学位論文要旨



No 216774
著者(漢字) 小田,卓司
著者(英字)
著者(カナ) オダ,タクジ
標題(和) 酸化リチウム中での水素同位体と照射欠陥との相互作用のモデリング
標題(洋)
報告番号 216774
報告番号 乙16774
学位授与日 2007.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16774号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 長,晋也
 東京大学 准教授 陳,迎
 東京大学 准教授 鈴木,晶大
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

次世代のエネルギー源として実用化に向けた研究が精力的に展開されているD-T核融合炉では,放射性核種であるトリチウムが燃料として利用される.そのため,増殖材料中で生成されたトリチウムの速やかな回収を実現することは,安全で効率的な燃料サイクルを確立する上で重要な研究課題である.核融合炉材料で注意すべき点は,照射欠陥が連続的に生成される環境下に置かれることである.化学的安定性の高さから有力なトリチウム増殖材料候補と見なされているLi酸化物(Li2O,Li2TiO3等)においては,照射欠陥がトリチウム放出挙動へ有意な影響を及ぼすことが示唆されている.照射欠陥は炉の運転とともに増加するため,その影響の理解は,トリチウム挙動を解明する上で必要不可欠である.

そこで本研究では,計算機シミュレーション(分子力学法,分子動力学法,量子力学計算)と実験(赤外吸収分光)を相補的に利用することで,酸化リチウム(Li2O)中での水素同位体と照射欠陥との相互作用を原子スケールで解明し,モデル化することを目的とした.本論文は,以下の章から構成される.

1章序論

2章ポテンシャルモデルの構築

3章Li拡散挙動

4章照射応答挙動

5章水素同位体とLi空孔との相互作用

6章水素同位体とO空孔との相互作用

7章結論

2章では,分子力学および分子動力学シミュレーションで利用するポテンシャルモデルを構築した.ポテンシャルモデルの妥当性は,シミュレーション結果の信頼性を左右するため,適当なモデルを選択することが重要となる.3章と4章では,水素同位体と欠陥との相互作用の分析に先立ち,Li拡散挙動(3章)と照射欠陥生成挙動(4章)について,分子動力学計算を用いて調べた.イオンの拡散挙動は,水素同位体の移行や欠陥の回復と密接に関わっており,水素同位体と欠陥との相互作用を考える上で,最も重要な素過程の一つである.本研究ではLi2O中のLi+拡散を例にとったが,モデル化手法は他の元素や材料にも適用できる.一方,照射欠陥生成挙動としては,欠陥生成量を見積る際に必要な弾き出しエネルギーを評価した.欠陥量は相互作用の頻度を決定するため,正確な見積りが求められる.しかし,実験の難しさから,弾き出しエネルギーの適当な報告例はこれまでなかった.5章と6章では,水素同位体と欠陥との相互作用を,量子力学計算と赤外吸収分光実験により分析した.Li2Oにおいては,Li空孔とO空孔(F centers)が水素同位体に影響を及ぼす主要な欠陥である.そこで,5章ではLi空孔,6章ではO空孔との相互作用について調べた.

2. ポテンシャルモデルの構築

量子力学計算で評価したポテンシャル曲線,または既往研究で報告されている諸物性値(格子定数,弾性定数等)に対してフィッティングをかけることで,2つのモデルを構築した.モデル式には,イオン結晶で汎用的に用いられているBuckingham型を採用した.

既存の2つのモデルと本研究で構築した2つのモデルについて,その妥当性を評価するために諸物性値の再現性を調べた.弾性定数等の静的な計算で評価される値については,実験値との良い一致が全てのモデルで確認された.しかし,Li拡散定数,熱膨張挙動,融点等の高温でのダイナミクスが重要となる物性については,計算結果に強いモデル依存性が見られた.また,計算結果と実験結果の,Li拡散定数における一致と,熱膨張挙動や融点における一致は,相容れない傾向があった.以降の研究では,熱膨張挙動や融点について妥当な結果を与えるモデルと,Li拡散定数について良い結果を与えるモデルを用いてシミュレーションを実施し,結果を比較することで,結果のポテンシャルモデル依存性の低減を図った.

