学位論文要旨



No 216706
著者(漢字) 室屋,裕佐
著者(英字)
著者(カナ) ムロヤ,ユウサ
標題(和) 超高時間分解能パルスラジオリシス装置の構築と利用 : 水およびアルコール中溶媒和電子の研究
標題(洋)
報告番号 216706
報告番号 乙16706
学位授与日 2007.02.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16706号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 助教授 工藤,久明
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

 パルスラジオリシス法は、放射線誘起反応で生成・消滅する多種多様の短寿命化学種の測定に非常に有効であり、物理化学だけでなく生物、医学等の幅広い分野にも活用されている。1960年に開発されて以来、50ps程度の時間分解能が達成されてきた。しかし、ピコ秒・サブピコ秒における初期過程(電子・カチオン等の生成や溶媒和、ジェミネートイオン再結合、励起状態形成や移動等)は、時間分解能が十分でないため良く分かっていない。

 近年、レーザフォトカソードRF電子銃や磁気パルス圧縮器を用いた極短電子パルス発生や、フェムト秒レーザ等の超短パルス光発生技術が進歩し、これらを用いた新しいパルスラジオリシス装置の開発と利用が期待されるようになった。そこで本研究では以下の2点を目的とする。(1)フォトカソードおよびフェムト秒レーザを用いた新しい超高時間分解能パルスラジオリシス装置を構築する。(2)構築した装置を未だ解決していない放射線化学反応初期過程の問題に活用する。尚、類似のプロジェクトはアメリカ、日本、フランスをはじめ世界各国でも開始されている。

2. Pulse&probe法パルスラジオリシス

 電子パルス照射により瞬間的に試料中に化学種を生成させ、Lambert-Beer則に従う吸光度測定からその濃度や時間挙動を追跡する。高時間分解能化には、分析光に連続光を用いるKinetic法よりも、短パルス光を用いるPulse&probe法が適する(図1)。分析光パルスのタイミングをずらしながら吸光度測定を繰り返し、時間プロファイルを得る。時間分解能の主な決定要因は以下の4点である:(1)電子パルス幅、(2)分析光パルス幅、(3)同期精度、(4)試料(屈折率n≠1)における電子ビームと光の速度差で生じる通過時間差。要因(4)を低減するには薄い試料を用いる必要があるが、Lambert-Beer則により吸光度が低下するため、高電荷のビームが要求される。

3. 超高時間分解能パルスラジオリシス装置の構築

3.1. 装置の概要

 東大・原子力専攻の22MeV S-bandライナックにおいて構築を行った。装置全体図を図2に示す。(1)MgレーザフォトカソードRF電子銃(BNL/KEK/SHI type:GUN IV)およびシケイン型磁気パルス圧縮器を含むライナック、(2)0.3TW, 100fs Ti:Sappレーザ、(3)ライナック・レーザ高精度同期システム、(4)測定光学系からなる。fsレーザは2つに分岐し、一つは3倍高調波 (265nm) 生成後フォトカソードに入射する。発生した電子は加速管で22MeVまで加速・エネルギー変調し、シケインでパルス圧縮して照射に用いる。残りは、白色光やOPA(光パラメトリック増幅器)で波長変換してから分析光に用いる。

3.2. システム構築

 電子ビーム発生、fsレーザとの高安定同期、測定光学系の構築を行った後、性能評価のための予備的パルスラジオリシスを行った。

 フォトカソードにおいて100 μJ/pulse程度の3倍高調波で発生する2.5nC/pulse、7ps (FWHM)程度の電子ビームを用いて加速・パルス圧縮を行った結果、2-3ps(FWHM)、1.5-2.0nC/pulse、D=3mm (full size)のビームが得られた。線量は30-47Gy/pulseと従来の約3倍の線量が得られた。

 fsレーザとの同期については、長時間安定性が問題であった。加速管冷却水の温度変動やレーザ室温変動が原因であることがわかり、それぞれ0.2℃→<0.01℃、0.5℃→<0.1℃に制御した。また、レーザの真空伝送ライン(50m)の歪みも原因であることが分かり窒素置換を行った結果、長時間ドリフトは大幅に低減し、約2時間にわたる同期精度も従来の3.5ps(rms)から<1.6ps(rms)に向上した(短時間ジッターは<500fs(rms))。

