学位論文要旨



No 216747
著者(漢字) 渡邉,健治
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ケンジ
標題(和) 大地震荷重下における擁壁の動的応答及び背面地盤のひずみの局所化が地震時土圧に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 216747
報告番号 乙16747
学位授与日 2007.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16747号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古関,潤一
 東京大学 教授 小長井,一男
 東京大学 教授 東畑,郁生
 東京大学 教授 目黒,公郎
 東京理科大学 教授 龍岡,文夫
内容要旨 要旨を表示する

 過去の大地震において、擁壁などの抗土圧構造物に多くの被害が報告されている。1995年の兵庫県南部地震においては、重力式、もたれ式、L型擁壁等の従来型擁壁は大きな被害を受けたのに対して、剛壁面を有する補強土擁壁の被害は軽微であった。

 地震時に擁壁には地震時土圧および慣性力が作用し、それらの外力に対して従来型擁壁はフーチング底面での支持力、補強土擁壁は補強材張力で抵抗するが、擁壁の地震時挙動や地震時土圧の発現メカニズムについては十分には明らかになっていない。

 従来の低震度を想定した多くの耐震設計基準において地震時土圧算定のためには物部岡部式が用いられてきた。従来の設計では、地震時土圧算定の際に残留強度相当の低めの強度定数(φ)が用いられ安全側評価になっていたことや、既往の実験的研究において低震度(200gal程度)では地震時土圧の実測価と物部岡部式が概ね一致する結果が得られていたことなどから、兵庫県南部地震以前に地震時土圧算定法が実務上問題となることはなかった。兵庫県南部地震以降、大震度を想定した耐震設計が導入されたが、L2地震動のような大地震動の最大加速度から換算した水平震度をそのまま物部岡部式に用いると、計算不能となる場合や、すべり面が深く成りすぎる場合などの不合理な点が生じた。そのため、土のひずみ軟化特性やひずみの局所化を考慮できる修正物部岡部式が提案され、鉄道基準や道路基準に採用された。しかしながら、大震度において実際に作用する土圧は、地震動の特性や擁壁の動的応答の影響を受けると考えられる。既往の模型実験では、大震度においては物部岡部式や修正物部岡部式よりも小さな土圧しか作用しない結果も得られていた。そのため、既設擁壁の耐震性能照査や新設擁壁の耐震設計のために、大震度における地震時土圧を合理的に算定する手法の確立が望まれていた。

 過去に擁壁の地震時挙動や地震時土圧算定法に関して多くの研究がなされているが、兵庫県南部地震レベルの大地震動を想定した研究、異なる擁壁タイプの地震時挙動を評価した研究、背面地盤の変形状況(すべり面の発生、発達)と地震時土圧の関係に着目した研究は少ない。

 このような背景から、本研究では大地震における擁壁の耐震設計のさらなる合理化を図るために、「大地震荷重下における地震時土圧および擁壁の地震時挙動の解明と、これらの合理的評価手法の提案」を目的とし、系統的な模型実験(傾斜実験、振動実験)を実施した。実験は3種類の従来型擁壁模型と3種類の補強土擁壁模型を用い、擁壁に作用する力(外力、抵抗力)を精緻に計測し、擁壁の地震時挙動や地震時土圧の特性を多角的に評価した。特に重力式擁壁については、模型作成直後に大きい加速度で加振する一発加振実験や卓越周波数を変化させた実験など様々な加振方法で行い、さらには新たに導入した画像解析システムを用いてすべり面の発生・発達特性について定量的に評価し、地震時土圧の発現特性との比較を行った。これらの模型実験から得られた結果、知見は以下の通りである。

(1) 擁壁の地震時挙動について

・異なる擁壁タイプの地震時挙動の比較

 従来型擁壁では、一旦変位すると、変位が急速に進展したが、補強土擁壁では変位は急速に進展せず、変位に対する靭性を示した。これは各擁壁の外力に対する抵抗メカニズムの違いに起因しており、兵庫県南部地震での擁壁の被害事例と定性的に合致する現象であった。特に補強土擁壁の場合は、上層の補強材を延長すると延長補強材がすべり面の発生を抑制するため、効率的に耐震性を向上できることが分かった。

・異なる加振条件のもとでの擁壁の地震時挙動の比較

 擁壁タイプによらず、大変位に至る水平震度は傾斜実験<正弦波加振実験<不規則波加振実験の順に大きくなった。これは大きな水平慣性力の作用する回数と継続時間の違いに起因していた。卓越周波数を変化させた不規則波加振実験でも同様の傾向が見られた。

(2) 背面地盤の動的応答および変形特性(すべり面の発生特性)について

・背面地盤の動的応答について

 背面地盤の応答加速度は、すべり面の発生位置、すべり面発生の度合い、加振周波数に大きく依存する。さらに、すべり土塊の内部であっても、場所によって応答加速度の大きさ・位相が異なり、必ずしもクーロンの主働土圧理論で仮定されているような剛体挙動ではなかった。

