学位論文要旨



No 216814
著者(漢字) 田中,智志
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,サトシ
標題(和) 人格形成概念の誕生 : 近代アメリカの教育概念史
標題(洋)
報告番号 216814
報告番号 乙16814
学位授与日 2007.07.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第16814号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 今井,康雄
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 小川,正人
内容要旨 要旨を表示する

設問と結論

本論文は、1750年から1850年にかけてのアメリカ社会において、「人格形成」(character formation)という概念が教育実践を教導する概念として定着し、また位階的分化から機能的分化へという社会構造の重心移動を背景としつつ、その意味内容が大きく変容していく様子を、一次史料をふまえて解き明かす試みである。

このような概念史的な課題を設定した理由は、人格形成という営みが、19世紀初期から20世紀前半のアメリカにおいて、教育実践の本質である、と見なされてきたにもかかわらず、これまでのところ、どのような経緯・背景のもとに、そう見なされるようになったのかが、明らかにされてこなかったからである。

こうした課題設定のもと、本論文が明らかにしたことは、次の二点にまとめられる。

第一に、アメリカにおける人格形成概念が、18世紀に「子どもの自然本性は道徳的に可塑的である」と説いたスコットランド道徳哲学、とりわけハチソン、ウィザースプーンらの「道徳的センス」(moral sense)論に由来する、ということである(「人格形成」の「人格」は、いわば「道徳的センス」の別名である)。

第二に、南北戦争前後(1840年代~60年代)のアメリカにおいて、この人格概念が、近代的学校の拡充とともに、また市場経済の広がりとともに、「道徳的センス」がもっていた内在的神性という意味をしだいに失い、より世俗的なもの(社会的・経済的な成功を手に入れるための手段)に変質していった、ということである。

本論文の構成

本論文は、序章と終章をのぞき、五つの章から構成されている。そのうちの第1章から第3章は、おもに上述の第一の局面、すなわち人格形成概念のアメリカでの定着という局面を扱い、第4章から第5章は、おもに上述の第二の局面、すなわち人格形成概念の意味変容という局面を扱っている。

第1章「ハビトゥスのヴァーチュ――成功という幸福」の主題は、フランクリンの説いた、ハビトゥス(習慣行動)としてのヴァーチュ(人間の価値)の形成である。フランクリンは、しばしばアメリカ教育史の最初をかざる人物として語られてきたが、ここで確認したことは、フランクリンにとって重要なものが、内面性(人格)ではなく、外面性(習慣)であった、ということである。フランクリンは、スコットランド道徳哲学(の道徳的センス概念)を知りながら、人格形成の必要性を具体的に論じなかった。その理由は、今一つ判然としないが、確かなことは、フランクリンの教育思想には、すべての子どもの人格を形成するという、近代公教育の構想がふくまれていなかった、ということである。

第2章「人間をささえる道徳的センス――人格形成概念の萌芽」の主題は、18世紀後期に道徳哲学者のウィザースプーンが説いた、内在的神性としての道徳的センスである。ウィザースプーンは、日本ではほとんど、アメリカでもあまり注目されてこなかった人物であるが、ここで確認したことは、このウィザースプーンこそが、もっとも早い時期にアメリカにスコットランド道徳哲学(道徳的センス論)をもたらし、教育を教導する概念としての人格形成概念を語った、ということである。そのいみで、近代アメリカの教育(人格形成)概念の源泉(の一つ)は、ウィザースプーンに見いだすことができると思われる。

第3章「人格形成という教育概念の登場――近代的統治論と道徳的センス」の主題は、19世紀初期にラッシュ、ジェファソンが説いた、共和主義的人格形成論としての教育論である。ラッシュ、ジェファソンともに、「アメリカ建国の父祖」として有名であるが、本章で改めて確認したことは、ラッシュも、ジェファソンも、スコットランド道徳哲学から大きな影響を受けていた、ということであり、また、彼らの教育(人格形成)論が、全国民の生命活動を掌握し、全国民を社会的・経済的に有用な身体に変えようとする近代的統治(ポリス/ポリツァイ)論の一環であった、ということである。

第4章「コモンスクール論の人格形成概念――業績と共通性」の主題は、南北戦争前後(1840年代~60年代)に登場した、いわゆる「改革者」(Reformers 宗教色の強い社会改革論者)たちが唱えた、コモンスクール論における人格形成概念である。「改革者」についての研究は数多いが、本章で確認したことは、この「改革者」たちが唱えた人格形成概念が、近代統治論だけでなく、リベラル・プロテスタンティズム(エヴァンジェリカリズム、ユニテリアニズム)という、すべての人間の内面の道徳化をめざした宗教運動にささえられていた、ということであり、また、「改革者」たちが設営したコモンスクールが、教育内容の共通性(コモン)を制度化し、旧来の宗教的・文化的な多様性を否定し、のちに激化する業績競争の足場を形成していった、ということである。

第5章「業績にとりこまれる人格概念――喪われる神性」の主題は、1850年前後あたりから新しく登場した学校諸装置、すなわち公正な「試験」、共通の意味世界としての「教科書」、均質な生徒集団としての「クラス」が、教育実践に、業績、競争という概念(営み)を刻み込んでいった、ということであり、また、これらの概念(営み)が、旧来の道徳哲学的な人格形成概念を形骸化し、その意味内容を世俗的なもの、とりわけ社会的・経済的な成功のための手段に変えていった、ということである。

