学位論文要旨



No 216724
著者(漢字) 灘野,亮
著者(英字)
著者(カナ) ナダノ,リョウ
標題(和) トリフルオロプロペニルリチウム調製法の開発とそれを用いる含フッ素化合物の合成
標題(洋) Generation of Trifluoropropenyllithium and its Application to the Synthesis of Fluorine-Containing Compounds
報告番号 216724
報告番号 乙16724
学位授与日 2007.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16724号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 友田,修司
 東京大学 教授 尾中,篤
内容要旨 要旨を表示する

 部分フッ素化化合物は、医農薬および材料分野において広く使用されており、その構築法にはビルディングブロック法が重要な役割を果たしている。3,3,3-トリフルオロプロプ-1-エン-2-イル基(以後1-(トリフルオロメチル)ビニル基と呼ぶ)を有する化合物は多様な反応性を示し、これら含フッ素化合物の構築に有望な化合物群である。その合成には、イオン結合性の高く反応活性な金属化合物である1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムやマグネシウム化合物を利用する手法が簡便と考えられるが、これらはβ位のフッ素原子の脱離を伴って1,1-ジフルオロアレンへ分解し易く、合成反応へ利用するには大きな制約があった。筆者は、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムの生成と挙動を詳細に検討することによって、様々な求電子剤との反応へ利用するのに有効な手法を見出した。さらに、得られた(トリフルオロメチル)ビニル化合物に、求核的5-endo-trig環化反応、Nazarov環化反応、分子内Pauson-Khand反応、5-endo Heck型環化反応を適用し、含フッ素炭素置換基を有するヘテロ環および炭素環の合成法を開発した。

1.トリフルオロメチルビニルリチウムを利用するトリフルオロメチルビニル化合物の合成とその応用

 2-ブロモ-3,3,3-トリフルオロプロペンにs-BuLiを作用させると、-105℃においてもリチウム-ハロゲン交換が速やかに完結し、対応するビニルリチウムが生成することを明らかにした。このビニルリチウムに、活性な求電子剤としてアルデヒドおよびN-トシルイミンを作用させ、2-(トリフルオロメチル)アリルアルコールおよびアミドを良好な収率で得た。この手法では、ビニルリチウムの熱分解を避けるため、低温下で反応性の高い求電子剤を作用させる必要がある。一方、n-BuLiを用いるリチウム-ハロゲン交換反応の検討を行ったところ、適度な求電子性の化合物を共存させると、リチウム-ハロゲン交換反応を行いながらビニルリチウムのみを選択的に捕捉することができた。これは、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムとn-BuLiが共存しても、各々の会合度が異なることからビニルリチウムが選択的に捕捉されたためである。

 求電子剤としてオキシランやオキセタンを用いることにより (トリフルオロメチル)ビニル基を有するアルコールを、また、カルボン酸N,N-ジメチルアミドからはα-トリフルオロメチル-α,β-不飽和ケトンを効率良く合成することができた。このように、ブロモトリフルオロプロペンのリチウム-ハロゲン交換にs-BuLiもしくはn-BuLiを用いる上記2つの手法を使い分けることで、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムを広範な求電子剤との反応に利用することが可能となった。

 続いて、得られた2-(トリフルオロメチル)アリルアミドをプロパルギル化して1,6-エンインへ誘導し、Pauson-Khand反応を適用すると、核間にトリフルオロメチル基を持つ縮環化合物を合成することができた。また、α-トリフルオロメチル-α,β-不飽和ケトンを用いNazarov環化を行わせると、α-(トリフルオロメチル)インダノン類が得られた。

2.含フッ素光学活性プロリン類の合成

 次に含フッ素ピロリジン誘導体の合成を試みた。まず、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムと光学活性オキシランの反応で得られる含フッ素光学活性アルコール誘導体より、N-[3-(トリフルオロメチル)ホモアリル]スルホンアミドを調製した。これを塩基で処理すると、プロトン性条件下では分子内付加反応が、また、非プロトン性条件下ではフッ素化物イオンの脱離を伴うSN2´反応が進行し、それぞれトリフルオロメチル(CF3)基およびジフルオロメチレン(CF2=)基を有するピロリジン骨格を収率良く構築することができた。

 また、CF2=基を有するピロリジン誘導体の水素化により、CF2H基を持つプロリンの合成を検討した。2位の置換基を利用した面選択的水素化を試み、パラジウム触媒と2位のヒドロキシメチル基の相互作用を利用するとanti体のCF2H-ピロリジンを、またパラジウム触媒と2位のシロキシメチル基の立体反発を用いるとsyn体のCF2H-ピロリジンを、それぞれ優先的に得ることができた。

 これらのピロリジン誘導体の2位の2,4-ジメトキシフェニル基あるいはヒドロキシメチル基を酸化してカルボキシ基とすることにより、CF3基、CF2=基、CF2H基の各フルオロ炭素置換基が4位へ導入された光学活性プロリン誘導体を合成することができた。本手法は、これまで報告された含フッ素置換基を有するプロリン誘導体の合成とは異なり、ヒドロキシプロリン等の生体由来の原料に依存しない合成法を提供する。

3.トリフルオロメチルビニル基を有するオキシム誘導体の5-endo Heck型反応

 (トリフルオロメチル)ビニルリチウムとオキシランとの反応生成物を、2-(トリフルオロメチル)アリル基を有するO-ペンタフルオロベンゾイルオキシムへと誘導した。これにパラジウム触媒を作用させると環化反応が進行し、4-ジフルオロメチレン-1-ピロリンが得られた。環化後のC-Pd結合を有する中間体からβ-フッ素脱離が優先して起こり、ジフルオロメチレン基を有するピロリンが生成したことになる。環化様式は、C-Pd結合へのアルケン挿入で一般に困難とされる5-endo型であるが、1-(トリフルオロメチル)ビニル基を用いることによってこの環化を達成することができた。さらに、β-フッ素脱離で生成した二価のパラジウムをトリフェニルホスフィンで還元することにより、本反応を触媒化することにも成功した。

 以上のように筆者は、含フッ素C-3ビルディングブロックとして1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムに着目し、種々の1-(トリフルオロメチル)ビニル化合物を合成した。さらに、これらからフッ素の特性を活用して、各種含フッ素炭素置換基を有する環状化合物の選択的な合成法を確立した。従来のフルオロアルキル化剤による方法では合成が困難であったり位置選択性が低い等の問題をもつ化合物群を、C-3ビルディングブロックである1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムから短工程で効率良く合成する手法を開発した。また、(トリフルオロメチル)ビニル基を利用する反応として、これまで極めて例の少ない5-endo形式での環化反応を見出した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、トリフルオロプロペニルリチウム調製法の開発とそれを用いる含フッ素化合物の合成について、3章にわたり述べたものである。

 近年、含フッ素化合物は医農薬や機能性材料として広く注目を集めている。しかし、フッ素化合物は特異な性質を有するため、それらの合成法は大きく制限されており、優れた合成法の開発が望まれている。本著者は、3,3,3-トリフルオロプロプ-1-エン-2-イル基(以後1-(トリフルオロメチル)ビニル基と呼ぶ)を有する化合物の多様な反応性に着目し、これを各種含フッ素化合物合成のユニットとして利用することを考えた。その合成には、イオン結合性の高い反応活性な金属化合物である1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムやマグネシウム化合物が有用と考えられるが、これらはβ位のフッ素原子の脱離を伴って1,1-ジフルオロアレンへ分解し易く、合成反応へ利用するには大きな制約があった。筆者は、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムの生成過程とその挙動を詳細に検討することによって、様々な求電子剤との反応へ利用できる有効な手法を見出している。さらに、得られた(トリフルオロメチル)ビニル化合物に、求核的5-endo-trig環化反応、Nazarov環化反応、分子内Pauson-Khand反応、5-endo Heck型環化反応を適用し、含フッ素炭素置換基を有するヘテロ環および炭素環の合成法を開発している。

 第一章ではトリフルオロメチルビニルリチウムを利用するトリフルオロメチルビニル化合物の合成とその応用について述べている。

 2-ブロモ-3,3,3-トリフルオロプロペンにs-BuLiを作用させると、-105℃においてもリチウム-ハロゲン交換が速やかに完結し、対応するビニルリチウムが生成することを明らかにした。このビニルリチウムに、活性な求電子剤としてアルデヒドあるいはN-トシルイミンを作用させ、2-(トリフルオロメチル)アリルアルコールおよびアミドを良好な収率で得ている。この手法では、ビニルリチウムの熱分解を避けるため、低温下で反応性の高い求電子剤を作用させる必要がある。一方、n-BuLiを用いるリチウム-ハロゲン交換反応の検討も行っており、オキシランのような適度な求電子性を持つ化合物の存在下で、リチウム-ハロゲン交換反応を行うと、n-BuLiの共存下でも求電子剤がビニルリチウムのみと選択的に反応することを見出した。これは、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムとn-BuLiの会合度が異なるため、ビニルリチウムが選択的に捕捉されたものと説明している。

