学位論文要旨



No 216760
著者(漢字) 宮林,正恭
著者(英字)
著者(カナ) ミヤバヤシ,マサヤス
標題(和) リスク危機管理論に基づく公的安全規制方策に関する研究
標題(洋)
報告番号 216760
報告番号 乙16760
学位授与日 2007.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16760号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,芳明
 東京大学 教授 班目,春樹
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 縄田,和満
 東京大学 教授 古田,一雄
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の目的は、我が国の公的安全規制の現状に焦点を当て、リスク危機管理論に基づき、背景的要因を含めて問題点を摘出しその改善方策を示すとともに、社会の安全の確保におけるリスク危機管理の方法論の有用性を示すことである。

 公的安全規制については1980年代後半から血友病治療薬によるHIV感染、食品安全問題など国の政策決定や政策判断の失敗、それも主としてリスク管理の欠如によると思われるものが明らかになり、1990年代後半から2000年代初頭にかけての省庁再編、独立行政法人化などの動きのなかで、問題のあった分野については新しい委員会や独立行政法人の設置などそれなりの対応が行われてきた。しかし、その後も、各種医療事故、鉄道事故、エレベーターやガス湯沸かし器の事故など国の規制対象案件において問題が頻発している。一方、1990年代以降、構造改革、規制緩和、官の役割縮小などは、社会の大きな流れとなり、公的安全規制もその流れの影響を受けている。他方、阪神淡路大震災、JCO事故、米国における9.11テロなどを経て、安全・安心は国の大きな方針の一つとして位置づけられ、研究開発の分野においても積極的な推進が行なわれている。

 公的安全規制に関する研究は、海外では英国ローベンス委員会報告、James Reasonの組織事故に関するものなどがある。我が国では、2001年7月社会技術研究システム(2005年5月社会技術研究開発センターに改組)が設置され、その下で、主として法制度や規制体系に焦点を当てた活動が行なわれて、航空、原子力、医療、化学などの主要個別分野の研究、あるいは米仏等海外の状況の把握、国内規制法体系の比較などの論文が発表されている。また、同センターでは、関連としてリスクコミニュケーション、隠蔽心理など関連の研究も行なわれている。さらに、学術振興会の人文・社会科学振興プロジェクトでは、リスクガバナンスの研究として、規制に影響する背景的問題が取り扱われている。

 リスク危機管理(Risk & crisis Management)は、危険、すなわち、リスクの存在を意識し、それに対し適切な措置をとることによって、危険そのものあるいは危険によリ生ずる被害量を減らし、また、その危険が現実化(リスクの発現)した際には、的確な対応を行なうことによって混乱を最小限に抑え、被害を可能な限り少なくする体系的アプローチである。このような行動は本能的に行われている場合も多いが、軍事や国際政治の分野を除き、学問としては未だ新しい領域であり、方法論はかならずしも十分確立しているとはいえず、発展途上にある。

 本研究では、まず、リスク危機管理において使われる用語が、概念を明確にしないままで使われ、混乱を起こすことも多いことから、リスク危機管理、リスクコミュニケーションとクライシスコミュニケーション、予防的アプローチなどをかなり詳しく分析整理して再定義等によって概念を整理した。

 一方、公的安全規制に影響する因子の分析を行ない、(1)安全から見た科学技術の特徴、(2)人間的要因(ヒューマンファクター)、(3)リスクの概念的枠組みと許容リスク、(4)公的安全規制の性格、(5)制度的枠組みおよび手法、(6)公的安全規制部門の状況および行動、(7)公的安全規制を受ける者の状況および姿勢や対応ならびに(8)公的安全規制に対する社会的条件および環境の9項目の整理を行なって公的安全規制のおかれている現状と条件を明らかにした。なお、安全規制に強い影響力のある安全から見た技術の特徴は筆者の視点で9項目に整理している。

 リスク危機管理の方法論については、現在広く知られたものは民間企業を対象にしたものであることから、公的リスク危機管理にも使用可能な方法論として、〔リスク危機管理の手順〕、〔リスク危機管理における適切な行動要件〕及び〔リスク危機管理が適切に行われるための条件〕からなる以下の3葉の図に概要が示される「リスク危機管理の統合的アプローチ手法」を考案した。

