学位論文要旨



No 216778
著者(漢字) 藤元,登四郎
著者(英字)
著者(カナ) フジモト,トシロウ
標題(和) FDG-PET による統合失調症と感情障害の研究
標題(洋) Study of schizophrenia and mood disorders using FDG-PET
報告番号 216778
報告番号 乙16778
学位授与日 2007.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16778号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 准教授 百瀬,敏光
 東京大学 講師 笠井,清登
内容要旨 要旨を表示する

【研究の目的】ポジトロン・エミッション・トモグラフィー (PET)は、非侵襲的に機能的神経解剖学的レベルで、 脳の局所的代謝活動を計測することができる事により、精神医学研究に応用されてきた。本論文では、PETを使用して、健常者、気分障害(大うつ病、軽そう状態)および統合失調症患者の脳のグルコース代謝の相対的変化を測定した。またこれまでの研究は、PET検査など技術的に条件が異なっており、しかも総合して比較した研究はほとんどない。本研究では、同一のPET装置とソフトウェアを使用して、同一の環境のもとで検査したので、これらの疾患のグルコース代謝の変化の比較が可能であった。本研究の目的は、これらの三疾患の患者の脳のグルコース代謝パターンの変化、あるいは差異について機能的神経解剖学的レベルから検討することである。

【対象および方法】対象者は、健常者は20から70歳代の男女、126名であり、患者は、宮崎県都城市の藤元病院に入院中で、大うつ病10名、双極性感情障害の軽そう状態6名、統合失調症22名であった。患者はDSM-IV-TR診断基準(米国精神医学会、2000年)に従って診断した。全員が右利き、血圧は正常であり、MRIによるスクリーニングを行った。全員に検査の意味を説明し、文書による同意を得た。[18F]fluorodeoxyglucose -PET(FDG-PET)を使用して、患者群の脳のグルコース代謝を測定し健常対照群と比較した。PET装置(シーメンス旭製、ECAT ACCEL)は、LSO(Lutetium Oxyorthosllicate)検出器を用いている。PETのデータ処理は、Three dimensional stereotactic surface projection (3D-SSP)法を使用した。本法は、現在、脳マッピング技術としては、脳萎縮の影響を最小に抑える最も優れたものとされている。患者の個々のデータセットは正常なデータセットあるいは他の患者のデータセットと比較した。三つの患者群および正常対象者群のデータにより、それぞれの群との偏差を平均した3D-SSP Zスコア・マップを得た。Zスコアの差異は、低下あるいは増加の3D-SSP Z‐スコア・マップとして図示される。本ソフトウェアに含まれる、自動VOI分析法(VOIClassic)を使用して、脳局所の相対的代謝を測定し、左右半球で脳皮質全体の代謝値に対する17の個々の局所的代謝値の比率を得た。これらの代謝値はSPSS 14.0J、アプリケーション・ソフトを使用して、統計処理を行った。MRI装置(シーメンス旭製、シンフォニー)は1.5Tを使用し、スライス厚はすべて6mmとした。

【結果】健常者の脳グルコース代謝の年齢と性における変化:前部帯状回の相対的代謝は、加齢と共に低下し、20代と比較して、男性では50代以降、女性では60代以降に低下した。前頭葉は、20代と比較して両性共に40代以降に低下したが、40代と比べると60代以降は有意差がなかった。側頭葉の代謝は加齢に伴う変化ばかりではなく、性差もあり、20代から50代の男性には左右差も認められた。海馬傍回領域の代謝は両性共に加齢に伴って50代まで増加し、その後低下した。代謝の加齢による変化は、50代前後に始まることが示された。しかし、小脳の代謝は両性共に加齢に伴って増加した。代謝値の前頭葉対小脳比および前部帯状回/海馬傍回比は、両性共に加齢と共に低下し、脳代謝の加齢マーカーとして使用できると考えられた。20代と40代の左側頭葉の相対的代謝は、男性が女性よりも有意に高かった。

大うつ病のグルコース代謝の変化:坑うつ剤に反応しない晩発性大うつ病患者は、対照者に比べて、前部帯状回と後部帯状回で相対的代謝が有意に低下した。前部帯状回と小脳の代謝比は両半球で有意に低下し、頭頂葉と後頭葉の代謝比は右で有意に低下した。3D-SSP Z-スコア・マップでは、大うつ病患者は、対照者に比べて、前頭前野、前頭前野膝下領域、帯状回、中心後回で両側性に低下した。大うつ病患者の相対的代謝は、対照者に比べて、右の前頭前野と右の上側頭領域の低下が左側よりも大きかった。また、両側の小脳と虫部および左の基底核で増加した。

