学位論文要旨



No 216718
著者(漢字) 小林,政広
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,マサヒロ
標題(和) 撥水性が森林土壌中の水の移動と貯留に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) Effect of water repellency on infiltration and storage of rainwater in forest soils
報告番号 216718
報告番号 乙16718
学位授与日 2007.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16718号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 芝野,博文
 東京大学 助教授 大手,信人
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、森林の水源かん養機能の発揮に関わる土壌の働きに、土壌が水をはじく性質、すなわち「撥水性」が及ぼす影響を解明するために、林地斜面における撥水性発現の実態、土壌有機物と土壌水分量が関与する撥水性の発現機構、斜面土層表層部における水の移動と貯留に及ぼす撥水性の影響を明らかにするものである。

 第1章では、不飽和の森林土壌中の鉛直方向の水移動に関する研究における問題点を示し、連続する粗大孔隙、すなわちマクロポアを経路とする選択流の発生機構において、土壌の撥水性を考慮する必要性を述べた。その上で、土壌の撥水性に関する既往の知見を整理し、山腹斜面に分布する森林土壌中の水移動を解明する上でさらに明らかにすべき点を挙げ、これらを本研究の目的として呈示した。

 第2章では、本研究における実験と観測、および試料採取を実施した4つの試験地について述べた。千代田試験地は、平地に存在する6つの樹木植栽地、すなわち、間伐されていない暗いヒノキ植栽地、間伐されていない暗いスギ植栽地、間伐されている明るいヒノキ植栽地、間伐されている明るいスギ植栽地、コジイ植栽地、クヌギ・コナラ植栽地である。鹿北試験地は源頭部小流域のスギ・ヒノキ林、加波山試験地は山腹斜面のヒノキ林およびこれに隣接する落葉広葉樹林、常陸太田試験地は源頭部小流域のスギ・ヒノキ林である。

 第3章では、実際の林地における撥水性発現の実態について述べた。千代田試験地の6つの樹木植栽地の土壌、加波山試験地のヒノキ林と広葉樹林の土壌について、風乾状態まで乾燥したときに現れる撥水性(以下、潜在的な撥水性)の強度を比較したところ、ヒノキの影響下にある土壌が特に強い撥水性を示すことが明らかになった。現地における土壌水分で実際に発現している撥水性(以下、実際の撥水性)は、土壌が乾燥している場所で強く、湿っている場所で弱い傾向があり、水分依存性が認められた。潜在的な撥水性は、土壌の全炭素含有率(以下、TC)が高い場所ほど強い傾向が認められ、同じTCではヒノキ林の土壌の方が広葉樹林の土壌より潜在的な撥水性が強かったが、TCのみで潜在的な撥水性の強度を十分に説明することはできなかった。また、鹿北試験地の源頭部小流域、加波山試験地の山腹斜面における測定結果から、従来から撥水性土壌の分布が知られていた尾根部に限らず、谷底面近傍を除くほぼ全ての斜面位置で、強い潜在的な撥水性が認められること、乾燥時には斜面または流域の広い範囲で強い実際の撥水性が発現することが明らかになった。

 第4章と第5章では、撥水性の発現機構について述べた。まず、第4章では、潜在的な撥水性と土壌団粒外表面の化学組成の関係について述べた。代表的な表面化学分析手法であるXPS(X線光電子分光法)を用い、土壌団粒外表面の化学組成をほぼ非破壊で測定した。土壌有機物は土壌団粒の内部より外表面に多い傾向にあり、外表面における炭素の存在比は必ずしもTCに比例しないこと、ヒノキ影響下の撥水性の強い土壌の団粒外表面には、広葉樹影響下の撥水性の弱い土壌と比較して、酸素や窒素のような電気陰性度の大きい元素と結合していない炭素成分がより多く存在することが明らかになった。このような炭素成分は、ワックスや樹脂等に卓越する無極性構造中の炭素と考えられ、土壌の潜在的な撥水性の強度は土壌団粒外表面におけるこの炭素成分と酸素の存在比でよく説明できた。

 第5章では、実際の撥水性の水分依存性について述べた。鹿北試験地の土壌試料の撥水性は、体積含水率(以下、θ)約0.29m3m(-3)、マトリックポテンシャル(以下、ψ)約-35kPa付近で発現し、対象土壌の撥水性が現地で春から秋に頻繁に生じるような乾燥程度で現れることが明らかになった。また、土壌試料を5回水で抽出する処理を施した場合、無処理の試料と比べて各水分における撥水性の強度が低下した。抽出液のDOC濃度と表面張力の間には、親水性基と疎水性基を兼ね備える両親媒性有機物を含む溶液に特有の関係が認められ、土壌の撥水性およびその水分依存性には、水に溶けやすい両親媒性有機物が関与していることが確認された。ただし、抽出回数を5回から15回に増やしても、撥水性がさらに大きく低下することはなく、撥水性には土壌固相と強く結びついて水に溶けにくい成分も関与していることが示唆された。

