学位論文要旨



No 216817
著者(漢字) 佐々木,美奈子
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ミナコ
標題(和) 職務エンパワメントがインシデントからの組織学習を支える態度・行動に与える影響
標題(洋)
報告番号 216817
報告番号 乙16817
学位授与日 2007.07.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第16817号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 准教授 山崎,喜比古
内容要旨 要旨を表示する

医療において安全は最重要課題となっており、安全を守るためにはミスやニアミス(インシデント)から組織として学んでいく必要がある。しかし、他人の評価を気にして報告することを避けがちであること、時間内に仕事を終わらせることを優先するためとりあえず問題をすり抜けることなどが報告されており、インシデントを共有し、そこから学ぶためには、問題を表面化することに価値を置く風土を醸成する必要がある。職務における構造的なエンパワメントが充実することにより、組織の中の自分の位置づけが把握でき、組織の意思決定に参画できることが、インシデントからの学習を支える態度・行動に影響することが予測されるが、職務条件や組織風土が患者の安全に及ぼす影響については、はっきりとした結論が出ていない。また、直属の上司のサポートの重要性は指摘されているが、上司のパワーの影響については報告されていない。一方、Kanterの職務エンパワメント理論に基づき、職務におけるエンパワメントを測定する尺度が、laschingerらにより開発され、信頼性・妥当性が検証されている。そこで、本研究では、日本語版職務エンパワメント尺度を作成し、看護師長のパワー、看護師長のリーダーシップが職務エンパワメントに与える影響、および、職務エンパワメントがインシデントからの組織学習を支える態度・行動に与える影響を検証することを目的とした。

【方法】

5病院で働く看護師を対象とした自記式質問紙調査を実施した。職務エンパワメント尺度は、Laschingerらの職務エンパワメント尺度(CWEQ I)を翻訳使用した。インシデントからの組織学習を支える態度・行動は、「失敗の特定につながる行動」「分析・話し合いにつながる行動」「葛藤が生産的に解消していることを示す行動」の3つの行動について具体的に考えられる行動を列挙し、アイテムプールを作成した上で項目の選択を行った。

日本語版職務エンパワメント尺度、師長のリーダーシップ、師長のパワー尺度の信頼性・妥当性を検証し、職務エンパワメント尺度の得点を、北米での研究で報告されている値とt検定により比較した。また、師長のパワー、師長のリーダーシップを追加した職務エンパワメントモデルを共分散構造分析により検証した。

インシデントからの組織学習を支える態度・行動の下位尺度を作成し、信頼性・妥当性を検証した上で、仮説に基づくモデルについて、共分散構造方程式モデルを用いて検討した。また、属性が職務エンパワメント尺度、インシデントからの組織学習を支える態度・行動に与える影響を検討し、有意な影響を与える属性については、属性のカテゴリで群に分け、モデルの適合性について検証した。

【結果】

1.職務エンパワメント尺度の信頼性・妥当性の検証と職務エンパワメントモデルの検証5病院1511名の看護i師に調査票を配布し、1145名から回答を得た(回収率76%)。回答者の98%は女性、看護資格では准看護師が5.5%、平均年齢は34.1±9.7才であった。

CWEQ I の「機会」、「支援」、「情報」、「資源」の4つの下位尺度のCronbachα係数は0.75~0.90、短縮版にあわせた項目でのα係数は、0.74~0.84であり、また、両尺度とも全体的職務エンパワメントおよび職業性ストレス尺度との相関では、想定どおりの関連がみられた。しかし、一部に偏りが大きな項目があり、因子分析の結果では「資源」の項目はまとまりのある因子とならなかった。職務エンパワメントモデルを用い検証的因子分析を行った結果、オリジナル尺度では良好な適合度が得られなかったが、短縮版尺度では、AGFI=0.90、CFI=0.93と良好な適合度が得られた。北米における職務エンパワメント尺度を用いた先行研究と今回得られた尺度得点との比較では、「機会」が低く、「支援」が高い傾向がみられた。

師長のパワー・師長のリーダーシップ尺度について、探索的因子分析を行って尺度を選定したところ、信頼性が確認され、検証的因子分析においても良好な適合度が得られた。短縮版の職務エンパワメント尺度を用い、師長のパワー、師長のリーダーシップを追加した職務エンパワメントモデルの検証を行った結果、師長のパワーがリーダーシップに影響し、師長のパワー、リーダーシップそれぞれが職務エンパワメントに影響を与えるモデルで良好な適合度(AGFI=0.90、CFI=0.95)が得られた。師長のパワーから師長のリーダーシップへのパス係数は0.73、師長のリーダーシップから職務エンパワメントのパス係数は0.42、師長のパワーから職務エンパワメントへのパス係数は0.14であった。

