学位論文要旨



No 216714
著者(漢字) 芝崎,厚士
著者(英字)
著者(カナ) シバサキ,アツシ
標題(和) 日本における近代国際関係認識の原的形成朝永三十郎と<自我・国家・国際関係>
標題(洋)
報告番号 216714
報告番号 乙16714
学位授与日 2007.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16714号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 教授 木畑,洋一
 青山学院大学 教授 山本,吉宣
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、「国際関係とは何か」という国際関係研究における根源的な問いと答えを構成する認識論的機制である国際関係認識の近代における形成過程を、明治末から昭和前半期に活動した哲学史家朝永三十郎の思想と行動を検証することによって解明し、国際関係認識の歴史的な変遷を跡づけて、現在及び将来の国際関係ひいては国際関係を含めた、全体としての世界のあり方やその構成をより精確に理解するための基礎となる見取り図を獲得することである。

 本論文は三部構成をとっている。第一部では、国際関係認識研究の分析枠組を作り、先行研究を検討して課題を発見する。第二部では、朝永三十郎の思想形成とその変容を跡づける。第三部では、朝永以後の歴史的展開を踏まえつつ、朝永三十郎の歴史的意義を総括し、国際関係認識研究の有効性と今後の課題を検証する。

 第一部では、第一章から第三章で、国際関係認識一般の枠組を作り、第四章と第五章で、朝永三十郎の議論を理解する上で前提となる先行研究を整理し課題を発見する。第一章では、国際関係認識研究の基本的な前提と枠組を提示する。第二章では、国際関係認識研究を遂行するための枠組作りの第1の作業として、国際関係研究という分野において国際関係認識研究が持つ位置、および国際関係認識研究が国際関係研究に対して持つ学問的意義を明らかにする。第三章では、国際関係研究を遂行するための枠組作りの第2の作業として、真木悠介 (見田宗介)の一連の議論の分析と検討を行い、第二章での分析と併せて、国際関係認識研究の基本的な視座と方向性を確立する。第四章では、近代国際関係認識の研究を朝永三十郎に即して行う際に、朝永の議論が属する第1の主要な系譜である、カントの議論をもとにした国際関係をめぐる解釈の系譜をたどる。この作業の目的は、朝永を理解する上で必要な視座を構築することであり、同時に、朝永に限らず、カントに基づいて国際関係を理解し、考えることそれ自体がもつ歴史性一般が、国際関係認識を歴史的に考察する際の研究対象として有効であることを示すことである。第五章では、朝永の議論が属する第2の系譜である、近代日本における哲学・思想研究の系譜の中での、朝永、そして分析の焦点となる『カントの平和論』の位置づけを検討する。

 第二部では、朝永三十郎の生涯に亘る思想の変遷を検証する。具体的には、第一章と第二章で、朝永の国際関係認識が結実した作品である『カントの平和論』の成立過程を検証し、第三章から第五章で、朝永の言論活動の全体像を、誕生から欧米留学以前、留学と帰国直後、その後から晩年、の3つの時期にわけて解明し、第一章と第二章で取り扱った『カントの平和論』をその生涯の中で意義付け、さらにその生涯の全体像を歴史的に定位する。第一章では、本論文の分析の焦点となる、朝永の『カントの平和論』の成立過程を解明する。第二章では、『カントの平和論』の成立の契機を検証する。第三章から第五章では、朝永三十郎が学界に登場し死去するまでの活動を時系列的にたどり、その特質を明らかにする。同時に、第一章・第二章でみた、『カントの平和論』がその時系列的な活動の中でどのように位置づけることができるか、またその位置づけを踏まえて、朝永三十郎における近代的な国際関係認識がどのような形で胚胎し、結実していったのか、を考察する。

 第三部は結論部分である。具体的には、第一章では朝永三十郎の歴史的意味を総括し、第二章では朝永以降のカント読解の系譜をたどることで近代日本における国際関係認識の形成と変容を考察し、第三章では国際関係認識の歴史性について、国際関係認識研究の今後の展望を含めて検討する。第一章は第二部の考察の結論であり、同時に第一部をふまえた第二部の考察である。第二章は近代日本のカント読解に限定した国際関係認識研究のその後の系譜を追うことで、朝永を中心とした考察の妥当性と、その考察から得られた知見の妥当性を検証すると同時に、近代国際関係認識の変容の前兆に対する気づきの歴史的位相の再定位を試みる。第三章は近代日本という限定を離れ、一般的な国際関係認識の近代的様相と現代的変容をとらえるための基本的な見通しについて考察する。