3. Li拡散挙動

欠陥を含むLi2O中のLi+拡散は,超イオン伝導性による拡散が支配的になる高温領域と,Li+空孔やLi+格子間イオンが誘起する拡散が支配的になる低温領域に大別された.超イオン伝導状態では,他の蛍石構造を持つ結晶と同様に,Li+の<100>方向への選択的なジャンプが確認された.

Li+空孔拡散において,有効振動数にVineyardの理論式を用いた場合に,古典モデルと分子動力学計算で拡散定数の良い一致が得られた.ただし,拡散障壁と有効振動数は結晶膨張率に依存し,その依存性を考慮しない場合には誤差が数10%増加した.膨張率の増加に対して,拡散障壁は拡散定数を増加させる方向に,有効振動数は減少させる方向に変化した.この傾向は,クーロン相互作用がエネルギーの主要な部分を担うイオン結晶では,一般に見られる可能性が高い.一方で,既往研究で広く利用されているアインシュタインモデルやデバイモデルの振動数を有効振動数として採用した場合には,拡散定数に有意な誤差が含まれることが示唆された.Li2O中でのLi+空孔拡散においては,拡散定数が数倍過大評価された.

Vineyardのモデルは一般化された形で与えられており,他の系においても適切な拡散のモデル化が行えると考えられる.さらに,量子力学計算を用いて有効振動数と拡散障壁を計算すれば,分子力学計算で問題となる結果のポテンシャルモデル依存性を回避でき,より精度の高いモデル化が期待できる.

4. 照射応答挙動

分子動力学計算により,弾き出しエネルギーの弾き出し方位依存性を評価した.結果として,Liの弾き出しはOに比べて容易に生じることがわかった.方位平均した弾き出しエネルギーは,Liで20 eV,Oで50 eVであった.この値は,同じ結晶構造を有するUO2の実験値と同程度である.個々の方位における閾値エネルギーに関しては,Li,Oいずれの場合にも強い方位依存性が見られた.以上の結果は,金属に比べて多様な結晶構造を持つ金属酸化物の照射応答挙動は,結晶構造に強く依存し,複雑な様相を呈すことを示している.

照射で付与された10~100 eV程度のエネルギーの散逸挙動を分析したところ,照射後1 ps程度で照射エネルギーは系の熱エネルギーに変換され,系は熱平衡状態に達することが確認された.自己アニーリングが生じる時間スケールを,欠陥数が定常値に達するまでに要する時間と見なした場合,0.5 ps程度であった.この値は,照射エネルギーとともに緩やかに増加する傾向が見られた.LiとOで自己アニーリングの時間スケールを比較したところ,Oの自己アニーリングの時間スケールは,Liに比べて短いことがわかった.この差は,欠陥の拡散障壁の大きさに対応していると考えた.実際,自己アニーリングの時間スケールは,系内の原子が持つ運動エネルギーの最大値が欠陥の拡散障壁を下回る時間と同程度であることを確認した.

5. 水素同位体とLi空孔との相互作用

赤外吸収分析と重水素イオン照射を組み合わせることで, Li2O中で欠陥と相互作用する水素同位体の挙動をその場観察し,量子力学計算によるエネルギー計算や振動数解析の結果との比較を行った.水素同位体がLi空孔と相互作用し,置換型D+として-OD-を形成することで安定化することが,実験と計算の両方で示された.振動数解析では,密度汎関数理論(GGA-PBE汎関数)に基づく平面波基底,ultrasoft擬ポテンシャル法による計算においても,既往研究で報告されているB3LYP法,局在化ガウス基底による全電子計算と同様に,精度良く振動数を評価可能であることを確認した.置換型D+が形成する-OD-は,集合化することで安定化し,振動数が高振動数側にシフトする傾向が計算により示された.この傾向は,実験結果と定性的には一致していた.

