学位論文要旨



No 216729
著者(漢字) 後藤,正博
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,マサヒロ
標題(和) 妊娠初期のヒト胎児における下垂体―副腎系の働きとその性分化に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 216729
報告番号 乙16729
学位授与日 2007.03.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16729号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 講師 福本,誠二
 東京大学 講師 金内,一
内容要旨 要旨を表示する

【研究目的】女性胎児においても、胎生早期の未分化な外内性器がアンドロゲンに曝露されるとその男性化(女性仮性半陰陽)が起こる。その代表的な疾患である21水酸化酵素欠損症では同酵素の欠損によって副腎皮質におけるコルチゾールの合成が低下し、下垂体へのネガティヴ・フィードバックが障害されるためにACTHの分泌が亢進し、これが副腎におけるアンドロゲンの合成を亢進させ、外内性器の男性化が起こると考えられている。

 この男性化を予防する目的で、海外で行なわれている妊娠初期(first trimester)の21水酸化酵素欠損症の高リスク妊婦へデキサメサゾンを投与する胎児治療は、糖質コルチコイドが下垂体-副腎系のネガティヴ・フィードバックを回復させることを前提としている。

 しかしながら胎児治療の開始時期として推奨されている胎生6週の時点では胎児の下垂体は口腔側のラトケ嚢と中枢側の漏斗突起に分かれたままであり、胎児下垂体がいつ頃からホルモン分泌能を有し、副腎を制御しているのかは明らかでない。

 ヒト胎児の副腎がステロイド合成を開始する時期も不明であり、特にコレステロールからコルチゾールやアルドステロンの合成に必須なHSD3B2(3βステロイド水酸化脱水素酵素)の発現する時期については諸説があり結論が出ていない。また、ヒト胎児の副腎ではその内側に見られる胎児層がアンドロゲンを産生するが、この胎児層の存在は霊長類の副腎のみに限られており、マウスなどの胎児層を有さない副腎ではアンドロゲンは産生されず、女性仮性半陰陽のモデル動物とはなり得ない。さらに、脊椎動物のあいだで互いに相同すると考えられている胚発生期でも、種によって各臓器が形成される時期や、形成された臓器の機能を規定するmRNAや蛋白が発現する時期は異なる。

 他方、ヒトの21水酸化酵素欠損症女児における外内性器の男性化やそれを予防する胎児治療については、妊娠初期の限定された時期にホルモンが作用することが必須である。

 以上のような理由から、当研究では実際に妊娠初期のヒト胎児の副腎、下垂体組織を用いて下垂体-副腎系の機能とその開始時期を検討し、女性仮性半陰陽の成因や胎児治療の妥当性についての考察を行なった。

【対象】中絶の処置に関する同意が胎児組織の研究使用に関する同意の前に予め取得してあることを主旨としたthe Polkinghorne committeeのガイドラインに従い、Southampton & South West Hampshire Local Ethics CommitteeおよびNew Castle Health Authorityからの承認を得た上でヒト胎児組織の収集と使用を行った。薬物療法または手術による中絶を受けることに同意した女性から、あらかじめ書面でインフォームド・コンセントを取得し、中絶施行後に胎児組織を収集した。

 ヒト胎児組織の胎齢はCarnegie stageまたは足のサイズをもとに決定した。収集した胎児組織の胎齢は胎生33日から14週であった。

【方法】得られた胎児組織を顕微鏡下で各臓器に剥離、同定したのち、免疫染色はスライドグラス上に貼り付けた切片に、ステロイド合成酵素、ACTH、Ki67、CD34、NGF1-B、糖質コルチコイドレセプター(GR)などの一次抗体、ビオチン標識二次抗体、streptavidin-horseradish peroxidase conjugateを順次加えて反応させ、0.1%過酸化水素水を含んだジアミノベンジジンで発色させた。二重染色ではアルカリフォスファターゼ標識二次抗体も用いた。

 RT-PCRは冷凍保存した組織から全RNAを分離、抽出し、続いてcDNAを合成した。目的とする各遺伝子のmRNAに特異的なプライマーを作成してPCR反応を行ない、PCR産物を1%アガロースゲルで分離し特異的バンドを検出した。

 組織培養は副腎については一対の胎児副腎を培養液に入れ、一方の溶媒にはアゴニストとしてACTHまたはforskolinを加えて一晩培養したのちに溶媒中のコルチゾールを測定し、アゴニストを加えなかった対照群と比較した。溶媒中のアンドロゲン(アンドロステンジオン、テストステロン)についても測定し、ACTHまたはforskolinの投与による増加や、デキサメサゾン投与による抑制の有無を検討した。

 下垂体については胎児下垂体組織を正中で二分し、2つの外植片をデキサメサゾン投与群と対照群に分けて個々に培養し、デキサメサゾン投与の前後におけるACTH濃度の変化を対照群との比較で標準化した。

 胎児副腎中のステロイドについてはジクロロメタンを加えて抽出したのちに、また、溶媒中のステロイドとACTHについては直接に、化学発光免疫測定(CLIA)法にて分析した。測定値はStudentの両側t検定を用いて解析した。

 CLIA法により検出されたステロイドの存在を確認するためにガスクロマトグラフィ/質量分析法(GC/MS)を行ない、副腎培養後の溶媒中のアンドロステンジオン、テストステロン、コルチゾールそれぞれの保持時間における波形を校正用サンプルと比較検討した。

【結果】ヒト胎児の副腎皮質は胎生33日で未分化性腺から形態的に区別できるようになり、その後急速に成長するが、細胞分裂の指標であるKi67はdefinitive zoneと呼ばれる外層に発現していた。胎生41日には血管新生を示すCD34陽性の細胞が大動脈と中腎のあいだに位置する発生初期の副腎に進入していた。