2.インシデントからの組織学習を支える態度・行動尺度の作成とモデルの検証

5病院のうち1病院を予備解析に使用したため、残り4病院1099名のデータを解析対象とした。インシデントからの組織学習を支える態度・行動についての項目は、回答に偏りが見られた項目を除き因子分析を実施し、「不安全行動に対する声かけ・確認」「問題把握への取り組み」「職場内での安全についての話し合い」の3つの尺度を作成し、信頼性・妥当性を確認した。

次に、「師長のパワー」が「師長のリーダーシップ」に影響を与え、それが「機会」、「支援」、「情報」、「資源」の4つの下位概念で構成される「職務エンパワメント」に影響を与え、その「職務エンパワメント」が、「インシデントからの組織学習」を支える態度・行動である「問題把握への取り組み」「安全についての話し合い」「不安全行動に対する声かけ・確認」に影響を与えるというモデルの検証を行った結果、十分な適合度(AGFI=0.88、CFI=0.94、RMSEA=0.052)が得られ、「職務エンパワメント」から「問題把握への取り組み」「安全についての話し合い」「不安全行動に対する声かけ・確認」の各因子に対するパス係数は、順に0.43、0.60、0.36であった。また、インシデントからの組織学習の3つの因子間に関連を設定したモデルにおいても良好な適合度(AGFI=0.89、CFI=0.94、RMSEA=0.049)が得られ、「師長のパワー」→「師長のリーダーシップ」→「職務エンパワメント」→「安全についての話し合い」→「問題把握への取り組み」→「不安全行動に対する声かけ・確認」の尺度間のパス係数は、順に、0.72、0.46、0.53、0.74、0.71であり、全て有意(p<0.01)であった。「師長のパワー」から「職務エンパワメント」へのパス係数は0.16であり、有意ではなかった。経験年数区分および病院区分でグループ化し、それぞれ層別のモデル解析を行った結果、良好な適合度が得られ、全ての群において想定したモデルの関連は有意となった。

【考察】

「師長のパワー」→「師長のリーダーシップ」→「職務エンパワメント」というモデルにおいて良好な適合度が得られ、病院上層部とのアクセスが確保されていることが、師長の病棟での明確な目標設定・コーチングを強め、看護師への職務エンパワメントを増加することが確認された。そして、看護師長のリーダーシップに支えられた職務エンパワメントにより、安全についての話し合いが増加し、それにより、問題把握への取り組みが増え、お互いに問題を指摘しあえる風土作りにつながっていた。各尺度は、病院、看護経験年数などと関連がみられたが、病院別・看護経験年数別のモデルにおいても良好な適合度と有意なパス係数が確認され、モデルの安定性が示された。病院の安全風土醸成においては、安全教育など安全に特化した取り組みに加え、職務全般のエンパワメントを行っていく必要がある。

日本語版職務エンパワメント尺度は、オリジナル版、短縮版共に、一定の信頼性・妥当性が示されたが、日本の看護職の職務エンパワメントの状況を適切に反映するためには改良が必要な尺度であると考えられる。また、日本の看護師の職務エンパワメントは、北米の看護師に比べ、支援が高く、機会が低い傾向がみられた。北米の病院では、病棟内の構造がフラット化され師長の数が減らされたこと、また、上級実践看護師(APN)の登用など専門職としての発展の機会が充実していることが、支援、機会の得点の違いに影響したと考えられる。

なお、本研究は比較的大きな病院の看護師を対象としており、中小の病院における職務エンパワメントの測定に適するかどうかは、検討を要する。また、個人の回答をもとに解析を行っているため、回答者の回答スタイルが解析結果に影響を及ぼす可能性は排除されていない.

【結論】

本研究は、師長のパワーが職務エンパワメントを醸成することにより安全態度・行動に影響を与えるという、カンターの理論から導かれる関連を、データにより初めて明らかにした。

病院上層部とのつながりの強い師長のもとで、職務エンパワメントを受けることは、職場における安全態度・行動を増加することが確認された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、日本語版職務エンパワメント尺度を作成し、看護師長のパワー、看護師長のリーダーシップが職務エンパワメントに与える影響、および、職務エンパワメントがインシデントからの組織学習を支える態度・行動に与える影響を検証することを目的としており、下記の結果を得ている。

1.カナダの研究者により作成された、「機会」、「支援」、「情報」、「資源」の4つの下位尺度で構成される看護師の職務エンパワメント尺度(CWEQ I)および看護師長のパワーを測定する尺度を、作者の許可を得た上で日本語に翻訳し、日本語版職務エンパワメント尺度、日本語版看護師長のパワー尺度を作成した。

