学位論文要旨



No 216811
著者(漢字) 穴水,依人
著者(英字)
著者(カナ) アナミズ,ヨリト
標題(和) ヒト頚髄前角細胞の大きさのヒストグラムの経年的変化
標題(洋)
報告番号 216811
報告番号 乙16811
学位授与日 2007.06.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16811号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 准教授 中安,信夫
 東京大学 准教授 川原,信隆
 東京大学 准教授 川口,浩
内容要旨 要旨を表示する

(緒言)

我が国ではいまや高齢化率が20%を超え超高齢化社会に突入している。高齢になると運動能力が低下し、また高齢者に多く発生する様々な疾患も明らかになっている。高齢になると起きてくる生体内の変化を解明することは非常に重要なことである。本研究の目的は、脊髄前角細胞の経年的変化を0歳から85歳にいたる22例の頸髄の形態計測法に工夫を加え、脊髄運動ニューロンの加齢変化を明らかにすることである。

(方法)

頸髄灰白質はRexedにより、10個の層に分けられる。IX層には外側核と内腹側核の2つの核が存在し、外側核は上肢筋支配運動細胞を含む。運動神経には大小2種類が存在し、大細胞はα運動細胞、小細胞は小α運動細胞の他にγ運動細胞が存在する。この細胞の割合が加齢によりどのように変化するかを以下の方法で調べた。

(症例)

病理解剖より得た0歳より85歳にいたる、各decade2-4例の計22例の頚髄を用いた。これらの症例はすべて男性の非脊髄性疾患による急死例である。患者家族に説明を行い承諾書を得られた症例を対象とした。病理学的に脊髄にはいかなる損傷も受けていない症例である。

(標本の固定法および作成法)

病理解剖より得た標本を10%ホルマリン固定後セロイジン包埋し、C6,7,8髄節の両側前角を含む厚さ40μの前額切片を連続して切り出し、NisslおよびKluver-Barrera(以下K-B)染色標本を作製した。各髄節の範囲はそれぞれの前根糸付着範囲とし、脊髄表面の髄節境界線にメスで小切開を作り墨汁を入れた。組織標本ではこの墨汁線により各髄節範囲を定めた。今回の計測はC7髄節につき行った。連続切片は頚髄表面より中心管にいたる範囲につき作成した。

(細胞体直径と核小体直径相関関係の検討)

Offordらの研究からヒトの脊髄神経節細胞の直径と核小体の直径は直線的比例関係にあるが、この関係が頸髄前角細胞でも成り立つかをパイロットスタディとして調査した。成人頚髄3標本のほぼ中央切片を用い、頚髄前角細胞Rexed IX層外側核の前角細胞と同一細胞の核小体の大きさを100倍に写真投影し、そのnegative filmを用い細胞および核小体直径を計測した。一つ一つの細胞をディジタイザー(Measure 5; System Supply, 長野,日本)上に1000倍に投影して細胞面積を求めて、細胞が完全な円形をしていると仮定した場合の直径を計算した。核小体はFujiのmicrocopy-readerのscreen上にnegative filmを19倍に投影し、その直径を計測した。細胞直径と核小体直径はそれぞれ1000倍および1900倍に拡大されたことになる。この計測値を用いて前角細胞直径と核小体直径の相関を調べた。

(頚髄前角細胞形態計測法)

結果は後述するが、頸髄前角でもOffordの式が成立することが確かめられたので、以下この方法で行うことにした。左右それぞれC7髄節Rexed IX層の外側核の前角細胞の出現から消失までの標本の切片番号を記録し、同範囲に含まれる切片を前、中、後の3群に分けた。それぞれの群の中央の切片で、Rexed IX層外側核に含まれるすべての前角細胞の核小体の直径を計測した。

(核小体直径計測法)

光顕によりRexed IX層外側核で、核小体をすべて写真撮影(100倍)した。得られたnegative filmを富士microscopy-reader RF-3Aにかけscreen上に核小体を19倍に投影しその直径を定規を用いて計測した。核が完全な円形を示さない場合には長径をとった。得られた成績より年代別による核小体直径の分布表ならびに分布グラフを作成した。

(前角細胞数の評価)

各症例の前角細胞数は3枚のプレパラートで計測した前角細胞数を合計して評価した。

(前角細胞数の統計解析)

0-20歳、21-60歳、61-85歳の3群に分けた解析と、0-60歳、61-85歳の2群に分けた解析を行った。

(結果)

