学位論文要旨



No 216787
著者(漢字) 田中,宏治
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,コウジ
標題(和) 薬物誘発性障害に対する耐性発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 216787
報告番号 乙16787
学位授与日 2007.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16787号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 准教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
 東京大学 准教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

新薬開発のために実施される毒性試験は,候補物質の決められた投与用量を一定期間にわたって実験動物に投与して行われる。このような毒性試験において,投与期間の初期に惹起された障害が,同投与量の投与を継続しても増悪することなく,むしろ軽減し,投与期間終了後の検査時で障害が検出されないことがある。これは投与初期には標的器官に対して毒性量であった投与用量が反復投与の結果無毒性量になったこと,換言すれば,その化学物質の毒性に対して生体あるいは標的器官の反応性が減少したことを示している。これまで薬理作用における耐性発現の研究は数多くなされてきたが,毒性の耐性に関する研究はほとんど見当たらない。本研究では,このような化学物質の連続的な曝露により,毒性発現の反応性が減少する「耐性」について検討した。第1章では,毒性発現の標的器官となることが多い肝臓に注目した。肝毒性物質であるブロモベンゼン(BB)の毒性量をラットに反復投与して,BBの肝障害に対する耐性の発現について検討を行った。一方,反復投与による耐性の発現は,肝障害に特異的な事象ではなく,その他の器官/組織の障害においても経験することがある。そこで第2章では,臨床において幅広く使用されているスタチンと同様な薬理作用のHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する8-オキシムデカリン誘導体により惹起される骨格筋障害に対する耐性の発現について検討した。

1. BB誘発肝障害に対する耐性発現

F344ラット(雄,7週齢)にコーンオイルに懸濁したBBを150 mg/kgの投与量で単回投与した。投与20時間後にaspartate aminotransferase(AST)を測定し,ASTの上昇(100 U/L以上)が認められた動物(I群),およびASTに著変が認められなかった(100 U/L未満)動物(II群)に群分けした。これらの動物の一部(n=5)は,群分け後解剖し,残りのラットには同用量の投与を合計9日間行った。その結果,群分け時に対照群比約3倍の高値であったI群のASTは低下し,投与9日目ではASTおよびalanine aminotransferase(ALT)とも正常レベルであった。病理学的には,投与1日目で肝細胞の変性/壊死が観察されたが,投与9日目では変性/壊死は観察されなかった。これらのことから,初回投与により肝障害が惹起されたI群はBBの反復投与により肝障害に対して耐性を発現したと考えた。一方,BBの初回投与により肝障害が検出されなかったII群については,BBの反復投与により,耐性を発現しているか否かは不明であった。

次にII群のラットが反復投与により耐性を発現しているかを検討するため,上記の実験条件を施したラットに続けて,2倍量に相当する300 mg/kgのBBを対照群,I群およびII群のラットに単回腹腔内投与した。その結果,対照群(溶媒+300 mg/kgのBB)と比較して,肝障害は明らかに抑制されていることが明らかになった。この結果から,BBの単回投与による初期障害の発現の有無に関わらず,BBの反復投与により耐性が発現すると考えられた。

次に耐性の機序について検討した。肝薬物代謝酵素をタンパクレベルで測定したところ,第I相反応の肝チトクロームP450(CYP)の低下,および第II相反応のグルタチオン抱合能の亢進が投与4日目から認められた。第II相反応の亢進は,投与9日目でも観察された。マイクロアレイ解析を行ったところ,CYPの抑制およびグルタチオン S-トランスフェラーゼをはじめとするグルタチオン抱合・代謝の亢進を示唆する所見が遺伝子発現レベルでも観察された。BBの代謝に関わる他の第II相反応であるエポキシドヒドラーゼおよびNAD(P)H:quinone oxidoreductaseを介した加水分解の亢進も明らかになった。さらに,薬物排泄トランスポーターのひとつであるMrp3(abcc3)のmRNAレベルの増加が検出され,従来の第I相(CYP),第II相(抱合)に加え第III相(排泄)反応も耐性に関与していることが示唆された。