こうした人格形成概念の変化は、社会構造の変化を背景としたものと考えられる。1970年代から80年代にかけて、「リヴィジョニスト」と呼ばれたアメリカの教育史研究者は、この時代の教育改革を「階級利害」の反映ととらえてきたが、本論文は、この時代のアメリカにおける、位階的分化から機能的分化へという社会構造の重心移動(シフト)、端的にいえば、「市場革命」によって広まった有用性規範(問題解決能力を最重要視すること)が、人格形成概念の意味変容を後押ししてきた、と考えている。

終章で述べたように、本書の後半部分に描かれている19世紀前半のアメリカにおける人格形成概念の意味変容は、遠く隔てられているとはいえ、現代日本の教育現実を照らしだしていると思われる。というのも、現代日本においても、道徳教育・知識教授が、機能的分化という社会構造のもとで、しばしば有用性を第一の規準にして、価値判断・取捨選択されているように思われるからである。そのような有用性を第一規準とした価値判断によって見失われるもの、たとえば、個々人のかけがえのなさ、学びの喜びといったものに、私たちはもっと眼をこらす必要があるように思う。

本論文の独自性

本書の学術的な独自性は、以下の四点にまとめられる。

第一に、人格形成概念の由来を教育思想史的に解明している点である。すなわち、多彩な一次史料にもとづいて、アメリカにおける人格形成概念が、18世紀半ばに移入されたスコットランド道徳哲学の道徳的センス概念に由来することを、すくなくとも日本において、はじめて明らかにしていることである。

第二に、人格形成概念と近代統治論との関連を明示している点である。すなわち、革命期のアメリカにおいて、人格形成としての教育概念が、近代的統治論の政治プログラムの一つとして位置づけられたことを明らかにしていることであり、また、この政治プログラムがリベラル・プロテスタンティズムにささえられたコモンスクール運動によって具現化されていったことを明らかにしていることである。

第三に、人格形成概念の歴史的な意味変容を確認している点である。すなわち、有用性を指向する市場革命のみならず、競争を指向する学校諸装置(試験・教科書・クラス)の拡がりによって、初期の人格形成概念をささえていた内在的神性という概念がしだいに喪われていったことを指摘していることである。

第四に、人格形成概念の意味変容と社会構造の変容とを具体的に関連づけている点である。すなわち、市場の有用性指向、学校の競争指向の背後に、位階的分化から機能的分化へという社会構造の変容を見いだし、この社会構造の変容のなかで、人格形成の営みが教育の機能システムの営みに還元されていったことを描写していることである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、18世紀半ばから19世紀半ばのアメリカにおいて「人格形成(character formation)」の概念が教育の主導的概念として成立し定着した過程を、同時代の道徳哲学、政治思想、宗教思想の展開を踏まえて探究している。アメリカの近代公教育における「人格形成」の概念の歴史を主題とする本論文は、この概念が子どもの自然本性の道徳的可塑性を主張したスコットランド道徳哲学に由来することを論証するとともに、革命期の共和主義論争の中でこの概念が登場し、南北戦争前後のコモンスクール運動においてリベラル・プロテスタンティズムによって教育概念として確立し定着したことを実証している。

本論文は、序章において「人格(character)」を「性格」という心理学概念ではなく「人格」という教育概念に定位した歴史的経緯を哲学的に検証したうえで、第一章でフランクリンの思想を考察し、彼の「ハビトゥスのヴァーチュ」(習慣行動の道徳的価値)が「人格」としての内面性を含んでいなかったと指摘する。そして第二章で18世紀後半にスコットランド道徳哲学を導入したウィザースプーンによって「内在的神性」(道徳センス)を教育する意味で「人格形成」の概念が成立し、公教育思想の基礎が形成されたと論述される。

第三章では19世紀初期の共和主義者、ラッシュ、ジェファーソン、ウェブスターらの「人格形成」の概念が検討され、彼らの教育論もスコットランド道徳哲学の影響のもとに展開し、この概念が政治的統治の思想と結合した様態が描出される。そして南北戦争前後のコモンスクール運動における「改革者」の思想を考察した第四章において、「人格形成」の概念がリベラル・プロテスタンティズムによって人間の内面の道徳形成という宗教運動に支えられて普及した展開が提示される。

さらに第5章において本論文は、19世紀半ばの試験、教科書、クラスによる業績と競争等の学校の制度化が「人格形成」の概念に及ぼした影響を考察し、この概念が保持していた道徳の基礎としての内面の「神性」が次第に失われ、「競争」や「成功」などの世俗的価値を意味内容とするものへと変貌した歴史が叙述される。

本論文の考察を総括した終章ではアメリカ公教育制度の思想的基盤を問い、市場経済の発展による「位階的分化」から「機能的分化」への社会構造の移行が、有用性規範を強化し「人格形成」概念の世俗化に拍車をかけたと結ばれている。

本論文は、アメリカ革命前後から南北戦争期にいたる教育論において「人格形成」の概念が中心論題であったことを提示した点、その「人格形成」概念がスコットランド道徳哲学の「道徳センス」に由来していることを多くの文献を渉猟し論証した点、「人格形成」概念が共和主義論争において政治統治の概念と結合し、リベラル・プロテスタンティズムに支えられて「内面の神性」を含意していたこと、さらに公教育の制度化においてその「神性」が次第に失われ世俗的価値に置き換えられたことなどを解明した点において、独創的な知見を提供し、アメリカ教育思想の歴史研究に多大な貢献を行っている。よって、本論文は、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達していると評価された。

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