学位論文要旨



No 216802
著者(漢字) 重枝,崇志
著者(英字)
著者(カナ) シゲエダ,タカシ
標題(和) 開放隅角緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術の長期成績
標題(洋)
報告番号 216802
報告番号 乙16802
学位授与日 2007.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16802号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 准教授 菊池,かな子
 東京大学 准教授 久保,田潔
 東京大学 講師 宇川,義一
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

緑内障は現在でも世界の失明原因の第二位を占めており、本邦においても中途失明の3大原因疾患のひとつとなっている。近年本邦において日本人の緑内障有病率に関して2つの大きな疫学研究が行われた。 その結果40歳以上の日本人に対して緑内障の有病率は全体で4~5%に達し、そのうちの大部分を占める開放隅角緑内障の有病率は3~4%、また所見上は原発開放隅角緑内障と同じであるが、眼圧が常に統計学的に決定された正常値にとどまっている正常眼圧緑内障が2~3%と日本人において諸外国よりもかなり高い有病率であることがわかった。緑内障に対する治療は眼圧下降療法が中心であるが、近年は従来の線維柱帯切除術に線維芽細胞増殖阻害剤を併用することにより手術成績の改善がもたらされ、この術式が広く用いられてきている。しかし、一方でこの手術には重篤な合併症を伴うことがある。このような現在、本術式を功罪含めて総合的に評価する必要がある。本研究においては正常眼圧緑内障も含めた開放隅角緑内障に対して線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術がもたらす効果について長期経過を踏まえたうえで新しい知見を得ることが出来た。

日本人の原発開放隅角緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤(マイトマイシンC)併用線維柱帯切除術の長期成績

原発開放隅角緑内障に対するマイトマイシンC(以下、MMC)併用線維柱帯切除術のこれまでの報告は、対象患者数が少なく経過観察期間が短いものが多く、さらにそれらの報告の多くは白人患者についてであった。本研究において日本人の原発開放隅角緑内障に対する初回MMC併用線維柱帯切除術の長期経過について多数例で調査することが出来た。 対象は、原発開放隅角緑内障患者87例123眼、術後経過観察期間は平均6.8年であった。術後眼圧コントロールの成績、術後晩期合併症の発症頻度についてKaplan-Meier生命表法を用いて検討を行った。「18mmHg未満」を眼圧コントロール良好の定義とした場合、成功率は術後8年で67±4.6%であり、MMC併用線維柱帯切除術は日本人についても長期にわたり一定の眼圧下降効果があることがわかった。また、「16mmHg未満」を眼圧コントロール良好の定義とした場合、成功率は術後8年で44.5±5.4%であり、かなり低い割合となった。末期の緑内障に対しては眼圧を正常眼圧の範囲内のなかでも更に低めに保つことが重要であると言われているが、そのことを考慮するとこの術式はまだ不十分であることが示唆された。眼圧コントロールの失敗に関連する危険因子についてCox重回帰分析を行ったところ、術前の平均眼圧が高いことが有意な危険因子となった。一方、術後晩期の合併症の発症率については、濾過胞漏出が術後8年で7.9±2.6%、濾過胞感染が術後8年で5.9±2.4%であり、かつ時間の経過とともに増加傾向にあった。これを諸外国と比較した場合、大きな差はなかった。この数値自体は決して高いものではないが、上記合併症が生体にあたえる悪影響の強さと術後長期間経過した後にも起こりうることを考慮すると十分注意しなければならないと思われた。また、同じ線維芽細胞増殖阻害剤である5フルオロウラシルを併用した線維柱帯切除術と比較した場合、術後の眼圧コントロールの成績や術後晩期合併症の発症率は大きな違いは認められなかった。

