学位論文要旨



No 216745
著者(漢字) 伊藤,正憲
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,マサノリ
標題(和) 実環境下におけるポリマーセメント系断面修復材の性能評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 216745
報告番号 乙16745
学位授与日 2007.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16745号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚本,健人
 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 教授 古関,潤一
 東京大学 助教授 野口,貴文
 東京大学 助教授 岸,利治
内容要旨 要旨を表示する

 1900年初頭から市民生活を支える社会基盤の中核をなしてきた鉄筋コンクリートは、半永久的にメンテナンスフリーであると考えられていた。現に初期の構造物は非常に丁寧に材料を選び施工されているため現在でもその機能を十分に果たしているものが多い。しかし、100年余り経過した1999年、数十年経過しただけの新幹線のトンネルや高架橋からのコンクリート片のはく落事故が発生した。例えば高架橋の劣化は、主に中性化の進行により鉄筋が腐食膨張し、かぶり部のコンクリート片のはく離・はく落として劣化が顕在化したと考えられている。さらに塩化物イオンや雨水などにより腐食は助長され、早期に劣化が進行したものと結論づけられている。このためコンクリートを打設するときにかぶりが小さくなる傾向にある高欄側面、張り出しスラブ下面や水切り部など他の部位に比べて劣化の進行が早いと言われている。また、このような状況をコンクリート工学の発展と歴史的背景から見ると、現在劣化が健在化している構造物は1960年代以降の高度経済成長期に建造されたものが多く、急速施工、大量打設の要求で導入されたコンクリートポンプ車によるところが大きいと言われている。つまり、ポンプを使用するため単位水量の大きなコンクリートが打設され、一部の構造物で劣化が進行している。このように奇しくもコンクリート構造物のはく離・はく落事故が多発した状況によってコンクリート構造物の維持管理、補修・補強が必要であり、ライフサイクルコストを最小限にするような各要素技術の開発が急務であると考えられるようになった。一方、劣化したコンクリート構造物、特に劣化した部分を除去したあとには断面修復工法が有効な対策法と考えられていた。しかし、鉄筋の防錆処理不足や塩分の取り残しなどにより早期に再劣化している事例が後を絶たない。これは適切な時期に適切な方法で補修されなかったと考えられ、主に適用されているポリマーセメントモルタル(以下、PMM)については材料の持つ特性を十分に理解し、理想的環境で獲得される補修材料の性能を現場でも再現できるとして環境影響を想定した補修を行わなかったことも影響しているものと考えられる。

 そこで、本研究では、劣化したコンクリート構造物の補修工法である湿式吹付け工法について、実績の多いPMMを対象として環境影響を定量的に評価し、強度、耐久性、寸法安定性などの性能がどの程度の影響を受けるのかを評価したものである。評価の手法は、細孔構造分析とセメントの水和反応、ポリマーの被膜化の過程を解明し、これがPMMの諸物性に及ぼす影響について検討したものである。さらに本研究では、これらの環境影響を極力少なくすることが可能な断面修復工法の開発も目指したものである。

 以下、本研究の中で得られた主な成果を示す。

 初期の水分蒸発速度が速くなるに従ってセメントの水和に必要な水分が不足して水和が阻害され、封緘養生と比較した場合、気乾状態で79%、風速2m/sの環境で67%の水和率となった。一方、ポリマーの添加は実現場を想定した環境でもセメントの水和の阻害要因となることを明らかとした。定量的な分析の結果、P/C=1%の増加で平均2%のセメントの水和阻害につながることを明らかとした。各種条件下におけるポリマーの被膜化は、時間の経過と水分蒸発量からPMM表面の被膜化を判定する式を提案し、PMMのポリマーの被膜化について考察した。施工直後から乾燥環境下に暴露されることによってPMMの表面にはポリマーの被膜が形成され、この被膜が水分の蒸発を抑制する働きを持っていることを明らかとした。また、表面からの水分蒸発により水分が表面に移動しようとする駆動力が発生し、これによりポリマーが表面方向に移動して被膜化するものと考察した。さらに、水分の移動が短時間で起こる場合、セメントの水和による水分の消費が多くない段階であるため、より多くのポリマーが表面に集結することで密実な被膜が形成されると考察した。つまり気乾状態では約1日後に被膜化したのに対し、風速2m/sの環境では7時間程度で被膜化し、この条件では水分蒸発速度が速いためより密実な被膜が形成されると考えた。また、水分蒸発速度が速ければセメントの水和が被膜形成時間に及ぼす影響は少なくなることも明らかとした。P/Cは、これが高くなるに従い蒸発する水分量が減少し、形成される被膜はポリマー粒子が多く存在していることで密実になると考えられた。また、ポリマーの被膜はその性質から水分が少ないほど硬度が高くなると考えられ、封緘養生したPMM中の被膜よりも乾燥条件におかれたPMM中の被膜の方が硬度は高くなると考えられた。