 第6章、第7章、第8章では、撥水性が土壌中の水の移動と貯留に及ぼす影響について述べた。まず、第6章では、撥水性が関与する土壌の毛管現象について述べた。常陸太田試験地内の尾根部で400cm3採土円筒を用いて非かく乱採取した撥水性土壌を対象に、吸・排水実験を行った。弱度の撥水性が発現した1回目の吸水過程では、撥水性の発現しなかった2回目、3回目の吸水過程と比較して、より少ないθの増加でψが0cmまで上昇した。これは、吸水過程における団粒内部の細孔隙による吸水が撥水性により妨げられ、水を斥ける力が強くない相対的に大きな孔隙に選択的に水が浸入したため、すなわち、大小の孔隙に水が入る順番が親水性の土壌の場合とは逆になったためと考えられた。また、薄型浸透槽に充填された細粒のガラスビーズ中に、粗粒のガラスビーズよりなる疑似マクロポアを設け、飽和、不飽和の条件下で色素を含んだ水の移動を観察する実験を行った。ガラスビーズが親水性の場合、疑似マクロポアは、飽和の条件下では選択的水移動経路として機能し、不飽和の条件では機能しなかった。細粒のガラスビーズに人工的に撥水性を付与した場合、不飽和の条件下で疑似マクロポアが選択的水移動経路として機能した。これらの実験結果から、現地においても、地表から地中に連続するマクロポアに富む森林土壌が撥水性を現した場合、不飽和の土層中でマクロポアが選択的水移動経路として機能することが示唆された。

 第7章では、乾燥時に強い撥水性を現す加波山試験地のヒノキ林の斜面土層における水移動の実態について述べた。同試験地に設定した試験プロットにおいて、自然降雨時のψの変化を測定するとともに、色素トレーサーを含む水を人工降雨として散布した際の地表および地中での水移動経路を観察した。非乾燥時には、降雨イベント時のψの上昇は浅い深度から順に始まった。これに対して、乾燥時には、深度10cmのψがほとんど上昇せずに30cm、50cm、75cmのψが上昇し、撥水性によりマトリックス孔隙の大部分が水移動に関与しない選択的な水移動が生じることが示唆された。そのような水移動が現地で実際に生じることは、色素トレーサーを用いた実験により確認された。散布した水の一部は、散水域内で地中に浸入しきれず、筋状の地表流となって散布域外下方へ流出した。散水後の土壌断面観察における染色域は、染色されない部分を多量に残した極めて不連続かつ不均一な分布を示し、供給された水は選択流の形で土層深部に移動していた。染色された選択的水移動経路には、植物根と土壌の間の隙間や、土壌の塊状構造の構造単位間の間隙と判断できるものも多かった。このような地表流と選択流は、撥水性を除去して測定した表層土壌の透水係数が散水強度より十分大きかったこと、および、土壌を完全に濡らすと考えられるメタノールを散布した場合には生じなかったことから、主に撥水性の関与により生じたことが明らかになった。

 第8章では、撥水性による選択的な水移動が生じている場合の、土層の雨水貯留について述べた。鹿北試験地の谷壁斜面に設定した試験プロットにおいて、色素トレーサーを含む人工降雨を散布し、土層中の水移動経路を観察した。また、同斜面において、TDR水分計を用いて降雨イベント時の深度0-60cmの土層の水貯留量の変化を測定した。降雨イベント時の水貯留量は、非乾燥時には、ほぼ積算林外雨量に相当する分増加した。一方、乾燥時の降雨イベントにおいては、土層中の空の孔隙の割合が高いにもかかわらず、水貯留量の増加は積算林外雨量より著しく小さくなることが多かった。このことは、乾燥時に土層の雨水貯留能力が一時的に低下することを意味する。乾燥時に水貯留量の増加が抑えられるのは、撥水性によりマクロポアを経路とする選択流が生じ、マクロポアから離れた部分のマトリックス孔隙が雨水の移動と貯留に関与できなくなるためと考えられた。

 9章ではこれらの結果を総括して本研究の意義を述べるとともに、今後の課題を示した。本研究では、土壌の撥水性が、夏期に普通に生じる乾燥の程度で、林地斜面または小流域の広い範囲で発現することを明らかにした。また、土壌が撥水性を現すことにより、森林土壌の表層部に普遍的に存在するマクロポアが不飽和の条件で選択的水移動経路として機能し、土層の雨水貯留能が一時的に低下することを明らかにした。これら新たな知見により、これまで限られた場所の特殊な性質と見なされていたために森林土壌中の水移動の解析では考慮されなかった撥水性が、林地斜面の広い範囲で水の移動と貯留に大きな影響を及ぼし得る要因であることが示された。本研究の成果は、森林の水源かん養機能の発揮における土壌の働きに関する理解を深めるとともに、社会的要請の高い同機能の評価手法を、現地における現実の水移動の実態を反映させて高度化することに貢献すると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、森林の水源かん養機能の発揮に関わる土壌の働きに、土壌が水をはじく性質、すなわち「撥水性」が及ぼす影響を解明するために、林地斜面における撥水性発現の実態と発現機構、斜面土層表層部における水の移動と貯留に及ぼす撥水性の影響を明らかにするものである。