6. 水素同位体とO空孔との相互作用

量子力学計算により,F centers周辺での水素の安定性を調べた.F centersの近傍で-OH-を形成した場合,あるいはF centersに捕捉された場合に,局所安定構造を持つことがわかった.F centersの種類によらず,水素の電荷状態は前者では+1,後者では-1であった.これらの状態間の遷移エネルギーは,F centersの電荷状態に強く依存し,F0ではH捕捉力が強く,隣接するH+は容易に捕捉されることがわかった.一方で,F2+のH捕捉力は弱く,H+の状態がより安定であることが示された.F+では,捕捉の障壁は1~2 eV程度であり,隣接するH+を熱的に捕捉する可能性が示唆された.いずれにおいても,F centersにH-として捕捉された場合,脱捕捉のエネルギー障壁は3 eV程度と大きな値になることがわかった.

7. 結論

水素同位体と欠陥との相互作用をモデル化することを目的として,関連する素過程を,計算機シミュレーションと実験を併用して原子スケールで分析した.Li空孔との相互作用においては,相互作用エネルギーが水素同位体の集合数に依存することがわかった.モデル化においては,Li空孔の拡散障壁が低いため,水素同位体と同程度の速さで移動することを考慮する必要がある.一方で,O空孔は,水素同位体に比べて拡散障壁が十分に高いため,固定した捕捉中心としてのモデル化が可能である.相互作用の強さを決定する因子は,O空孔の電荷状態である.

相互作用の頻度を評価する際に重要となる拡散挙動と照射欠陥生成挙動についても調べ,前者では拡散の適切なモデル化手法を示し,後者では弾き出しエネルギーを決定した.今後の課題は,水素同位体と欠陥との相互作用モデルを,拡散モデルや照射欠陥生成モデルと適当に結合させ,水素同位体と照射欠陥の挙動を包括的に予測するモデルを構築することである.

審査要旨 要旨を表示する

次世代のエネルギー源として期待されるD-T核融合炉では,増殖材料中で生成されたトリチウムの速やかな回収を実現することが,安全で効率的な燃料サイクルを確立する上で重要な課題である.化学的安定性から有力なトリチウム増殖材料候補と見なされているLi酸化物においては,照射欠陥がトリチウム放出挙動へ有意な影響を及ぼすことが示唆されている.照射欠陥は炉の運転とともに増加するため,その影響の理解は,トリチウム挙動を解明する上で必要不可欠である.本論文は,計算機シミュレーションと実験を相補的に利用することで,Li2O中での水素同位体と照射欠陥との相互作用を原子スケールで解明し,モデル化することを目的としたものであり,7章から構成される.

第1章では,トリチウム放出挙動に関する既往の研究がレビューされるとともに,Li酸化物の中で,O原子よりもLi原子の方が半径が小さいというLi2O固有の特徴に着目した理由が示され,本論文の目的が述べられている.

第2章では,量子力学計算で評価したポテンシャル曲線または既往研究で報告されている諸物性値への適用性より,2つのモデルが構築されている.そして,既存の2つのモデルと本論文で構築した2つのモデルについて諸物性値の再現性が調べられ,弾性定数等の静的な計算で評価される値については,全てのモデルで実験値と良い一致が得られることが確認されるが,Li拡散定数,熱膨張挙動,融点等の高温でのダイナミクスが重要となる物性については,計算結果に強いモデル依存性が見られ,また中には傾向が異なるものがあることが示されている.これらの結果に基づき,以降の議論では,熱膨張挙動や融点について妥当な結果を与えるモデルと,Li拡散定数について良い結果を与えるモデルを用いることで,ポテンシャルモデル依存性の低減を図ることが明示されている.