正常眼圧緑内障患者に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術後の視野障害の長期経過

正常眼圧緑内障は、眼圧が正常範囲内であるとはいえ、その正常な眼圧を更に低く設定することが視野障害の進行抑制に有効であるとされている。しかしながらその進行は、手術による眼圧下降により停止するのか、または緩除になるのみであるのか、また手術の効果がどの程度の期間有効であるのか議論が分かれていた。本研究では、線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術による、正常眼圧緑内障の進行抑制効果について長期間にわたり検討することが出来た。正常眼圧緑内障患者の経過観察中、視野解析装置による定期的な視野検査において有意な視野障害進行を示す23症例に対して線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術を施行し、視野障害進行に対する手術の効果について解析した。術後観察期間は6.0±1.7年であった。 手術前後の経過観察期間および視野検査の時期が患者間でもまた同一患者の中でもそれぞれ異なるため、これにともなう誤差構造を処理するために混合線形効果モデルを用いた。視野検査において中心30度以内を平均した網膜感度低下の度合いをmean deviation、中心30度の視野を4つの領域に分割しそれぞれの領域内の平均網膜感度低下の度合いをtotal deviation meanと定義して、それぞれの値の経時変化について術前後で解析を行った。mean deviationの回帰係数は術前-1.05dB/年であったが、術後は-0.44 dB/年であった。術前、術後とも回帰係数は有意に負であったものの、術後は術前と比較すると有意に上昇していた。また、4つの領域についての解析では固視点直下を除いた3つの領域についてはtotal deviation meanの回帰係数が、術前は有意に負であったが、術後は有意に改善していた。ただし、手術による眼圧下降幅と視野障害改善率との間に有意な相関は認められなかった。また、個々の症例について検討すると術後も視野障害が有意に進行した症例は術後1年半の間の眼圧変動が大きかった。正常眼圧緑内障眼については眼圧下降が有効であることは確かであるが、必要な眼圧下降効果レベルはそれぞれ異なることが示唆された。

まとめ

今回の検討ではまず、日本人の原発開放隅角緑内障に対する初回のMMC併用線維柱帯切除術の長期経過について生命表法を用いて検討を行った。その結果、原発開放隅角緑内障に対して視野障害進行をある程度抑えると言われている「18mmHg未満」を眼圧コントロール良好の定義とした場合、術後8年で成功率は67%と約7割の患者で達成することが出来、MMC併用線維柱帯切除術は日本人についても諸外国と同様に長期にわたり十分な眼圧下降効果があることが示された。しかし同時に、末期緑内障患者の目標眼圧と言われる「16mmHg未満」を眼圧コントロール良好の定義とした場合、術後8年で成功率は44%と半分にも満たない結果となり、理想的な眼圧下降効果をすべての患者に対して期待することは難しいこともわかった。一方、術後晩期の合併症については、濾過胞漏出、濾過胞関連感染症の発症率が術後8年でそれぞれ7.9%、5.9%で時間の経過とともに増加傾向にあり、数値自体は決して高いものではないが、これらの合併症が与える負の影響を考慮すると十分に注意を要することが分かった。これらの結果は、別の線維芽細胞増殖阻害剤である5-FU 併用の線維柱帯切除術の成績と比較してみても大きな違いはなかった。これにより日本人に対するMMC併用線維柱帯切除術の成績を諸外国の成績と比較し、評価できた点で意義深いと考える。

また、正常眼圧緑内障患者に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術の視野に関する効果についても検討した。手術前後の視野障害の進行速度を混合線形効果モデルを用いて解析した。その結果、手術によって眼圧を下降させることにより視野障害進行を術後6年以上の長期間にわたり減速させることができることが示された。このことから正常眼圧緑内障に対しても手術により十分な眼圧下降を施すことによって視野障害の進行を抑制することが可能であることが判明し、正常眼圧緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術の意義のひとつが明らかになった。視野全体を4つの領域に分割しそれぞれの領域に対する手術の効果を検討した結果では、手術の効果は固視点直下の領域を除いて全体的に及ぶことが示された。これにより、日本人の正常眼圧緑内障患者に対しても線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術により視野障害進行を抑えることができることが示されたことは、有意義なことと考えられる。