 次に測定光学系の構築を行った。分析光は参照光、セル透過光の2つに分け、それぞれPINフォトダイオードおよびオシロスコープで測定した。チェレンコフ光や電磁ノイズ除去のため、吸光度は、電子ビームと分析光On/Offの計4通りの測定から演算で求めた。それに加え、オシロスコープ計測、光学遅延等一連の操作は、LabVIEWで作成したプログラムによりGPIBで一括して自動制御した。

3.3. 予備的パルスラジオリシス実験

 性能や信頼性チェックのための予備的パルスラジオリシス実験を行った。試料に純水を用い、700nmにおける水和電子を、光路長10, 5, 2, 1mmと変えて行った結果を図3に示す。1cm試料を用いた場合、吸光度0.32であり線量は約40Gyであった。吸収立ち上がり時間は時間分解能を示すが、短い試料ほど速い立ち上がりが見られ、それぞれ12-13ps, 6-7ps, 4-5ps, <4psまで向上した。水の屈折率(n=1.33)によるビーム・光の通過時間差が時間分解能の支配要因であると言える。

4. 超高時間分解能パルスラジオリシス装置の利用

4.1. 水和電子の初期収量とピコ秒時間挙動: ピコ秒〜ナノ秒併用パルスラジオリシス実験とそのモンテカルロ計算

 水和電子の初期収量を測定した。ピコ秒領域をPulse&probe法で、ナノ秒領域を従来のKinetic法でそれぞれ測定し、よく知られたプライマリG値2.7を基にピコ秒収量を算出した。結果を図4に示す。照射後20psおよび100nsにおける吸光度は、それぞれ0.196、0.127であり、プライマリG値2.7を用いると照射後20psのG値は4.1と求められた。従来の報告値G=4.8よりも約20%低い値であり、近年ANL (Argonne National Laboratory)により報告されたG=4.0 (time zero)に近い値が得られた。

 モンテカルロ計算も従来は初期G値4.8を再現するものであったため、改良を行った。カナダのSherbrooke大で開発されたTRACPRO, TRACELE, TRACIRTを用いた。熱化距離(rth)、ジェミネートイオン再結合断面積(σrec)、物理化学過程における励起水分子の解離性反応の割合などの物理・物理化学過程におけるパラメータを変化させ、本実験結果の再現を試みた。その際、水和電子だけでなくその他の放射線分解生成物の収量も報告値と良く一致するよう、グローバルなフィッティングに配慮した。結果を図4に合わせて示す。実線が従来の、破線が今回の最適なパラメータを用いた結果である。σrec やrthは従来用いてきた値よりも大きな値となった。水和電子の初期収量は4.4(20psでは4.3)であり、ANLの報告値よりも本実験結果を良く再現する結果が得られた。

4.2. アルコール中溶媒和電子の初期収量と生成過程

【溶媒和電子の初期G値】 各種アルコール(CnH(2n+1)OH; n=1-10, ジオール、トリオール)中の溶媒和電子の初期収量評価を行った。初期G値は、水和電子の初期G値(〜4.1@20ps)とモル吸光係数の報告値を用いて算出した。結果は表1にまとめた。1価アルコールについては、長い側鎖のものほど収量は減少傾向にあった。誘電率低下に伴い、電子が溶媒和するまでにカチオンとの再結合確率が高くなるためであると考えられる。ジオール類(エチレングリコール(12ED)、1,2-および1,3-プロパンジオール(12PD, 13PD)については、モル吸光係数の報告値が極めて少ないため、ナノ秒パルスラジオリシスを用いて再評価を行った。電子捕捉剤である4,4'-Bpyを用いて、生成するラジカル(4,4'-BpyH●)の測定から求め、EG, 12PD, 13PDについてそれぞれ9000, 9700, 10000 [M(-1)cm(-1)]が得られた。その結果、ジオール類はメタノールやエタノールと同程度のG値を示した。

