学位論文要旨



No 216699
著者(漢字) 青木,茂
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,シゲル
標題(和) 既存建築物の再生手法に関する研究 : 賃貸集合住宅の「住みながら再生」によるリファイン事例を中心として
標題(洋)
報告番号 216699
報告番号 乙16699
学位授与日 2007.02.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16699号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 助教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

 近代以降、建築家にとって住の問題は最も重要な課題のひとつで有り続け、模索の連続であった。顧みれば、初期の集合住宅は多くの問題をかかえていて、それが時間と共に明らかにされてきた。欧米諸国ではそれらの再生がなされ、日本においては、その成功例について数多くの研究が発表されてきた。しかし、問題解決の糸口は見出されたものの、実際に再生施工された建物の実例は未だ数少ない。既存建築物をストックとして蓄積し活用してゆくことの重要性は明らかなのに、現実にはなかなか進まない。その原因は、建物を再生するときに事業主体が現実に遭遇する困難を解決する方法が確立されていないからではないか。本論文は、集合住宅の既存入居者の問題に着目し、実際の老朽化した賃貸集合住宅再生の設計、監理を通して「住みながら再生」によるリファイン建築の手法を開発することで、問題解決に寄与しようと実践研究に取り組んだ成果である。また、これをきっかけとして、今後積み重ねられて行くであろう「住みながら再生」が学術的な蓄積と成ってゆくことを願う。

 本論文は全5章で構成され、第一章では、本論文の背景、目的、研究対象等を明らかにしている。第二章では、「住みながら再生」を特徴づける予備調査について述べている。第三章では、「住みながら再生」のプランニング上特に重要な事柄について述べている。第四章では補修及び補強の記録の意義と方法について延べ、全記録を収録している。結章では、本研究が示す可能性と今後の課題について述べている。

第一章 序章

 対象とした物件は大分市内の「Aビル(仮称)」で、築32年(設計着手当時)、RC造5階建、延床面積1854.44m2、住宅21戸、店舗2戸、事務所2戸であった建物に対し、耐震補強、構造躯体劣化部分の補修、増築(エレベータ設置等)、設備配管・機器の更新、内外装の改修、部分的なコンバージョン等の再生工事を総合的に施し、耐震審査会を経て特定行政庁より建築確認済み証を得て、RC造5階建一部S造、延床面積2059.68m2、住宅23戸、店舗1戸、知的障害者グループホーム2戸、同支援センター1戸の建物にリファインしたものである。工事中は10戸の入居者が工事に協力し住み続けた。

第二章 「住みながら再生」の予備調査

 賃貸集合住宅の「住みながら再生」においては、予備調査が非常に重要である。特に、(1)入居者の合意形成、(2)構造調査、(3)経済的な検討 の3つの予備調査は「住みながら再生」の手法を特徴づけるもので、それらについて記述した。

(1)入居者の合意形成

 「住みながら再生」による賃貸集合住宅のリファインでは、建物の老朽化と再生工事の必要性について入居者に理解を促し、入居者の意見を聞いた上で選択肢を提示、入居者自らの意思によって参加協力するか転居するかを決定して頂くプロセスを必要とした。全4段階の書簡やアンケート、「ご意向伺い書」等によるやりとり、必要に応じた個別訪問により、慎重に合意形成を計った。

 また、構造調査の結果により耐震補強箇所が増え、耐震補強箇所にあたる4戸の入居者に移転を要請する必要が生じ、棟内で移転して頂いた。これにより、「住みながら施工」に参加協力する入居者は10戸となり、4階及び5階の中央部に集中することとなり、工事を開始する体制が整った。

 着工前には工事説明会を行い、工事中の騒音や粉塵対策について理解を求めた。工事中は、断水や停電等の情報を記した紙を各戸に投函し、掲示板へ張り出した。また、翌日の時間帯別工程を記した紙を毎日各戸に投函した。

(2)構造調査

 構造調査は、準備段階でのクライアントによる簡易調査があり、設計に着手後、詳細な劣化度調査、耐震診断計算、仕上材等の撤去後に初めて目視可能となる部分の施工不良や劣化状況の全数調査、という流れで進んだ。構造調査は再生建築物の性能を確保する上で不可欠で、既存建築物のストック化の促進を意図するリファイン建築では特に必須事項である。

 「Aビル」では、基本設計まではクライアントによる簡易調査結果に基づいて設計の検討が進められた。実施設計の段階に入り、詳細な劣化度調査を行った。平均圧縮強度は15.3N/mm2で、耐震改修の対象となる基準値13.5N/mm2を上回った。中性化深度は、屋外平均値20.00mm、屋内平均値59.1mmであった。屋内はかなり中性化が進行していたが、リファイン後の経年変化を見る事ができる設計を心がけた。屋外については、中性化が鉄筋まで到達していなかった。

