学位論文要旨



No 216743
著者(漢字) 瀬野,康弘
著者(英字)
著者(カナ) セノ,ヤスヒロ
標題(和) コンクリートのひび割れ注入補修における注入性状に関する研究
標題(洋)
報告番号 216743
報告番号 乙16743
学位授与日 2007.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16743号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚本,健人
 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 教授 古関,潤一
 東京大学 助教授 岸,利治
内容要旨 要旨を表示する

 コンクリート構造物に発生したひび割れは,構造物の耐力・水密性・耐久性など諸性能の低下に大きく影響するため,構造物の用途や重要度に応じた補修が必要である。特に,鉄筋コンクリート構造物に発生したひび割れが鉄筋に達している場合や,貫通している場合には,劣化因子がコンクリート部材内部や鉄筋に達し易くなり,劣化が促進され,コンクリート構造物としての機能を損なうこととなる。そのようなひび割れは,コンクリート構造物のライフサイクルコストを考慮した延命化を鑑みると,適切な方法で早急に補修すべきである。

 一方,ひび割れの補修工法のうち,注入工法は広く採用されているが,注入量の設計や管理方法が不十分であるなどの問題点もまだ残されている。

 本研究は,ひび割れ注入工法の補修設計手法や注入計画・注入管理手法を改善するために,ひび割れという注入経路の複雑さやひび割れ面の粗さに着目し,注入速度や注入量の予測精度向上を目指して実施したものである。

 本論文の構成と内容は以下の通りである。

 まず第1章で,ひび割れ補修の必要性や,注入性状に関する研究の必要性を示し,本研究の背景と目的を明示するとともに,本論文の構成と概要を示した。

 第2章では,ひび割れ補修方法の現状について整理するとともに,注入工法における注入性状に関する既往の研究を調査し,検討すべき以下の課題を洗い出した。

 (1)注入速度予測式の理論的な裏付け

 (2)ひび割れの粗さを考慮した実験的検討と理論式の適用性検証

 (3)汎用性のある注入速度予測式の提案と実ひび割れでの検証

 第3章では,平行平板内の流れとして取り扱うことのできるひび割れ内の漏水の流れに関する理論を整理した後,漏水の流れと同様の性状と考えられる注入材料のひび割れへの注入性状に関して,注入面積速度式について理論的な考察を行った。

 注入材料を非圧縮性のニュートン流体とみなし,注入されている注入材料の流れは層流状態であるとして,注入材料は注入口を中心とする同心半円状に広がる現象に合致するよう,円筒座標系における連続の式とナビエ・ストークスの運動方程式から,注入面積速度式の導出を試みた。流体は半径方向の一方向に流れ,他の方向の速度成分を持たないと仮定し,定常状態における簡素化された面積速度式を導き,注入速度に影響を及ぼすパラメータは,間隙幅(ひび割れ幅),注入圧,および材料粘度であることを示した。

 第4章では,注入速度に影響を及ぼす要因として,間隙幅,注入圧,および材料粘度以外に,「ひび割れ内部の表面粗さ(内面粗さ)」を考え,「粗さ指標」を抽出し,注入性状を検討するために基礎的な模擬実験を行った。次いで,コンクリートひび割れ面の粗さの程度を把握した。

 まず,コンクリートのひび割れ面の粗さ指標に関する文献を調査・整理することにより,指標の選出・絞り込みを行ない,フラクタル次元を取り上げた。そして,注入速度に影響を及ぼすと考えられる間隙幅,注入圧,材料粘度の他に,間隙内面の粗さをパラメータとして加え,水平ひび割れを模擬した間隙(注入対象面積50×100cm)への注入実験を実施した。注入材料には,エポキシ樹脂,ウレタン樹脂,無機系注入材料を使用した。注入実験では,ひび割れの内面粗さを模擬するために,建築の内装仕上げ材として使用されているエンボス加工された粗さ指標の異なる3種類の壁装材(クロス材)を利用した。その結果,注入材料の注入時の面積速度は,ウレタン樹脂・エポキシ樹脂の有機系注入材料や無機系注入材料とも,間隙幅の二乗と注入圧に比例し,材料粘度の逆数に比例することを確かめた。また注入面積速度は,間隙内面の状態が粗いほど遅くなり,注入速度は粗さの影響を受ける可能性を見出した。

 次に,実際のコンクリートに発生したひび割れの表面粗さを把握するため,細骨材率を変えて作製したコンクリートはり供試体の曲げ破断面の粗さをレーザ式変位計により測定した。その結果,細骨材率を30〜70%としたコンクリートの破断面の線フラクタル次元の範囲は,1.05〜1.12であり,細骨材率が40%以上では,コンクリートひび割れのフラクタル次元は,細骨材率が大きくなるに従って小さくなる傾向があることを確かめた。また,実際のコンクリート構造物に発生したひび割れの内面粗さを直接的に測定することは,現状では不可能であることから,ひび割れの内面粗さをコンクリート表面ひび割れから推測する方法について検討を行った。その結果,表面ひび割れの線フラクタル次元と,ひび割れ内面の線フラクタル次元との間には正の相関関係があることを確かめた。

