学位論文要旨



No 216719
著者(漢字) 川崎,賢太郎
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,ケンタロウ
標題(和) 品目横断政策の数量経済分析
標題(洋)
報告番号 216719
報告番号 乙16719
学位授与日 2007.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16719号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本間,正義
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 鈴木,宣弘
 東京大学 助教授 齋藤,勝宏
内容要旨 要旨を表示する

 本稿では「戦後の農政を根本から見直す」ほどの象徴的な政策改革と位置づけられている品目横断政策を対象とし、同政策について様々な角度から分析を行った。その要約は以下の通りである。

 第1章では品目横断政策導入の経緯、内容および各種の論点を整理し、本稿の課題を設定した。同政策の内容は、固定支払、数量支払、収入保険という3つの助成を、担い手に対象を絞って支払うことに要することができる。そしてその論点として、担い手要件の妥当性(都府県、北海道、集落営農間での整合性、非担い手と担い手という二分法が構造改革にどれほど寄与するのか)、集落営農(機械の共有化、農地の面的活用、貸し剥がし、単なる補助金の受け皿としての設立)、作付構成の変化(固定支払が固定されるのであれば、対象作物から対象外作物へシフトすることによって大幅に所得が増加する)、収入保険(モラルハザード、逆選択)、非担い手への影響(生産調整を遵守するか否か)、農地の流動化(固定支払によって農家のリタイアを阻害するのではないか)、地代・地価への影響(作物によって上昇・不変・下落いずれもありうる)などを順に提起した。

 第2章では同政策の特徴である、固定支払および収入保険についてアメリカ、EU、カナダにおける導入事例を紹介した上で、その経済的な効果・論点について先行研究のレビューを通じて整理した。固定支払は、国際規律の中で生産を刺激しないデカップルされた支払いと位置づけられているが、各種の先行研究によれば資金制約を緩和して投資へ結びつくこと、リスク回避度の低下、将来の政策期待、農業・非農業・余暇間への時間配分、農家の参入・退出行動などを通じて生産量に影響を与えること、そして地代・地価に影響を与えることなどがわかった。また品目横断的な収入保険については、品目間の相殺効果が働くこと、そして価格と数量間の相殺効果が働くことによって、価格保険、作物保険、品目別収入保険と比べてもっとも効率的な保険形態であることがわかった。

 第3章では固定支払と作付構成の変化、収入保険によるモラルハザード、逆選択等への影響、非担い手が生産調整を遵守するか否かといった問題に焦点をあて、都府県水田農業を対象として、コメ・麦・大豆・その他という4品目を扱った期待効用最大化モデルを用いたシミュレーション分析を行った。

 得られた主な結果として、まず従来の品目別の価格保険から品目横断的な収入保険への制度変更は、土地配分にほとんど影響を与えないことがわかった。つまり収入保険の導入によってコメ・麦・大豆の3品目の収入が下支えされたとしても、それ以外の品目へシフトするといういわばモラルハザードとも呼べる状況は起こらないものと解釈できる。また平均的に言えば、品目間そして数量価格間の相殺効果によって保険の補填額は減少するものの、収量変動が平均よりも大きい農家の場合、現行よりも手厚い保護が受けられることがわかった。これは現行の価格保険の補填額が"価格"というマクロの指標のみによって決まるのに対し、品目横断的収入保険の補填額は個々の農家の"生産量"に依存すること、更に拠出額に農家のリスクが反映されないことに起因している。技術力が高く、手間隙をかけて収量を落とさないように努力している農家よりも、そうではない農家に手厚い保護がなされるという意味では、一種の逆選択を生む可能性がある。

 固定支払を導入した場合、ローリング(固定支払の基準期間の見直し)がないと農家が予想しているケースでは、小麦と大豆が2〜4割減少し、その他が3〜4割増加することがわかった。この場合、固定支払対象作物から他品目へシフトすることによって、固定支払が不労所得化していると言える。土地配分を現行のまま維持させ、固定支払の不労所得化を引き起こさないためには、ローリング期待を農家に持たせる必要があるが、それを政府が公式に約束すれば、固定支払はそもそも固定ではなくなり、緑の政策と見なされなくなるというジレンマがある。この意味で政府は非常に難しい局面に立たされていると言える。