【溶媒和過程】 可視〜赤外(600-1600nm)においてパルスラジオリシス実験を行った。1価アルコールの中でもメタノール・エタノールについての結果を図5に示す。赤外領域では電子先駆体の生成および減衰が、可視領域では溶媒和電子生成が見られた。電子先駆体の吸収は赤外領域まで幅広く存在していたが、一般に先駆体は赤外に広い吸収を持つことが知られており、これと良く一致する。ところがジオール類では赤外吸収が著しく小さかった(図6)。先駆体の時間減衰や溶媒分子の回転緩和時間はメタノール・エタノールと同程度であることから考えて、時間分解能の不足ではなく、先駆体そのものの生成量が少ないと思われる。先駆体の状態を経ず直接溶媒和へ至る過程が存在することが、水や1価アルコールで報告されているが、ジオール類ではその割合が大きく、一般に考えられている電子周辺の溶媒の回転に連動した溶媒和とは様相が大きく異なると結論した。4.1.節で得られたジオール類溶媒和電子の初期G値が高いことは、その影響が非常に大きいことを反映していると考えられる。

5. 結論

 フォトカソードおよびフェムト秒レーザを用いたPulse&probe法による超高時間分解能パルスラジオリシス装置を構築し、サブ10psの時間分解能を達成した。また、構築した装置を用いて、水和電子やアルコール中に生成する溶媒和電子の初期収量と溶媒和過程を調べた。その結果、水和電子については従来より低い初期収量G=4.1(20ps)が得られ、モンテカルロ計算でも再現することができた。また、系統的なアルコールを用いて溶媒和電子の初期収量を評価した。赤外領域における電子先駆体の測定から、多価アルコールの溶媒和過程は1価アルコールと比較して特異な溶媒和過程を取ることが分かった。

Fig.1. Pulse-and-probe method for ultra-fast pulse radiolysis study

Fig.2. Ultra-fast pulse radiolysis system besed on pulse-and probe method, using the Mg laser photocashode RF-gun and the fs Ti:Sapphire leser

Fig.3. Preliminary pulse radiolysis experiment; time beheviors of the hydrated electron measurede at 700nm. Inset; enlarged part of the figure within 30ps. Optical path length of the cells are (a)10mm, (b)5mm, (c)2mm, (d)1mm.

Fig.4. Time behavior of the hydrated electron measured by combination of ps and ns pulse radiolysis, and its Monte-Carlo simulation.

Table.1. Experimental results of the initial yields of the solvated electrons in water and variety kinds of alcohols.

Fig.5. Time behaviors of the pre-solvated and solvated electrons in MeOH and EtOH measured from 600 nm to 1600nm.

Fig.6. Time behaviors of the pre-solvated and solvated electrons in diols measured from 600 nm to 1500nm.

審査要旨 要旨を表示する

 パルスラジオリシス法は、1960年初頭に開発されて以来、放射線誘起反応で生成・消滅する多種多様の短寿命化学種の測定に非常に有効であり、物理化学だけでなく生物、医学等の幅広い分野にも広く活用されてきた。しかし、ピコ秒・サブピコ秒における初期過程、代表的には電子・カチオン等の生成や溶媒和過程、ジェミネートイオン再結合、励起状態形成や移動等は、これまで開発されてきた100ps前後の時間分解能では十分でなく、さらに高時間分解能のシステムの開発が必要とされてきた。近年、極短電子パルス発生やフェムト秒レーザ等の超短パルス光発生技術が進歩し、これらを用いた新しいパルスラジオリシス装置の開発と利用が期待されるようになり、フォトカソードおよびフェムト秒レーザを用いた新しい超高時間分解能パルスラジオリシス装置の開発のプロジェクトがアメリカ、日本、フランスをはじめ世界各国でも開始されてきた。

 本研究は東大の東海村にある東京大学大学院工学系研究科原子力専攻のライナックにフォトカソード電子銃とフェムト秒レーザを組み合わせた超高時間分解能パルスラジオリシス装置の構築を進めるとともに、構築したシステムが十分な性能を有する事を水やアルコールの放射線分解で生成する電子の生成挙動と収量を観測、測定する事で確認し、現在世界で最も高性能のシステムの一つを構築したことをまとめたものである。