細胞体直径と核小体直径相関関係:前角細胞直径と核小体直径の相関は両者の関係は一次式で表すことができ、かつ、その相関係数は0.86-0.93間にあり、極めて正の相関関係にあることがわかった。即ち、前角細胞の大きさの比を求める場合、核小体直径の比を求めればよいことが判明した。

核小体histogramの結果

1) 核小体直径は2.0-6.0μmの範囲に分布した。

2)各症例で、腹側群、中間群、背側群のそれぞれのhistogramのpatternに変化はなかった。

3) 20歳以下では核小体直径約3.5-4.5μmにpeakを持つ一峰性のhistogramを4症例中3症例が示した。

4) 21歳から60歳までは約3.5-μm及び5-5.5μmにpeakを持つ2峰性のhistogramを11症例中9症例が示した。

5) 61歳から85歳までは約5-5.5μmにpeakを持つ1峰性のhistogramを7症例中6症例が示した。

6) 細胞数は各年齢間に有意差が認められなかった。

(考察)

上肢筋力が60歳以上で加速度的に低下することが報告されているので、上肢運動機能に関与しているこれらα運動細胞とγ運動細胞の経年的変化を調べるには、Renshaw細胞、介在ニューロンの比較的少ないRexedIX層外側核について行うのが適当と考えられる。このため今回の計測では外側核と内腹側核の区別が容易な前額面切片を用い、外側核の脊髄前角細胞の経年的変化を調べた。上肢を支配する運動細胞の数や大きさの経年的変化を知れば、上肢運動機能の解析の基礎資料となりうる。われわれが治療する機会の多い頚椎症性脊髄症患者の手術による改善度は、若年者に比べ高齢者で劣るとされる報告が散見される。老化による脊髄前角細胞構成比の変化が成績不良因子の一つである可能性もあるが、脊髄の加齢変化が十分解明されていないため、結論を出すことができない。そこで今回我々は、核小体法をもって調べた細胞の大きさと頚髄前角細胞数の経年的変化をhistogramを用いて検討した。

(核小体直径と細胞直径の関係について)

神経細胞の大きさと核小体の大きさとの相関関係についてOffordらはヒトの脊髄神経節細胞の直径と核小体の直径は直線的比例関係にあることを示した。

ZeissのParticle Size Analyzerの原理に従い計測したヒト頚髄前角細胞では、両者の関係はOffordらと同様に直線関係にあること、しかもその相関係数は0.86-0.93間にあり極めて強い正の相関があることがわかった。即ち頚髄前角細胞の大きさの比を求める場合、核小体直径の比を求めればよいことが判明した。

(histogramからみた細胞の識別について)

核小体直径の計測値から前角運動細胞の大きさを計算式に当てはめると細胞体直径は25-75μとなり、この細胞体の大きさはTomlinsonらが計測したヒト四肢筋を支配する前角運動細胞の大きさである25-80μの大きさに一致する。小径細胞群には運動神経細胞以外の小細胞も含まれている可能性が考えられる。本報告の結果で2峰性の分布を示す細胞群につきその大きさを結果1に示した式から求めると、大径細胞群の中央値は50-65μ程度(核小体直径5μ)となり、これはα運動細胞を表すものと思われる。α運動細胞には直径が大型の約2/3程度の小型のものもあるとされ、これは大きさからはγ運動細胞と区別しがたい。Ranshaw細胞の大きさは大型α運動細胞の約1/4程度と言われている。本データにおける小細胞群にγ運動細胞以外のものがどの程度含まれているかはっきりしないが、小細胞群核小体直径中央値に相当する細胞はその殆どが小α細胞ないしγ細胞である可能性があると思われる。

(前角細胞数に関して)

今回のわれわれの研究では、各年齢群で前角細胞数に有意な差は見られなかった。われわれの今回の計測ではかなりの個人差が前角細胞数に見られた。これは今回の症例数が少ないことが原因のひとつと考えられる。また脊髄の大きさの個体差に関してElliotが報告した以外にも、横断面積が最大値と最小値に2倍以上の差が見られるとした報告もあり、脊髄前角細胞数に関しても個体差がある可能性も否定できない。今後症例数を増やして検討する必要がある。

(histogramの変化に関する考察)