軽そう躁状態患者の代謝の変化:相対的代謝値は対照者に比べて、右の扁桃核で有意に増加した。3D-SSP Z-スコア・マップでは、軽そう状態患者は、対照者に比べて、前頭前野内側および膝下領域をふくむ前頭前野および前部帯状回吻側部で両側性に低下した。また、右の中前頭領域および左の下前頭領域でも低下した。頭頂領域、下側頭回の前部、前部帯状回背側部などでは増加し、小脳でも部分的に増加した。特に、軽そう状態では、前部帯状回の代謝変化は複雑で、吻側部では低下したにもかかわらず、背側部では増加した。

統合失調症患者のグルコース代謝の変化:3D-SSP Z‐スコア・マップでは、相対的代謝は、対照者と比較して、前頭葉、特に内側部における前頭前野の吻側部や膝下部、前部帯状回の吻側部で両側性に低下した。また、基底核、頭頂部および下側頭回の前部においては両側性に増加した。相対的代謝値は、前頭葉、前部帯状回で両側性に、一次感覚運動野は右側が有意に低下した。小脳虫部は右側が有意に増加した。相対的代謝値の前頭葉と後頭葉比および前部帯状回と小脳の比は両側性に有意に低下した。統合失調症患者の相対的代謝値は、有意な男女差があり、男性患者は女性患者と比較して、前部帯状回で両側性に代謝が有意に低下し、また、右側の視床でも有意に低下した。

軽そう状態と大うつ病の代謝変化の比較:坑うつ剤に反応しない晩発性大うつ病患者と比較した3D-SSP Z-スコア・マップ上で、軽そう状態患者は、前部帯状回と後部帯状回では部分的に代謝の増加した領域があり、頭頂領域(両側)と側頭領域(特に右)でも増加し、視床と後頭領域と小脳では部分的に低下した。特に、前部および後部帯状回の相対的代謝増加の存在は軽そう状態と関連が強く、一方、それらの領域の代謝低下はうつ状態と関連が強いと考えられた。また、うつ病では、左側よりも右側の側頭葉の相対的代謝低下があり、側方性に異常があることが推定された。扁桃核領域の相対的代謝値は、軽そう状態患者と大うつ病患者の間には有意差はなく、両方の疾患とも健常者に比べて高い傾向を示していた。軽そう状態患者は、晩発性大うつ病患者に比較して、部分的に小脳の代謝が低下しており、悲観的な気分による影響が少ないと考えられた。

統合失調症と大うつ病の比較:統合失調症と晩発性大うつ病患者は、共通して前頭葉と帯状回の相対的代謝低下があった。しかし、大うつ病患者と比較した3D-SSP Z-スコア・マップでは、統合失調症患者は、両側性に前頭前野内側部で代謝がより低下した。また統合し失調症患者は右半球で、前部帯状回および後部帯状回の部分、頭頂、外側側頭領域で代謝が増加した。

【考察】健常者の脳代謝は加齢と性差とに影響されて変化し、これらの変化の検討は精神疾患のPET研究には欠かせない基礎データを構成した。晩発性大うつ病、軽そう状態および統合失調症の患者のFDG-PET検査の結果では、前頭前野(特に内側部)、前部帯状回、後部帯状回、側頭葉、頭頂葉、扁桃核、視床、小脳などに複数の代謝異常の領域が認められた。前頭前野では三つの疾患はすべて対照者に比べて相対的代謝は低下したが、統合失調症患者は、大うつ病や軽そう状態患者に比べてより低下した。また、前部帯状回では、大うつ病と統合失調症で相対的代謝が共に低下したが、大うつ病は特に右側でより低下した。また、大うつ病患者は、左側の後部帯状回の代謝が低下しており、症状学的な関連があると考えられた。軽そう状態患者は、帯状回の代謝が、大うつ病患者よりも増加している部分があり、軽そう状態との関連があると推定された。前頭前野や前部帯状回の代謝のレベルの差異や共通性が、これらの三疾患の症状学的重なりを部分的ではあるが、説明できると考えられた。 また大うつ病では、右の頭頂領域の代謝が相対的に低下し、側方性の異常があると考えられた。軽そう状態では、右の扁桃核の相対的代謝が有意に増加し、これも側方性の異常と関連すると考えられた。統合失調症の男性患者は女性患者よりも相対的代謝が両側の前部帯状回で低く、右の視床で増加し、性差の存在を示していた。