 第5章では,円柱供試体(φ15×30cm)を割裂し,割裂面を重ね合わせてひび割れを再現させた供試体を利用して,コンクリートのひび割れに注入する場合に,第3章で導いた式や,第4章での検討結果が成立するか否かを確認することを目的として実験を実施した。また,モルタル供試体(φ15×30cm)やコンクリート平板(JIS普通平板)についても検討を加えた。対象とした供試体のひび割れ面のフラクタル次元は,モルタルが1.013〜1.019,コンクリートが1.030〜1.053であった。コンクリート平板の表面のフラクタル次元は1.006であった。注入材料には,有機系注入材料(エポキシ樹脂)と無機系注入材料を使用した。

 その結果,コンクリートひび割れへの注入面積速度も,ひび割れ幅の二乗と注入圧に比例し,材料粘度の逆数に比例するとともに,ひび割れの内面粗さ(注入経路の複雑さ)の影響を受け,ひび割れ内面の状態が粗いほど速度が遅くなることを確認した。この結果は,有機系注入材料と無機系注入材料とで同様であったが,同一フラクタル次元を有するひび割れへ注入する場合,速度式の比例係数は無機系注入材料の方が大きくなった。

 これらの結果をもとに,式(1),(2)に示すような,ひび割れの粗さを考慮した注入速度予測式を提案した。また,注入量の予測に関しても,式(3) のように,注入経路の複雑さを考慮する必要があることを示し,予測式を用いた注入補修計画フローを提示した。

Sv=αw2p/μ (1)

Qv=wSv=αw3p/μ (2)

Q=β2Qv・t=w(βr)2π/2 (3)

ここに

Sv:注入面積速度 (cm2/sec)

Qv:注入速度 (cm3/sec)

Q:注入量 (cm3)

α:注入速度影響係数  α= a・DL1-b (4)

β:注入経路長補正係数 β=c(DL1-1)+1 (5)

DL1:表面ひび割れの線フラクタル次元

a,b,c:実験定数

w:表面ひび割れ幅 (cm)

p:有効注入圧      p=γp' (MPa) (6)

p':計画注入圧 (MPa)

γ:注入圧力損失係数(γ≦1.0)

μ:材料粘度* (dPa・sec)  * 単一円筒回転粘度計による測定値

t:注入時間 (sec)    t=(πr2)/(2Sv) (7)

r:目標注入半径** (cm)  **見かけの半径

式の適用条件:

・対象ひび割れ:貫通ひび割れ(ひび割れ幅は表面も内部も一様と仮定)

・ひび割れ幅:0.5mm程度〜1.5mm以内

・注入厚さ(壁厚):50cm程度以内

・注入圧:0.5MPa以下

 第6章においては,第5章で提案した計画・管理手法の適用性を,実ひび割れにより検証した。検証は,15×30cmの断面を有する供試体に交番載荷により導入した水平な貫通ひび割れと,壁構造物(壁厚約15cm)に発生した鉛直の貫通ひび割れへの注入実験を通して実施した。なお,注入時のひび割れ発生後の材齢は,水平ひび割れが1週間程度,鉛直ひび割れは約10年程度である。その結果,水平ひび割れに関しては,提案した予測式によって注入時間や注入半径,および注入量を±10%程度の誤差で推定できることが確かめられた。また,適切な注入圧力損失係数を与えることにより,注入時間の予測精度がさらに向上することも確かめられた。しかし,鉛直ひび割れへの検証実験では,注入材料にダレが生じ,注入状況の評価が困難であった。注入量の予測結果は水平ひび割れと同じ程度であったが,注入時間の予測結果に大きな違いが認められた。これらの原因として,予測式において重力項を省略したことや,発生後の時間が経過したひび割れ内面の粗さの状態が,供試体とは異なっていることが考えられた。