 本論文は四章からなり、第一章は、上に述べた背景と本研究の位置づけと目的をまとめている。

 第二章は超高時間分解能パルスラジオリシス装置の構築について述べている。まず、パルスラジオリシスには分析光に連続光を用いるKinetic法と、短パルス光を用いるPulse&probe法があり、高時間分解能化には後者が適切であり、時間分解能の主な決定要因が、 (1)電子パルス幅、(2)分析光パルス幅、(3)同期精度、(4)試料(屈折率n≠1)における電子ビームと光の速度差で生じる通過時間差、の4点であることを述べている。さらに、22MeV S-bandライナックにおいて構築した装置が、(1)MgレーザフォトカソードRF電子銃、およびシケイン型磁気パルス圧縮器を含むライナック、(2)0.3TW,100fs Ti:Sappレーザ、(3)高精度同期システム、(4)測定光学系の、四つから構成されていることを紹介している。

 同期精度については長時間安定性が問題であったが、加速管冷却水の温度変動やレーザ室温変動が原因であることがわかり、各々0.01℃、0.1℃に制御し、さらに、レーザの真空伝送ライン(50m)の歪みも原因であることを突き止め、窒素置換を行った結果、長時間ドリフトは大幅に低減し、<1.6ps (rms)に到達した。次にノイズ除去、安定性向上を達成するためのLabVIEWで作成したプログラムによりGPIBで一括して自動制御した測定光学系の構築についても詳細に述べている。

 性能と信頼性チェックのため試料に純水を用いて700nmにおける水和電子生成の立ち上がり時間の測定実験を行った。試料セル長を10, 5, 2, 1mmと変えて行った結果、時間分解能を示す立ち上がり時間は、12-13ps, 6-7ps, 4-5ps, <4psとなり、水の屈折率(n=1.33)によるビーム・光の通過時間差が時間分解能の支配要因であることを示した。最終的には、パルス幅2-3ps(FWHM)、電荷量1.5-2.0nC、径3mmで、30-47Gy/pulseの線量が得られた。

 第三章は、構築したシステムが信頼性高く稼働する事を実際の実験で確認するとともに、その有効性を、新しい実験結果を取得する事により示している。

 水和電子の初期収量を測定した。ピコ秒領域測定とナノ秒領域測定を同条件下で行い、100nsにおけるG値2.7を基にピコ秒収量を算出した。その結果、照射後20psのG値は4.1と求められた。従来の報告値G=4.8よりも約20%低い値であり、近年ANLにより報告されたG=4.0 (time zero)に近い値が得られた。さらに、モンテカルロ計算を行い、水和電子だけでなくその他の放射線分解生成物の収量も報告値と良く一致するよう、グローバルなフィッティングを行った結果、水和電子の初期収量が4.4(20psでは4.3)となり、実験結果をほぼ再現する事を示した。

 同様に、種々アルコール中での溶媒和電子の生成過程とピコ秒収量を測定した。1価アルコールについては、側鎖が長くなるに従い収量は減少傾向することを見出した。誘電率低下に伴い、電子が溶媒和するまでにカチオンとの再結合確率が高くなるためであると説明している。エチレングリコールや1,2-および1,3-プロパンジオールなどのジオール類は、モル吸光係数の報告値が極めて少ないため、ナノ秒パルスラジオリシスを用いて再評価を行った。電子捕捉剤である4,4'-Bpyを用いて、生成するラジカル(4,4'BpyH□)の測定から求め、EG, 12PD, 13PDについて各々のモル吸光係数を決定し、その結果からジオール類はメタノールやエタノールと同程度のG値を示すことを明らかにしている。さらに、可視から赤外領域(600-1600nm)においてパルスラジオリシス実験を行い、赤外領域では電子先駆体の生成および減衰の観測と、可視領域では溶媒和電子生成を測定し、溶媒和過程の検討も行った。

 第四章は、本研究の結論と今後の展望についてまとめたものである。構築したシステムが世界で現在稼働中のシステムで最も高い総合性能を持つ装置の一つである事を結論し、水やアルコール中の電子の挙動測定が十分出来る事から、さらに炭化水素系のイオン再結合や超臨界流体中での高速反応の研究に欠かせない武器になるであろうと展望している。

 以上を要約すれば、本研究の成果は、世界で最も高性能の一つである超高時間分解能パルスラジオリシスシステムの構築を行い、これを用いてピコ秒時間領域の放射線誘起超高速現象を追跡できる事を示したものである。

よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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