学位論文要旨



No 216781
著者(漢字) 木村,美和子
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,ミワコ
標題(和) 高速度デジタル撮影法を用いた異常声帯振動の病態解析と音声外科的治療に関する研究
標題(洋)
報告番号 216781
報告番号 乙16781
学位授与日 2007.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16781号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 准教授 高山,吉弘
 東京大学 准教授 山岨,達也
内容要旨 要旨を表示する

病的音声では、「振動の乱れ」や「位相のずれ」、「振幅の非対称」が生じて声帯振動状態が変化して不規則となっている。現在、臨床的にはストロボスコピーを用いて振動状態の概要を観察するのが標準的であるが、この検査法は声帯振動に規則性があることを前提としているため、振動が不規則な病的音声の観察には限界がある。この問題を解決するため、我々は異常声帯振動の観察にコンピューターを利用した高速度デジタル撮影法を用いている。この撮影方法では毎秒4500コマの撮影が可能で、ストロボスコピーで観察できなかった声帯振動の不規則性を把握することができる。本研究では高速度デジタル撮影法を用いて病的音声を呈する症例の声帯振動を観察した結果、「左右の振動数が不同な声帯振動」、「左右の振幅が不同な声帯振動」、「位相差を認める声帯振動」の3種類の異常振動を確認、これらを解析しその病態を推定した。

病的音声の解析の際に重要な要素は、「音響現象」、「声帯振動」、「声帯の病態」の3点である。声帯の病態は異常声帯振動を作り出し、異常声帯振動は病的音声を生成し、その音声は音響現象として観察される。音響現象と声帯振動の関係付けはこれまでの研究により解決されており、ほぼ1対1に対応がついている。しかし、声帯振動と病態の関係は未解決であり、異常な声帯振動が観察されても、その声帯振動を作り出している病態がいかなる状態か把握できないのが現状であった。本研究の目的はこの声帯振動と病態の関係を解明することにあり、高速度デジタル撮影を用いて時間分解能を上げて実際の声帯振動を観察し、異常声帯振動を作りだしている病態を推定することである。同一患者であっても、異常な声帯振動の原因となる病態は複数あると予想されるが、音声外科的手術前後では外科的操作により変化する病態以外の条件は同一であると仮定できる。つまり、術前後の病態の変化と声帯振動の変化を各々比較検討することで、術前存在した病態が作り出す声帯振動を逆に推定可能であると考えた。

声帯振動に影響を与える病態としては「声門閉鎖不全」、「声帯の物理的特性(massとstiffness)の不均一」、「声帯の層構造(coverとbody図1)の異常」の3因子が想定される。

発声に際して、正常では声門は閉鎖されるが、ある程度以上声門閉鎖不全を生ずると病的音声を認める。声門閉鎖不全に関しては2つの要素が考えられ、すなわち、声帯突起間の距離が十分小さくならず後方の声門閉鎖不全が著しい場合(図2-(2))と、声帯の萎縮やstiffnessの減少により声帯膜様部での声門閉鎖が不良の場合である(図2-(3))。一側声帯麻痺のうち後方の声門閉鎖不全が著しい症例に対しては、音声外科的治療として披裂軟骨内転術を施行している。この術式は披裂軟骨を内転させて外側に固定している声帯を正中へ移動させることで、発声時の声帯突起間の距離を短縮させる効果がある(図3)。披裂軟骨内転術前後の声帯振動を比較することで、声門閉鎖の状態が声帯振動にどのような影響を与えるか検討することができる。

声帯の物理的特性は「mass」と「stiffness」であり、声帯振動を規定する。massは声帯の質量であり、stiffnessは主に内喉頭筋の緊張度を反映している。声帯内注入術は、注入材料を声帯の筋層へ注入することにより声帯膜様部の声門閉鎖不全を改善する術式であるが(図4)、同時に声帯のmass、stiffnessを増大させることで音声を改善する。声帯内注入術前後の声帯振動を高速度デジタル撮影で観察することにより、massとstiffnessの影響を推定できる。

