の側で、物的資本の拠出者が安心して資金を拠出できるようなモニタリング権限を提供する必要がある。そして、第三に、やはり株式所有の分散化を前提として、敵対的企業買収の可能性が生まれ、人的資本の拠出者の企業特殊的投資を行うインセンティブを阻害する危険が生じる。そこで、物的資本の拠出者の側で、敵対的企業買収に対する人的資本の拠出者の不安を緩和する工夫が必要となる。

 法制度は、効率的な動機付けの仕組を構築する上での重要な外生的要因であり、資本市場の発展のためには、少数株主保護法制が必須である。しかし、支配株主が存在する公開会社における少数株主保護と、株式所有が分散化され、経営者支配が確立された公開会社における少数株主保護とでは、必要とされる法制度が異なる。前者においては、利益相反取引規制やインサイダー取引規制がより重要であり、後者においては、敵対的企業買収が起こりうる環境整備がより重要である。

 一般的に、動機付け交渉に重要な影響を与えうる法制度として、次のようなものを挙げることができる。第一に、人的資本の拠出者に資金運用を委ねざるを得ない物的資本の拠出者の不安を緩和するための制度としては、社外取締役や監査役などの取締役会規制、情報開示規制、株主代表訴訟、敵対的企業買収への対抗策規制、そして、倒産制度がある。第二に、企業特殊的投資が無駄になるのではないかという人的資本の拠出者の不安を緩和するための制度として、敵対的企業買収を制限する、あるいは、対抗策を許容する法制度がある。これは、先にあげた、対抗策規制とのバランスが問題となる。第三に、株主が債権者のリスクでギャンブルするのではないかという債権者の不安を緩和するためには、社債権者保護制度や倒産に関するルールの明確化が有用である。そして、第四に、大株主が少数株主の損失の上に利得を得るのではないかという少数株主の不安を緩和するための制度として、利益相反取引規制やインサイダー取引規制がある。ただし、法制度が動機付け交渉に与える影響も一様ではなく、「動機付けパターン(incentive patterns)」によって異なりうる。

 公開企業化の重要な意味の一つは、二チーム間交渉の動機付けパターンを維持することが困難になることであるが、公開企業の動機付けパターンとしては、次の三つが考えられる。

 第一に、ベンチャー企業における動機付け交渉を原型とする「(二チーム間)交渉イメージ」がある。公開企業化後も、それぞれのチームを構成し続けることが可能な環境が存在する場合には、交渉イメージが選択されることがある。ここでは、従業員と経営者の連携を軸として、人的資本の拠出者のチームと物的資本の拠出者のチームとの間で、繰り返しゲームに基づく動機付けが行われる。一般的な用語法に従えば、「関係重視型システム」といえる。

 第二に、株主と経営者の連携を軸として、市場を通じた動機付けが行われる「モニタリング・イメージ」がある。これは、経営者を株主の代理人(agent)と考え、株主が、敵対的企業買収(支配権の市場)等を通じて、経営者をモニタリングするという、いわゆるエージェンシー・モデルに基づいた交渉均衡である。その他の資本の拠出者たる、従業員や債権者に対しては、株主の代理人である経営者が、それぞれの市場を通じた動機付けを行うと考えられる。一般的な用語法に従えば、「市場重視型システム」である。

 そして、第三に、四当事者間の連携がまったくできない状況においては、株主、債権者、従業員が、唯一の交渉窓口である経営者に対して、それぞれの利益の方向で企業経営を行うよう圧力をかけ、経営者がそれらの異なった利害を調整する、「調整イメージ」となる。これは、いわば、関係重視型システムと市場重視型システムの中間形態である。

 具体的にどの交渉均衡が選択されるかは、各種資源の市場環境、法制度、社会規範などのインフラストラクチャー、企業の成長段階、業種等の、外生的制約要因を前提として、当事者による内生的選択が行われる。国ごとに、一つの動機付けパターンが選択される傾向は強いが、外生的要因が許す場合には、同一国内においても、業種ごと、ないし、企業ごとに、複数の交渉均衡が並存する可能性もある。

IV.組織再編における動機付け交渉

 企業の成長・変異は、当然ながら、株式の公開で終了するものではない。その後の変異は、多くの場合、企業の組織再編として現れる。人的資本の拠出者のみの再編成が行われるものを「内部的組織再編」(事業部制や分社化)、物的資本の拠出者の再編をも伴うものを「提携を伴う組織再編」(企業買収や合併)と呼ぶ。

 企業の組織再編においては、インセンティブ構造の改善とシナジーが同時に追及されることが多いが、両者は、二律背反の関係に立つことが少なくない。そして、動機付け交渉の複雑さが一定の水準を超えると、シナジーの追求を放棄しても、インセンティブ構造を改変して、動機付け交渉を単純化しようとする流れが生じる。その具体的な現れが、スピン・オフ(人的会社分割)とMBO(マネジメント・バイアウト)である。前者は、物的資本の拠出者の再編を行うことなく、人的資本の拠出者を完全に分断することによって、いずれの動機付けパターンにおいても、その基本形である単純な四当事者関係に戻すものであり、後者は、人的資本の拠出者の再編も資産の移動もなく、物的資本の拠出者を改組することによって、元の動機付けパターンにかかわらず、ベンチャー企業のような交渉イメージに回帰させるものである。

V.結語

 企業を、企業活動に不可欠な資源の提供者間における動機付けの仕組として見ることによって、これまで見えなかったことが見えてくる可能性がある。

 かつて、「会社は誰のものか」という問いに対して、多くの人々が、「従業員主権論」の立場と、「株主主権論」の立場に分かれて、激論を戦わせたことがある。しかし、より重要な問いは、最も効率的な動機付けの仕組は何かということである。

 何が、最も効率的な動機付けの仕組かは、さまざまな外生的要因の制約のもとで、当事者が模索するものであって、あらゆる環境において、唯一の最も効率的な動機付けの仕組みが存在するわけではない。公開企業の動機付けの仕組みには、三つの基本的パターンがあり、そのときの環境において最も効率的な動機付けパターンが選択されることになる。

 動機付けの仕組としての企業という視点は、法制度論を行う場合にも有用である。ある法制度の影響を検討する場合に重要なのは、動機付け交渉に与える影響である。とくに、各当事者が資本を拠出するに際しての不安をどの程度軽減するか(あるいは、逆に、他の当事者の不安を増大させるか)、および、人的資本の拠出者のオートノミーと物的資本の拠出者のモニタリング権限のバランスにどのように左右するかが重要なポイントである。また、法制度は、動機付けパターンの選択に際して、一つの制約要因になるものであることにも注意する必要がある

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、企業の組織法の意義を、企業活動に物的資本や人的資本といった資源の拠出を行う企業関係者に資源を拠出するインセンティブを与える動機付けの仕組、という経済的な観点から分析しようとするものである。企業組織法をそのような視点から法学者が包括的な分析を行った例は稀であり、本論文は貴重な先端的研究である。

 第一編においては全体的な分析枠組みが示される。即ち本書は、企業活動を、ジョイント・ベンチャーから公開企業に至るまで、物的資本の拠出者である株主・債権者と、人的資本の拠出者である経営者・従業員という四当事者が、各自の利益を最大化するために、他の資源の提供者との間で行う動機付け交渉として分析している。そして企業活動における最も基本的な利害対立は、物的資本の拠出者と人的資本の拠出者との間にあると理解する。このように対立関係にある物的資本の拠出者と人的資本の拠出者が、互いに相手方に対して「企業価値」を最大化するインセンティブを与える「動機付けの仕組」として企業を捉えることとしたいと、本論文の目的を述べる。

 第二編においては、非公開企業を取り上げて、共同事業(パートナーシップ)、ジョイント・ベンチャー、ベンチャー企業、というように、最も単純な共同企業からより複雑なもの、そして最終的に株式公開を目指す段階までの様々な企業形態につき、著者の上記の分析枠組みを適用して、「動機付けの仕組みとしての企業」がいかに機能しているかの分析を行う。