 本論文の主張は、次の5点に集約することができる。

 第一に、「国際関係とは何か」という問いを問い、考え、答えを導き出すために人々が意識するとせざるとにかかわらず動員する世界観的前提としての国際関係認識を歴史的に問う研究が、国際関係研究の理想再設計、ひいては社会科学、学問、知全体の新たなあり方を見出し、よりよい世界理解、よりよい世界を実現するために必要である。そのためには国際関係研究を、それをとりまく、科学、学問、知との関連において、人類史的、生命史的、学際的視点を複合的に適用して再検討しなければならない。

 第二に、近代国際関係認識は、近代科学・学問が近代哲学と分離し、テイク・オフした時期でもある近代的な世界観の確立過程の中で形成されていく。国際関係認識は「国際関係」のみに対する思考としてではなく、国際関係を含めた諸主体と諸主体間関係(あるレベルの主体内部・主体間における関係に加えた、異なるレベルとの間の関係)の中で有機的に生み出される、いわば世界理解の一部として生み出される。国際関係認識は有期の、歴史性を持つものである。近代世界におけるその生成を問うことで、近代以後の世界におけるその変容について見通しを得ることができる。それは近代における「自我と自我間関係」という世界構成の枠組の中で、形成される。

 第三に、近代国際関係認識の形成過程をとらえる上で、『永遠平和のために』をはじめとする、カントの一連の歴史哲学著述にみられる、個人と国家と世界を関連づけることによって編み出される世界構成とそれに対する解釈の系譜というコーパスが、分析の焦点として有効である。このことは、英語圏を中心とした欧米の『永遠平和のために』の解釈の歴史的特質をみても明白である。日本における朝永以前以後のカントの平和論の理解の系譜からも、近代日本の歴史的な激変の中での世界の見え方の変遷を逆照射することが可能である。国際関係研究にとってカントの持つ根源的な意義は、平和論の原典、民主的平和論の出典、規範理論の引照基準のいずれにも回収し得ない、近代国際関係という世界の出来上がり方を説明する際の基礎的な思考の枠組を提供している点に存するのである。

 第四に、朝永三十郎の思想形成を検証すると、彼が単純な新カント派ではなく、単純な祖述者・紹介者でもなかったことが明確となる。朝永三十郎は明治期に学問形成した哲学史家であるが故に、この問題の根源にある難点を発見することができるとともに、国際関係のみに着目する論者や研究者に欠落しがちな自我と自我間関係と世界とのかかわりにも厳密な目配りを忘れていなかった。加えて、専門分化していった朝永以降の研究者にない、人生観的・世界観的な哲学研究や哲学理解の姿勢が、朝永を、哲学的な世界構成の問題に向かわせることになった。そのことは、従来無視されてきた留学以前の時事的な問題関心が比較的明瞭な一連の議論が端的に示している他、留学そして留学以後の一見純学術的に見える仕事の背景にある一貫した問題関心の所在からも、検証可能である。

 第五に、朝永が近代国際関係認識形成に果たした役割は、到達するべき高邁なあるいは独自の目標の提示ではなく、それを踏まえ、理解した上で克服していかなければならない、避けて通れない共有されるべき前提の提示と、その知識層への定着、浸透であった。と同時に、世界国家の不可能性に関する議論が集約的に表現しているように、世界構成の問題に関してそれ以上は崩して問うべきではない臨界点の封じ込めであった。朝永三十郎は、近代日本の哲学的形成をその社会的役割として引き受け、その使命を最後まで全うしていったのであるが、その哲学的形成において同時に、近代日本における国際関係認識の形成に寄与したのである。その結果として析出できるのが、本稿が<自我・国家・国際関係>と呼ぶ認識論的機制である。すなわち、自律し自立した自我を持つ個人を単位として、自我間関係が社会契約説的なフィクションによって国内社会・国家の中で秩序づけられ、さらにそうした国家が個人との比定において自立した不可分の存在とみなされ、それが世界国家に解消されることなく、国際関係を形成し、形成し続ける、という世界観である。