声帯は層構造を形成しており、声帯振動を説明するために機能的観点から「cover」と「body」の二層に分類されている。組織学的にはcoverは上皮、固有層の浅層と中間層に相当し、bodyは固有層の深層と筋肉に相当する(図1)。この層構造を振動体としてみると、組織が密で弾力性に富むbody全体を、疎で柔軟なcoverが覆う構造で、声帯振動を有効に持続させるために重要である。声帯の層構造の異常とは、主にcoverの物性や厚みの異常を意味し、coverのbodyに対する粘膜の移動性が障害されることも含まれる。coverに異常のある疾患に対して、bodyを変化させる声帯内注入術前後で声帯振動を比較するとcoverの役割を推定することが可能となる。

研究Iでは、病的音声での観察に先立ち正常例に対して高速度デジタル撮影法を施行し、声帯振動の解析方法を確立するとともに、正常な声帯振動に関して知見を得た。正常例の声帯振動は、振動数に関してはいずれにおいても左右声帯で同一であった。振幅の左右差に関しては、キモグラフを作成した中央付近3走査線の左右差は0~11.5%であった。位相差は声帯前後で0~35.3度、左右の声帯間は0~53.0度であった。

研究II-1では異常な声帯振動のうち、左右の声帯振動数が異なるために、病的音声を生じている症例に関して検討した。このような症例は後方の声門閉鎖不全が著しい一側声帯麻痺に見られ、披裂軟骨内転術の適応であった。披裂軟骨内転術は後方の声門閉鎖以外の声帯の条件を変化させないため、術前後の声帯振動を比較することで、左右の声帯振動数が異なる声帯振動を生じている病態と、後方の声門閉鎖不全との関連を推定できると考えた。披裂軟骨内転術で後方の声門閉鎖不全を解消すると声帯振動数は左右同一となる状態を観察した。この結果より左右不同の声帯振動数を生じる病態の大きな要因として、声門後方の声門閉鎖不全が挙げられた。ただし、病的音声の程度が高度の場合には、術後に振幅の左右差や位相差が残存した症例もあり、後方の声門閉鎖不全以外の要因の影響も考えられた。

研究II-2では異常な声帯振動のうち、左右の声帯振動の振幅が異なるために病的音声を生じている症例に関して詳細に検討を行った。このような声帯振動を認めるのは声門閉鎖不全の軽度な一側声帯麻痺症例であり、麻痺に伴う甲状披裂筋の萎縮により声帯のmassが減少し、筋緊張低下により声帯のstiffnessも減少している。このような症例では麻痺側声帯のmass、 stiffnessを補正するため、声帯内注入術の適応となる。高速度デジタル撮影法にて左右声帯振動の振幅が異なる声帯振動を解析した結果、声帯内注入術後に振幅が左右同一となった状態を観察した。声帯振動の振幅が左右不同の症例では左右の声帯の物理的特性であるmass、 stiffnessが異なっていると推定された。mass、stiffnessが減少していると想定される麻痺側の振幅が、健側に比較して大きい傾向にあった。声帯内注入術で麻痺側声帯のmass、stiffnessを増大させることで両側声帯の物理的特性が同等になり、振幅の左右差が消失することが示された。この結果より振幅が左右不同の声帯振動を生じている病態の大きな要因として、声帯の物理的特性であるmass、 stiffnessの左右差が挙げられた。ただし、術後に位相差が残存した症例もあり、病的音声の程度が高度の場合に声帯内注入術で補正されなかった他の要因の影響も考えられた。

研究II-3では声帯振動の位相差を認める症例に関して詳細に検討を行い、前後で位相差を生じる症例と左右で位相差を生じる症例に分類した。これらは声帯萎縮症、声帯溝症、音声外科的治療後の症例であった。声帯萎縮症は加齢変化や体重減少、慢性声帯炎、声帯麻痺などが原因で起こり、声帯のあらゆる組織の体積が不均一に減少することにより発声障害を生ずる疾患である。症例の病的音声の程度や患者の希望に応じて声帯内注入術が適応となるが、位相差のみが生じている症例では病的音声の程度が軽く、音声に対する治療を望まなかったため、音声外科的治療の前後を比較することは不可能であった。声帯溝症ではcoverの低形成により生じた溝が声帯振動へ大きく影響していると考えられる。coverの異常に対する理想的な音声外科的治療は存在しないが、bodyの萎縮も合併し、声帯膜様部の声門閉鎖不全のために発声時の疲労を訴える場合は、声帯全体の体積を増大させて声門閉鎖不全を改善する目的で声帯内注入術を施行している。声帯溝症に関しては声帯内注入術前後の声帯振動の位相差を比較し、その病態を推定した。声帯内注入術ではbodyに注入材料を充填してbodyのmass、stiffnessを調整するが、基本的にcoverに操作を加えない。注入術によってbodyの物理的特性は矯正された後、coverの萎縮が残存する症例ではその影響が位相差として表現され、coverの物性の不均一、coverのbodyに対する粘膜の移動性の低下等の声帯の層構造に病態が存在すると推定した。

