学位論文要旨



No 216739
著者(漢字) 福地,次雄
著者(英字)
著者(カナ) フクチ,ツギオ
標題(和) 混合距離モデルの一般化による壁面剪断乱流の基礎的研究
標題(洋)
報告番号 216739
報告番号 乙16739
学位授与日 2007.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16739号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 塩沢,昌
 筑波大学 教授 島田,正志
内容要旨 要旨を表示する

<研究の背景・目的>

 土地改良事業においてインフラ整備の全盛時代を経過し,農業農村整備事業の実施にあたって環境との調和が重要な課題となっている.農業土木の基礎である水理学の研究対象領域も環境との関わりで多様な局面を持つこととなった.現在において水路は動植物の棲息空間であり,水路の機能的な側面と同時に,動植物の棲息空間を制御するという視点が不可欠となりつつある.施工される水路断面の形状も機能的な単一粗度の長方形断面から複断面や動植物の棲息を考慮した粗度配置の断面へと変化しつつある.このような変化する時代の趨勢に対応するためには,解析予測は平均流速の計算に留まらず流れの境界に発生する剪断応力の評価,流速分布の予測へと変化発展することが必要である.しかし,CFD(Computational Fluid Dynamics)による数値解析が盛んに行われる現代においても,乱流が本質的に未解決な問題であるため以上の要請に十分に応えることができない.問題解決の端緒として,定断面・定エネルギー勾配の壁面剪断乱流を一般的,工学的精度で解析する手法の開発が希求される.本研究では壁面剪断乱流において原理的な意味を持つ円管乱流の問題に,最も基礎的な乱流モデルである混合距離モデルを再検討し一般化するという視点からアプローチし,併せて二次元流れである平行壁間の流れ,Couetteの流れ,及び二次元開水路の流れについて検討した.以下に本論文で新規に明らかとなった主要な結論に焦点を当て論文の要旨を記述する.

<調和混合距離>

(1)十分に発達した定断面,定エネルギー勾配壁面剪断乱流の混合距離はある極限形式を持ちそれは調和混合距離(Harmonic Mixing Length :HML)で表現される.断面内の任意の位置における調和混合距離は,当該点から壁面にいたる無数の距離の調和平均である調和平均距離(Harmonic Mean of Distances :HMD)に比例する量として定義される. 

(2)調和混合距離にはD1:一次元的定義,D2:二次元的定義,D3:三次元的定義の三種の定義が存在しD1⊆D2⊆Dという包含関係が成立する.定断面,定エネルギー勾配の壁面剪断乱流においては,D2=D3という関係が成立し,平行壁間の流れにおいてはD1=D2=D3という関係が成立する.さらに壁面近傍においては全ての定義はPrandtlの混合距離の定義に帰着する.即ち調和混合距離とは,一般化された混合距離である.

<滑面円管の流れ>

(3)調和混合距離の概念が成立することが,Nikuradseの滑面円管の流れで高レイノルズ数( Re>105 )の実験結果を解析することにより明らかとなった.二次元調和混合距離の比例定数である調和混合距離定数:Hc(=0.14)は断面全体において普遍定数であり,調和混合距離モデルにおいてこの定数はカルマン定数より上位の概念で,(調和混合距離)カルマン定数はHcπ(≒0.44)と定義される.調和混合距離モデルのもう一つのパラメーターは,van Driestの減衰関数における減衰係数A0である.Nikuradseのデータの解析結果において減衰係数は一定値とならずレイノルズ数依存性があることが明らかとなった.

(4)近年滑面円管の流れに関する注目すべき実験がプリンストン大学のスーパーパイプで行われ公表された.最新のデータ(PSP-data)と分析結果はMckeon(2003), Mckeon et al.(2002, 2003, 2004)で報告されているが,実験結果を全面的に解析した結果,調和混合距離モデルが良好に実験結果を説明し得ることが確認された.Nikuradseのデータにおいては高レイノルズ数( Re>105 )の流れに限定しても同定された減衰係数にはスキャッターが発生したが,PSP-dataの解析においてこの問題がほぼ解消され,調和混合距離モデルの二つの基本定数は,Hc = 0.1365, A0=26.31と同定された.