・すべり面の発生特性について

 重力式擁壁やもたれ式擁壁の振動実験では1本目のすべり面が発生した後、2本目のすべり面が1本目よりさらに深い位置で発生し、修正物部岡部式と定性的に合致する現象が得られた。画像解析システムを用いてすべり面の発生過程を詳細に調べた結果、すべり面は進行的に発生すること、すべり面は加速度が最大となった時ではなく、加速度が上昇する過程において既に発生し始めることが分かった。また、すべり面の発達の程度は、擁壁の変位量・変位モードの影響を大きく受け、加振周波数の影響は少なかった。

(3)地震時土圧の大きさ、すべり面角度の実験値と物部岡部式の比較

・大地震荷重下において擁壁に作用する地震時土圧について

 地震時土圧の大きさや位相特性は擁壁の支持条件(固定度)の影響を大きく受け、固定度が低い擁壁の場合、擁壁の有する抵抗力以上の地震時土圧は作用しなかった。これらの結果は、擁壁の耐震設計においては擁壁の支持条件を十分に考慮する必要があることを示唆している。

・実験値と物部岡部式の比較

 傾斜実験では、地震時土圧の大きさ・すべり面角度は物部岡部式と概ね一致した。これは、傾斜実験が物部岡部式の想定している状況に近い条件下で行われているからであった。一方、振動実験において従来型擁壁に作用する地震時土圧や物部岡部式よりも小さく、すべり面角度は物部岡部式よりも大きかった。この傾向は大震度において特に顕著であった。この原因としては、すべり土塊の応答加速度が振動台加速度と異なること、物部岡部式よりも小さいすべり土塊で地震時土圧が決定されていること、などが挙げられた。

 以上の実験結果を踏まえ、すべり土塊の大きさ・応答特性、すべり面上で発揮されるせん断強度を考慮し、すべり土塊の力のつりあいから地震時土圧を算定した。その結果、特に大震度において計算値と実験値は合致しなかった。この原因としては、(1)φ(mob)のひずみ加速度依存性、(2)擁壁の地震時挙動(外力に対する抵抗特性)、の影響が挙げられた。

・すべり面で発揮されるせん断強度(φ(mob))の逆算値

 地震時土圧の実測値から、すべり面上で発揮されるせん断強度(φ(mob))を逆算した。この結果と画像解析により算出したすべり面周辺の地盤のひずみ加速度を比較した結果、逆算されたφ(mob)は、特にピーク状態付近におけるひずみ加速度の増加により大きく増加している可能性があった。この影響を評価するためには、非常に速いひずみ速度で三軸試験を追加実施し、ピーク状態からポストピーク状態におけるひずみ加速度依存性について考慮する必要がある。

(4)擁壁に作用する外力と抵抗力

外力と抵抗力の関係

 振動実験において、重力式擁壁に作用する外力(地震時土圧、慣性力)および抵抗力の最大値(最大摩擦力)を比較した結果、作用外力は抵抗力の最大値に達した時に頭打ちとなり、さらに加速度が増加してもそれ以上の外力は作用しなかった。

擁壁変位の累積性

 擁壁の変位は作用外力が抵抗力の最大値に達して頭打ちとなっている時間帯に進展しており、その継続時間が長いほど変位量が大きくなることが分かった。

(5)大地震荷重下における擁壁の耐震設計手法について

耐震設計のために考慮すべき事柄

 地震時土圧については、(1)地盤の強度定数、(2)擁壁の固定度(外力に対する抵抗特性)、(3)すべり面の発生位置、を適切に考慮する必要があることが分かった。また、擁壁の残留変位量については、(1)ポテンシャル外力の大きさ、(2)その作用継続時間、を適切に考慮する必要があることが分かった。

地震時土圧・すべり面角度の算定

 地震時土圧およびすべり面角度は、擁壁に作用するポテンシャル外力が抵抗力を上回る時刻(Fs=1となる時刻)における水平震度(限界震度)を物部岡部式に適用することによって算定できる。この土圧が擁壁に作用する最大の土圧であり、その後に地震動が増加しても土圧は増加しない。

擁壁の変位量算定

 擁壁の変位量は、Newmark法によって算定できる。Newmark法を用いる際のしきい値は、上記の手法で算出した限界震度を用いる。また、背面地盤のひずみ軟化挙動を考慮することにより、より合理的に擁壁の変位量を算定することが可能となる。

既往の提案手法との比較

 既往の研究で提案されている地震時土圧算定法と比較した結果、本研究の提案手法は簡便に地震時土圧を算定でき、さらには擁壁の変位量算定の際に背面地盤のひずみ軟化挙動を考慮できる点に特徴がある。

