学位論文要旨



No 216728
著者(漢字) 杉森,玲子
著者(英字)
著者(カナ) スギモリ,レイコ
標題(和) 近世日本の商人と都市社会
標題(洋)
報告番号 216728
報告番号 乙16728
学位授与日 2007.03.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16728号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 史料編纂所 教授 横山,伊徳
 総合文化研究科 助教授 桜井,英治
 東京理科大学 教授 伊藤,裕久
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、近世日本の商業や流通を担う商人のあり方について、売買の行なわれる場の構造との関わりや、商品や商行為を媒介として形成される諸関係から明らかにし、商人が社会の中でどのように存在したのか、在方町と巨大都市の双方に素材を求めて検討することを目的とする。

 在地社会における都市的要素の展開に留意し、市場や売場の本源的形態について解明するためには在方市に素材を求めることが必要である。売場の形態とそこに関わる人のあり方、市の立てられる在方町の空間構造などは、町人と商人の関係、町空間の形成など都市の本質をめぐる問題とも関わるものであり、城下町とそれ以外の在方町を含めた近世都市を全体としてみていくうえでもこれらの点についての検討が有効である。一方、商人の築いていく諸関係を流通構造の形成や社会との関わりにおいてとらえることは、近世における商人や都市社会の特質の解明につながるものと考えられる。

 こうした点をふまえて本論文で課題とするのは、(1)在方町を素材として市場や売場の本源的形態を見出すこと、(2)在方を活動の場とする商人が商品や商行為を媒介として人や社会との間に形成した諸関係について、都市との関係に留意しながら検討すること、(3)巨大都市の社会では商人の活動がどのように展開されたのか検討すること、である。

 検討の対象として、第一・二編では上野国や武蔵国をはじめとする北関東の在方町とそれを中心とする在地社会を、第三編では巨大都市である京都と江戸をとりあげる。主として東国を対象とするのは、畿内などに比べて相対的に在方市が多く見出されること、また近世最大の巨大都市としての江戸の存在が都市と在方との関わりを考えるうえでの手がかりを与えるという見通しをもっていることによる。

 また、検討の手法としては都市社会史の方法に学び、社会=空間構造論をふまえて社会と空間を復元的に考察するとともに、都市的要素のうち商人や商業の展開に注目し、商人のとり結ぶ諸関係の分析を通じて流通のあり方に迫るという方法をとることとする。

 第一編では、在地社会における商業の展開のあり方を市場の構造を中心に検討し、市をめぐる社会と空間を復元的に考察する。第一章では、建設されて間もない近世初頭の城下町水戸をとりあげ、そこにみられる市・町・宿での売買がそれに関わる商人や商品の性格とともに注目されることから、城下町の商業の歴史的前提として在地社会における都市的要素を視野に入れる必要があることを指摘する。そして、近世初期に会津藩領の市場の所有をめぐって起きた商人司同士の争いから宿での商人による売買が本源的な取引の形態として見出され、価格形成の機能を果たす問屋が求められていくこと、商人の活動により都市と在方の関わりが生じていく具体相などについて近世を通して検討する。本章は全体の総論的位置を占めている。第二章では、市における見世を支配する主体が近世以前から商人集団を統括してきた連雀頭から町人方へと移っていった上野国太田・前橋の事例や、連雀宿をめぐる武蔵国小鹿野の争論を素材として、近世的な市のあり方が確立していく時期の市をめぐる商人仲間と町の動向について検討する。第三章では、上野国下室田を事例に、市のひらかれる在方町の空間構造を絵図史料にも拠りながら検討したうえで、在方市で設けられる中見世や座といった見世の諸形態と商人や屋敷所持者の見世への関わり方を分析する。第四章では、享保期前後までを対象に、上野国・武蔵国の在方市に出入りする商人や商品の動きを検討することによって、市をめぐる流通構造の複雑化と都市問屋との接点をもつことに伴う変化について指摘する。

 第二編では、商人の活動の様相を具体的に分析し、商人がどのように活動の拠点を設けていったのかについて検討する。第一章では、上野国西牧関所の通行改日記からそこを通った商人の通行年月日・行先・目的・持参の荷物について分析し、元禄〜享保期に上野国西部を通行した商人の扱う品目と居所には一定の対応関係がみられるとともに、市立てのない場も含めて商人の拠点が設けられていたことを明らかにする。第二章では、上野国西部では市を介さずに近江商人などが麻を買い付けていたが、その拠点として重要な役割を果たした宿では都市の動向も意識されていたこと、また近世後期には市立てのある場においても商人宿が市宿と区別されて存在していたことを指摘する。第三章では絹市のひらかれる在方町として上野国桐生をとりあげ、市の構造および都市問屋との取引関係をもつ在地の豪農層が桐生で形成した絹買仲間の構造と展開について検討する。仲間構成員は桐生に居所や出店をもつかどうかによって集荷の仕方、町方への出銭などさまざまな局面で行動に違いがみられ、主に天保期以降、仲間の集荷形態の変容と構成員の行動の違いによって桐生の市はその機能を低下させていくが、開港に伴う生産・流通構造の変化によってそれが決定的となり、江戸問屋の集荷もそうした仲間と市の変容に規定されていたことを明らかにする。第四章では、桐生に拠点を設けた下野国戸奈良の豪農石井家が居村とその周辺や桐生で呉服商売を通じて築いていた諸関係や、江戸に進出していく様相について跡付け、都市と在方を結ぶ存在としての豪農層の活動と在地社会における在方町の位置について検討する。