<対数則>

(5)壁面剪断乱流の流速分布及び抵抗則との関連で対数則は20世紀流体力学の最も重要な到達点の一つであるが,これまで実験計測に基づき報告されたパラメーターに多くのスキャッターがあることから対数則について種々の疑義が表明される事態となっている.本論文ではPSP-dataを解析するために,Izakson(1937)とMillikan(1938) が提唱したOverlap layerにおいて成立する対数則という概念が使用された.Izaksonが導出した二つの対数則は本論文では,(1)内部対数則及び(2)速度欠損対数則と定義されている.PSP-dataの解析結果によりこれら二つの対数則は下記のように決定された.

(1)内部対数則

(この表現はIlog-law(Asi, Kh)=Ilog-law(5.440, 0.4288)のように表記される.)

(2)速度欠損対数則

これらの結果より外部対数則が,以下のように導出される.

(外部対数則はOlog-law(Aso, Kh)=Olog-law(7.306, 0.4288)のように表記される.)

本式は通常摩擦則等と表現され,カルマンNo.,R+=RU*/ν,に対応した円管中心無次元流速が本式により自動的に算出されるが,本論文では,これを内部対数則に対置されるべき概念として外部対数則と定義した.この定義においては,円管最大無次元流速はレイノルズ数増大と共に外部対数則に漸近収束するものとして把握される.なお,本論文では,実験結果を片対数紙に表示して得られる流速分布の対数表現等には任意性があることから対数則と区別して対数線と表現した.

<滑面円管流れ解析の応用>

(6)滑面円管の流れが高精度で数値解析されたことに伴い,従来議論されてきた様々な応用的問題が明らかとなった.調和混合距離モデル計算結果から導出される指数則,対数平均流速式,摩擦係数,及び指数型平均流速公式について検討した.これまで滑面円管の流れの流速分布を指数則で表現するか対数則で表現するかの論争が見られたが,高レイノルズ数個別流れの流速分布に着目した場合は,提案したレイノルズ数依存型指数則の方が有利であり,一方,広範な高レイノルズ数の平均流速を単一の式で表現するという視点からは対数則(対数線)の方が有利であることが判明した.

(7)滑面円管の流れにおける対数線の積分形として対数平均流速式が,以下のように定義される.

調和混合距離モデルにより算出された流速分布を最小二乗法で解析した結果AsV=6.503, KV=0.4281となった.本式により平均流速Vを広範なレイノルズ数において精度よく予見できる.もとよりこの対数平均流速式の原型である平均流速対数線は全体の流速分布という視点でみたとき実際の流速分布から乖離するが,平均流速という視点からは乖離はほとんど存在しない.このことにより,滑面円管流れの抵抗則が極めて簡単な方法で明らかとなった.

(8)抵抗則の評価には指数型平均流速公式の粗度における評価と,Darcy-Weisbach公式を基礎とした摩擦係数の評価と二通りあるが,前者の意味では,従来経験公式として使用されてきたManning公式とHazen-Williams公式が滑面円管の流れに限定して理論的に考察された.ここで使用された重回帰分析による指数型平均流速式のパラメーター同定法は,将来,任意の粗度,任意の断面の流れの合理的なパラメーター同定法へ発展する端緒として重要である.また,摩擦係数としての評価においても,滑面円管流れに限定してPSP-dataを反映したよりグレードの高い結論を得ることができた.従来の摩擦係数の評価は,Nikuradse (1932)の滑面円管流れの実験を基礎として成立しているが,これを,特に高レイノルズ数の流れに外挿することには問題がある.PSP-dataという高精度の実験結果が公表された現在,滑面円管の流れに限定しても摩擦係数の見直しが必要である.