 近代日本・日本人の哲学的形成というプロジェクトは、単なる文明批評によっても、また哲学的課題の抽出と解決によっても、尽くし得るものではなかった。朝永が同時並行的に論じ、言及せざるを得なかったのは、西洋哲学的な課題を日本ないし日本人という主体が受容し、理解し、引き受けてこの世界に存在し、存在し続けることが安定的に保証されるような世界像の構築とその弁証とであった。その世界像においては、近代西洋的な国際関係の中で日本や日本人が少なくとも対等な主体として、さらには思想の類化と応化のプロセスにおいて消失しないような固有性を持つと同時に世界全体に通底するような普遍的な役割を担いつつ安定的に存在し、諸国家と思想の交換や相互変容を排他的にではない形で平和理に行い、共存し続ける存在として位置づけられなければならなかった。その議論の背景にあってそれを下支えする、ないしは、その議論を成り立たせるために必要だったのは、日本や日本人が西洋列強との思想や文化の交換や受容を行う上で、普遍性を共有すると同時に特殊性を固有する、対等でありかつ不変の主体としてこの世界に参加して、位置を占めている、という世界認識であり、世界理解であった。留学前の朝永の考察は、哲学的課題の精錬とそれを支える世界観的前提の模索という2本柱によって展開されたのである。

 この2つの柱は、近代日本における国際関係認識の形成を含んだ、近代的な世界観と世界像の存立の機制を構成している。つまり平等であり対等であり、普遍の共有と個別の分有を同時に担い、変化を伴いながらも不変な(他へとは完全に同化も還元も不可能な)主体として個人をそして国家を考え、そうした個人が国内社会を形成し、そうした個人が構成する国内社会を統べる国家が、国際社会を形成する、という一貫したロジックが成立すると仮設し、国際関係の性質をそうしたロジックの中で整合的に説明しようとすることになる。自我という主体と、国家という主体は同時に、同様の性質を持つ主体として形成されなければならない。それらを包括する世界図式として、国際関係が想定されなければならない。そして、この3つは同時に立ち上げられ、相互確証的にお互いのありようを保障し、支え合うようにして成り立っている。このように、近代国際関係認識は、日本と日本人、という主体を安全かつ確実に、安定的にその世界の中で弁証しようとする過程の中で生み出されていくことになる。ただし国家間関係は、個人間関係が1つの社会そして国家を形成するのと同じ意味では、世界国家を構成しない、という歯止めを掛けられることになる。

 朝永以前のカントの平和論受容は、『永遠平和のために』における議論を時代状況の中での自己の展望に引きつけて解釈し、また自己の展望における望ましい部分へと力点を置く形でなされてきた。その考察からはそれぞれの論者の鋭敏な、場合によっては突拍子もない、時代感覚をくみ取ることができる。時々の現実認識によってその評価や理解が偏してしまうのは、カントの議論が支えに持っている認識論的機制を総体として理解する準備がなかったことの裏返しであった。一方朝永はより学的な哲学史的解釈とテクスト操作という武器を駆使することによって、そうした主観的かつ時事的な解釈をある程度までは超越するような視座からカントの平和論を理解し、体系化することができた。その結果として、近代的自我を出発点にして国家をそして国際関係を構成し、構想していくという世界像によってはじめて、近代国際関係を以前とは質的に異なる形で静態的、固定的に理解する起点を提示することになったのである。

 しかしそこには依然として、国際関係を超えるような統一的な主体としての世界全体という単位を形成することや、国際関係を破るような世界構成の理解を生み出すことを、少なくとも論理的に退けることが出来ない、という難題が存在していた。しかしそれでもこの枠組に従って、世界共和国(あるいは国際国家、世界国家)にまで至ることのないものとして近代世界を構成し構想すること以外には、近代国際関係という世界像を受け入れる手段は存しなかったのである。冷戦期にはこの封じ込め自体が暗黙の前提となり、封じ込めが埋め込まれることになったが、それに対する違和観は伏在し続けた。現在はその封印がゆらぎつつあり、近代国際関係認識の妥当性や有効性は、近代的な世界観の変容と揆を一にして、根本的に変質しつつあるのである。

