学位論文要旨



No 216773
著者(漢字) 小林,正治
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ショウジ
標題(和) 強相関系に対する第一原理電子構造計算の拡張と遷移金属酸化物への応用
標題(洋)
報告番号 216773
報告番号 乙16773
学位授与日 2007.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16773号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 准教授 初貝,安弘
 東京大学 准教授 常行,真司
内容要旨 要旨を表示する

遷移金属酸化物が示す豊かな物性は古くから注目を集めており、その電子状態を解明しようという試みは実験的、理論的に長らく行われてきた。加えて近年では、変化が激しいエレクトロニクス産業においても遷移金属酸化物の物性を積極的に利用するようになってきており、新しい物質、新しい物性を検証したいという要求はますます高まるばかりである。そのため、検証や解析を迅速かつ低コストで行うことが出来る理論計算手法の充実は急務となっている。

一方、電子状態を求めることが難しいのも遷移金属酸化物の特徴である。固体の電子状態を第一原理的に計算するための代表的な方法である密度汎関数法、及びその局所近似(LDA)は様々な物質に適用され、凝集エネルギーや核間距離など様々な量の評価に成功を収めてきたが、遷移金属酸化物のように電子相関が強い系に対しては電子の遮蔽効果を十分正確に記述することが出来ず、その結果として絶縁体を金属と評価してしまうなど状態を正しく記述出来ないことがある。この問題に対し、近年ではGW近似のように動的な遮蔽効果を取り入れた手法が用いられるようになった。LDA が基底状態に対する変分法であるのに対し、GW近似ではDyson 方程式を解いて素励起エネルギーを求めているため、種々のスペクトル量を原理的に正しく扱えるようになることもGW近似の利点である。しかし、遷移金属酸化物のように電子相関が強い系に対しては依然として正しい描像を与えないこともあり、必ずしも全ての問題に対して解決の道を与えるものではなかった。

そこで本研究では、遷移金属酸化物におけるGW近似の適用範囲の拡張を行うことを第一の目的とする。また、GW近似およびこれらの拡張した手法を用いて、遷移金属酸化物の電子構造の解析を行うことが第二の目的である。

具体的には以下のことを行った。

1) GW近似の拡張

第一の目的に基づき、遷移金属酸化物に特有の問題を解決するためにGW 近似の拡張を行った。

L(S)DAなど変分原理に基づいた手法では基底状態しか取り扱えないのに対して、GW近似は多体相関の影響を受けた準粒子の状態を記述することで様々な物理量の取り扱いを可能にし、励起状態についても記述することが出来る強力な手法である。ただしこのとき、準粒子の状態はDyson 方程式を摂動展開することによって摂動論的に求められている。そのためGW近似の結果は、摂動の出発点となる無摂動状態、すなわち基底状態の表現の良し悪しに大きく左右されることになる。基底状態の表現が間違っていたり、現実の状態からかけ離れた状態になっていると、その摂動として表される準粒子の状態、すなわちGW近似によって求められる物理量も正しいものとならない。従来、GW近似の基底状態がL(S)DA 法によって記述されていることを考えると、このことは相関が強い系において特に問題となる。

そこで我々は今回、このような問題に対しては基底状態の記述方法にも注意を払う必要があると考え、より適切に基底状態を表現出来る手法を考案することで電子状態を正しく表現することを目指した。具体的には、遷移金属など電子の局在性が特徴的である系を取り扱うための手法であり、GW近似の静的極限に相当するL(S)DA+U 法によって求めた基底状態がGW近似の基底状態により適していると考え、L(S)DA+U法とGW近似を組み合わせた取り扱い(U-GW 法) を新たに提案する。この手法では、基底状態についてL(S)DA 法の代わりにL(S)DA+U 法を用いることで基底状態の波動関数を大きく変更し、現実の状態に近付けることが出来る。ただし、L(S)DA+U 法の計算に用いるU、J の値には任意性があるため、U、Jの値をどのように決定するかが問題となる。U-GW 法ではこのU、J について、ConstrainedLDA の値、および遮蔽された相互作用ポテンシャルの静的極限の値を用いて、物理的に適切な描像を与えるU、J を導く枠組みを用意した。このU-GW 法によって、L(S)DA 法を用いて基底状態を計算する従来のGW近似では記述出来なかった系に対してGW近似による取り扱いを適用出来るようになる。

2) 遷移金属酸化物への応用

第二の目的に基づき、遷移金属酸化物の電子構造の解析を行う。初めに、従来のGW近似が適用可能である二酸化ジルコニウム(ZrO2) について、電子構造の解析を行う。次に、従来のGW近似を適用出来ない例として三酸化二バナジウム(V2O3) を取り上げ、U-GW 法の適用を行い、その電子構造について考察する。