【結論】FDG-PET検査の結果は、大うつ病、軽そう状態、統合失調症において、新皮質、辺縁系、視床、基底核、小脳などを結合している脳ネットワークの機能障害を示していると考えられた。

健常対照者との代謝の比較(3D-SSP Z-スコア画像)

大うつ病と、軽躁状態あるいは統合失調症の代謝の比較(3D-SSP Z-スコア画像)

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、健常者、統合失調症および気分障害(大うつ病、軽そう状態)の脳のグルコース代謝の相対的変化を [18F]フルオロデオキシグルコース・ポジトロン・エミッション・トモグラフィー( [18F]fluorodeoxyglucose -PET,FDG-PET)を使用して、同一の環境のもとで検査を行っている。PETのデータ処理は、現在、脳マッピング技術としては、脳萎縮の影響を最小に抑える最も優れたものとされているThree dimensional stereotactic surface projection (3D-SSP)法を使用している。従って、これらの対象者同士の脳のグルコース代謝の変化の差異の検出が可能となり、下記の結果を得ている。

1.健常者では、前部帯状回の相対的代謝は、加齢と共に低下し、20代と比較して、男性では50代以降、女性では60代以降に低下した。前頭葉は、20代と比較して両性共に40代以降に低下したが、40代以降はほとんど低下がなかった。側頭葉の代謝は加齢に伴う変化ばかりではなく、性差もあり、20代から50代の男性には左右差も認められた。海馬傍回の代謝の加齢による変化は50代前後に始まることが示された。小脳の代謝は両性共に加齢に伴って増加した。

2.坑うつ剤に反応しない晩発性大うつ病患者は、健常対照者に比べて、前部帯状回と後部帯状回で相対的代謝が有意に低下した。前頭前野、前頭前野膝下領域、帯状回、中心後回で両側性に低下した。両側の小脳と虫部および左の基底核で増加した。

3.リチウム投与中の軽そう躁状態患者では、相対的代謝は健常対照者に比べて、右の扁桃核で有意に増加した。前頭前野内側および膝下領域を含む前頭前野および前部帯状回吻側部で両側性に低下した。前部帯状回の代謝変化は複雑で、吻側部では低下したにもかかわらず、背側部では増加した。

4.抗精神病薬服用中の統合失調症患者は、健常対照者と比較して、前頭葉、特に内側部における前頭前野の吻側部や膝下部、前部帯状回の吻側部で両側性に低下した。また、基底核、頭頂部および下側頭回の前部においては両側性に増加した。相対的代謝値は、前頭葉、前部帯状回で両側性に、一次感覚運動野は右側が有意に低下した。小脳虫部は右側が有意に増加した。

5.軽そう状態患者は、晩発性大うつ病患者に比べて、前部帯状回と後部帯状回では部分的に代謝の増加した領域があり、頭頂領域(両側)と側頭領域(特に右)でも増加し、視床と後頭領域と小脳では部分的に低下した。特に、前部および後部帯状回の相対的代謝増加の存在は軽そう状態と関連が強く、一方、それらの領域の代謝低下はうつ状態と関連が強いと考えられた。また、うつ病では、左側よりも右側の側頭葉の相対的代謝低下があり、側方性に異常があることが推定された。

6.統合失調症と晩発性大うつ病患者は、共通して前頭葉と帯状回の相対的代謝低下があった。しかし、大うつ病患者に比べて、統合失調症患者は、両側性に前頭前野内側部で代謝がより低下した。また統合失調症患者は右半球で、前部帯状回および後部帯状回の部分、頭頂、外側側頭領域で代謝が増加した。

以上、本論文は、健常者における脳グルコース代謝の加齢による変化および性差を明らかにし、これらの変化は精神疾患のPET研究には欠かせない基礎データであることを示した。晩発性大うつ病、軽そう状態および統合失調症の患者では、前頭前野や前部帯状回の代謝のレベルの差異や共通性あるいは分布の差異が、これらの三疾患の症状学的重なりを部分的ではあるが、説明できる可能性があると考えられた。本研究は、統合失調症と晩発性大うつ病、軽そう状態では、脳のグルコース代謝の差異があり、これらの差異は新皮質、辺縁系、視床、基底核、小脳などを結合している脳ネットワークの機能障害と関連している可能性を示唆しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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