今回は前角細胞の核小体の大きさに置き換えた前角細胞の大きさと細胞数をhistogramで評価を行った。本研究で (a)peakが経年的に移動し (b)21-60歳はhistogramが2峰性になることが判明した。これを説明するひとつの仮説として頸髄前角細胞では、成長期を過ぎてから大小細胞が分化すること、および老齢化に伴い小細胞群が減少していく可能性があることがあげられる。もうひとつの可能性は小細胞が徐々に肥大していってこのような結果となった可能性も否定できない。しかし、そうであるなら移行期である21-60歳の段階で核小体直径が4.5μ付近に細胞が徐々に大きくなっていく段階のpeakが捕らえられるはずである。それが今回の結果では見られていない。また前角細胞数に関して、60歳以上の高齢者とそれ以下の年齢で2群の比較を行うと、unpaired-t検定でp=0.086と減る傾向はあったものの統計学的有意差は見られなかった。これは症例数が少ないことが影響していると思われる。以上の理由より頸髄前角細胞では、成長期を過ぎてから大小細胞に分化すること、および老齢化に伴い小細胞群が減少していく可能性が高いと推論する。成長期を過ぎてからの大小細胞の分化過程、老齢化での小細胞群の脱落過程に関与する因子やそれと末梢神経線維との関連に関する研究は今後の問題である。またこれらの細胞体の大きさの変化が神経生理学的にどのような意味があるのかなどに関しても今後明らかにしていく必要があると思われる。

(まとめ)

1. 核小体法を用い、ヒトのC7髄節のRexed IX層外側核運動細胞構成の加齢的変化を調べた。

a)核小体直径は2.0-6.0μmの範囲に分布することを示した。

b)各症例で、腹側群、中間群、背側群それぞれのhistogramのpatternに変化はなかった。

c) 20歳以下では一峰性のhistogramを4症例中3症例が示した。

d) 21歳から60歳までは2峰性のhistogramを11症例中9症例が示した。

e) 61歳から85歳までは1峰性のhistogramを7症例中6症例が示した。

以上のように脊髄病変を有しない症例で経年的に変化する代表的な3つのhistogramのpatternが判明した。

2. これらの結果の原因として、頸髄前角細胞は成長期を過ぎてから大小の細胞に分化し、60歳を超えると小細胞が減少する可能性が考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は正常頚髄前角細胞における成長過程と加齢性変化に関する基礎データをまとめたもので、今後加齢に伴い増加する神経疾患研究などの基礎となるものである。男性ヒト脊髄(0歳から85歳)22症例を、セロイジン厚切り切片を用いて計測誤差を減らすために幾つかの工夫を加えて前角細胞の大きさと細胞数を定量的に検索し、幅広い年齢層での経年的変化をヒストグラムを用いて評価をして下記の結果を得ている。

1. 細胞体直径を計測するだけでは、細胞体の形がいびつのものもあり、ニューロンの大きさを正確に知ることは困難である。その一方で核小体はほぼ円形で計測誤差が生じにくい。そのため細胞体の大きさと核小体の大きさに相関があるならば細胞体の大きさを核小体の大きさに置き換えて計測をすれば誤差が少なくなると考えて、頚髄前角細胞直径と核小体直径の相関を調べ、頚髄前角細胞の大きさの関係を核小体直径を計測することで行えることを証明している。これは初めての試みで有用性の高い計測法であると思われた。

2. 脊髄前角では介在ニューロンは前角背側の内側部または中央部に多く、運動神経細胞の計測には介在ニューロンの比較的少ない前角外側核について行うのが適当と考えられている。しかし、先行研究で使用されてきた脊髄横断切片では前角の外側核と内腹側核などの区別は実際には困難である。この問題を解決すべく本研究では脊髄前額切片を用いている。これにより前角外側核は細胞柱として見られ、誤差の少ない計測を行っている。

3. 核小体法を用い、ヒトのC7髄節のRexed IX層外側核運動細胞構成の加齢的変化を調べた。

a)核小体直径は2.0-6.0μmの範囲に分布することを示した。

b) 20歳以下では一峰性のhistogramを4症例中3症例が示した。

c) 21歳から60歳までは2峰性のhistogramを11症例中9症例が示した。

d) 61歳から85歳までは1峰性のhistogramを7症例中6症例が示した。

以上のように脊髄病変を有しない症例で経年的に変化する代表的な3つのhistogramのpatternが判明した。

4. これらの結果の原因として、頸髄前角細胞は成長期を過ぎてから大小の細胞に分化し、60歳を超えると小細胞が減少する可能性が考えられた。

本研究は先行研究の問題点を1つ1つクリアーして精度の高い結果を得ていると思われる。今回の結果により頚髄前角細胞が経年的にどの様に変化をするのかが明らかにされた。本研究を基礎として、高齢発症する頚椎症性脊髄症の適切な手術時期の解明や、高齢発症することが多いmotor neuron diseaseの研究などに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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