以上、本研究により、日本人の正常眼圧緑内障を含めた開放隅角緑内障緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術は、手術後長期間にわたり十二分とは言えないものの一定の眼圧下降効果と視野障害抑制効果を有し、現在の緑内障治療法のなかで重要な位置を占めることが示された。また、同時に本術式による治療にも限界があり、リスクも伴うため、術前術後の注意深い観察と判断が肝要であることが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、正常眼圧緑内障を含めた開放隅角緑内障に対して線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術がもたらす効果について、従来明らかでなった下記の結果を得ている。

1.日本人の原発開放隅角緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤(マイトマイシンC)併用 線維柱帯切除術の長期成績

日本人の原発開放隅角緑内障に対する初回MMC併用線維柱帯切除術の長期経過について87例123眼を対象に検討を行った。術後の平均経過観察期間は6.8年であった。術後眼圧コントロールの成績と術後晩期合併症の発症頻度についてKaplan-Meier生命表法を用いて検討を行ったところ、「18mmHg未満」を眼圧コントロール良好の定義とした場合、成功率は術後8年で67±4.6%であり、MMC併用線維柱帯切除術は日本人についても長期にわたり一定の眼圧下降効果があった。また、「16mmHg未満」を眼圧コントロール良好の定義とした場合、成功率は術後8年で44.5±5.4%であり、かなり低い値となった。末期の緑内障に対しては眼圧をおよそ16mmHg未満に保つことが重要であると言われているが、この点を考慮するとまだ不十分であった。眼圧コントロールの失敗に関連する危険因子についてCox重回帰分析を行ったところ、術前の平均眼圧が高いことが有意な危険因子となった。一方、術後晩期の合併症の発症率については、濾過胞漏出が術後8年で7.9±2.6%、濾過胞感染が術後8年で5.9±2.4%で時間の経過とともに増加傾向にあった。この数値は決して高いものではないが、上記の合併症が生体にあたえる障害の大きさと術後長期間経てもなお起こりうることを考えると、本術式の術後管理においては十分な注意が必要であると考えられた。

2.正常眼圧緑内障患者に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術後の視野障害の 長期経過

正常眼圧緑内障患者の経過観察中、定期的な視野検査において有意な視野障害進行を示す23症例に対して線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術を施行し、視野障害進行に対する手術の効果について検討した。術後の平均観察期間は6.0年であった。 視野障害進行を評価する方法として、視野検査の回数や時期に伴う誤差構造を処理することが出来る混合線形効果モデルを用いた。中心30度内の平均網膜感度mean deviationの経時変化の回帰係数は平均で術前-1.05dB/年から、術後-0.44 dB/年へと改善していた。術前、術後とも傾きは有意に負であったものの、術後は術前と比較すると有意に上昇していた。また、視野を4つの領域に分割しそれぞれの領域内の平均網膜感度total deviation mean の回帰係数についても調べたところ、固視点直下を除いた3つの領域について術前に比べ、術後は有意に改善しており、手術の効果は視野全体に及んでいた。手術による眼圧下降幅と視野障害改善率との間に有意な相関は認められなかった。正常眼圧緑内障眼については眼圧下降が有効であるが、必要な眼圧下降効果レベルは個々の症例で異なることが示唆された。

本研究により、日本人の正常眼圧緑内障を含めた開放隅角緑内障緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術は、手術後長期間にわたり十分とは言えないものの一定の眼圧下降効果と視野障害抑制効果を有し、現在の緑内障治療法のなかで重要な位置を占めることが示された。また、同時に本術式による治療にも限界があり、リスクも伴うため、術前後の注意深い観察と判断が肝要であることが明らかになった。

以上、本論文は正常眼圧緑内障を含めた開放隅角緑内障に対する線維芽細胞増殖阻害剤併用線維柱帯切除術の効果について、長期経過を踏まえ利点および欠点の両面から明らかにしたものであり、学位の授与に値すると考えられる。

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