図1. 声帯の層構造 (coverとbody)

図2. 声門閉鎖不全

(1)喉頭の水平断の模式図 (2)後方の声門閉鎖不全 (3)声帯膜様部での声門閉鎖不全

図3. 披裂軟骨内転術(例は左声帯麻痺):披裂軟骨筋突起に糸(黄色矢印)をかけて、前方へ牽引、固定すると披裂軟骨が内転し、声門閉鎖不全が改善。

図4. 声帯内注入術(例は左声帯麻痺):声帯筋層へ注入材料を注入し声帯内注入術を施行。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は異常声帯振動の病態を明らかにするため、高速度デジタル撮影法を用いて音声外科的手術の術前後の声帯振動を観察し、手術による変化を定量的に評価し、振動モデルを臨床において検証することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.音声外科的手術の術前後の声帯振動を観察し、手術による変化を定量的に評価し、振動モデルを臨床において検証した。高速度デジタル撮影法を用いて観察された病的音声の声帯振動を、「左右の声帯振動数が不同な声帯振動」、「左右の声帯振動の振幅が不同な声帯振動」、「位相差が生じている声帯振動」の3つに分類、解析し、異常声帯振動を作りだしている病態を推定した。

2.後方の声門閉鎖不全が著しい場合に声帯振動数に左右差がみられ、披裂軟骨内転術でこれを解消すると声帯振動数は左右同一となった。この結果より左右不同の声帯振動数を生じる病態の大きな要因として、声門後方の声門閉鎖不全が挙げられた。この結果より後方の声門閉鎖不全が声帯振動数の左右不同を生じ、披裂軟骨内転術で振動数の不同は解消されるという振動モデルからの仮説が証明された。

3.声帯振動の振幅が左右不同の症例では左右の声帯の物理的特性であるmass、 stiffnessが異なっていると推定された。声帯内注入術でmass、stiffnessが減少していると想定される麻痺側声帯のmass、stiffnessを増大させることで両側声帯の物理的特性が同等になり、振幅の左右差が消失することが示された。この結果より振幅が左右不同の声帯振動を生じている病態の大きな要因として、声帯の物理的特性であるmass、 stiffnessの左右差が挙げられた。この結果は声帯のmass、stiffnessの不均一が声帯振動数の左右不同を生じ、声帯内注入術でこれは解消されるという振動モデルからの仮説を支持した。

4.位相差のある声帯振動を認める症例は、前後に位相差を認める症例、左右に位相差を認める症例に分類され、声帯萎縮症、声帯溝症、音声外科的治療後の症例が含まれた。coverの物性が前後、左右で不均一な場合に位相差を生じたと推察した。声帯内注入術はbodyに注入するためcoverには影響を与えず、注入術後も位相差は残存していたことより、これらの症例では、coverの物性の不均一、coverのbodyに対する粘膜の移動性の低下等の声帯の層構造に病態が存在すると推定した。この結果は声帯の層構造の異常が位相差を生じ、声帯内注入術では位相差は解消しないという振動モデルからの仮説を支持した。

以上、本論文は異常声帯振動に対して高速度デジタル撮影法を用いて音声外科的手術の術前後の声帯振動を観察し、手術による変化を定量的に評価し、振動モデルを臨床において検証した。病的音声の解析の際に重要な要素は、「音響現象」、「声帯振動」、「声帯の病態」の3点であるが、本研究ではこれまでに明らかにされていなかった声帯振動と病態の関係を解明した。また、従来から報告されている喉頭吹鳴実験や振動モデルの結果をヒト声帯で臨床的に検証したと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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