 そして、これらを基に血友病治療薬によるHIV感染、姉歯元一級建築士等による耐震偽装事件、アスベストによる環境汚染の三つの公的安全規制の失敗例について事例研究を行い、リスク危機管理的観点から改善の必要な事項を摘出した。

 一方、公的安全規制に影響する因子を総合的に検討して、(1)国民の高度化する安全要求、(2)規制緩和の社会的要求、(3)財政事情などによる公的組織縮小の流れ、(4)急速な科学技術の発展成果の取り入れによるリスクの累積的増大、(5)競争激化による余裕度の減少、(6)規制部門に求められるようになった知識の格段の増大とノーハウの高度化など、相反する要求や環境条件の悪化により、現行の公的安全規制システムには限界が来ている状況を明らかにして、公的安全規制業務の改善方策を扱うに際しての環境条件を示した。

 次いで、事例研究から摘出された改善の必要な事項を統合化し公的安全規制の面から総合的に分析して、我が国の公的安全規制の問題点29項目を摘出した。さらに、これらの問題点を基に「公的安全規制に影響する因子」および「リスク危機管理の統合的アプローチ手法」に基づきその背景的問題14項目を摘出している。これら両方の問題点合計43項目を対象に改善方策を検討して、その結果を、「リスク危機管理を意識して行なう時代であることの認識の増進」、「リスク危機管理マネジメントの実施」、「リスク危機管理の統合的アプローチ手法の導入及び関連する民間用に開発された手法の利用」、「早い段階からの積極的リスクコミニュケーションへの踏み切り」等の35の政策コンポーネントとして作成している。

 その上で、公的安全規制に影響する因子などから政策コンポーネントの実施に当たっての行政サイドの難易度などを検討して3つの実行モデル案および公的安全規制のモニター機能の設置構想に整理し、現行の公的安全規制システムへの改善効果や問題点など、これらモデル案等の特徴を論じ、改善方策の実行の像が明確にわかるようにした。

 「リスク危機管理手法の導入と規制業務のアウトソーシングを行なう実行モデル」は各省庁レベルで実施可能な、リスク危機管理の手法の導入、積極的な規制部局からの情報発信、規制業務のアウトソーシングなど10の政策コンポーネントからなるモデルであり、比較的容易に実施可能な実行モデルである。すでに各省庁では独立行政法人などへの下請け的なアウトソーシングなどが行なわれつつあるが、下請け法人の職員のモラルや意欲などの問題も危惧され、限界がある。「総合的なリスク危機管理を政府として取り組むが、その実施の構造には触れない実行モデル」は、これら10項目に加えて、リスク危機管理マネジメントの実施、早い段階からの積極的リスクコミニュケーション、基本方針の設定など新たな10項目を加えた合計20の政策コンポーネントで構成される。内閣総理大臣の強力なリーダーシップが必要である一方、そのスタッフ組織の弱体の解消は容易でないと考えられ、現在のシステムの強化を図り、実効性を挙げようとすれば、重複や錯綜によって、必要な要員は最も増大する可能性が高い。また、現行公的安全規制の限界を打破するまでには至らない。「内閣府に社会のリスク危機管理を統一的に実施する組織を設置して必要施策を統一方針に基づいて強力に進める実行モデル」は、規制の制度設計などをモニターすることに関係する2項目を除く33の政策コンポーネントに対応する実行モデルである。この実行モデルにおいては、事例研究から積み上げてきた政策コンポーネントの実施のみならず、現行の公的安全規制の限界を打破して社会の安全を維持高度化していくことが期待できる。ただし、そのためには従来の発想を超えた工夫が必要であるが、それらの例として公的規制業務の独立行政法人への全面的委任など12項目を示している。

 「公的安全規制のモニター機能の設置構想」すなわち、リスク危機管理に関する制度設計をモニターし、警報を発する制度的メカニズムの設置は、他の33項目とは異質の2つの政策コンポーネントに必要性が示されているものである。これは、それら2つの政策コンポーネントが求める公的安全規制の抜け落ちや時代遅れ、不整合などを防ぎ、我が国の公的安全規制が全体としてバランスの取れたものとして実施されることという要請に応えるためだけではなく、権力の行使としての公的安全規制の行き過ぎあるいは不足を常に監視するためにも必要である。このような視点はこれまであまり提起されたことがないが、必要性は高い。内閣傘下の会計検査院および国会の常任委員会調査室の機能強化が案として現実的であると考えられる。