 PMMの細孔構造について有効総細孔量と空隙の構成状態を示す係数として空隙係数を定義して考察した。乾燥条件が厳しくなるに従いセメントの水和が停滞して細孔構造は粗大化していた。理想的な条件と実環境を比較すると空隙構造は約5〜6倍粗大化していた。また、P/Cが高くなるに従いセメントの水和は阻害されるが細孔構造は緻密化し、しかも連続性が遮断される傾向にあった。つまり、P/Cが高くなることによる組織の緻密化はポリマーが被膜充填効果を発揮することで達成されるものと考えられた。PMMの曲げ強度にはポリマーの被膜化とその強度が支配的であり、P/Cが高く、乾燥が進む条件において曲げ強度が高くなることを確認した。一方、圧縮強度はセメントの水和により細孔空隙が充填されることが支配的に関与していることを確認した。例えばP/Cが高くなると組織は緻密化するが圧縮強度の増進には寄与しない結果となった。これは、ポリマーの添加により緻密化するがセメントの水和が促進されず強度に寄与する水和物が生成されないことを明らかとした。この結果はP/C毎に強度と空隙の関係性を表す一般式で回帰可能なこと、また、P/Cに依存せず圧縮強度がセメントの水和率で整理できることなどをから考察した。PMMは乾燥条件が厳しくなると細孔構造が粗大化することで中性化に対する抵抗性が低くなった。しかし、ある大きさ以上の細孔量との関係から無添加モルタルとPMMを比較した結果、中性化抵抗性はPMMの方が高いことを確認した。これには空隙の連続性と表面のポリマーの被膜が大きく関与していると考察した。また、既往の研究を参考にかぶり30mmの鉄筋の中性化に対する保護期間を算定した。その結果、ポリマー無添加のモルタルは実環境下においてPMMの1/8〜1/5の中性化保護期間となることも考えられた。さらに、実際の現場を想定した検討を行った。その結果、風速2m/sの環境において初期の数時間だけシート養生した場合、直後から風に曝されたものより中性化抵抗性が低くなることを確認した。これはポリマーが移動できるのは初期の数時間でありセメントの凝結時間を越えた後では表面のポリマーの被膜が不完全となって、内部の細孔構造も粗大化するためと考察した。これらのことより実環境下では、強度、耐久性の面から最低1日〜2日間の封緘養生が必要であることを示した。一方、急結剤添加の影響はPMMに急結剤を添加することにより細孔構造は緻密化するが、強度は低下する傾向にあった。これは生成される水和物が若干異なっているためと考察した。次に、収縮補償材料を添加したPMMの細孔構造について検討した。封緘養生を含め、いずれの環境でも膨張材、収縮低減剤を使用した場合には細孔構造は若干緻密化する傾向にあった。

 PMMのセメントの水和反応、ポリマーの造膜機構、細孔構造に関する試験結果、さらに強度発現性や中性化に対する抵抗性の試験結果を考慮し、実環境を想定したPMMの硬化モデルの検討を行った。時間の経過によるセメントの水和の進行程度など、既往の文献を参考にしているところもあるが、提示したPMMの硬化モデルは各実験結果を説明できるものであり、概ね妥当であると考える。

 部分断面修復を想定した収縮試験の結果、膨張材、収縮低減剤の両者はそれぞれ補償機構が異なるもののそれぞれ有効な材料であり、逆に作用機構が異なるため両者を併用した場合でも有効に機能することを明らかとした。しかし、実現場におけるPMMの収縮の主原因はポリマー粒子などの毛細管圧力やシンタリング力による組織の縮小化よりも水分の蒸発による体積減少が最も影響が大きいことから、初期の確実な養生とこれが難しい場合には、適切な方法、例えば養生剤散布による高P/Cの被膜形成などが有効な手段であることを示した。また、一般的な補修工事において、施工直後に観察されるひび割れにつながるプラスチック収縮ひび割れや数日経ってから生じる乾燥収縮ひび割れと推定される体積変化を平板による収縮試験で的確に捉えることができることを示した。

 開発した断面修復工法は、液体急結剤を使用したタイプであり、施工条件が変化した場合でもその要求性能に十分適用可能な材料、施工方法とした。練り混ぜたPMMは、SLフロー試験により比較的簡便に、安定して品質管理ができ、また、流動性の高い状態で圧送できるため、条件によっては100m以上も圧送可能であることを明らかとした。これは、施工条件によっては非常に重要なことであり、施工後の品質にも大きく影響することである。また、鉄筋背面への吹付け時にはエアーブロー作業を併用することにより充填性の高い断面修復が可能であり、さらに、本工法は長期的にも安定した強度を発現し、様々な施工条件下における接着試験おいても高い接着性を有していることが確認できた。