以上のことから,本実験で認められたBBの肝障害に対する耐性は,BB誘発障害の標的器官である肝臓において,BBの肝毒性を無毒化する方向に機能が変化したことによる能動的な耐性であり,BBの肝毒性に対して発現した特異的な耐性と考えた。

2. HMG-CoA還元酵素阻害作用を有する8-オキシムデカリン誘導体誘発骨格筋障害に対する耐性発現

高脂血漿治療剤であるHMG-CoA還元酵素阻害剤(いわゆるスタチン)は,臨床において広く用いられており,忍容性の高い薬剤である。しかしながら,副作用の一つとして筋障害が稀な頻度で発生することが報告されている。第2章では,HMG-CoA還元酵素阻害作用を有する8-オキシムデカリン誘導体(8-ODD)が骨格筋障害を惹起するか,そして惹起される骨格筋障害に対して8-ODDを反復投与することにより耐性が認められるかを検討した。

8-ODDを0.12%の濃度で混じた餌(約100 mg/kgに相当)をラットに56日間自由に摂取させた。対照群には通常の餌を与えた。その結果,投与8日から投与15日にかけて,投与群に体重増加の抑制が認められたが,投与15日目以降は抑制傾向は認められなかった。骨格筋障害の指標となるクレアチン・キナーゼ(CK)を経時的に測定したところ,著明なCKの上昇が投与10日目から観察され,投与12日目では対照群と比して約30倍の高値であった。病理組織学的に重度の筋線維の壊死が観察され,化合物Aの投与による骨格筋障害が認められた。しかしながら,同投与を継続したところ,CK値は減少し,投与19日以降CK値は正常値に復帰した。投与56日目の骨格筋組織に病理組織学的な異常は検出されなかった。すなわち,8-ODDの反復投与により骨格筋障害に対して耐性を発現したと考えた。8-ODDおよび活性体であるM1の曝露量を調べたところ,骨格筋障害前(CK上昇前)と耐性発現期(CK正常)において,曝露量に著しい差は認められなかった。以上のことから,本実験で認められた骨格筋障害に対する耐性は,曝露量が低下したことによる受動的な耐性ではなく,障害に対して何らかの抵抗因子に起因した能動的な耐性であると考えた。

次に耐性の機序を明らかにするため,耐性を発現する骨格筋のマイクロアレイ解析を実施した。対照群と比較したところ,CK値の変化から耐性を発現したと考えられる投与42日および56日目ともに,inhibitor for nuclear factor-κB(IκB)のmRNAレベルが対照群比約2倍の有意な増加を示した。さらに投与56日目においてはCCAAT/enhancer-binding protein deltaの発現増加(約1.5倍)およびcAMP-response element-binding protein /p300の低下(約0.6倍)が観察された。これらのことは,骨格筋障害に対して耐性を発現する骨格筋では,NF-kB依存性転写活性が抑制されていることを示唆する。以上のことから,化合物Aの骨格筋障害に対する耐性は,8-ODDおよびM1の曝露減少に起因したものではなく,抵抗因子の発現に起因した能動的な耐性であることが明らかになった。その原因としては,NF-kB依存性転写活性の抑制が寄与している可能性が示唆された。しかしながら, NF-kB依存性転写活性の抑制は,他の骨格筋障害でも防護的な作用を示すことから,HMG-CoA還元酵素阻害作用に関連した骨格筋障害に特異的な耐性発現に関与するかどうかは断定できない。

以上,本論文において化学物質に誘発される毒性がその投与を継続しても増強されず,むしろ軽減するという耐性の機序の存在を明らかにした。筆者が示したBB誘発肝障害および化合物A誘発骨格筋障害に対する耐性は,他の要因により標的器官/組織が曝露されるtoxicant量の減少した結果である受身的な耐性ではなく,標的器官/組織が障害に対して抵抗因子を発現することによる能動的な耐性であった。さらに能動的な耐性は,毒性機序に対して特異的な耐性と非特異的な耐性に分類される可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

