学位論文要旨



No 216799
著者(漢字) 桐生,茂
著者(英字)
著者(カナ) キリュウ,シゲル
標題(和) マウスを用いた磁気共鳴画像法(Magnetic Resonance Imaging)による肺動態の研究
標題(洋)
報告番号 216799
報告番号 乙16799
学位授与日 2007.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16799号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 准教授 青木,茂樹
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 准教授 阿部,裕輔
 東京大学 講師 永田,泰自
内容要旨 要旨を表示する

・研究の背景・目的

弾性体である肺は,様々な疾患において弾性度が変化する.臨床において肺の弾性度は肺機能テストにより評価され、肺疾患の診断や治療効果判定において重要な指標として用いられているが,肺機能テストで得られるデータは肺全体の値であり,局所な病的変化は周囲の正常部によりマスクされてしまい、異常値とはならず、検出されない可能性がある. 肺の局所における変化がわかれば、肺機能テストでは変化が検出できないような初期の病変や、限局した肺病変の評価をおこなうことが期待できる. このためには画像的な肺の生体力学の解析が必要である.

肺の生体力学と密接な関係がある肺動態はMRIで観測可能な重要な生理学的指標である. 心臓の動きの評価に用いられているgrid-tagging法を応用して肺の局所的な変形を評価した報告があるが,grid-tagの制限により空間分解能が低く、呼吸一周期を充分に観察することができず,一定の呼吸間隔での観察しかできないという欠点もあり,限局した病変や初期の病変を検出するのには適切な方法ではない. これらの問題点を解決する方法として、連続したMRI画像を非剛体レジストレーションにより解析して肺の生体力学を評価する方法が考案されている. 非剛体レジストレーションは変形する対象の非線形な歪みを検出する方法で、この手法により肺の変形をピクセルにおける変位ベクトルで表したMotion Field Mapを作成し、ベクトル解析により肺動態を観察することが可能になる. ピクセル単位の解析なので空間分解能が高く,grid-tagを用いていないので一呼吸サイクルを十分に観察することが可能である.

本研究の目的は非剛体レジストレーションによるMRI解析により肺動態の定量的解析を行うことと、この手法による病的変化の検出について検討することにある. 疾患モデルによる詳細な検討が行え,治療薬に対する効果判定も行えるマウスを対象とした. まず、正常マウスの肺の動きを領域ごとに定量的に評価できるかを検討した.続いて、病的異常の検出を評価するために病的変化を容易に作成できる遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスを用いて、病的変化が生じる前後に本手法を用いて比較して異常が検出できるかについて検討した.

・正常マウスの肺動態の検討

非剛体レジストレーションにより肺動態の解析が正常マウスで行えるかについて検討した.正常マウス5匹を対象として,4.7Tマイクロイメージング用MRI装置を用い,呼吸同期システムを併用して,マウスの肺が最も変形する最大吸気時と最大呼気時をそれぞれプロトン密度強調像で行った. 肺を4領域(上右,上左,下右,下左)に分割して領域ごとに以下の定量的解析を行った. 吸気・呼気の画像より非剛体レジストレーションによりMotion Field Mapを作成し,領域内のベクトルの大きさ(Displacement Magnitude),ベクトルの方向(Displacement Angle)を解析した.さらに微小変形仮定モデルに基づいて,それぞれの領域におけるFinite Strain(trace)により呼吸運動による圧縮・伸展を評価した. 結果はすべての正常マウスにおいて吸気および呼気の画像を得ることができ, Motion Field Mapを作成することが可能であった. Displacement Magnitudeでは肺尖から肺底部にむかってベクトルが大きくなるのが示され,Displacement Angleはベクトルの多くが体軸に平行であり、特に肺底部においてはその傾向が強いことが示された. 上右と上左においてベクトルの向きにばらつきがみられたがそれらは左右対称であった. Finite Strainにおいてマウスの肺にほぼ均一な圧縮が示された. これらの結果より、肺は左右対称で体軸に平行な動態を示し、下部においてその大きさはより大きく、肺全体は均一に圧縮されることが示された. 以上のごとく正常マウスの肺動態が解析可能であった.

・遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスを用いた肺の病的変化における肺動態の検討

遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスの肺に病的変化を生じさせ、本手法により病的変化が検出可能であるかを検討した. 遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスは正常酸素下では健康体であるが,低酸素下で肺塞栓が容易に生じるので,肺の病的変化おこる前後を観測可能であり、本研究に適した対象である. 遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウス4匹を対象とした. 倒立型の9.4Tマイクロイメージング用MRI装置を用い,正常酸素下で前章と同じプロトコールで最大吸気と最大呼気の撮影を行いMotion Field Mapを作成した. この後、ノーズコーンを用い5分間の低酸素下にマウスをおいて肺塞栓症を生じさせた. 肺塞栓症による不規則な呼吸が安定した後に,正常酸素下と同じ条件で最大吸気と最大呼気の撮影を行った. 低酸素下の前後の撮影よりそれぞれ作成されたMotion Field Mapを用い,低酸素により生じた肺の病的変化が検出できるかについて検討した. 撮影のあとに,肺を取り出し,組織標本を作製した. 比較のため,正常マウスの肺の組織標本も作製された. Displacement Magnitudeは正常酸素下では正常マウスで観察されたものと同様で、下部で大きく、より体軸方向に平行な動きがみられ,低酸素後ではいずれの領域においても有意に減少した. Displacement Angleも正常酸素下では正常マウスで観察されたものと同様で多くのピクセルにおいて左右対称で体軸に平行であり、下部(右下と左下)ではほとんどが体軸に平行であった. 低酸素後では,右上部を除いてベクトルの向きは有意に乱れた. Finite Strainは平均に対して大きい分散を示した. この異常な動きは,吸気のさいに,肺の鬱血により局所的に堅さが増す部分と,病的変化が起きてなく膨張しようとする部分が隣接していることを示していると考えられた. 遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスの組織標本において鎌状赤血球により閉塞された肺血管,間質の肥厚、肺胞出血などの所見が観察され,これらの変化により低酸素状態後のベクトルの乱れが説明可能と考えられた.正常マウスではこれらの所見はみられなかった.