第3章では,欠陥を含むLi2O中のLi+拡散は,超イオン伝導性による拡散が支配的になる高温領域と,Li+空孔やLi+格子間イオンが誘起する拡散が支配的になる低温領域に大別されることが示され,超イオン伝導状態では他の蛍石構造を持つ結晶と同様にLi+の<100>方向への選択的なジャンプが起こることが確認されている.また,Li+空孔拡散において,有効振動数にVineyardの理論式を用いた場合に,古典モデルと分子動力学計算で拡散定数の良い一致が得られるが,拡散障壁と有効振動数は結晶膨張率に依存し,その依存性を考慮しない場合には誤差が数10%増加することが示されている.また,既往研究で広く利用されているアインシュタインモデルやデバイモデルの振動数を有効振動数として採用する場合には,拡散定数に有意な誤差が含まれ,Li2O中でのLi+空孔拡散においては拡散定数値が数倍過大評価されるとしている.そして,一般化形式で与えられるVineyardのモデルにより,適切な拡散のモデル化を行うことができる可能性があること,量子力学計算を用いて有効振動数と拡散障壁を計算することにより,分子力学計算で問題となる結果のポテンシャルモデル依存性が回避されより精度の高いモデル化が期待できることが述べられている.

第4章では,分子動力学計算による弾き出しエネルギーの弾き出し方位依存性が評価され, Liの弾き出しがOに比べて容易に生じることを示している.方位平均した弾き出しエネルギーが,同じ結晶構造を有するUO2の実験値と同程度であること,個々の方位における閾値エネルギーに関しては,Li,Oいずれの場合にも強い方位依存性が見られることから,金属に比べて多様な結晶構造を持つ金属酸化物の照射応答挙動が,結晶構造に強く依存することを明らかにしている.また,照射で付与された10~100 eV程度のエネルギーの散逸挙動を分析することで,照射後1 ps程度で系は熱平衡状態に達することを確認し,自己アニーリングが生じる時間スケールを0.5 ps程度と見積もっている.Oの自己アニーリングの時間スケールはLiに比べて短いという自己アニーリングの時間スケールの比較から,欠陥の拡散障壁の大きさが重要であると考え,自己アニーリングの時間スケールは,系内の原子が持つ運動エネルギーの最大値が欠陥の拡散障壁を下回る時間と同程度であることを確認している.

第5章では,重水素イオン照射下での赤外吸収分析により, Li2O中で欠陥と相互作用する水素同位体の挙動をその場観察し,量子力学計算によるエネルギー計算や振動数解析の結果との比較が行われている.そして,水素同位体がLi空孔と相互作用し,置換型D+として-OD-を形成することで安定化することを実験と計算の両方で示している.また,密度汎関数理論に基づく平面波基底,ultrasoft擬ポテンシャル法による振動数計算により,B3LYP法,局在化ガウス基底による全電子計算と同様に,精度良く振動数を評価することが可能であることを確認している.

第6章では,量子力学計算により,F centers周辺での水素の安定性が調べられている.F centersの近傍で-OH-を形成した場合,あるいはF centersに捕捉された場合に,局所安定構造を持つこと,F centersの種類によらず,水素の電荷状態は前者では+1,後者では-1であり,これらの状態間の遷移エネルギーは,F centersの電荷状態に強く依存し,F0ではH捕捉力が強く,隣接するH+は容易に捕捉されることを明らかにしている.その一方で,F2+のH捕捉力は弱く,H+の状態がより安定であることも示している.F+では,捕捉の障壁は1~2 eV程度であり,隣接するH+を熱的に捕捉する可能性が示されている.

第7章では,本論文の結論と今後の課題がまとめられている.

以上要するに,本論文では,水素同位体と欠陥との相互作用に関連する素過程を,計算機シミュレーションと実験を併用して原子スケールで分析し,それらをモデル化するための手法を提示したものである.これらはシステム量子工学,特に核融合炉トリチウム増殖材中におけるトリチウムの挙動ならびにトリチウムと欠陥との相互作用の解明に寄与するところが少なくない.よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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