<粗面円管の流れ>

(9)滑面円管流れ解析からの演繹として,粗面円管流れの可能性のある二つの解析手法を示した.(1)粗面円管流れの基礎方程式を全面的に数値解析する手法と(2)分子粘性項を無視して解析する手法の二つである.両解析手法における解析結果においても,滑面円管流れの解析で導入された内部対数則と外部対数則の概念は依然として有効である.解析結果は,Millikan (1938)の流速分布の普遍的表現に適合する. Nikuradse (1933)の粗面円管流れの実験結果を,分子粘性項を無視した第2の方法で全面的に解析した.そこでも調和混合距離の概念は依然として有効であるという結果を得たが,二つの基本パラメーターである調和混合距離定数及び切片定数(計算の境界条件)に大きなスキャッターが発生した.Nikuradseの粗面円管流れの実験結果は,Millikanの理論的見地に照応しない.粗面円管流れについて再度高精度の実験が希求される.

<二次元の流れ>

(10)二次元流れ(平行壁間の流れ,Couetteの流れ及び二次元開水路流れ)の解析解が求められMillikanの理論に焦点を当てて検討された.滑面円管の解析で導入された内部対数則の概念は二次元流れにおいても普遍則として有効である.他方,外部対数則は流れの種類によって変化する.特に二次元開水路の流れでは,Nezu and Rodi(1986)の実験結果が解析された.そこで導出された内部対数則はIlog-law(5.780, 0.4285)であり,PSP-dataの内部対数則Ilog-law (5.440, 0.4288)と比較して切片定数に若干の乖離があるものの調和混合距離カルマン定数はほぼ完全に一致した.流れの態様に拘わらず調和混合距離カルマン定数は普遍(不変)定数となる可能性がある.

(11)非対称平行壁間の流れ(一方の壁面が完全滑面,他方の壁面が完全粗面の流れ)が時間進行法により解析された.もし,カルマンの速度欠損則が正しければ(これは調和混合距離の幾何的定義が滑面流れと粗面流れで不変であることを意味する)ここでの解析結果は成立する可能性がある.この解析手法は粗度が壁面に分布する任意の断面の壁面剪断乱流の解析へと発展する基礎として重要である.

<新しい径深の定義>

(12)二次元調和平均距離は調和混合距離を定義するために導入されたが,この概念は,平均流速公式における径深の定義においても有効であることが確認された.流れの断面内における調和平均距離の分布は,一種の疑似流速分布であると理解される.その疑似流速分布の平均流速も断面の相似比に比例するという性格を持つ.調和平均距離のこの性格を利用して新しい径深,調和径深が定義された.この調和径深を利用して粗度を一定としてCamp (1946)の水理特性曲線が計算されることが示された.従来,Manning式においては,Campの水理特性曲線を説明するために壁面材質が一定でも粗度係数を大幅に変更する必要が生じた.調和径深の概念はこの矛盾を解消するために重要である.更にこの概念は,単純な開水路断面である長方形断面流れ及び台形断面流れに有効であるばかりでなく,将来,複断面及び粗度が変化する断面にも発展的に適用される可能性がある.

審査要旨 要旨を表示する

 各種水路の流れの流速分布を工学的精度で把握するという視点は,現代水理学における重要課題の一つであり,これまで多くの実験と数値解析が行われてきたが,乱流問題の困難性から未だ一般的な解析手法が確立しているとは言い難い.本論文では,Prandtlの混合距離モデルを一般化するという視点から円管乱流及び二次元乱流の流れ場解析にアプローチしている.以下,本論文で新規に提案された理論とその検証過程について述べる.

<調和混合距離>

 本論文の核心となる概念は,Prandtlの混合距離を一般化した調和混合距離の概念である.調和混合距離にはD1:一次元的定義,D2:二次元的定義,D3:三次元的定義の三種の定義が存在してD1⊆D2⊆D3という包含関係が成立し,壁面近傍において全ての定義はPrandtlの混合距離の定義に帰着する.調和混合距離のこのような定義は,混合距離概念の一般化という本論文のテーマに沿うものとなっている.