2.5病院で働くスタッフ看護師1511名を対象として自記式質問紙調査を実施し、1145名(76%)から回答を得た。CWEQ Iの「機会」、「支援」、「情報」、「資源」の4つの下位尺度のCronbachα係数は0.75~0.90、短縮版にあわせた項目でのα係数は、0.74~0.84であった。しかし、一部に偏りが大きな項目があり、因子分析の結果では「資源」の項目はまとまりのある因子とならなかった。職務エンパワメントモデルを用い検証的因子分析を行った結果、オリジナル尺度では良好な適合度が得られなかったが、短縮版尺度では、AGFI=0.90、CFI=0.93と良好な適合度が得られた。日本語版職務エンパワメント尺度は、オリジナル版、短縮版共に、一定の信頼性・妥当性が示されたが、日本の看護職の職務エンパワメントの状況を適切に反映するためには改良が必要な尺度であると考えられる。

3.2と同じデータを用いて、北米における職務エンパワメント尺度を用いた先行研究と尺度得点の比較を行った。t検定を用いて比較したところ、日本の看護師の職務エンパワメントは、「機会」が低く、「支援」が高い傾向がみられた。北米の病院では、病棟内の構造がフラット化され師長の数が減らされたこと、また、上級実践看護師(APN)の登用など専門職としての発展の機会が充実していることが、支援、機会の得点の違いに影響したと考えられる。

4.2と同じデータを用いて、師長のパワー・師長のリーダーシップ尺度について、探索的因子分析を行って尺度を選定したところ、信頼性が確認され、検証的因子分析においても良好な適合度が得られた。短縮版の職務エンパワメント尺度を用い、師長のパワー、師長のリーダーシップを追加した職務エンパワメントモデルの検証を行った結果、「師長のパワー」→「師長のリーダーシップ」→「職務エンパワメント」というモデルにおいて良好な適合度が得られ、病院上層部とのアクセスが確保されていることが、師長の病棟での明確な目標設定・コーチングを強め、看護師への職務エンパワメントを増加することが確認された。

5.2のデータのうち、1病院を予備解析に使用し、残り4病院1099名のデータを解析対象として、インシデントからの組織学習を支える態度・行動尺度の作成を行った。インシデントからの組織学習を支える態度・行動についての項目は、回答に偏りが見られた項目を除き因子分析を実施し、「不安全行動に対する声かけ・確認」「問題把握への取り組み」「職場内での安全についての話し合い」の3つの尺度を作成し、信頼性・妥当性が確認された。

6.5と同じデータを用い、「師長のパワー」が「師長のリーダーシップ」に影響を与え、それが「機会」、「支援」、「情報」、「資源」の4つの下位概念で構成される「職務エンパワメント」に影響を与え、その「職務エンパワメント」が、「インシデントからの組織学習を支える態度・行動」である「問題把握への取り組み」「安全についての話し合い」「不安全行動に対する声かけ・確認」に影響を与えるというモデルの検証を行った。十分な適合度(AGFI=0.88、CFI=0.94、RMSEA=0.052)が得られ、「職務エンパワメント」から「問題把握への取り組み」「安全についての話し合い」「不安全行動に対する声かけ・確認」の各因子に対するパス係数は、順に0.43、0.60、0.36であり、職務エンパワメントがインシデントからの組織学習を支える態度・行動を醸成することが確認された。

7.インシデントからの組織学習の3つの因子間に関連を設定したモデルの検証を行った。良好な適合度(AGFI=0.89、CFI=0.94、RMSEA=0。049)が得られ、「師長のパワー」→「師長のリーダーシップ」→「職務エンパワメント」→「安全についての話し合い」→「問題把握への取り組み」→「不安全行動に対する声かけ・確認」の尺度間のパス係数は、順に、0.72、O.46、0.53、0.74、0.71であり、全て有意(p<0.01)であった。また、経験年数区分および病院区分でグループ化し、それぞれ層別のモデル解析を行った結果、良好な適合度が得られ、全ての群において想定したモデルの関連は有意となった。看護師長のリーダーシップに支えられた職務エンパワメントにより、安全についての話し合いが増加し、それにより、問題把握への取り組みが増え、お互いに問題を指摘しあえる風土作りにつながっていた。病院の安全風土醸成においては、安全教育など安全に特化した取り組みに加え、職務全般のエンパワメントを行っていく必要性が示唆された。

以上、本研究は、日本語版職務エンパワメント尺度、および、インシデントからの組織学習を支える態度・行動尺度を作成した上で、職務エンパワメントがインシデントからの組織学習を支える態度・行動に与える影響、看護師長のリーダーシップが職務エンパワメントに与える影響を明らかにした。本研究は、師長のパワーが職務エンパワメントを醸成することにより安全態度・行動に影響を与えるという、カンターの理論から導かれる関連を、データにより初めて検証した。本研究は、病棟の安全管理の向上に寄与する知見を示しており、学位の授与に値すると考えられる。

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