 求電子剤としてオキシランやオキセタンを用いることにより 1-(トリフルオロメチル)ビニル基を有するアルコールを、また、カルボン酸アミドと反応させてα-トリフルオロメチル-α,β-不飽和ケトンを収率良く合成している。このように、ブロモトリフルオロプロペンのリチウム-ハロゲン交換にs-BuLiもしくはn-BuLiを用いる上記2つの手法を使い分けることで、1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムを広範な求電子剤と反応させることを可能にした。

 続いて、得られた2-(トリフルオロメチル)アリルアミドをプロパルギル化して1,6-エンインへ誘導し、これにPauson-Khand反応を適用することで、核間にトリフルオロメチル基を持つ縮環化合物の合成を達成している。また、α-トリフルオロメチル-α,β-不飽和ケトンを用いNazarov環化を行うことで、α-(トリフルオロメチル)インダノン類も得ている。

 第二章では、含フッ素光学活性プロリン類の合成について述べている。

 1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムと光学活性オキシランの反応で得られる含フッ素光学活性アルコール誘導体より、N-[3-(トリフルオロメチル)ホモアリル]スルホンアミドを調製し、この環化反応を行っている。プロトン性条件下では分子内付加反応が、また、非プロトン性条件下ではフッ化物イオンの脱離を伴うSN2´反応が進行し、それぞれトリフルオロメチル(CF3)基およびジフルオロメチレン(CF2=)基を有するピロリジン骨格を収率良く構築することに成功している。これらの5-endo-trig環化は通常困難とされる反応形式であるが、フッ素置換基の性質を利用して達成されたものである。

 また、CF2=基を有するピロリジン誘導体の立体選択的水素化により、anti体およびsyn体のCF2H-ピロリジンを合成している。

 これらのピロリジン誘導体の2位の2,4-ジメトキシフェニル基あるいはヒドロキシメチル基を酸化してカルボキシ基とすることにより、CF3、CF2=、CF2H置換基が4位へ導入された光学活性プロリン誘導体の合成を達成している。本手法は、これまで報告された含フッ素置換基を有するプロリン誘導体の合成とは異なり、ヒドロキシプロリン等の生体由来の原料に依存しない合成法を提供するものである。

 第三章では、トリフルオロメチルビニル基を有するオキシム誘導体の5-endo Heck型反応について述べている。

 (トリフルオロメチル)ビニルリチウムとオキシランとの反応生成物である3-(トリフルオロメチル)ホモアリルアルコールを、O-ペンタフルオロベンゾイルオキシムへと誘導し、遷移金属錯体経由の環化を試みている。調製したオキシムにパラジウム触媒を作用させることで環化反応が進行し、ジフルオロメチレン基を有するピロリンが生成した。環化様式は、C-Pd結合へのアルケン挿入で一般に困難とされる5-endo型であるが、1-(トリフルオロメチル)ビニル基を用いることによってこの環化を達成している。さらに、β-フッ素脱離で生成した二価のパラジウムをトリフェニルホスフィンで還元することにより、本反応を触媒化することにも成功している。

 以上述べたように、筆者は、含フッ素C-3ビルディングブロックとして1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムに着目し、その優れた調製法を開発して種々の1-(トリフルオロメチル)ビニル化合物の合成に利用している。さらに、これらからフッ素の特性を活用して、各種含フッ素炭素置換基を有する環状化合物に選択的な合成法を確立・提供し、従来合成が困難であった化合物群を、C-3ビルディングブロックである1-(トリフルオロメチル)ビニルリチウムから短工程で効率良く合成する手法を開発している。また、1-(トリフルオロメチル)ビニル基を利用する反応として、これまで極めて例の少ない5-endo形式での環化反応を見出している。これらの研究業績は、有機合成化学の分野に大いに貢献する。本研究は、市川淳士、和田幸周、森高、岩井悠、伊藤直孝との共同研究であるが、論文提出者の寄与は十分であると判断される。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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