 以上、本研究は、実環境下でのPMMの性能の低下を定量的に把握し有効な対策法の提案を試みた。劣化したコンクリート構造物の補修は劣化原因を的確に把握し適切な補修材料、工法を選定することが重要である。しかし、その選定根拠が室内試験データである場合は注意が必要である。より合理的に補修方法を選定し、再劣化の生じない高品質な補修を行うためには環境に配慮し施工条件を考慮した適切な材料、工法を選定することが重要である。本研究の結果から通常行われているような断面修復方法ではカタログに記載されている高い品質を獲得することは難しく、これを含めた耐久性設計手法の確立もひとつの課題として考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 市民生活を支える社会基盤の中核をなしてきた鉄筋コンクリートは、半永久的にメンテナンスフリーと考えられてきた。事実、丁寧に材料を選び施工された初期の構造物には現在でもその機能を十分に果たしているものが多い。しかし、1960年代以降の高度経済成長期に建造された構造物の中には耐久性が十分でないものも多く、建設後数十年程度しか経過していないトンネルや高架橋からコンクリート片がはく落する事態が頻発した。かぶり部のコンクリート片のはく離・はく落は、主に中性化の進行によりコンクリート内部の鉄筋が腐食膨張するために生じるものであるが、海砂を十分に洗浄せずに使用した場合や沿岸部に立地する構造物では、塩化物イオンの影響により鉄筋の腐食がさらに助長される。このようにコンクリートの品質が急速に悪化した背景には、急速施工、大量打設の要求によりコンクリートポンプ車が導入されるようになり、その結果、ポンプによる圧送が容易な単位水量の大きいコンクリートが使用されるようになってきたことが上げられる。このようにコンクリート構造物のはく離・はく落事故が多発したことにより、コンクリート構造物の維持管理、補修・補強の重要性が高まった。そして、劣化したコンクリート構造物の補修方法として、劣化した部分を打ち換える断面修復工法が有効な対策法と考えられてきた。しかし、断面修復を行っても早期に再劣化してしまう事例も後を絶たない。原因としては、断面修復時の鉄筋の防錆処理不足や塩分を含んだコンクリートの取り残しなどが考えられるが、断面修復工法で主に使用されるポリマーセメントモルタル(以下、PMM)の特性を十分に理解することなく、現場の環境条件を踏まえた適切な補修を行ってこなかったことも一因と考えられる。

 このような背景の下、本論文は、吹付け施工によるPMM系断面修復材を対象とし、実施工時の環境を想定した養生を行い、圧縮強度、曲げ強度に及ぼす影響や耐久性として中性化に着目し、その影響程度を定量的に評価したものである。また、検討の結果を踏まえて、最も再劣化リスクの少なくなる新しい断面修復工法の開発を行ったものである。

 本論文では、まず、初期の水分蒸発速度が速くなるに従ってセメントの水和に必要な水分が不足して水和が阻害されること、ポリマーの添加は実現場を想定した環境でもセメントの水和の阻害要因となることを明らかとし、実環境下でのPMMのポリマーの被膜化について詳細に考察し、時間の経過と水分蒸発量からPMM表面の被膜化を判定する式を提案した。続いて、PMMの細孔構造に着目し、乾燥条件やポリマーセメント比の影響を空隙構造レベルで詳細に検討し、強度、耐久性の面から実環境下で十分な性能を発揮させるには、最低1日〜2日間の封緘養生が必要であることなどを明らかにした。さらに、種々の実験結果を統一的に説明できる実環境を想定したPMMの硬化モデルを提示した。さらに、膨張材と収縮低減剤の併用による収縮抑制効果を初めとして、PPMの性能を確実に発揮させるための要点を明らかにしている。その上で、取り扱いや品質管理が容易で、吹付け性や接着性に優れ、施工条件が変化しても所要の性能を発揮できる断面修復工法を開発した。

 本論文の第1章では、本研究の概要と目的を述べている。第2章では、断面修復材、特にPMM系断面修復材に関する既往の研究をとりまとめ、これまで得られている知見と現状の課題を指摘している。第3章では、各種環境条件下にPMM試験体を暴露し、内部のセメントの水和反応について定量的に評価を行い、表面部でのポリマーの被膜形成過程について検討している。第4章では、各種環境条件下にPMM試験体を暴露してその細孔構造の分析を行い、圧縮強度、曲げ強度、接着強度および中性化抵抗性に及ぼす影響について検討している。また、膨張材や収縮低減剤などの収縮補償材料や液体急結剤の添加の影響についても検討している。第5章では、実環境下におけるPMM中のセメントの水和反応とポリマーの造膜機構のモデル化を行っている。第6章では、寸法安定性について実環境を想定した条件で収縮補償材料の効果を検証し、実際の現場で想定されるひび割れの発生に関する検証を行っている。第7章では、再劣化のリスクを最小限にする吹付け断面修復工法の開発を行っている。第8章では、各章ごとに得られた成果をまとめ、本研究の結論を示している。

 以上、本研究は、実環境下でのPMMの性能の低下を定量的に明らかにした上で有効な対策法の提案を行っており、実務における有用性に富む独創的な研究成果と評価できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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