 ステロイド合成酵素であるsteroid acute regulatory protein (StAR)、CYP11A、CYP17、CYP21、CYP11Bは胎生50〜52日より胎児副腎の胎児層に発現が見られた。HSD3B2とそれを制御するorphan核受容体NGFI-Bも胎生50〜52日よりdefinitive zoneに一過性に出現し、胎生14週までに消失した。胎生8週の胎児副腎におけるRT-PCRでも同様のステロイド合成酵素の発現が見られた。

 胎生8週以降の副腎はコルチゾールを分泌し、ACTHまたはforskolinの投与により増加したが、胎生10週における分泌量は8、9週に比べて有意に減少していた。

 下垂体も胎生50〜52日よりACTH、糖質コルチコイド受容体を発現していた。胎生8週の胎児下垂体を培養した溶媒からはACTHが検出され、デキサメサゾンの投与によって抑制された。

 胎生8週の胎児副腎はアンドロステンジオン、テストステロンなどのアンドロゲンも分泌し、ACTHまたはforskolinの投与により増加した。

 GC/MSを用いて、溶媒中で検出されたコルチゾール、アンドロステンジオン、テストステロンの波形を校正用サンプルと比較検討したが、同一物質であることを確認した。

【考察】以上の結果は、胎生7週頃の胎児副腎がステロイド合成酵素のうちStAR、CYP11A、CYP17、CYP21、CYP11Bばかりでなく、これまで妊娠初期における存在が疑問視されていたHSD3B2も一過性に発現していることを示した。このHSD3B2の発現は、妊娠後期においてそれを制御することが知られているorphan核受容体であるNGFI-Bの発現時期や、胎生8〜9週にピークとなる胎児副腎におけるコルチゾールの合成とも同期していた。また、胎児副腎においてはコルチゾールばかりでなく、アンドロステンジオンやテストステロンなどのアンドロゲンの合成も、ACTHの投与によって上昇した。

 同時期の胎児下垂体はACTHとGRを発現し、デキサメサゾンの投与によってACTHの分泌が抑制されたことから、下垂体-副腎系とそのネガティヴ・フィードバックは胎生7〜8週の胎児においてもすでに十分に機能し始めていると推測される。このことは21水酸化酵素欠損症の胎児治療に用いられるデキサメサゾンの投与が胎児の下垂体に直接作用することを示唆し、副腎がアンドロゲンを産生し始める前の早期に開始する胎児治療の理論的根拠になると考えられた。

 さらに本研究の結果から、妊娠初期の胎児副腎に見られたHSD3B2の一過性の発現は、第1にはCYP17と競合することによって、第2にはコルチゾールを合成して下垂体からのACTHの分泌を抑制することによって副腎におけるアンドロゲンの産生を抑え、この時期にはまだ胎盤のアロマターゼ活性が低いために副腎で産生されるアンドロゲンの影響を受けやすい女性胎児の外内性器が正常女性型へ分化するのを保護するという、これまでに提唱されていない胎児副腎の新たな役割を示唆していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はヒトの性分化が起こる妊娠初期の胎児における下垂体-副腎の制御系の役割を明らかにするため、これまで入手が困難であった同時期のヒト胎児組織の下垂体、副腎を実際に用いて免疫染色におけるACTH、糖質コルチコイド受容体(GR)、ステロイド合成酵素の発現、組織培養におけるACTHやステロイドの分泌等を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.胎児副腎の免疫染色においてStAR、CYP11A、CYP17、CYP21、CYP11B1/CYP11B2は胎生50〜52日より胎生14週まで持続して胎児層に発現し、これまで妊娠初期の胎児副腎における存在が疑問視されていたHSD3B2とそれを制御するorphan核内受容体であるNGFI-Bについても胎生50〜52日よりdefinitive zoneに出現するが胎生14週までには消失することが示された。RT-PCRにおいても胎児副腎におけるステロイド合成酵素とACTH受容体であるtype 2 melanocortin receptorの発現が確認された。

2.組織培養において胎生8週以降の副腎からコルチゾールが分泌されるが胎生10週には有意に減少していること、アンドロステンジオンやテストステロンなどのアンドロゲンも分泌されるがACTHやforskolinを加えることによって有意に分泌量が増加することが示された。

3.胎児下垂体の免疫染色においても胎生50〜52日よりACTH、GRが発現し、胎生10週まで発現が持続することが示された。

4.組織培養において胎生8週の下垂体からACTHが分泌され、デキサメサゾンを加えることによって分泌量が抑制されることが示された。

5.ガスクロマトグラフィ/質量分析法を用い、コルチゾール、アンドロステンジオン、テストステロンなどのステロイドをあらかじめ封入した校正用サンプルと、上記2.の組織培養の培養液からのサンプルを比較検討し、各ステロイドが検出される同一の質量電荷比、保持時間では同様の波形が見られたことより、上記2.の実験で化学発光免疫測定法を用いて検出、測定されていたステロイドが正確であることを示した。

 以上、本論文は妊娠初期のヒト胎児においても下垂体-副腎の制御系がすでに機能していることを明確にし、現在海外で行われている先天性副腎過形成症のハイリスク妊婦への早期胎児治療の理論的根拠を提示している。

 また本論文は、これまで結論が出ていなかった胎児副腎におけるHSD3B2の存在についても妊娠初期には一過性に出現し、それによってコルチゾールも合成・分泌されることを明らかにしている。さらに、本論文で提唱された妊娠初期におけるHSD3B2の発現が副腎由来のアンドロゲンの合成を抑えて女性胎児の外内性器の男性化が起こらないよう保護しているという仮説は、これまで知られていなかった胎児副腎の新たな役割を示唆するものである。したがって、本論文はヒトの性分化および女性胎児の男性化の機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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