<滑面円管の流れ>

 この種の幾何的定義の成否は実験との対応において検証されなければならない.調和混合距離の定義については,滑面円管乱流のNikuradseの混合距離に関する実験結果と比較対照され,「十分に発達した流れの混合距離はレイノルズ数の増大に伴いある極限形式を持つ.それが壁面からの調和平均距離に比例する調和混合距離によって表現される.」という基本仮説の妥当性を立証するものとなっている.

 滑面円管流れ流速分布計算の基礎式は混合距離モデルとvan Driestの壁面近傍における混合距離補正という二つの仮定に立脚しており,この基礎式が,レイノルズ数,Re→∞の過程で壁面近傍の流れが"壁面近傍収束式"に収束するとしたことが新規な提案で,本モデルにおけるカルマン定数の意味を鮮明に示すものとなっている.流速分布の計算では,Nikuradseの実験データと近年のプリンストン大学スーパーパイプの実験データ(PSP-data)が解析され,調和混合距離の概念が十分に成立することが検証されている.PSP-dataの解析の過程で,Izakson(1937)とMillikan(1938) が提唱したOverlap layerにおいて成立する対数則という概念が吟味され,解析結果は彼らの理論に整合するものとなっている.本論文ではこの対数則は内部対数則と定義され,Prandtlの壁法則に厳密に対応するものとなっており、さらに速度欠損対数則についても検討し,外部対数則及び位置対数則の概念を提案しているが,これはカルマンの速度欠損則との関係で重要な知見であると判断される.

<滑面円管流れ解析の応用>

 滑面円管の流れが調和混合距離モデルにより高精度で解析されたことに伴い,種々の応用的な問題について検討している.このうち重要な着想は対数平均流速式で,一次元解析での抵抗則の表現が,(1)指数型平均流速公式の粗度における評価及び(2)Darcy-Weisbach公式を基礎とした摩擦係数の評価,の二つの意味で合理的かつ高精度の表現が可能になったと判断される.

<粗面円管の流れ>

 粗面円管の流れについて二つの解析手法が示されている.(1)分子粘性項を無視して解析する手法と(2)粗面円管流れの基礎式を全面的に数値解析する手法の二つである.(1)の手法で Nikuradse (1933)の粗面円管流れの実験結果が解析されているが,基本パラメーターの同定において多くのスキャッターが発生している.粗面円管の流れについては,実験的にも数値計算上も多くの問題があるが,工学的重要性からみて今後高精度の実験と解析が望まれる.このとき,本論文で提案された基礎式は,その成否は将来の問題としても,十分に参考に値するものであると思慮される.

<二次元の流れ>

 二次元流れでは,滑面円管流れからの演繹として(1)平行壁間の流れ,(2)Couetteの流れ及び(3)二次元開水路流れで数値計算が行われの解析解が求められている.二次元流れに関する本論文での論証は現在のところ他の乱流モデルでは不可能である.特に二次元開水路の流れでは,Nezu and Rodi(1986)の実験結果が解析され,数値解析上妥当な結果となっている.さらに非対称平行壁間の流れが時間進行法により解析されているが,調和混合距離モデルの三次元流れ解析への発展を示唆するものとなっている

<新しい径深の定義>

 著者は二次元調和混合距離の幾何的特徴に着目して,新しい径深の定義-調和径深-の概念を提案し,円管の流れの水理特性曲線について検討している.Campの水理曲線が良好に計算され,またパラメーターの調整によってこの方法は従来の径深をも表現することが明らかにされた.これは,非満流円管の流れ及び複断面流れなどの等流計算する場合に,理論上払拭し得ない従来の径深の矛盾を解決する端緒として重要である.

 以上,等流の問題は水理学の基本として前世紀から今日にいたるまで精力的に研究されてきたが,本論文により壁面剪断乱流との関わりで流体力学と水理学との最も基本的な部分での統一という方向が示され、新たな研究領域が開発されつつあり、学術上寄与するところが大きい。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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