新薬開発のために実施される毒性試験において,投与期間の初期に惹起された障害が,同投与量の投与を継続すると軽減し,障害が検出されなくなることがある。これは,その化学物質の毒性に対して生体あるいは標的器官の反応性が減少したことを示す。本研究では,このような化学物質の連続的な曝露により,毒性発現の反応性が減少する「耐性」について検討した。第1章では,ブロモベンゼン(BB)の毒性量をラットに反復投与して,BBの肝障害に対する耐性の発現について検討している。第2章では,HMG-CoA還元酵素阻害活性を有する8-オキシムデカリン誘導体(8-ODD)により惹起される骨格筋障害に対する耐性の発現について検討している。

第1章 BB誘発肝障害に対する耐性発現

F344ラットにBBを150 mg/kgで単回投与した。投与20時間後にaspartate aminotransferase(AST)を測定し,ASTの上昇が認められた動物(I群),およびASTに著変が認められなかった動物(II群)に群分けし,さらに同用量の投与を合計9日間行った。その結果,群分け時に対照群比約3倍の高値であったI群のASTは低下し,投与9日目ではASTは正常レベルであった。このことから,肝障害が惹起されたI群はBBの反復投与により肝障害に対して耐性を発現したと考えた。次にII群のラットが反復投与により耐性を発現しているかを検討するため,上記の実験条件を施したラットに続けて,300 mg/kgのBBを単回腹腔内投与した。その結果,対照群(溶媒+300 mg/kgのBB)と比較して,I群およびII群における肝障害は明らかに抑制された。この結果から,初期障害の発現の有無に関わらず,その後の反復投与により耐性が発現すると考えた。

次に耐性の機序について検討した。マイクロアレイ解析では,第一相反応であるCYPの抑制,および第II相反応であるグルタチオン抱合,エポキシドヒドラーゼおよびNAD(P)H:quinone oxidoreductaseを介した加水分解の亢進,さらにMrp3(abcc3)のmRNAレベルの増加が検出された。これは第I相(CYP),第II相(抱合)および第III相(排泄)反応が耐性に関与していることを示唆する。

以上のことから,BBの肝障害に対する耐性は,BBの肝毒性を無毒化する方向に肝臓の機能が変化した能動的な耐性であり,BBの肝毒性に対して発現した特異的な耐性と考えた。

第2章 8-ODD誘発骨格筋障害に対する耐性発現

スタチンの副作用の一つとして筋障害が稀な頻度で発生する。第2章では,8-ODD誘発骨格筋障害に対して耐性が認められるかを検討した。

8-ODDを0.12%の濃度で混じた餌(約100 mg/kgに相当)をラットに56日間自由に摂取させた。筋障害の指標となるクレアチン・キナーゼ(CK)の経時的な測定において,著明なCKの上昇が投与10日目から観察された。しかしながら,同投与を継続したところ,投与12日以降CK値は減少し,投与19日以降CK値は正常値に復帰した。したがって,8-ODDの反復投与により骨格筋障害に対して耐性を発現したと考えた。障害前と耐性発現期の8-ODDの曝露量に著しい差はなかった。以上のことから,骨格筋障害に対する耐性は,障害に対して何らかの抵抗因子に起因した能動的な耐性と考えた。

次に耐性の因子を明らかにするため,骨格筋のマイクロアレイ解析を実施した。耐性を発現した投与42日および56日目ともに,inhibitor for nuclear factor-κB(IκB)のmRNAレベルが有意に増加した。さらに投与56日目においてはCCAAT/enhancer-binding protein deltaの発現増加およびcAMP-response element-binding protein /p300の低下が観察され,これらはNF-κB依存性転写活性の抑制を示唆する。以上のことから,8-ODDの骨格筋障害に対する耐性は,NF-kB依存性転写活性の抑制に起因した能動的な耐性と考えた。しかしながら, この転写活性の抑制は,別の骨格筋障害でも防護的な作用を示すことから,8-ODD誘発骨格筋障害に対する特異的な耐性かどうかは断定できない。

以上,本論文は化学物質に誘発される毒性がその投与を継続しても軽減するという耐性の存在とその機序を明らかにしたものであり、これらの知見は、学術上の重要性はいうに及ばず、今後の医薬品開発の安全性試験にとっても有用な知見と考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の論文として価値あるものと認めた。

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