学位論文要旨



No 216807
著者(漢字) 尾中,文哉
著者(英字)
著者(カナ) オナカ,フミヤ
標題(和) 「進学」の比較社会学 : 三つのタイ農村における「地域文化」と「進学」
標題(洋)
報告番号 216807
報告番号 乙16807
学位授与日 2007.06.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第16807号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,健二
 東京大学 名誉教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 盛山,和夫
 上智大学 教授 吉野,耕作
 東京大学 准教授 中村,雄祐
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、「進学」というテーマを取り上げ、特に、1970年代以降普及し2000年代に入って支配的となってきた「進学」の「文化的不平等」論について検討するものである。そのために、「地域文化」という視点をネットワーク論的含意とともに提示し、具体的には三つのタイ農村についての「分厚い比較」を行う。そしてこの作業によって、「進学」の「文化的不平等」論の限界を示し、それへの代替的パースペクティブを提示するものである。

「進学」という用語は従来日本の社会学においては「上級の学校に進むこと」という意味で使われてきたが、この意味での「進学」についての研究は、1950年代のアメリカにおいて、「マンパワー」を増大させようとする「成長」論の文脈で「進学」促進要因の研究として開始した。それは、「家族」の収入や教育など「社会経済的要因」の影響を調べる中で「教育機会の平等/不平等」研究を生み出したが、Colemanの大規模な調査が「社会経済的要因」を十分検出できなかったことなどを経て、「文化的要因」に着目する「文化的不平等」論につながっていった。それは一つ目に「文化的再生産」論の研究であり、二つ目に「トラッキング」論など「学校内の過程」に注目する研究であり、三つ目に「カルチュラル・スタディーズ」や「多文化主義」の研究である。現在ではこうした「文化的不平等」論が「進学」論の一大潮流となっているわけだが、そこにはいくつかの看過しがたい問題点があると考えられる。その第一は、表面的には「国民国家」を厳しく批判する立場や「ローカル」・「地方」等の表現で地方自治体を重視する立場も含めて、「国民国家」という前提を置いていることである。第二は、「学校」という前提を置いていることである。第三は、「われわれ/よそもの」図式、すなわちアイデンティティと差異の政治学として論じようとする傾向である。第四は、「政策論的・統計的方法」が優越する傾向である。

以上の問題点に対する対応策として、本研究では、以上の「進学」研究のなかで十分取り扱われてこなかった「地域」という視点を採用する。「地域社会学」が彫琢してきたこの視点は、「国民国家」との距離化、「学校」の「外」への着目、「われわれ/よそもの」図式とは異なる含意、諸方法を複合的に用いたインテンシブな調査、これらを可能にしてくれるからである。この視点はまた、Husserlの「大地」やMerleau-Pontyの「間身体性」などの概念を通して広い基礎付けを与えることのできるものである。本研究では、この「地域」という視点を用いて「文化的不平等」論を検討しなおそうとする。そのために、この視点と、「象徴体系」という従来の定義を「複数性」という観点から修正した「文化」の定義を結びつけた「地域文化」という概念を枠組みとして採用する。具体的には、「地域文化」の諸要素とそれらをささえるネットワークについて、グラフ理論を応用して描き出しつつ「進学」との関連をみることとする。

直接的な検討の対象とするのは、「文化的不平等」論に含まれる「「進学」は、当事者にとってプラスの価値をもつ」および「「地域文化」は「進学」に対してマイナスの作用をする」という二つの仮説である。