 最後に非担い手への影響として、生産調整を遵守した場合と無視した場合の二通りを仮定してシミュレーションを行った結果、産地づくり交付金が3万円/10aであれば、生産調整を遵守する方が、無視する場合よりも所得が高くなるが、交付金が1万円/10aの場合には、これらの関係は逆転してしまう。従って非担い手に生産調整を遵守させるためには、産地づくり交付金の設定が重要なファクターであり、ある程度の水準を保たなければならない。ただし産地づくり交付金が3万円/10aで非担い手が生産調整を遵守するとしても、小麦と大豆の助成が削減されることは変わらぬ事実であり、小麦と大豆の作付面積はそれぞれ15〜25%ほど減少し、その分その他作物へ代替することがわかった。

 第4章では北海道畑作農業を対象として、固定支払と作付構成の関係について、シミュレーション分析を行った。3章の分析結果からも明らかになったように、収入保険は農家の土地配分にほとんど影響を及ぼさないこと、データの収集が容易であること、そして北海道全体のマクロな供給反応が焦点となっていることなどを勘案し、本章ではSupply Responseモデルを用いた。推計の際には、期待形成の方法に数種類のパターンを設け、また既存研究でほとんど注意が払われていない見せかけの相関にも注意した。

 分析の結果、まずローリング期待度が0、つまり基準期間の見直しがないと農家がみなしている場合、品目横断政策の導入は大きな作付変動を招き、いずれの期待形成方法を仮定しても、小麦減、馬鈴薯不変、てん菜減、豆類増となり、小麦の過剰・豆類の過小という輪作体系の乱れが修正され、4品目の面積シェアは輪作体系上理想的な25%へと収斂することがわかった。また生産の過剰によって生産量にキャップがかけられているてん菜についても減少傾向を示しており、概ね好ましい変化と言えよう。ローリング期待度が1の場合、小麦の過剰作付が改善されることはないが、豆類の過剰とてん菜の過小に改善の兆候が見られた。

 また、小麦の単収を増大させる新品種が現在開発中であり、これが導入されれば更なる小麦の過剰を生むのではないかという懸念があることから、小麦の単収増加シナリオについても分析した。しかし結果はそのような懸念を払拭するものであり、単収の増加はほとんど作付を増やさないことがわかった。この要因は、収入のうち単収に比例する部分が品目横断政策の導入によって大幅に減少する点にある。過剰作付である小麦の場合、この特徴はむしろ幸いしているものの、同様のメカニズムは固定支払対象作物全てで成立するため、一般的に考えた場合には大きな問題を生じうる。即ち単収の増加という技術革新がダイレクトに収入増に結びつかないのである。逆に言えば、単収増加の技術革新に対する誘引が削がれてしまうのである。諸外国との生産性格差が著しく、競争力を上げるべき固定支払対象作物において、このような問題が生じるとすれば大きな制度的欠陥と言わざるを得ない。

 このように品目横断政策の導入は一般的に、(ローリング期待度が低い場合において)作付面積を減少させるだけでなく、技術革新に対する誘引をも減少させるという意味で、二重の意味で固定支払対象品目からの撤退を招きうるものと言える。今後同政策の運営・改善にあたってはこの点に十分留意する必要があるだろう。

 第5章では、パネルデータを用いたフロンティア分析によって、規模と効率性が個別経営や集落営農といった経営種類によってどのような特徴を持つのかについて評価した。

 その結果、コメ単作の個別経営および組織法人の場合、分散錯圃によるものと考えられる非効率性が規模の拡大と共に増大し、それによるコストは10〜20ha層では総可変費用の過半を占めるほどになっており、またその存在のために5ha以上では規模の経済(平均可変費用の減少)もほとんど生じないことが分かった。つまり大規模層にあっては、もはや分散錯圃の解消なくしては規模拡大のインセンティブを持たせることも困難と考えるべきである。逆に言えば、分散錯圃による非効率性を解消できれば、大幅なコストダウンと規模の経済を実現できるとも言える。従って今後担い手要件をより大規模なものへと改変していく場合には、単なる規模の拡大だけでなく、農地の分散を解消させるような政策も同時に推進していくべきだと言えよう。