2-1) ZrO2 の電子構造計算

ZrO2 はセラミックスやセンサー、触媒、次世代のトランジスタのゲート酸化膜材料など、工業的に広く用いられている重要な物質である。そのため、ZrO2 の物性を知ろうとする取り組みは長らく行われてきた。第一原理計算によって電子状態を求める取り組みも数多く行われている。しかしその多くはLDA によるものであり、バンドギャップを過小評価してしまうという問題がある。この問題に対してはGW近似を用いることで、バンド描像を適切に得ることが出来る。ただし、ZrO2 のような遷移金属酸化物では複雑な状態遷移が起きるため、プラズモンポール近似のような簡便な近似を用いてGW近似を行うことは出来ない。一方実験面では、電子エネルギー損失スペクトル(EELS) からZrO2 の電子構造を求めようという試みが多く行われている。GW近似を用いると、一電子バンドや状態密度に加えてこのEELS についても求めることが出来る。EELS や誘電関数は占有状態から非占有状態への遷移を求めることで計算されるが、ZrO2 のような物質ではバンド間遷移とプラズマ振動が複雑に重なり合っているので、やはり簡便な近似を用いることが出来ず、状態遷移を出来る限り正確に計算しなければならない。加えて、結晶の非一様性が高いために、結晶の局在場効果を考慮して計算する必要がある。

そこで我々はGW 近似の計算においてプラズモンポール近似などの簡便な近似は用いず、乱雑位相近似(RPA) を用いることにより、占有状態から非占有状態への遷移を適切に取り込めるようにしてZrO2 の電子構造の計算を行った。この計算により、一電子バンドや状態密度、およびEELS について、測定結果をよく再現するような結果を得られた。

一方、EELS は物質の構造解析に広く用いられており、バルクだけでなく界面の構造解析にも用いられるなど、応用範囲も広がっている解析方法である。構造解析を行うには、EELS の各ピークの起源を知ることが必要である。そのためには誘電関数のピークの解析を行う必要があるが、ZrO2 の場合はEELS 及び誘電関数の形が複雑であるため、どのピークがどのような遷移に相当するものか判断することが出来ず、実験家の間でも意見が分かれていた。そこで本研究ではGW近似による計算結果から各々の状態遷移がEELS のどのピークに対応しているかの対応付けを行い、論争に決着をつけることが出来た。

2-2) U-GW法のV2O3 への適用

V2O3 はモット絶縁体転移を示す物質として知られているが、その電子構造についてはわかっていないことも多く、研究が続けられている。特に、常磁性金属相と反強磁性絶縁相の間の金属絶縁体転移において、電子相関が電子構造に対して与えている影響がどのようなものか、議論が継続している。また、反強磁性絶縁相は特殊なスピン構造をしているが、この構造が引き起こす物性についても明確にはわかっていない。スピン構造は異方的な構造を持つため、L(S)DA のように局所的なポテンシャルに置き換えたり、DMFT のように自己エネルギーの空間依存性を無視したりすると、異方的な効果を十分に取り入れた計算を行えない可能性がある。そのため、GW近似によって電子相関を評価することで電子構造を解釈することが望まれていた。しかし、V2O3 に対して従来のGW近似を適用しても、正しい結果が得られない。例えばV2O3 の反強磁性絶縁相について、LDA を用いて電子状態を計算するとバンドギャップが開かず金属となり、この状態を基底状態としてGW近似の計算を行っても金属のままとなる。そのため、従来のGW近似を用いて電子構造の計算を行うことが今まで出来なかった。

この問題を解決する手法が1) で述べたU-GW 法である。我々はU-GW 法を用いて、V2O3の常磁性金属相および反強磁性絶縁相の電子状態について一連の計算を行い、実験結果と整合した結果を得ることに成功した。例えば一電子バンド描像については、従来のGW近似では金属状態を示していたものが、U-GW 法による計算では絶縁状態になり、バンドギャップは0.95eV と、実験結果(0.66eV) に近い結果を与えている。またこのU-GW 法により、動的遮蔽効果の異方性も示された。これはスピン構造の異方性が反映されたものであり、静的極限の計算ではわからなかったものである。このことから、U-GW 法による見積もりの有用性を示すことが出来た。

審査要旨 要旨を表示する

遷移金属酸化物が示す豊かな物性のためにその電子状態を解明しようという試みは実験的、理論的に永らく行われてきた。近年では、それに加えてエレクトロニクス産業においても遷移金属酸化物の物性を積極的に利用するようになってきており、新しい物質、新しい物性を検証したいという要求はますます高まるばかりである。電子状態を求めることが難しいのも遷移金属酸化物の特徴である。固体の電子状態を第一原理的に計算するための代表的な方法である密度汎関数法、及びその局所近似(LDA)は様々な物質に適用され、凝集エネルギーや核間距離など様々な量の評価に成功を収めてきたが、遷移金属酸化物のように電子相関が強い系に対しては電子間相関効果を十分正確に記述することが出来ず、その結果として基底状態を正しく記述出来ないことが少なくない。この問題に対し、近年ではGW近似のように動的な遮蔽効果を取り入れた手法を用いる事ができるようになった。GW近似は多体摂動論に基づきでは励起エネルギーを求めるため、種々のスペクトル量を原理的に正しく扱え、化合物半導体のバンドギャップの評価などには大きな成果を与えている。しかし遷移金属酸化物のように電子相関が強い系に対しては依然として正しい描像を与えないこともあり、必ずしも全ての問題に対して解決の道を与えるものではない。