この二つの仮説を検討するために本研究が採用する「分厚い比較」という方法は、ひとつのフィールドだけについてインテンシブな研究を行うというのではなく、また多数の対象や地点について項目を絞った調査を行うというのでもなく、インテンシブな調査を、複数の、しかし少数の地点について行って比較することで、一定の厚みと広がりを兼ね備えた結論を導こうという方法である。これは、従来の「比較社会学」で採用されてきた、時代・地域を超えて多くの社会を取り上げる「幅広い比較」や多くの国々を取り上げる「国際比較」などの方法を補うものとして考案されたものである。今回用いたのは、タイの三つの村に長期滞在し、日常生活についての参与観察および村人のライフヒストリーに関して質問紙を用いたインタヴューを行い、得られた質的データと量的データについて、質的分析と量的分析の双方を加える、という方法である。本研究では、第一に「地域文化」の見やすさ・調査実施のしやすさなどの便宜的な観点から、第二にネットワーク的性格をもつ農村という理論的観点から、第三に「タイ農村研究」の諸論争や「タイ農村の進学研究」の到達点といった研究史的な観点から、第四に国際機関等による「進学機会拡大策」の典型例であるという制度史的な観点から、タイの、しかもその農村部を対象とした。具体的には、北部上部に位置するナーン県のH村、東北部に位置するコンケン県のN村、南部国境地帯に位置するパタニ県のA村を選び、それぞれ六ヶ月間の滞在調査を単身で行った。「地域文化」としては、特に「宗教」と「芸能」と「開発」という三つの領域に注目することとした。

こうした問題意識、方法、対象設定にもとづいて行われた本研究の結論のポイントは、ひとつに、「進学」の「文化的不平等」論に含まれる二つの仮説は必ずしも妥当しない、ということであり、いまひとつに、「進学」という現象は、「地域文化」のネットワークに着目することで理解が可能、ということである。この結論をよりていねいに述べるならば、次のようになる。

第一に、三つの村に共通して、「進学」/「非進学」、「都会志向」/「地元志向」、「地域文化志向」/「非地域文化志向」という三つの軸が重要だということである。

第二に、「「進学」は、当事者にとってプラスの価値をもつ」とはいえない事例が見出された、ということである。というのも、「もうひとつの発展」運動の盛んなH村では、「都会」の大学に「進学」することが、主観的にみても客観的にみても「プラス」と価値づけ難い場合が見出されたからであり。イスラム寄宿塾である「ポノ」を擁するA村の場合にも、「中学校」から「高校」「大学」へと「進学」することが、主観的にみても客観的に見ても「プラス」とは言い難い場合が見出されたからである

第三に、「「地域文化」が「進学」にマイナスの作用をする」とはいえない事例が見出された、ということである。というのも、同じくH村においては「地域文化」活動に熱心なこととある種の「進学」志向の結びつきが見出されたからであり、「モーラム」の盛んなN村においては、「モーラム」への関心と「進学」志向の結びつきが見出されたからである。

第四に、以上により不十分さが明らかになった「文化的不平等」論に基づく諸説に代えて、ここでは「進学」の「地域文化ネットワーク」説を提示する。すなわち「進学」を、「地域文化」に関わる人々の「ネットワーク」との関係でとらえることで、より充分な理解ができるようになる、というパースペクティブである。それは一つ目に、「進学」/「非進学」という軸には、「地域文化ネットワーク」内での「学校」の中心性が影響するという見方であり、グラフ理論の概念を用いれば、「地域文化ネットワーク」内における「学校」の標準化された「次数」と「進学」の度合いが関連するという見方として提示できる。二つ目に、「都会志向」/「地元志向」という軸には、「地域文化ネットワーク」の安定性が影響する、という見方である。グラフ理論の概念を用いれば、「地域文化ネットワーク」の「密度」と「地元志向」の度合いが関連するという見方として提示できる。またこのパースペクティブは、タイ農村の「歴史性」について、「相対的に密度の低いネットワークの時代(前近代)」「近くの小都市を含んだネットワークの時代(近代)」「国民国家によるネットワークの管理が徹底される時代(現代I)」「国際機関によるネットワークの管理が徹底される時代(現代II)」という見方を提示するものともなる。

