学位論文要旨



No 216796
著者(漢字) 半村,哲
著者(英字)
著者(カナ) ハンムラ,テツ
標題(和) 遷移金属クラスターイオンの気相反応とサイズ依存性
標題(洋) Size-Dependent Reactions of Transition Metal Cluster Ions in Gas Phase
報告番号 216796
報告番号 乙16796
学位授与日 2007.05.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16796号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 西後,原寛
 東京大学 教授 永田,敬
内容要旨 要旨を表示する

1. 序

数個から1000 個程度の金属原子で構成される金属クラスターは、幾何構造や電子構造が構成原子数(サイズ)により大きく変化する。金属クラスターのサイズ特異的な反応性を研究することは、サイズ効果の本質を理解するという観点からも、高い反応速度や選択性を持つクラスター触媒を開発するという観点からも、意義のあることである。

本研究では遷移金属クラスターイオンと基本的な分子との気相における衝突反応を取り上げ、反応断面積のサイズ変化を測定した。また、クラスターに水素などの異原子を導入したときの反応性の変化を観測した。密度汎関数計算および統計的なモデルを適用して実験結果を解析し、反応機構とサイズ依存性の起源を解明した。また対応する触媒反応と比較することにより、不均一触媒の活性中心を解明することを試みた。

2. 実験装置

サイズによる反応性変化を正確に調べるために、イオンスパッター型クラスター生成装置、タンデム型四重極質量選別装置、反応室などを備えた反応解析装置を製作改良した。これにより、単一サイズのクラスターを生成し、衝突エネルギーとクラスターの内部温度を制御しながら絶対反応断面積を測定することが可能となった。

3. ニッケルクラスターイオンとメタノールとの反応

Nin+ (n=3-11)とCH3OH との反応を一回衝突条件で調べた。吸着によるNin(CH3OH)+の生成は全てのサイズで観測され、反応断面積はn=6 で最大となる。その他に脱メタン反応によるNinO+の生成と、炭化物生成反応によるNi(n-1)C+の生成が観測された。脱メタン反応の断面積はn=4-6 で顕著に大きく、炭化物生成反応はn=7,8 でのみ進行する。

金属表面における吸着過程を参考に、以下のような反応機構を考えた。メタノールがNin+に接近すると、Nin+の正電荷とメタノールに誘起される誘起双極子との間に引力が働き、メタノールがNin+に捕捉されて物理吸着様の中間体となる。中間体のうちポテンシャルエネルギー障壁を超えて化学吸着に到った物のみが安定生成物となる。また、脱メタンおよび炭化物生成は、化学吸着生成物が分解することで進行する。メタノール捕捉の断面積がLangevin 断面積で与えられ、物理吸着から化学吸着への移行の速度は中間体の持つ内部エネルギーの統計的な再分配過程に支配されると仮定し、RRK 理論を適用して実験結果を解析した。これにより、吸着断面積のサイズ依存性が物理吸着から化学吸着へのエネルギー障壁の高さに支配されることが明らかになった。反応断面積のサイズ依存性はNin+のd 電子密度のサイズ依存性で説明される。

4. ニッケルクラスターイオンとベンゼンとの反応

Nin+ (n=3-11)とC6H6 との衝突反応を調べた。 吸着によるNin(C6H6)+の生成が起こり、反応断面積はn=6 で最大、n=8 で最小となる。さらに、n=3-5 ではNi 原子の脱離を伴う吸着によるNin-1(C6H6)+が、n=4-6 ではベンゼン分解によるNin(C4H4)+が観測された。

前章と同様に統計的な反応機構を仮定して実験結果を解析し、吸着断面積のサイズ依存性が物理吸着から化学吸着へ障壁の高さに支配されていることが分かった。Ni 原子の脱離は化学吸着後に進行すると考えられ、同様の解析によりn=3-5 におけるNin+へのベンゼンの吸着エネルギーを推定できた。一方、ベンゼン分解は化学吸着状態からさらに別のポテンシャルエネルギー障壁を超えて進行すると考えられ、n=4-6 のサイズ領域でのみベンゼン分解に対応する障壁が特異的に低くなっていると推定される。

5. 白金クラスターイオンによる炭化水素の脱水素反応

Ptn+ (n=1-4)とメタン、エタン、エチレン、アセチレンとの一回衝突反応を調べたところ、いずれも炭化水素CxHy が吸着し水素分子1 個が脱離したPtn(CxH(y-2))+のみが観測された。メタン、エタンの脱水素吸着断面積は概ねサイズ依存性が小さいが、エチレン、アセチレンの反応断面積はサイズと共に急速に増大し、4 量体でLangevin 断面積とほぼ一致する。

前章までのNin+の反応からの類推により、Ptn+上の脱水素吸着反応では、一旦化学吸着した炭化水素がPtn+上でH2 とCxH(y-2) に解離したのち水素分子が放出されると考えられる。物理吸着から化学吸着への過程だけでなく、化学吸着状態からクラスター上でのH2 の形成に到る過程にもエネルギー障壁が存在すると考え、統計的なモデルを適用した。これによって、化学吸着中間体からの脱水素過程のエネルギー障壁が低いほど反応断面積が大きくなることが示された。化学吸着中間体上において炭化水素はH とCxHy-1 に解離吸着していると推定されるので、反応断面積のサイズ依存性を規定しているのは、Ptn(H)(CxH(y-1))+上でH が移動して分子状水素が形成される過程であると考えられる。