 詳細な劣化度調査の結果を承けて、耐震診断計算を行った。X方向では2次診断を行い、Y方向では既存の耐力が低く袖壁が多いため3次診断を行った。既存建物の計算結果は、概ね1〜3階までIs<Iso=0.54(大分県の地域係数は0.9)であった。1〜3階までの補強計画を行い、全ての階でIs≧Iso=0.54を満たした。実施設計段階での補強計画により補強箇所が増え、4戸の入居者に移転を要請することとなった。

(3)経済的な検討

 賃貸集合住宅において事業収支等の経済的な検討は非常に重要である。リファイン建築の場合、工事の程度とそれに対する家賃設定の検討が必要で、さらに「住みながら再生」であれば、参加協力する入居者の戸数、リファイン前後の家賃等、設定すべき要素と段階の組み合わせに際限がない。よって、望ましいと思われる組み合わせをいくつか設定して事業収支計算を重ねて試み、予算の枠組みの想定が可能となった。「Aビル」での経済的な検討は大きく3つの段階に分けられる。(1)基本構想段階では、A案からC案まで作成して提案した。A案は現行基準に合致する耐震改修を含む「フルコース」のリファインで、1階部分の用途により「SOHO案」と「グループホーム案」があった。B案はA案とC案の中間的な案で、C案は一般的なリフォームと最低限の修繕や塗装の塗り替え程度であった。A案が、新築と同等に家賃が設定できる為収支が最も良く、また社会福祉法人の参加により、最終的にA案(グループホーム案)が採用された。(2)基本設計段階では、諸条件の設定や組み合わせを変更して調整が行われた。この結果は金融機関に提出され、融資審査の資料となった。(3)見積り後の最終段階では、融資額と金利の内定後の正確な条件設定により、工事金額確定の為の事業収支計算が行われた。

第三章 「住みながら再生」のプランニング

 リファイン建築のプランニングは、既存図のデータ化→解体計画→補強計画→再生後のプランニングという流れで進み、これらの作業がリンクする。これがリファイン建築のプランニングの思考の根幹である。

 「住みながら再生」の場合、このリンクにもう一つ、ライフライン(以下LLと表記)の更新計画が加わり、それが「住みながら再生」のプランニングを特徴づけている。入居者の為に旧LLは残した上で新しいLLを設置し、入居者が出たらその住戸を再生、新規LLと繋いで更新するという経時的なLLの更新が可能な設計とした。また、更新されたLLは、将来再び再生する際も経時的更新が可能なよう、共用廊下とバルコニーに露出させた。共用廊下側はパネルで保護し、意匠的要素にもなっている。新規LLにより、既存PS位置に制約を受けずに再生プランを検討できた。

 耐震補強については種々の制約の中決定されたもので、本文では、住戸タイプ別の平面計画に沿った耐震補強計画の解説をしている。

 外装計画について、既存外壁に経年劣化があった為、外壁はガルバリウム鋼板で覆う事で躯体を風雨に曝されないようにし、劣化の進行を遅延する処置をした。コストを考慮し、修繕の際に足場の不要な部分は吹き付けタイル仕上とした。内装計画では、天井と壁の一部の躯体を露出させ、補修箇所や経年劣化を隠蔽しない設計とした。

第四章 補修及び補強の記録

 今日まで、建物の経年劣化やメンテナンス、再生工事について、総合的に記録されてこなかった。このことは、医療に例えれば患者のカルテが存在しないに等しく、再生設計の際に障害になることも多い。既存建築物のストック化を促進させる上で大きな問題である。

 これに対し、「補修及び補強の記録」を作成する事とした。既存建物のデータ化に始まるリファイン建築の設計は、それ自体が建物の履歴書を作成するようなもので、それに加えて現在行う補修及び補強が正確に記録されていれば、後年再び再生する際、建物についてより正確に理解ができ、様々な策を講じられるだろうと考える。

 調査方法としては、内装の解体工事が終了した住戸から随時、躯体の劣化と施工不良についての目視による全数調査を行った。調査対象を分類し、図化した。全調査対象への補修及び補強について1対象ごとにシートを作成し、現況と補修及び補強の結果をまとめた。尚、「住みながら住戸」は現入居者が出たときに調査する事とし、順次記録が補完されてゆくことになる。