第五に、矛盾する可能性のある上記二つの条件(「地域文化ネットワーク」内における「学校」の中心性と「地域文化ネットワーク」の安定性)が同時存在する場合に生じる「地元志向」的「進学」という事態は、現在のタイ農村においては、慣習(「前近代」的要素)と「国民国家」(「現代I」的要素)と「国際NGO」(「現代II」的要素)という三つのものにささえられて安定的に成立している。これは日本の「近代化」経験とは異なった部分を含む事態である。

第六に、こうした結論は、例えば、「進学」の「過熱」/「冷却」/「縮小」/「再加熱」論、「タイ農村研究」における「市民社会」論や「コミュニティ」論や「開発における仏教の重要性」論、「多文化主義的国民統合」論、「グローカリゼーション」論を再検討すべきという理論的課題を提示している。

第七に、こうした結論は、例えば、1990年代以降進められてきたタイの教育改革が、表面的には「地域文化」を重視するカリキュラムを実施しているようでありながら、「教育の質全国評価(NET)」を行うことで実質的には「国民国家」の役割を拡大してきたことについて再検討すべきといった実践的課題を提示している。

以上のような考察を基礎とするならば、現代世界をおおっている「進学」について、「上級の学校に進むこと」という意味でのみ捉えその意味での「進学」を自明に「善」とするのではないような理論的かつ実践的考察を、さらに深めていくことができると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近代社会においては社会発展の自明の前提となり、価値となっている「教育」について、「進学」という切り口から考究した比較社会学である。その地域文化において「進学」することの意味と、それを支える社会構造や人間関係を、タイ農村部の三つの村を事例とした、長期にわたる現地調査を通じて明らかにしている。

序論においては、本研究の理論的な立場について、進学促進要因の研究や教育機会の不平等論、文化的再生産の理論、トラッキング研究、カルチュラル・スタディーズなどの先行研究の理論的系譜を批判的に再検討しながら、従来の進学研究の多くが、第一に国民国家という枠組みを前提してしまっていること、第二に学校という制度の役割に重きを置きすぎ、さらに第三に文化の捉え方が必ずしも充分でなく、第四に政策論的で統計的な分析に偏っている点を、問題とする。そのなかで、「地域文化」が進学にとってもつ意味に注目し、「分厚い比較」と著者が呼ぶ質的なアプローチを採用して、タイ農村の進学現象を「開発」「宗教」「芸能」などと関わらせて論じていく、本研究の戦略性が説得的に展開されている。

以上のような問題意識に基づいて、著者は三つの特徴ある村を事例に、進学を意味づけている地域文化の構造を比較していく。第一に、北タイにおいて「複合農業」に取り組んでいる村を取り上げ、それを支えている多様なグループや団体を結ぶ役割を果たしているNGOの活動を明らかにすることを通じて、「もうひとつの発展」を支える人的ネットワークを描き出し、そこにおいて都会への「進学」よりも「村で暮らそう」という価値意識が選ばれることを明らかにしている。第二に、東北タイの「モーラム」という芸能を特徴とする村の調査から、モーラムやサラパンの活動を支える人的ネットワークや、仏教との関わりを浮かびあがらせ、さらには芸能の場それ自体の変容を論じながら、進学志向に現れてくるジェンダー差などを分析している。第三に、南部国境地帯における「ポノ」というイスラム教育機関を特徴とする村を取り上げ、その地域におけるスコラと異なる位置づけ、ポノでの学習・生活の特徴や活動を支えているネットワークについて参与観察を通じて分析している。そして、従来の文化的不平等論の説明の妥当性を再び検討しつつ、「地域文化ネットワーク」と論じてよい歴史性をもつ構造が、進学の意味を支えていることを、整理して提示している。

「開発と教育」が問題となっている社会において、進学を支えている文化の意味の厚みに迫った研究として、丹念な現地調査を積み重ね、まとめあげた力量は評価に価する。日本社会との対比は必ずしも充分とはいえないが、地域文化の多様性を押さえた比較社会学として、独自の価値をもつ。本審査委員会は、博士(社会学)の学位を授与するにふさわしいものと判断した。

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