 本研究では系統的に実施した振動実験結果を踏まえ、大地震荷重下における地震時土圧の大きさ、擁壁変位量に影響を及ぼす因子を整理した。これを考慮すれば、大地震荷重下における地震時土圧を合理的に評価することが可能となり、新設擁壁の耐震設計や既設擁壁の耐震診断を合理的に行うことが可能となると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 擁壁構造物は鉄道・道路施設および宅地造成等において、山岳地帯や斜面、あるいは平地における用地縮減などの目的で多用されている。一方で、1995年の兵庫県南部地震と2004年の新潟県中越地震では、重力式擁壁などの従来型擁壁構造物が多大な被害を受けた。今後、重要構造物として擁壁を新設する場合、あるいは既存の擁壁の耐震補強を行う場合に、大きな地震荷重、すなわち大震度下での擁壁の挙動を合理的に評価できる手法を確立することが求められている。

 これまでの低震度を想定した耐震設計では、擁壁に作用する土圧の評価に物部岡部式が多用されてきた。その際に、土の設計せん断強度は残留強度に相当する安全側の設定がなされていた。これらの結果として、兵庫県南部地震以前は特に問題は生じていなかった。

 その後、兵庫県南部地震を経て、大震度を想定した耐震設計が重要構造物に対して導入された。大震度下での擁壁の耐震設計を行う際に、最大加速度から換算した水平震度をそのまま物部岡部式に用いると、計算ができない、すべり面が深くなりすぎるなどの不合理な点が生じるため、土のピーク強度とひずみ軟化・局所化挙動を考慮できる修正版が提案されて実務でも採り入れられてきている。

 しかし、大震度において擁壁に実際に作用する土圧は、地震動の特性や擁壁の動的応答の影響を受けると考えられる。既往の関連研究において、物部岡部式とその修正版よりも小さな土圧しか作用しないという模型実験結果も得られているが、各種の条件の影響について詳細に検討した例は極めて限られている。

 以上のような背景のもとで、本研究では、系統的な模型実験結果に基づいて大地震荷重下の擁壁に作用する土圧特性の詳細な分析を行い、その知見を反映させて合理的な耐震設計法を確立することを目指した検討を実施している。

 第一章は序論であり、既往の関連研究をレビューするとともに研究の背景と目的を説明し、最後に論文の構成を記述している。

 第二章では、本研究で実施した模型実験に関して、実験装置と実験方法および実験ケースの内訳について記述している。特に、模型側面の状況を高速度に撮影してその画像を解析するシステムを新たに構築してその精度検証を行い、加振中の地盤中の局所的ひずみ分布の変化状況やすべり面の形成過程などを定量的に評価する手法を確立している。

 第三章では、擁壁の地震時安定性に着目して模型実験結果の分析を行っている。擁壁の形式に応じた地震時挙動の違いを明らかにするとともに、従来より耐震設計の実務において地震時土圧の算定に多用されている物部岡部式と実験値との間に大きな相違があることを示している。

 第四章では、第三章における検討結果を受けて、特に地震時土圧の発現特性に着目して模型実験結果の詳細な分析を行っている。擁壁の固定度が土圧特性に及ぼす影響を実験的に明らかにするとともに、擁壁背面の裏込め地盤中で実際に観察されたすべり土塊、あるいはすべり面発生前でも仮想的に設定したすべり土塊に作用する力の釣りあいから算出される地震時土圧の計算値と実験値を比較することにより、すべり面の形成メカニズムとすべり面発生後の土圧の発現特性について検討している。その結果、擁壁に作用する外力と抵抗力が初めて釣り合った時点ですべり面の角度が決定され、その後は擁壁が発揮できる抵抗力以上の外力は作用せず、これらの条件から土圧の発現特性が決まることを見出している。

 第五章では、第三章と第四章で得られた知見を整理して、大地震荷重下における擁壁の合理的な耐震設計法を提案している。すべり面形成後はNewmark法を適用することにより、比較的簡易に擁壁変位量の計算を行える点が特徴的である。さらに、条件を変えて実施したいくつかの模型実験結果を対象に、限界水平震度と地震時土圧、すべり面角度、擁壁の変位量などの各項目が統一的なパラメータで解釈できることを示して、提案手法の妥当性を確認している。

 第六章では、結論と今後の課題を記述している。

 以上を要約すると、本研究は、大地震荷重下における擁壁と背面地盤の挙動、特に地震時土圧の発現特性に着目して系統的な模型実験を実施して、背面地盤にすべり面が形成される条件とその後の土圧発現特性等を明らかにしている。また、これらの結果に基づいて擁壁の合理的な耐震設計法を提案し、その妥当性を検証しており、地盤工学の発展に貢献するところが大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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