6. コバルトクラスターイオンと一酸化窒素との反応および水素原子導入の効果

異原子がクラスターの反応性に及ぼす影響を調べるため、Con+ (n=2-5)とConH+とのNO に対する反応性を比較した。NO 吸着、NO 分解、クラスター解離の3 種類の反応が観測され、クラスターにH 原子を導入することによって、n=3 では3 種類全ての反応断面積が、n=4 ではNO 分解の反応断面積が増大した。

反応は幾つかの中間体を経由して進行する。例えばNO 分解では、まずConHm+ (m=0,1)にNO が分子状吸着したConHm(NO)+が生成し、続いて解離吸着したConHm(N)(O)+となり、最後にCoOHm が脱離することでCon-1N+が観測されると考えられる。H 原子導入によって反応が促進される理由を解明するために、密度汎関数計算を用いてCo3H+の反応のポテンシャルエネルギー曲線を推定した。計算結果と統計的なモデルから反応断面積の実験値をある程度再現できたため、ここで仮定した反応過程は妥当であると結論した。

特定のサイズでのみH 原子導入により反応断面積が増大したことは以下のように説明できる。Co3+上においては、いずれの反応も吸熱的であるため進行しない。Co3H+においては、H 原子導入により解離吸着中間体および生成物がエネルギー的に安定化され、反応が発熱的に進行するようになるために反応断面積が増大する。一方n=2 においては全ての反応経路が吸熱的であるため、H が導入されても反応断面積の増大は起こらない。H 原子はCo に対してよりもO やN に対しての結合エネルギーが1 eV 以上大きいため、n=3 における解離吸着中間体および生成物は、Co-H 間の結合が切れて-OH あるいは-NH が形成されることにより安定化すると説明できる。

7. クロムクラスターイオンとエチレンとの反応-エチレン重合触媒における活性中心の探索

シリカに担持されたクロム酸化物は実用的なエチレン重合触媒として用いられるが、触媒中の活性中心がどのような形態を取るかについては結論が出ていない。そこで、Crn+ (n=1-4),(c) CrnO+ (n=1-4), CrnOH+ (n=1,2)についてエチレン重合活性を調べた。n>=2 における一回衝突反応では、エチレンがクラスターからCr 原子を引き抜<Cr 引き抜きが主反応として観測され、Cr2OH+ではクラスターからO が引き抜かれてエチレンが酸化される反応も観測された。多重衝突条件においても、観測されたのは上記の反応のみであった。n=1 の親イオンにおいては、CrO+, CrOH+の一回衝突反応で、O, OH がエチレンに引き抜かれてCr+が生成するエチレン酸化と、CrC2H4+が生成するエチレン吸着が進行した。多数回衝突条件ではこれらに加えて、2 分子のエチレンが吸着したCrO(C2H4)2+, CrOH(C2H4)2+が観測された。複数のエチレン分子が吸着したのはCrO+とCrOH+に対してのみであったことから、実験した範囲では、CrO+とCrOH+のみがエチレン重合活性を持つ可能性があると考えられる。

そこで、CrOH+上で実際にエチレン重合が進行しているか否かを実験と計算によって調べた。CrOH(C2H4)2+の衝突誘起解離(CID)実験を行い、吸着エチレンの結合エネルギーを測定した。エチレン重合により生成すると想定されるCrOH(C4H8)+の結合エネルギーも同様に測定し、両者の測定値を比較した。また、密度汎関数計算によりCrOH(C2H4)2+の安定構造と結合エネルギーを求めた。

CID 実験では、クラスター生成部でCrOH+にエチレンを吸着させてCrOH(C2H4)2+を生成し、反応室でXe 原子と衝突させた。CID によりCrOH+の生成が確認され、CrOH+と(C2H4)2 との間の結合エネルギーは3.16 eV と測定された。一方、CrOH+に1-ブテンを吸着させたCrOH(C4H8)+のCID から、CrOH+とC4H8 との間の結合エネルギーは3.26 eV と求められた。

一方、密度汎関数法によりCrOH(C2H4)2+の構造を計算したところ、最安定構造は2 分子のエチレンが重合し1-ブテンとなってCrOH+に吸着したブテン錯体であった。次に安定な構造は、2 分子のエチレンがそれぞれ分子状に吸着したエチレン錯体であった。計算から、ブテン錯体中のCrOH+と1-ブテンとの間の結合エネルギーは3.19 eV、エチレン錯体をCrOH+と2 分子のエチレンに解離させるためのエネルギーは3.83 eV と求められた。CrOH(C2H4)2+からCrOH+を生成させるための結合エネルギーの実験値(3.16 eV)は、ブテン錯体CrOH(C4H8)+の実験値(3.26 eV)および計算値(3.19 eV)とよく一致したことから、CrOH+上に吸着した2 分子のエチレンは重合して1-ブテンになっていると結論した。これはCrOH+がエチレン重合活性を持つことを意味しており、不均一触媒においても担持されたCrOH またはCrO が活性中心となることを強く示唆している。