 以上

審査要旨 要旨を表示する

 提出論文は、「国際関係とは何か」という国際関係研究における根源的な問いと答えを構成する認識論的機制である国際関係認識の近代日本における形成過程を、明治末から昭和前半期に活動した哲学史家朝永三十郎の思想と行動を通して検討したものである。提出者は、朝永の議論から、<自我・国家・国際関係>という認識論的機制を抽出し、このような国際関係認識の歴史的変遷を跡づけることで、現在及び将来の国際関係ひいては国際関係を含めた全体としての世界のあり方や構成をより精確に理解するための基礎となる見取り図を提示している。それは近代日本の国際関係思想の研究であるとともに、近代国際関係認識そのものが依って立つところの認識論的機制を問題化する意欲的な試みであるといえよう。提出論文の構成及び要旨は、以下の通りである。

 「はじめに」において簡単に本論の構成が示された後で、「第1部 国際関係認識研究」では、研究の枠組、研究史の整理、課題の提示がなされる。第1章では、国際関係認識研究の基本的な前提と枠組が、論文提出者のこれまでの国際文化論研究を踏まえて、提示される。第2章では、国際関係認識研究の枠組を作るための第一の作業として、国際関係研究における国際関係認識研究が持つ位置とその射程が論じられる。第3章では、国際関係認識研究の枠組を作るための第二の作業として、真木悠介(見田宗介)の著作、とりわけ『自我の起源』が取り上げられ、国際関係認識研究にとっての意義が論じられる。これらを受けて、第4章では、国際関係認識を「自我と自我間関係」のなかで位置づけるための視座を得るために、カントの議論をもとにした国際関係をめぐる解釈の系譜を検討している。これは、第2部で詳述する朝永三十郎の議論を扱うための前提作業であるが、同時にそれは、朝永に限らず、カントに基づいて国際関係を理解し考えることそれ自体が持つ歴史性一般が、国際関係認識の歴史的考察にとって有効な視座を与えることを示すものである。第5章では、近代日本の思想的系譜において朝永の著書『カントの平和論』が占める位置を概観することで、第2部への導入としている。

 「第2部 朝永三十郎研究」は、朝永三十郎の生涯にわたる思想の変遷が検証される。第1章で、朝永の国際関係認識が結実した作品である『カントの平和論』の成立過程を詳細に論じたうえで、第2章では、『カントの平和論』を成立せしめた朝永の内的契機が分析される。このようにまず『カントの平和論』の位置を定めたうえで、次に論文提出者は、朝永の言論活動の全体像を、誕生から欧米留学以前(第3章)、留学と帰国直後(第4章)、『カントの平和論』前後及び晩年(第5章)の三つの時期に区分しながら、明らかにしている。このことにより、提出論文の分析の焦点となる朝永の『カントの平和論』が持つ論理的構成と時系列的位置づけが明らかにされるとともに、『近世に於ける「我」の自覚史』をはじめとする朝永の他の著作と『カントの平和論』の内的関連が論じられ、朝永三十郎における近代的な国際関係認識がいかなる形で胚胎し結実していったのかが、考察されている。

 「第3部 結論 近代国際関係認識の形成」は、第1部の方法論的議論と、第2部の実証的議論を踏まえたうえで、それらが持つ意味をより一般的な形で論じた結論部分にあたる。第1章では、朝永三十郎の歴史的意味を総括し、そこに<自我・国家・国際関係>という認識論的機制を読み込むことで、近代日本における国際関係認識の原的形成を見出している。第2章は、朝永以後の日本におけるカント解釈の系譜学をたどりながら、朝永の『カントの平和論』を中心的対象とした提出論文の射程を再検証しつつ、同時に、近代国際関係認識の変容の前兆に気付いた先駆的事例が取り上げられている。これらを受けて第3章では、近代日本という限定を離れて、一般的な国際関係認識の近代的様相と現代的変容を捉えるための基本的な見通しを提示することで、全体を締めくくっている。