 第1章では、土壌の撥水性に関する既往の知見を整理し、山腹斜面に分布する森林土壌中の水移動を解明する上でさらに明らかにすべき点を挙げ、これらを本研究の目的として提示している。

 第2章では、本研究における実験と観測、および試料採取を実施した4つの試験地(千代田試験地、鹿北試験地の源頭部小流域、加波山試験地、常陸太田試験地の源頭部小流域)について述べている。

 第3章では、千代田試験地の6つの樹木植栽地の土壌、加波山試験地のヒノキ林と広葉樹林の土壌について、風乾状態まで乾燥したときに現れる撥水性(以下、潜在的な撥水性)を比較している。現地における土壌水分で実際に発現している撥水性(以下、実際の撥水性)は、土壌が乾燥している場所で強く、湿っている場所で弱い傾向があり、水分依存性が認められた。潜在的な撥水性は、土壌の全炭素含有率(以下、TC)が高い場所ほど強く、同じTCではヒノキ林の土壌の方が広葉樹林の土壌より潜在的な撥水性が強いが、TCのみで潜在的な撥水性の強度を十分に説明することはできない。また、鹿北試験地の源頭部小流域、加波山試験地の山腹斜面における測定結果から、従来から撥水性土壌の分布が知られていた尾根部に限らず、谷底面近傍を除くほぼ全ての斜面位置で、強い潜在的な撥水性が認められること、乾燥時には斜面または流域の広い範囲で強い実際の撥水性が発現することを明らかにした。

 第4章では、潜在的な撥水性と土壌団粒外表面の化学組成の関係について述べた。代表的な表面化学分析手法であるXPS(X線光電子分光法)を用い、土壌団粒外表面の化学組成をほぼ非破壊で測定した。土壌有機物は土壌団粒の内部より外表面に多い傾向にあり、外表面における炭素の存在比は必ずしもTCに比例しないこと、ヒノキ影響下の撥水性の強い土壌の団粒外表面には、酸素や窒素のような電気陰性度の大きい元素と結合していない炭素成分がより多く存在することが明らかになった。このような炭素成分は、ワックスや樹脂等に卓越する無極性構造中の炭素と考えられ、土壌の潜在的な撥水性の強度は土壌団粒外表面におけるこの炭素成分と酸素の存在比で説明できる。

 第5章では、実際の撥水性の水分依存性について述べた。鹿北試験地の土壌試料の撥水性は、体積含水率(以下、θ)約0.29 m3 m(-3)、マトリックポテンシャル(以下、ψ)約-35 kPa付近で発現し、対象土壌の撥水性が現地で春から秋に頻繁に生じるような乾燥程度で現れることが明らかになった。

 第6章では、常陸太田試験地内の尾根部で非かく乱採取した撥水性土壌を対象に、吸・排水実験と薄型浸透槽に充填された細粒のガラスビーズ中に粗粒のガラスビーズよりなる疑似マクロポアを設け、飽和、不飽和の条件下で色素を含んだ水の移動を観察する実験について、撥水性がある媒体での不飽和浸透過程では、大小の孔隙に水が入る順番が親水性の土壌の場合とは逆になる。マクロポアに富む森林土壌が撥水性を現した場合、不飽和の土層中でマクロポアが選択的水移動経路として機能することが示唆された。

 第7章では、乾燥時に強い撥水性を現す加波山試験地のヒノキ林の試験プロットにおいて、色素トレーサーを含む水を人工降雨として散布した際の水移動経路を観察した。土壌断面観察での染色されない部分を多量に残した不連続かつ不均一な分布は、供給された水は選択流の形で土層深部に移動を示すものである。観察された地表流と選択流は、撥水性の関与により生じたことが明らかになった。

 第8章では、鹿北試験地の谷壁斜面に設定した試験プロットにおいて、色素トレーサーを含む人工降雨を散布し、土層中の水移動経路を観察した。乾燥時の降雨イベントにおいては、乾燥時に土層の雨水貯留能力が一時的に低下していた。乾燥時に水貯留量の増加が抑えられるのは、撥水性によりマクロポアを経路とする選択流が生じ、マクロポアから離れた部分のマトリックス孔隙が雨水の移動と貯留に関与できなくなるためと解析された。

 9章では以上の新たな知見により、これまで限られた場所の特殊な性質と見なされていたために森林土壌中の水移動の解析では考慮されなかった撥水性が、林地斜面の広い範囲で水の移動と貯留に大きな影響を及ぼし得る要因であることをはじめとするが総括がなされた。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49018