 第7章では,本研究の総括を行うとともに,今後の課題について整理した。

 本研究ではコンクリート構造物に多く見られる貫通性のひび割れを対象としてひび割れの粗さ(注入経路の複雑さ)に着目した注入速度予測手法の検討を行い,注入速度予測式を用いた注入計画策定フローと注入管理手法を提案した。本研究により,コンクリート構造物に発生したひび割れの注入補修計画(注入範囲,注入量,注入時間などの計画)や注入管理に有用となる成果を提示できたと考える。より実用的な手法を構築するためには,重力項を考慮した注入速度予測式の検討,チクソ性を有する材料に対する予測式の適応性評価,ひび割れ発生後の時間の違いによる粗さ指標の評価などが,今後の課題と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 コンクリート構造物に発生したひび割れは、構造物の耐力・水密性・耐久性など諸性能の低下に大きく影響するため、構造物の重要度や特性に応じた補修が必要である。特に、鉄筋コンクリート構造物に発生したひび割れが鉄筋に達している場合や、貫通している場合には、劣化因子がコンクリート部材内部や鉄筋に達し易くなり、劣化が促進され、コンクリート構造物としての機能を損なうこととなる。そのようなひび割れは、コンクリート構造物のライフサイクルコストを考慮した延命化を鑑みると、適切な方法で早急に補修すべきである。一方、ひび割れの補修工法のうち、注入工法は広く採用されているが、注入量の設計や管理方法が不十分であるなどの問題点もまだ残されている。

 このような背景の下、本論文は、ひび割れ注入工法の補修設計手法や注入計画・注入管理手法を改善するために、ひび割れという注入経路の複雑さやひび割れ面の粗さに着目し、注入速度や注入量の予測精度向上を目指したものである。

 本論文では、まず、注入材料を非圧縮性のニュートン流体とみなし、注入されている注入材料の流れは層流状態であるとして、注入材料は注入口を中心とする同心半円状に広がる現象に合致するよう、円筒座標系における連続の式とナビエ・ストークスの運動方程式から、注入面積速度式の導出を試みた。そして、流体は半径方向の一方向に流れ、他の方向の速度成分を持たないと仮定し、定常状態における簡素化された面積速度式を導き、注入速度に影響を及ぼすパラメータは、間隙幅(ひび割れ幅)、注入圧、および材料粘度であることを示した。その上で、実際のひび割れの状況を考慮するため、間隙内面の粗さをパラメータとして加え、フラクタル次元を用いて表した。そして、注入材料の注入時の面積速度は、有機系注入材料・無機系注入材料とも、間隙幅の二乗と注入圧に比例し、材料粘度の逆数に比例することを実験により確かめた。また、注入面積速度は、間隙内面の状態が粗いほど遅くなり、注入速度は粗さの影響を受ける可能性を見出した。さらに、実際のコンクリート構造物に発生したひび割れの内面粗さを直接測定することは現状では不可能であることから、ひび割れの内面粗さをコンクリート表面ひび割れから推測する方法について検討し、表面ひび割れの線フラクタル次元と、ひび割れ内面の線フラクタル次元との間には正の相関関係があることを見出した。一連の提案手法の検証のため、15×30cmの断面を有する供試体に交番載荷により導入した水平な貫通ひび割れと、壁構造物(壁厚約15cm)に発生した鉛直の貫通ひび割れへの注入実験を実施した。そして、水平ひび割れに関しては、提案した予測式によって注入時間や注入半径、および注入量を±10%程度の誤差で推定できることが確かめ、さらに適切な注入圧力損失係数を与えることにより、注入時間の予測精度が向上することを確認した。しかし、鉛直ひび割れへの検証実験では、注入材料にダレが生じ注入状況の評価が困難であることが明らかとなり、その原因として、予測式において重力項を省略したことや、発生後の時間が経過したひび割れ内面の粗さの状態が供試体とは異なっていることが考えられた。チクソ性を有する材料に対する予測式の適応性の確認と共に今後の課題である。

 本論文の第1章では、本研究の概要と目的を述べている。第2章では、ひび割れ補修方法の現状について整理するとともに、注入工法における注入性状に関する既往の研究を調査し、検討すべき課題を洗い出している。第3章では、ひび割れ内の漏水の流れに関する理論を整理した後、注入材料のひび割れへの注入性状に関して理論的な考察を行っている。第4章では、注入速度に影響を及ぼす要因として、ひび割れ内部の表面粗さ(内面粗さ)を考え、注入性状を検討するために基礎的な模擬実験を行うと共に、コンクリートひび割れ面の粗さの程度を把握している。第5章では、円柱供試体を割裂しひび割れを再現した供試体を利用して、提案手法の検証実験を実施し、ひび割れの粗さを考慮した注入速度予測式を提案し、予測式を用いた注入補修計画フローを提示している。第6章においては、提案した計画・管理手法の適用性を、部材や実構造物のひび割れにおいて検証している。第7章では、各章ごとに得られた成果をまとめ、課題を整理し、本研究の結論を示している。

 以上、本研究は、コンクリート構造物に多く見られる貫通性のひび割れを対象としてひび割れの粗さ(注入経路の複雑さ)に着目した注入速度予測手法の検討を行い、注入速度予測式を用いた注入計画策定フローと注入管理手法を提案したものであり、実務における有用性に富む独創的な研究成果と評価できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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