・まとめと今後の展望

非剛体レジストレーションを用い、正常マウスと遺伝子改変鎌状赤血球症マウスにおいて呼吸下での肺動態をDisplacement Motion Fieldでベクトル表示を行い,定量的に解析を行った. 正常マウスにおいては両側の肺が左右対称に動き、下部においてより大きい動きがみられた. 遺伝子改変鎌状赤血球症マウスでは、肺の呼吸運動が正常酸素下で正常マウスと同様であり,短時間の低酸素状態によりDisplacement Magnitudeは減少し、Displacement Angleに乱れが観察された. 肺の組織標本で鎌状赤血球による肺血管の塞栓が確認され,これらの結果から非剛性レジストレーション法により肺呼吸運動において病的変化をとらえられることが可能であったことが示された.

生体の変形を評価するためにこれまでいくつかの方法がMRIのレジストレーションに用いられているが,広く用いられているのは対象が剛体であると仮定する剛体レジストレーションやアフィン変換であり,これらは肺のように変形が複雑で非剛体である場合には用いることができない.本手法では非剛体変形を用いてレジストレーションを行い,さらに定量的に解析した.

本研究では遺伝子改変マウスでの肺の動きの評価を行った.他疾患モデルのマウスに用いることにより,肺の弾性度を変化させる疾患の治療薬の開発や治療効果判定などにも有用性が期待される. 動物モデルにおいてはベンチレーターによる呼吸管理が可能なので,呼吸運動のばらつきを少なくして,より詳細な呼吸運動の比較・検討が可能である. ベンチレーターにより気道抵抗に代表される生理学的パラメーターも得られるのでこれらとの比較も行えると期待される.

同じ手法で人の肺の動きを定量的に解析できれば、これまで詳細にはわかっていない肺実質そのものの動きを解明できると考えられる. また定量的解析であるので個体間の呼吸運動の比較もでき,肺の呼吸運動と密接な関係があると考えられる肺実質の弾性度を変化させる間質性肺炎や肺気腫のような疾患において病勢の評価,治療に対する効果判定に用いられると考える. そのほかに,スクリーニングへの応用も考えられる.今後は人間応用すべく,呼吸法の標準化や,呼吸運動の3次元的解析を行い,呼吸運動をより詳細に行いたいと考えている.

審査要旨 要旨を表示する

本研究はMRIを用いてマウスの肺の吸気と呼気を撮影して非剛体レジストレーションを用いて肺の動態を検討したが,以下の結果が得られた.

1.吸同期システムを用いて,正常マウスの肺を吸気・呼気に分離して撮影を行い,非剛体レジストレーションを用いて,呼吸運動においてマウスの肺内にそれぞれのマトリックスの変位をベクトルで表示したMotion field mapを作成することが可能であった.

2.Motion field mapにおいてDisplacement magnitude(ベクトルの大きさ),Displacement angle(ベクトルの向き),Finite strain(trace)の解析を分割した領域ごとに統計学的に検討した.Displacement Magnitudeの解析では肺尖から肺底部にむかってベクトルが大きくなるのが示された.Displacement Angleの解析ではベクトルは多くが体軸に平行であり,特に肺底部においてはその傾向が強くみられた.Finite Strainの解析では肺の均一な圧縮が示された.これらより,左右の肺は体軸に平行な動きを示し,下部においてその大きさはより大きく,肺全体は均一に圧縮されることが示された

3.低酸素状態におくことにより肺塞栓症を作成可能である遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスを用いて低酸素状態前後の撮影を行い,それぞれからMotion field mapを非剛体レジストレーション法により作成することが可能であった.

4.低酸素状態前では遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスは正常マウスとほぼ同様の肺動態を示すことが示された.低酸素状態後においてDisplacement Magnitudeはいずれの領域においても有意に減少した.Displacement Angleは右上部を除いてベクトルの向きは有意に乱れた.Finite Strainは平均に対して大きい分散を示し,吸気のさいに,肺の鬱血により局所的に堅さが増す部分と,病的変化が起きてなく膨張しようとする部分が混在していることを示していると考えられた.

5.摘出肺の病理学的検討により,肺内に肺塞栓症による病的変化が生じていることが確認できた.同一個体における肺の病的変化を本手法で検出することが可能であった.

以上,本論文はMRIを用いて撮影を行い非剛体レジストレーションによりマウスの肺動態を統計学的に解析することが可能であることを示した.正常マウスの肺動態を解析し,遺伝子改変鎌状赤血球症モデルマウスを用いて病的変化の検出が行えることを示した.肺の動態を領域ごとに定量的に評価する本研究の手法は新しいもので,肺疾患の病態生理の解明や病態の把握においてきわめて重要であると考えられ,学位授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク