学位論文要旨



No 216766
著者(漢字) 竹中,史人
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,フミヒト
標題(和) 発酵食品中の新規機能性成分α-D-グルコシルグリセロールに関する化学的・酵素学的研究
標題(洋) Chemical and Enzymological Studies on α-D-Glucosylglycerol as a New Functional Component in Fermentation Foods
報告番号 216766
報告番号 乙16766
学位授与日 2007.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16766号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 講師 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

1.序 論

清酒や味噌、味醂、醤油のような日本の伝統食品は、生活習慣病や成人病の予防に良いと言われ、見直されている。この論文では、新たに見出した機能性成分、α-D-グルコシルグリセロール(GG)について述べる。GGは清酒に約0.5%、味噌に約0.5%、味醂に約0.1%含まれ、これらの食品中からは未報告の成分である。

2.清酒中GGの同定

清酒のHPLC分析(ゲルろ過)で二糖類とグルコースの間に認められる未知物質を硫酸酸性下で加水分解すると、等モルのグルコースとグリセロールが生成し、また、マルターゼでも同様に加水分解されたが、エムルシンでは分解されなかった。従って、この物質はグリセロールにグルコシル基がα結合したGGと考えられた。清酒醪中では、酵母が生産するグリセロールに麹のα-グルコシダーゼが作用して、GGが生成すると思われる。

GGには、2-O-α-D-グルコシルグリセロール(GG-II)、(2R)-O-α-D-グルコシルグリセロール(R-GG-I)、(2S)-1-O-α-D-グルコシルグリセロール(S-GG-I)の3種類の異性体が考えられ、トリメチルシリル化誘導体のGCMSで3つのピークに分離できた。

GG-IIは反応時間を制限したマラプラード反応を利用してマルチトールから合成した。S-GG-Iは四酢酸鉛によるグリコール開裂を利用してイソマルトースから合成した。それぞれ溶出したピークは1つで、清酒由来のものとMSが一致した。R-GG-IはS-GG-Iとの混合物として、四酢酸鉛によるグリコール開裂を利用してトレハルロースから合成し、S-GG-Iとその直前に溶出する二つのピークが認められた。新たなピークのMSはS-GG-IのMSに一致し、清酒由来の同一溶出時間のものにも一致したので、R-GG-Iと断定した。清酒中GGの3成分比(GG-II:R-GG-I:S-GG-I)は6:66:28であった

3.α-グルコシダーゼによるGGの合成

マルトースとグリセロールにA. niger由来のα-グルコシダーゼを作用させ、GGの収率と、糖転移反応の優先性を示すGGとグルコースの重量比を指標とし、反応初期条件を設定後、グリセロール濃度、反応温度、反応pH、反応時間、酵素添加量の順に反応条件を決定した。最適条件ではマルトース当りのGGの収率は66%で、水解よりも糖転移反応が優先していた。

1回目の反応では残存グリセロール濃度が高く、精製効率が悪くなるため、連続的にマルトースを添加してGG収量を上げる方法を検討した。10回のマルトース添加でも酵素は安定に作用し、GG収量は5倍に増加した。反応液を活性炭カラムクロマトグラフィーにより精製し、約100gのGG(純度98%、GG-II:R-GG-I:S-GG-I=10:49:41)を得た。

4.α-グルコシダーゼによる合成と分解におけるGGの挙動と反応速度論

α-グルコシダーゼで合成したGGも、清酒中のGGも、3成分比が均等でなかった理由を調べるために、α-グルコシダーゼの反応におけるGGの3成分の挙動を調べ、α-グルコシダーゼのグリセロール認識を標準自由エネルギー変化の差で表してみた。

GG合成最適条件で、GGの総生成量は4~6時間で最大となった後わずかに減少し、グルコースはGGの減少に伴い微増した。GGの3成分についてはGG-II、R-GG-Iが2時間で最大となった後漸減し、S-GG-Iは他の2成分と異なり増加し続け、3成分組成は72時間でほぼ一定になった。α-グルコシダーゼによりGGは24時間でほぼ完全に水解した。3成分のうち、GG-II、R-GG-Iが急速に減少し、遅れてS-GG-Iが徐々に減少した。合成時と同様にGG-II、R-GG-Iの2成分は挙動パターンが似ており、S-GG-Iのパターンとは異なっていた。

1モルのGGを分解するとグルコースとグリセロールが各々1モルずつ生成するはずである。グリセロールはGG減少量とほぼ一致するが、グルコースは分解開始後4時間までGG減少量よりもやや低濃度であった。また、分解開始後8時間までクロマトグラム上の二糖類と三糖類、三糖類と四糖類のリテンションタイムの間に未知物質のピークが認められたことから、GGが基質と受容体の両方になり、新たなグルコシル基の転移反応が起こっていると思われる。

受容体であるグリセロールは酵素とグルコシル供与体の結合を阻害し、グルコシル供与体は受容体にもなり得るので、これらの影響を含めた反応速度式は複雑になり、GG各成分の生成量だけでは反応速度定数を求めることが難しい。そこで、これらの影響を無視できる、標準自由変化エネルギー変化の差を用いて比較した。親和力はR-GG-I(AR)>GG-II(AII)>S-GG-I(AS)の順に大きく、その差はAR-AII= 0.88 kcal/mol、AII-AS= 0.16 kcal/mol、AR-AS= 1.04 kcal/molで、酵素のアグルコン認識サイトの各OH基に対する親和力の差を表している。

GGの3成分の生成パターンの違いの主な要因は、転移反応のグリセロールの認識の違いであり、酵素の特定の解離基が基質の認識に関与していることによる。反応pHを変化させると触媒作用をする活性中心の解離も変化し、GG生成量がpHによって異なると思われるが、α-グルコシダーゼの受容体認識部位の解離基が異なれば、3成分の存在比が変化することが予想される。そこで、pHを変化させ、GGの3成分の反応速度の変化を調べた。R-GG-IとS-GG-Iの反応初速度はpH 4.6付近で最大値となったが、GG-IIの反応初速度はこれらGG-I類と異なり、pH 5.8付近で最大であった。よって、GG-IIの認識はGG-I類と異なる解離基が関与していることが推察される。

各反応pHによるGGの3成分の生成パターンの変化を調べた。GG全体の生成速度はpH 6以上で減少し、これは触媒活性中心の変化の影響と思われる。グルコシル供与体のマルトースが消費されると、次にR-GG-IとGG-IIが消費されるようで、その傾向はR-GG-IがpH 4で、GG-IIがpH 6で顕著である。反応速度が遅いS-GG-Iはα-グルコシダーゼに認識されにくいため、マルトースが消費されるとR-GG-IやGG-IIがグルコシル供与体となり、S-GG-Iは漸増し、この傾向はpH 4で顕著である。pH 6以上ではGG-IIの組成比が増加する傾向を示し、α-グルコシダーゼのアグルコン認識に起因していると考えられる。

5.GGの特性

GGはスクロースの約0.55倍のすっきりとした甘さであった。また、GGを添加したモデル清酒を官能検査した結果、GGは清酒の味に幅を与えていた。加熱に対してGGは安定であり、着色もほとんど見られなかった。またGGは非還元糖類であるため、メイラード反応でもほとんど着色しなかった。GGは、グリセロールやソルビトールに比べ、保湿性が高かった。GGは口腔内細菌により酸を生成しない、非う蝕性を示した。また、GGの消化性はラット小腸酵素でのみわずかに(19%)消化される難消化性を示した。

6.膜消化におけるGGの二糖類消化酵素に対する影響3)

難消化性の糖類は一般に他の糖質の消化に影響を及ぼす。そこで、一般的な二糖類とGGのラット小腸酵素による消化パターンを調べた。

マルトースの消化において、その消費はGGにより抑制された。マルトースにより、GGの水解物であるグリセロールの遊離は抑えられたが、GGの消費は逆に促進された。これはマルトースによりGGの水解は抑えられるが、一方でGGを消費する別の反応が起っていることを示唆している。マルトースとGGの混合物の消化におけるグルコース濃度は各々の単独消化におけるその総和よりも少なかったので、GGはマルトースの膜消化を抑えると思われる。GGの3成分の各消費は全GG量と同様にマルトースにより促進された。