8. まとめ

本研究では、遷移金属クラスターイオンの反応が顕著なサイズ特異性を持つこと、また異原子導入によって反応性やサイズ依存性が変化することを示した。これらの反応においては、まず物理吸着によりクラスターに捕捉された反応分子が、エネルギー障壁を越えて化学吸着状態に移行し、さらに続く過程が進行するという機構を考えるのが妥当である。クラスター上における反応は不均一触媒上の対応する反応と比較できることから、クラスターの反応性に関して得られた知見は触媒設計にも応用可能であると期待される。

図1: 実験装置の概略。(a)希ガスイオンビーム, (b)金属試料, (c)冷却室, (d)四重極質量選別器, (e)反応室, (f)イオン検出部。

図2: Nin+とCH3OH との反応断面積。衝突エネルギーは0.2 eV。

図3: 親イオンCon+(●)およびConH+(○)の反応断面積。衝突エネルギーは0.2 eV。

審査要旨 要旨を表示する

数個から1000個程度の金属原子で構成される金属クラスターは、幾何構造や電子構造が構成原子数(サイズ)により大きく変化する。金属クラスターのサイズ特異的な反応性の研究は、サイズ効果の本質を理解し高い反応速度や選択性を持つクラスター触媒を開発するために重要な貢献を成す。本論文提出者は、遷移金属クラスターイオンと基本的な分子との気相における衝突反応を取り上げ、反応断面積のサイズ変化や水素などの異原子を導入したときの反応性の変化を観測し、密度汎関数計算および統計的なモデルを適用してそれら実験結果を解析し、反応機構とサイズ依存性の起源を明らかにした。本論文は8章よりなる。

第1章は、本論文のイントロダクションであり目的と背景を述べている。

第2章は、本論文で使用した実験装置について、イオンスパッター型クラスター生成装置、タンデム型四重極質量選別装置、反応室などを備えた反応解析装置などの製作改良を述べている。

第3章、第4章は、Nin+ (n=3-11)クラスターとCH3OHおよびC6H6との一回衝突条件での反応を行い、反応分子捕捉の断面積が双極子間引力により決まり、物理吸着から化学吸着への移行の速度は中間体の持つ内部エネルギーの統計的な再分配過程に支配されると仮定し、衝突理論(RRK理論)を適用して解析に成功している。これにより、吸着断面積のサイズ依存性が物理吸着から化学吸着へのエネルギー障壁の高さに支配されること、反応断面積のサイズ依存性がNin+のd電子密度のサイズ依存性で説明されることを明らかにした。さらに、n=3-5ではNi原子の脱離を伴う吸着によるNin-1(C6H6)+が、n=4-6ではベンゼン分解によるNin(C4H4)+が生成する新たな反応も見出した。

第5章では、Ptn+ (n=1-4)クラスターとメタン、エタン、エチレン、アセチレンとの一回衝突反応を調べ、いずれも炭化水素CxHyが吸着し水素分子1個が脱離したPtn(CxH(y-2))+のみが生成することを見出した。その結果、反応断面積のサイズ依存性を規定しているのは、Ptn(H)(CxH(y-1))+上でHが移動して分子状水素が形成される過程であることを明らかにした。

第6章は、Con+ (n=2-5)クラスターおよびConH+のNOに対する反応性を比較し、異原子がクラスターの反応性に及ぼす影響を調べた結果をまとめている。クラスターにH原子を導入することにより特定のサイズでのみ反応断面積が増大することを見出した。H原子導入により解離吸着中間体および生成物がエネルギー的に安定化され、吸熱的であった反応が発熱的に転換するために反応断面積が増大することが原因であると結論した。

第7章では、Crn+ (n=1-4)などのクラスターイオンとエチレンとの反応を調べ、エチレン重合触媒における活性中心に関する知見を得ている。担持クロム酸化物はエチレン重合工業触媒として用いられるが、触媒中の活性中心がどのような形態を取るかについては結論が出ていなかった。本論文では、CrOH(C2H4)2+の衝突誘起解離実験を行い、密度汎関数計算を併用することにより、CrOH+がエチレン重合活性を持つことを見出し、不均一系工業触媒においても担持されたCrOHまたはCrOが活性中心となることを強く示唆した。

第8章は、本論文全体の結論を述べている。

以上、本論文提出者は、遷移金属クラスターイオンの反応が顕著なサイズ特異性を持つこと、異原子導入によって反応性やサイズ依存性が変化することを見出し、密度汎関数計算および統計的なモデルを適用して反応機構とサイズ依存性の起源を明らかにした。これらの成果は物理化学に貢献するところ大である。なお、本論文の研究は、(株)コンポン研究所において共同研究として行われたものであるが、本論文提出者が主体となって考え実験を行い解析したもので、本論文提出者の寄与が極めて大きいと判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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