 集落営農の場合、小規模な局面では個別経営と同じかやや高い費用で生産を行っているが、非効率性の増加の程度が個別経営よりも小さいため、大規模な局面ではむしろ個別経営よりも低い費用を実現しており、20haでは1割から2割程度少ない費用で済んでいる。これはまさに農地を面的集積し、農地の分散を解消するという集落営農の強みが大規模な局面で発揮されていることを示すものであろう。本稿で扱ったのは品目横断政策が導入される以前に既に自発的に設立されていた集落営農であり、いわば名実共に集落営農と呼んで良いサンプルである。品目横断政策における集落営農に関しては、補助金の受け皿として名目的に設立するケースや貸し剥がしなど問題も多く指摘されているが、もし本稿のサンプルのように実質的に機能するのであれば個別経営にはないメリットを発揮できるのであり、それを担保するような仕組みづくりが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は2007年度から導入される品目横断政策を経済学的に検討し、農業生産や作付体系への影響、農地利用や技術進歩との関わりなど、新政策によって変化が予想される日本農業の変化を数量的に分析したものである。品目横断政策は、これまで品目毎に価格政策により農業所得の安定を図ってきた農業政策を根本から見直し、生産する品目に拘らず過去の農業所得に着目して直接支払いで農業所得の安定を図ろうとするものである。戦後農政の大転換とも位置づけられている品目横断政策を対象とし、同政策について様々な角度から分析を行っている。

 第1章では品目横断政策導入の経緯、内容および各種の論点を整理し、本研究の課題が設定されている。同政策の特徴は、固定支払、数量支払、収入保険という3つの助成を、担い手に対象を絞って支払うことである。そこでの論点は、対象とされる担い手が満たすべき要件の妥当性、集落営農を担い手に含むことの問題、作付構成の変化への誘引、収入保険としての機能、非担い手への影響、さらには農地の流動化、地代・地価への影響などであり、これらの論点が整理され問題点が提起されている。

 第2章では品目横断政策の2大側面である、固定支払および収入保険についてアメリカ、EU、カナダにおける導入事例を紹介した上で、その経済的な効果・論点が先行研究のレビューを通じて検討されている。固定支払は、国際規律の中で生産を刺激しない(デカップルされた)支払いと位置づけられているが、資金制約を緩和して投資へ結びつくこと、リスク回避度の低下、将来の政策期待、農業・非農業・余暇間への時間配分、農家の参入・退出行動などを通じて生産量に影響を与えること、そして地代・地価に影響を与えることなどが指摘されている。

 第3章では固定支払と作付構成の変化、収入保険によるモラルハザード、逆選択等への影響、非担い手が生産調整を遵守するか否かといった問題に焦点をあて、都府県水田農業を対象として、コメ・麦・大豆・その他という4品目を扱った期待効用最大化モデルを用いたシミュレーション分析が行われている。その結果、まず従来の品目別の価格保険から品目横断的な収入保険への制度変更は、土地配分にほとんど影響を与えないことが示された。また、固定支払を導入した場合、ローリング(固定支払の基準期間の見直し)がないと農家が予想するケースでは、小麦と大豆が2〜4割減少し、その他が3〜4割増加するとの予測が得られた。この場合、固定支払対象作物から他品目へシフトすることによって、固定支払が不労所得化する。土地配分を現行のまま維持させ、固定支払の不労所得化を引き起こさないためには、ローリング期待を農家に持たせる必要があるが、それを政府が公式に約束すれば、固定支払はそもそも固定ではなくなる。この制度がこうしたジレンマを抱えていることが明らかにされた。

 第4章では北海道畑作農業を対象として、固定支払と作付構成の関係についてのシミュレーション分析がSupply Responseモデルを用いて行われている。分析の結果、まずローリング期待度が0、つまり基準期間の見直しがないと農家がみなしている場合、品目横断政策の導入は大きな作付変動を招き、いずれの期待形成方法を仮定しても、小麦減、馬鈴薯不変、てん菜減、豆類増となり、小麦の過剰・豆類の過小という輪作体系の乱れが修正され、4品目の面積シェアは輪作体系上理想的な25%へと収斂することが示された。

 第5章では、パネルデータを用いたフロンティア分析によって、規模と効率性が個別経営や集落営農といった経営形態によってどのような特徴を持つのかが分析されている。分析の結果、コメ単作の個別経営および組織法人の場合、分散錯圃によるものと考えられる非効率性が規模の拡大と共に増大し、それによるコストは10〜20ha層では総可変費用の過半を占めるほどになっており、またその存在のために5ha以上では規模の経済(平均可変費用の減少)もほとんど生じないことが明らかにされた。

 以上ように、本研究は、戦後農政の一大転換といわれる品目横断政策を経済学的に分析し、数量経済分析やシミュレーション分析によってその影響と効果を明らかにしており、今後益々重要となる農業政策分析の分野でフロンティアに位置づけることが出来る研究である。品目横断政策をこのように経済学的かつ体系的に分析した研究は本研究が最初であり、また政策効果を数量的に示した研究として、学術上かつ応用上きわめて価値が高い。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位に値するものと認めた。

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