第五章 終章

 本研究によって得られた一連の成果は、公共民間及び賃貸分譲を問わず、今後様々な集合住宅で応用可能である。また、集合住宅に限らず、築30年を超えた様々な建物にも応用可能な手段と考えている。特に建物の履歴の記録を取る事は、建物の長寿命化への糸口となるのではないか。この一連の手法の普及により、老朽化した集合住宅で改修計画を立てても住人の退去が必要となり、立退料や工事中の住居の確保などに費用がかかるため結局対症療法的な改修がなされ、最終的にスクラップアンドビルドとなるという状況を打開し、既存建築物のストック化の促進へ寄与する事ができるのではないだろうか。一方で、今後の課題も残った。それは調査の問題である。対象物件では解体後に判明した劣化や施工不良が非常に多く、当初想定された補修費用を遥かに超えた。設計時点での、コストを抑えた、より正確な調査方法を確立し、不確定要素を無くしていく事が課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、既存集合住宅の再生において生じるさまざまな問題に着目し、ケーススタディを通して、建物再生のための設計手法と技術体系をまとめた研究である。

本論文は5章で構成されている。

第1章では、本論文の背景、目的、研究対象について述べている。

 ここでは既存建物再生の設計手法と技術体系をまとめるために必要な条件、すなわち耐震補強、構造躯体の劣化部分の補修、増築(エレベータ設置等)、設備配管・機器の更新、内外装の改修、部分的なコンバージョン(用途変更)などの条件をリストアップしている。

第2章では、既存建物再生の予備調査について述べている。

 賃貸集合住宅の再生では予備調査が重要である。予備調査は大きく(1)入居者の合意形成、(2)構造調査、(3)経済的な検討の3項目に分類されている。

(1)合意形成

賃貸集合住宅の再生工事においては、建物の老朽化の事実を明らかにし、再生工事の必要性について入居者に理解を求め、入居者の意見を聞いた上で、再生方法の選択肢を提示し、合意形成を計ることが重要である。そのための合意形成プロセスを詳細に検討している。

(2)構造調査

構造調査は、劣化度調査、耐震診断計算、仕上材等の撤去、施工不良と劣化状況の調査という手順で進められる。構造調査は再生建築物の性能を確保する上で不可欠の作業である。

実施設計段階では、さらに詳細な劣化度調査が行われる。調査結果を承けて再度耐震診断計算が行われ、その結果にもとづいて補強計画を立案し耐震法規条件を満足する方策が検討される。

(3)経済的検討

賃貸集合住宅においては事業収支の経済的検討も重要な条件である。再生建築の場合、工事の程度と家賃設定の詳細な比較検討が必要となる。望ましい組み合わせをいくつか設定し、事業収支計算を重ね、予算の枠組を策定する。経済的検討は3段階に分けられる。(1)基本構想段階では複数の代替案を提案する。(2)基本設計段階では、諸条件の設定や組み合わせを変更して調整を行う。(3)見積段階では、融資額と金利の内定後の条件設定により、工事金額確定の為の事業収支計算を行っている。

第3章では、平面計画上で重要となる問題点について述べている。

 通常、平面計画は、既存図のデータ化→解体計画→補強計画→再生後の平面計画というプロセスで進められる。本研究では、このプロセスにライフライン(以下LLと表記)の更新計画が加わる。ここでは旧LLを残しながら、新LLを設置するというLLの経時的更新が可能な計画が策定されている。更新されたLLは、将来、再び再生する際にも更新が可能なように、外部に露出させている。耐震補強の方法は種々の制約条件を考慮して決定され、住戸タイプ別の平面計画に沿った耐震補強計画を策定している。

第4章では、補修及び補強の記録の意義と方法について述べている。

 今日まで、建物の経年劣化、メンテナンス、再生工事に関する総合的な記録は行われてこなかった。これは医療に例えれば患者のカルテが存在しないに等しく、再生設計の際に障害になることが多い。既存建築物のストック化を促進させる上で、この点は大きな問題である。本研究では、この問題に対し「補修及び補強の記録」の作成を提案・実施している。既存建物のデータ化とは、建物の履歴書を作成することである。これに加えて今回実施される補修及び補強が正確に記録されれば、後年、再び再生する際にも、十分な対応が可能となるであろう。

第5章(終章)では、本研究の意義と今後の課題について述べている。

 本研究によって得られた一連の成果は、公共民間及び賃貸分譲を問わず、様々な集合住宅で応用可能である。特に建物の明確な履歴を記録することは、建物の長寿命化への糸口となるであろう。

 今後の課題は、既存建物の調査方法の確立である。今回のケーススタディでは、解体後に判明した劣化や施工不良が多く、当初想定していた補修費用を遥かに超える結果になった。予備調査の段階における正確な調査方法を確立し、可能な限り不確定要素を抑えることが今後の課題として残された。

以上、本論文は、既存建物再生のための設計手法と技術体系を、総合的かつ実践的に明らかにしている点で社会的意義の高い研究である。この研究を契機として、これまで専門分化していた再生建築分野の統合化への一歩が示されたといえるだろう。

このように、本論文は建築再生学の成果として一般性の高い研究であり、今後の分野の発展に資するところが大きいと思われる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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