 以上が提出論文の要旨であるが、本論文は次のような点で評価することができる。第一に本論文は、およそ近代国際関係認識そのものを成り立たせる前提となる、<自我・国家・国際関係>という認識論的機制を対象化した、極めて意欲的な論稿である。従来の国際関係思想研究においては、戦争や平和の個別的事例に対する言説が取り上げられるか、あるいは、国際関係論のパラダイムの成立史が扱われることが大半であった。それに対して、本論文は、既往のパラダイムが無意識のうちに前提としている認識枠組それ自体を問題化しようとした試みとして、評価することができる。そこには、国際文化振興会の成立過程に関する実証的研究から出発した論文提出者が、次第に、国際関係思想研究に対象を移していった過程において発見した、国際関係認識における「主体」に対する根源的問いが、背景にある。取り組んだ課題の質とそれを支える問題意識に、本論文の第一の特質があるといってよい。

 第二に本論文は、朝永三十郎の国際関係認識に関する個別研究としても、従来の水準を越えるものである。近代日本の哲学史において朝永三十郎は必ず言及される名前ではありながらも、国際関係論の文脈ではほとんど言及されることはなかった。このような研究状況のなかで、提出論文は、朝永の著作、とりわけ『カントの平和論』をその成立過程にまで遡りながら丹念に検証していくことで位置づけを明らかにしただけではなく、従来あまり知られてなかった初期の丁酉倫理協会における言説から、晩年の議論にいたるまでの朝永の議論の推移を綿密に扱っており、大正期の政治思想史としても随所に示唆的な指摘が見られる点は評価できる。

 第三に、日本外交思想史研究のなかでも、本論文は独自の地位を持ちえるものである。日本外交思想史研究においては、近代日本における西欧主権国家体系の受容と葛藤に関心が向けられた結果、近代国際関係認識の不安定さに焦点が絞られてきた嫌いがあるが、本論文はこれとは逆に、日本における近代国際関係認識の定礎のされかたに焦点をあてた論稿である。これにより、近代日本の議論をより一般的な文脈において再解釈する視座が新たに提示されたことの意義は少なくない。また、朝永三十郎をとりあげることで、国際関係認識を狭義の国際関係論をめぐる言説に限らず、より広い思想的な文脈のなかで捉える視点を提供したことも評価されよう。

 しかしながら、提出論文にはいくつかの弱点と思われる個所も存在する。第一に、本論文は、朝永三十郎『カントの平和論』を、日本における近代国際関係認識の原的形成を示す典型的事例として詳述したものであるが、朝永の議論を同時代の日本における他の論者との比較対照を通して検討するという視点は、やや弱いように思われる。例えば、同じく新カント派に属する思想家でもより世界国家論に傾斜していったような事例との比較や、西田哲学のその後の展開過程における<自我・国家・国際関係>という認識論的機制の位相などは、少なくとも朝永の議論を同時代的文脈のなかで理解しようとする場合には、論点となり得るのではないか。『近世に於ける「我」の自覚史』と『カントの平和論』を主要著作とする朝永三十郎が、論文提出者の問題意識に符合する事例であったことはよく理解できるが、逆に論理的前提からやや先験的に選ばれた歴史事例であるという印象も残るのではないか。

 第二に本論文では、近代国際関係認識の原的形成や、国際関係認識の近代的様相と現代的変容が論じられているが、現代的変容に関して集中的に論じたのは、第3部の最終章のみであり、このため、論文提出者が抱いている国際関係認識の将来像は間接的に示唆される形にとどまっている感は否めない。既に多くの問題提起を行っている本論文の内容を考えると、やや望蜀の感はあるが、「はじめに」で言及されたポストモダニズムに拠る既存の英語圏の国際関係論研究批判や、第3部の終章で扱われるウォルツやワイトの議論については、論文提出者の立場からのより詳細な検討が必要なのではないか。そのことを通して、著者の国際関係認識像はより積極的な形で提示され得るように思われる。

 しかしながら、これらの点は本論文の学術的価値をいささかも損なうものではない。総じて、本論文は、従来の国際関係思想研究においては必ずしも自覚的には論じられてはいなかった問題群を主題化しその解決の方向性を示した点で、学界に対して多大な貢献をしたものと認めることができる。以上の点から審査委員会は、本論文の提出者は、博士(学術)の学位を授与されるのにふさわしいと判断する。

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