 第三編においては、ベンチャー企業が成長して株式を新規公開して(IPO)、公開会社となった場合に、動機付け交渉がどのように変化していくかを見る。公開企業の特色は、物的資本の拠出者内および人的資本の拠出者内での役割分化が進み、利害対立が顕在化していくことにあるとする。その結果、物的資本の拠出者と人的資本の拠出者との二チーム間交渉の状況からの乖離が起きるという。その結果、株主、債権者、従業員、取引先等の様々な会社の利害関係人が経営者に圧力をかけ、経営者が利害調整者としてそれらの圧力のベクトルの和の方向に向かって経営を行うという、調整イメージの動機付け交渉パターンに移行する傾向が強くなり、利害調整者としての経営者の力が強大になると指摘する。

 第四編においては、企業の組織再編を動機付けの観点から考察している。公開企業において利害関係人の細分化が進むと、物的資本の拠出者に対する動機付けが効果的に機能しなくなる場合が生じる。それらの場合に、動機付けの機能を回復するために行われる人的資本や物的資本の拠出者の再編成を、著者は組織再編と呼んで、そのメカニズムを分析する。

 第五編においては、本論文の総括を行い、企業を企業活動に不可欠な資源の提供者間における動機付けの仕組と見るという本論文の意義が、理論や立法論等の面から語られる。

 本論文の長所としては、次の諸点が挙げられる。

 第一は、非公開企業から公開企業を含む企業の組織法の意義なり、コーポレート・ガバナンスを支配している原理を明らかにするという、会社法の最も根本的な課題について、独自の視点から包括的な解答を与えようという、極めて野心的な論文であるということである。わが国において法学者がそのような意欲的な課題に取り組んだ例は稀有といっても差し支えないであろう。

 第二に、そのような分析の視点として、物的資本の拠出者である株主・債権者と、人的資本の拠出者である経営者・従業員という、四当事者の間の動機付け交渉の仕組として企業を捉えるという立場を採り、一貫性のある企業の組織法の分析を行ったことである。企業の組織法、コーポレート・ガバナンスにつきこれだけ一貫性のある壮大な体系的分析を行ったことは、評価される。

 第三に、その独自の基本的視点は、企業の組織法やコーポレート・ガバナンスについて新鮮な視点を提供するものであり、また説得力も高い。特にわが国を含め世界で問題になっている「会社は誰のものか」という論争や、アメリカを中心とする世界の学界において大きな論争になっているコーポレート・ガバナンスの収斂論争について、その問いかけ自身が殆ど意味をもたないといった指摘は、衝撃的であるといってもよいであろう。また公開企業の三つの動機付けのパターンという視点からの各種の会社法上の制度の意義の分析や立法論は、具体的な法制度を考えるうえでも大きな示唆を与えるものである。

 第四に、経済学的な分析を積極的に取り入れた分析を行っていることである。わが国の法学の文献としては、極めて意欲的な試みといえよう。

 もとより本論文にも短所がないわけではない。

 第一に、経済学的な分析において、ゲームの理論に関する概念等を経済学における本来のものとはやや異なる使い方をしたり、説明が十分でない場合があることである。例えば、論文217頁においては「無限繰り返しゲームにおけるフォーク定理的解決」という表現が用いられているが、前後の文脈からすると、ゲーム理論におけるフォーク定理の意味とはずれているように思われる。

 第二に、物的資本の拠出者と人的資本の拠出者の間に基本的な対立があり、物的資本の拠出者たる株主と債権者の間の対立、人的資本の拠出者である経営者と従業員の間の対立は、相対的なものにすぎないといった本論文の見方は、直感的には理解できるものの、実証的には必ずしも明らかに基礎付けられていない。その他全体的に、規範的な分析ではなく事実の認識に関する分析がなされているにも拘らず、実証的な研究による基礎付けが十分ではない。

 第三に、上記のように、極めて注目すべき分析視点を活用して、会社法上の制度に関する分析、解釈論や立法論が提示されているが、これらの視点からは、より豊かでより具体的な解釈論や立法論の展開が期待されるが、その点で物足りなさは残る。しかしこれは望蜀の感というべきであろう。

 このように問題点がないわけではないが、これらは本論文の学術的な価値を必ずしも損なうものではない。本論文が提起した視点は、会社法学だけでなく、企業組織論やコーポレート・ガバナンスに関する経済学的な議論にも、新たな学問的地平を開くものであり、学界に対し重要な貢献をなすものと評価できる。従って、本論文は博士(法学)の学位に相応しい内容と認められる。

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