GGとスクロースは互いの消費を抑制し合い、その傾向は特にスクロースで顕著であった。同様に、グリセロールとフラクトースの生成は、それぞれの単独消化よりも混合物の消化で抑制され、その傾向はフラクトースで顕著であった。スクロースとGGの混合物の消化におけるグルコース濃度は各々の単独消化におけるその総和よりも少なかったので、GGはスクロースの膜消化を抑えると思われる。GGの3成分のうち、S-GG-Iの消費だけがスクロースの添加により抑えられたので、S-GG-Iはスクラーゼで水解されると考えられた。

GGとイソマルトースは互いの消費を抑制し合った。イソマルトースの添加によりグリセロールの生成は抑制された。イソマルトースとGGの混合物の消化におけるグルコース濃度は各々の単独消化におけるその総和よりも少なかったので、GGはイソマルトースの膜消化を抑えると思われる。イソマルトースによりグリセロールの生成は抑制され、同様にGGの3成分の各消費も抑制された。

GGの単独消化では三糖類と二糖類の間に溶出する新たな未知ピークが認められた。ゲルろ過の原理から、この未知物質はGGがさらにグルコシル化されたもの(例えばイソマルトシルグリセロールやジグルコシルグリセロール)であることが予想された。また、GGとマルトースの混合物の消化では、三糖類以上のオリゴ糖のピークは認められず、この新たな未知ピークが認められた。よって、マルトースによりGGの消費が促進されたのは、GGが糖転移反応の受容体になったためと考えられた。そこで各消化における糖転移反応の割合を、消費された基質が完全に水解された場合の生成物(単糖類やグリセロール)の総和から、実際に遊離してきたそれらの総和を差し引いた値で相対的に比較した。その結果、マルトースの消化では糖転移が盛んに起り、GGの添加によりさらに促進されることがわかった。このような基質をより大きな分子に変える糖転移反応は、糖質を吸収し難くすると思われる。

7.総 括

この論文では、α-グルコシダーゼの糖転移における受容体認識の酵素学的研究へのGGの有効性と、GGの生理的機能の可能性を述べた。まとめると、

1)α-グルコシダーゼは、その起源により受容体の認識が異なり、糖転移生成物が変わりやすい。さらに、糖転移を触媒する他の酵素でもGGは作られ、3成分比が異なると予想される。また、α-グルコシダーゼのような可逆的な反応では、反応液にグリセロールが残り、精製を妨げるので、不可逆的な反応を触媒してGGを作る酵素を探すことが重要になる。

2)GG各成分間の標準自由エネルギー変化の差などから、受容体としてのグリセロールの認識部位を明らかにして、そのアミノ酸残基を改変したα-グルコシダーゼが作れるようになれば、特定のGGが製造出来るようになると思われる。

3)GGの特性として他にも、澱粉の老化抑制作用、蛋白質の変性抑制作用、ビタミンの安定化作用、カルシウムの可溶化作用が報告されており、さらに飲食物の味やエマルジョン安定性を改善することも判っている。

4)GGには他にも多くの生理的機能が判っている。すなわち、血管内皮細胞増殖促進、血糖値上昇抑制、細胞活性化、コラーゲンやヒアルロン酸産生促進、中性脂肪蓄積抑制、美白効果、肌刺激抑制、アディポネクチン産生促進、癌細胞増殖抑制、脂肪細胞の脱顆粒抑制である。これらの機序を明らかにすることは、より効果的な化合物の設計にとって重要である。

以上のように、GGは機能性に富み、味も良い。さらに温度やpHに安定であるので、操作性が良い。GGは今後、様々な分野で注目され、利用されるようになると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

清酒や味噌、味醂のような日本の伝統食品は、生活習慣病や成人病の予防に良いと言われている。しかし、どのような成分がどのような作用機序によって効果を示すのかは、いまだ不明な点が多い。本論文では、それらの伝統食品に含まれる新規機能性成分、α-D-グルコシルグリセロール(GG)の有用性に加えて、GGをベースにしたα-グルコシダーゼの基質認識を考察している。