 以上の研究によって、現行の公的安全規制システムの問題点が浮き彫りにされ、その改善方策が示された。

リスク・危機管理業務の一般的手順

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はリスク危機管理論に基づく公的安全規制方策についてまとめたものであり、9章より構成されている。

 第1章で研究の目的は我が国の公的安全規制の現状に焦点を当て、リスク危機管理論に基づき、背景的要因を含めて問題点を摘出しその改善方策を示すとともに、社会の安全の確保におけるリスク危機管理の方法論の有用性を示すことであると述べている。

 第2章では先行研究と基本概念の整理を行っている。リスク危機管理は軍事や国際政治の分野を除き未だ新しい領域であり、方法論がかならずしも十分確立しているとはいえないとし、リスク危機管理、リスクコミュニケーションとクライシスコミュニケーション、予防的アプローチなどを分析して再定義等によって概念を整理し、明確化を行なっている。

 第3章では公的安全規制に影響する因子の分析を行い、公的安全規制のおかれている現状と条件を明らかにしている。

 第4章ではリスク危機管理の方法論について述べている。リスク危機管理の方法論としては、現在広く知られた方法論が民間企業を対象にしたものであることから、公的リスク危機管理にも使用可能な方法論として、〔リスク危機管理の手順〕、〔リスク危機管理における適切な行動要件〕及び〔リスク危機管理が適切に行われるための環境条件〕からなる「リスク危機管理統合的アプローチ手法」を考案している。

 第5章では事例研究その1として血友病患者へのHIV感染問題を取り上げている。主要な経過をまとめ、問題事項の摘出と分析を行ったのち、体系化された情報収集体制の整備、リスク認識時に予防的アプローチを取るか実証的アプローチを取るかの対応の基本政策、判断能力を持つ局長の任用と局内統治、適切な人事異動タイミング、的確なリスクコミュニケーションの実施、危機管理の考え方に従った行政機関の対応とその環境整備などの改善の必要な事項をあげている。

 第6章は事例研究その2として耐震偽装事件を取り上げている。経過・問題事項摘出・分析を行い、改善の必要な事項として、大きな政策変更を行った時には省庁の枠を超えた総合分析と変更後の監視と問題が生じたときの警告、行政職員の危機管理手法の修得、既存業界や資格グループの利害を超えた枠組み設定、技術の進展とともに変わる手法の信頼性・実効性への留意、新しい法規制を実行する規制組織体制、潜在リスクが顕在化したときに被害者を救済するセーフティーネットの設定、下請け契約に基づく作業分担方式の見直し、被害が大きいもののリスク補填構造の整備などを挙げている。

 第7章は事例研究その3としてアスベスト問題を取り上げている。経過・問題事項摘出・分析を行い、改善の必要な事項として、継続的かつ機動的な情報収集、予防的アプローチの採用、被害の最小化を目指した社会環境の創生、省庁間の連携、専門的能力を持つ職員数増加とその処遇改善、審議会制度運用の改変などを挙げている。

 第8章は公的安全規制業務の改善方策について述べている。事例研究より得られた改善必要事項を総合的に分析して我が国の公的安全規制の問題点とその背景的問題を摘出している。公的安全規制に影響する因子を検討して、現行の公的安全規制システムに限界が来ていることを明らかにし、その改善方策を検討し政策コンポーネントを作成している。政策コンポーネントを取り扱う際の環境条件について検討している。さらに政策コンポーネント実施に当たっての行政サイドの難易度などを検討してその結果を「リスク危機管理手法の導入と規制業務のアウトソーシングを行なう実行モデル」「総合的なリスク危機管理を政府として取り組むが、その実施の構造には触れない実行モデル」、「内閣府に社会のリスク危機管理を統一的に実施する組織を設置して必要施策を統一方針に基づいて強力に進める実行モデル」の3つの実行モデル案および公的安全規制のモニター機能の設置構想に整理し、改善方策の実行の像を明らかにし、それぞれのモデルについて論じている。

 第9章は結論で現行の公的安全規制システムの問題点を明らかにし、その改善方策を示したとしている。

 本論文はリスク危機管理論に基づく公的安全規制方策を検討しておりシステム量子工学の進展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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