 第三編では、巨大都市において商人がその活動をどう展開させたか、商人のとり結ぶ諸関係に注目して分析し、流通構造の特質について検討する。第一章では、近江八幡で生産される珠数玉の京都との取引の事例から、京都で寄宿渡世を営む者が珠数卸問屋の手前で近江八幡の珠数屋仲間から預かった珠数玉の売捌きの世話を委託され仲間に対する立場を強めていったことを明らかにし、寄宿という意味での宿の果たすそうした役割を前提として流通構造が形成されていた実態と都市居住者の渡世のあり方について考察する。第二章では、江戸で古着商売に携わるさまざまな商人の実態と相互関係について検討し、古着と呼ばれる物の中には払物としての呉服・太物類が含まれていたこと、一見接点のないようにみえる古着屋と呉服屋は商品の需要と供給という点で相互にその存在を必要としていたこと、古着市が立てられ質的にも古着流通の中心に位置していた富沢町とその周辺の町域は呉服問屋の集まる町でもあったことなどを指摘する。

 以上の検討を通じて得られた論点をまとめると次のようになる。

 第一は、史料的制約により戦国期以前の市のあり方を具体的に解明することが難しい状況にあって、近世的な市場の確立過程を商人仲間の動向に留意しながら検討することによりそれ以前の市のあり方を復元的に考察し、市や商人仲間の中世から近世への変化の過程を見通したことである。この点は、中見世と座あるいは前見世という見世の形態とそこに関わる主体の違いに注目し、市場や売場の本源的形態について検討する中で導き出されたものである。

 第二は、商人のあり方を彼らが活動する場との関わりに即して検討することにより、商人が商品や商行為を媒介として諸関係を形成し、既存の市場や町に限定されず売買や流通の起点が生み出されていく様相を描き出したことである。

 このように、商品の売買や移動に携わる人に注目し、その活動の基盤となった場との関わりを具体的に検討することによって、商業や流通、都市をめぐる人と場の問題についての新たな見通しが得られた。以上のような論点や視角は、市場論、商人論、都市社会論などを考えるうえで意義のあるものとして位置付けられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、近世日本における商人の特質を、この間著しく進展してきた近世都市社会史との関連において、再把握しようとする試みである。ここでは研究の主たる対象を、上野・武蔵など北関東の在方市・町や江戸・京都に設定し、商業や流通の担い手である商人と彼らが集う場について、売場の諸形態や在地社会における都市性に注目しながら、その本源的な形態とその後の展開の解明を中心課題として多面的に検討するものである。

 まず「序」において研究史が手際よく概観され、本書の課題・方法が述べられたあと、本論部分は「在方町と市」、「商人の活動」、「都市社会への展開」の三つの編・計10章から構成されている。

 本書の主要な成果は以下の4点である。

(1)上野国の桐生・下仁田・下室田・中之条、武蔵国小鹿野などを素材として、在方市の社会と空間の構造的な特質を、これまでにない高いレベルの実証水準において詳細に解明し、中見世・座・地主(屋敷主)・商人集団など、市に関わる諸要素を多面的に摘出した。そして、在方市の社会=空間構造、市における売場の諸形態、売買当事者の性格、市以外における売買の場=宿の特質、などの諸論点を考察した。

(2)市とならび、在地社会における流通の主要な拠点として、商人が集う場としての「宿」=商人宿の広汎な存在を見いだした。そして、市との関係や宿の諸形態を解明し、そこに見いだされる問屋的な機能、価格形成機能などについての豊富な事実を提示しつつ、多面的に論じた。

(3)中世後期の市や商人に関する研究で提起されてきた、商人・問屋や市・町、市見世・内見世などに関する論点を踏まえて、17世紀の在地社会における商人や市の展開過程を、豊富な事例分析と共に緻密に論じ、それらの本源的な形態における特徴を析出し、中見世から座へという、中世から近世への移行に関する仮説を提示した。この点は、近世巨大都市社会史研究の中で提起されてきた、市場社会、問屋・商人、売場などに関する議論を、それぞれの原初的な形態に遡及させて考察するという点で重要な意義を持つ。

(4)江戸の古着市場(富沢町市場)の機能と特質を検討し、古着の売り物の中に呉服や太物類が含まれ、三井越後屋などの呉服屋にとって、これらの取引がその経営にとって不可欠な局面であったことを初めて解明した。

 本論文は、分析の確かさ・緻密さ、論点摘出の的確さ、論理展開と叙述における明晰さ、などの諸点において、きわめて高い水準に有り、当該分野における近年まれに見る重要な達成であるということができる。商品自体に即した分析を課題として残し、また結論にあたる部分を欠いて、序で提起した課題に対応する全体のまとめがやや弱い印象を与えているが、本審査委員会は、上記のような顕著な研究成果に鑑みて、本論文が博士(文学)に十分値するものとの結論を得た。

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