本研究は、遷移金属酸化物におけるGW近似の適用範囲の拡張を行うことを第一の目的とし、さらにGW近似およびこれらの拡張した手法を用いて、遷移金属酸化物の電子構造の解析を行っている。論文は四部六章からなる。第一部は第一章序論、第二部は理論的基礎と手法の拡張を説明する二,三章、第三部は応用の四,五章、第四部はまとめの第六章である。

第一章序論では、研究の背景、目的と論文の構成を説明している。

第二章ではGW近似を説明したのち、エネルギー損失分光実験、複素誘電率の解析における電子波動関数対称性の分解や、特にプラズモンピークとバンド間遷移がエネルギー的に重なっているときのプラズモンピークのシフトなどに関する実際的な問題が指摘されている。

第三章は、本論文の中心となるU-GW近似の説明である。GW近似では、自己無撞着な計算を行うと問題が発生することが多いことが知られている。本研究では、一回計算(いわゆるワンショットGW)を行っている。従って、何を無摂動状態として出発するかによって結果が大きく依存する。本研究では、通常の方法、すなわちLDAを無摂動状態とせず、LDA+U法の基底状態から出発することを提案している。この方法のよりどころとして、LDA+U法がGW近似の静的極限であるということを取り上げ、また結果の吟味に対してもLDA+U法で採用するクーロン相互作用U、交換相互作用Jの値が、最後に求められる遮蔽されたクーロン相互作用の静的極限W(0)と矛盾しないことを挙げている。

第三部は応用で、第四章、第五章である。

第四章はZrO2について、GW近似をもちいて電子構造の解析を行っている。ZrO2 はセラミックスやセンサー、触媒、次世代のトランジスタのゲート酸化膜材料など、工業的に広く用いられている重要な物質であり、第一原理計算も多い。その多くはLDA によるものであり、バンドギャップを過小評価し、応用上重要な誘電率の解析も、バンド間遷移とプラズマ振動が複雑に重なり合っているので、明確な結論が得られていない。第二章で議論された波動関数成分に分解する手法により、電子バンドや状態密度、およびEELS について、測定結果をよく再現し、さらにエネルギー損失分光スペクトルの構造を解析しこれまでの論争に決着をつけた。

第五章ではU-GW法を反強磁性絶縁相V2O3 に応用している。V2O3はモット絶縁体転移を示す物質として知られているが、その電子構造については不明なことも多い。多くの理論研究も、異なるさまざまな結果を出していて、明快な解析が必要な物質である。従来のGW近似では反強磁性相も金属となり、これを無摂動状態としてGW近似の計算を行っても金属のままにとどまる。実際には、従来はこの系はGW近似を行うには計算時間、記憶容量が大きすぎ、実際にこれまでGW近似を用いて電子構造の計算を行った例もなかった。

本研究ではLDA+U法で反強磁性絶縁相を求め、それを無摂動状態としてU-GW法を行うため、V2O3の反強磁性絶縁相の電子構造を正しく取り扱うことに成功した。バンドギャップは0.95eV と実験結果(0.66eV) に近い結果を与えている。また、U-GW法を適用することでバンドギャップが大きく開くことから、絶縁状態の形成に電子相関の効果が強く寄与していることも明らかにした。U-GW法で行っているUやJの値の決定についても、動的に遮蔽された相互作用Wと静的なパラメタU、Jとの議論がおこなわれている。

さらに常磁性金属相についても考察を行っている。そこでは、反強磁性絶縁相V2O3では交換相互作用によるギャップがあるためにU-GW法による計算が適切に行われている。一方、常磁性相ではハバードギャップが生じており、これはGW近似ではどのようにUを大きくしても生じないことを実際に示し、LDA、LDA+UおよびGW近似やU-GW法で常磁性金属相V2O3の電子状態を適切に記述出来ないことを明らかにした。

第六章はまとめである。

本研究では、GW近似の意味を明確にし、その応用範囲を広げることに成功している。GW近似は、常磁性状態での金属‐絶縁体転移を取り扱うことはできないこと、またより本質的に自己無撞着GW近似が本当に問題があるかどうかというところの吟味をしていないなどの問題があり、これらは今後に課題として残している。一方で無摂動状態を選択するという自由度を生かして応用の範囲を広げU-GW法という方法論を開拓した。これにより、強相関系に対する第一原理電子構造手法の新たな道筋を拡大したものであり、物理工学への貢献は大きい。

よって本論文は博士の学位論文として合格であると認める。

UTokyo Repositoryリンク