第1章は序論に続き、第2章では清酒から新たに見出したGGについて、3種類の異性体(GG-II、R-GG-I、S-GG-I)の分離と同定を行っている。それぞれの異性体は、糖類のグリコール開裂を用いて比較的簡単に合成され、GC-MSにより同定がなされている。清酒醪中では、酵母が生産するグリセロールに麹のα-グルコシダーゼが作用して、GGが生成すると推察し、清酒中GGの3成分比が均一ではないこと(例えば、GG-II:R-GG-I:S-GG-I=6:66:28)を明らかにしている。また、清酒中には約0.5%、味噌には約0.5%、味醂には約0.1%のGGが含まれることを初めて見出している。

第3章では、GGの有用性を調べるために、A. niger由来のα-グルコシダーゼによるGGの最適合成条件を設定し、さらに残存する高濃度のグリセロールを効率良く利用するために、工業的に利用可能なグルコシル供与体の連続添加法を提唱している。実験室レベルでこの方法を行い、約100gのGG(GG-II:R-GG-I:S-GG-I=10:49:41)を得ている。

第4章ではA. niger由来のα-グルコシダーゼの基質認識について考察している。すなわち、清酒中のGGも、第3章で製造したGGも、その3成分比が均一ではないことから、アグルコン認識サイトの各OH基に対する親和力の差を標準自由エネルギー変化の差として求めている。アグルコンであるグリセロールは酵素とグルコシル供与体の結合を阻害し、またグルコシル供与体は受容体にもなり得るので、これらの影響を含めた反応速度式は複雑になり、GGの各成分の生成量だけでは反応速度定数を求めることが難しい。そこで、標準自由変化エネルギー変化の差が2成分の反応初速度の比から求められ、これらの影響を無視できることを明らかにしている。これにより、親和力はR-GG-I>GG-II>S-GG-Iの順に大きいことを明確にし、さらに認識モデルを示し、α-グルコシダーゼのグリセロール認識サイトの細分化の可能性を示唆している。また、pH変化により反応速度比が異なることから、3成分のうちアグルコン認識に同じものはないことが推察でき、酵素修飾による特定のGGの合成という可能性も示唆している。

第5章では第3章で得たGGを用いて、味、安定性、着色性、メイラード反応性、保湿性、う蝕性、消化性について調べている。GGはスクロースの約0.55倍のすっきりとした甘さを有し、加熱により分解も着色もしにくく、アミノ酸との反応もしないので、調理等による変化を受けない。また、グリセロールやソルビトールよりも高い保湿性を有し、口腔内細菌による酸に生成を示さない非う蝕性であり、さらに口腔内から腸管内での管腔内消化を受けず、小腸微絨毛粘膜の膜消化でわずかに消化される難消化性であることを明らかにしている。

第6章では、二糖類(マルトース、スクロース、イソマルトース)の膜消化に与えるGGの影響を調べ、各二糖類とGGの混合物の消化におけるグルコース濃度が各々の単独消化におけるその総和よりも少なかったので、GGがこれらの二糖類の水解を抑えることを明らかにしている。さらに、スクロースとGGの混合物の消化では、GGの3成分のうち、S-GG-Iの消費だけがスクロースの添加により抑えられたので、S-GG-Iはスクラーゼで水解されることを明確にし、スクラーゼはS-GG-Iのグリセロール部位の2つのOH基を同時に認識していることを推察している。また、マルトースとGGの混合物の膜消化では糖転移反応が促進されることを示唆し、小腸微絨毛粘膜で起こる糖転移は水解とともにカロリー摂取を抑制することを示唆している。

本論文は、GGの特性や機能性を解明し、伝統食品の機能性の一部を明らかにしたことに加え、GGの工業的な生産方法を開発し、さらにα-グルコシダーゼのアグルコン認識サイトを細分化する方法の可能性やGGの単一成分の製造の可能性を提唱したものである。GGの機能性に関する知見は、低迷する清酒の需要拡大のみならず、西洋化する飲食物が原因と思われる様々な病気の予防や、伝統食品の見直しに貢献するものと期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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