学位論文要旨



No 216819
著者(漢字) 百村,帝彦
著者(英字)
著者(カナ) ヒャクムラ,キミヒコ
標題(和) 地方農林行政の目こぼしが地域住民の森林管理に与える影響 : ラオスの保護地域の森林管理を事例に
標題(洋)
報告番号 216819
報告番号 乙16819
学位授与日 2007.09.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16819号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 教授 黒倉,壽
 明治学院大学 教授 磯崎,博司
 京都大学 教授 河野,泰之
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、ラオスの地方農林行政による保護地域管理関連政策の不履行が、地域住民の森林管理に及ぼす影響について検討することを目的としている。

序章(背景・課題・目的):アジア諸国での地域住民に配慮した政策の欠如、保護地域管理政策の課題、地域住民の生計の糧としての二次林の位置づけについて述べた上で、・保護地域管理政策の理念と運用の過程でみられたギャップを明らかにし、その検討を試み、・調査対象村の地域住民による森林資源や土地の利用の実態を明らかにし、・地域住民および地方行政が考える森林管理をめぐる課題について検討をおこなうこととした。

第1章(研究方法):森林政策の理念と実態のズレの検討に適切と考えられる「Slippage論」、「途上国の現地行政論」、「社会主義国の二重従属論」、「日常の抵抗論」、地域住民による森林資源や土地利用の検討に適切と考えられる「二次林論」、森林管理をめぐる顕在および潜在的課題の検討に適切と考えられる「社会関係資本」といった既存の学問体系を整理、批判的に検討したうえで研究の仮説を立てた。また、研究の手法と調査方法を示した。

以下に4つの研究の仮説を示す。・ラオスの地方農林行政による施策実施に業務不履行があるが、その中に地域住民の生計を維持するために、地方行政が目こぼしをしてきた業務不履行が含まれている。・地域住民が生計確保のため森林管理の規則を遵守せず、非木材森林産物(NTFP)採取や焼畑を継続するという日常の抵抗をおこなっている。・地域住民は焼畑地や二次林とその資源を利用することで、生計に寄与している。そして二次林利用が、保護地域への過度な資源の圧力を防ぐというバッファーゾーンとしての役割を持っている。・地方農林行政による目こぼしと地域住民による日常の抵抗によって、二次林の利用が厳格に禁止されず、地域住民と地方行政との紛争が未然に防がれ、また保護地域のバッファーとして役立っている。そして地方行政と地域住民との社会関係資本が強化されることによって、より効果的な森林管理が促進される。

研究方法は、文献調査とラオスでの現地調査である。現地調査は、1999年7月から2004年2月までの間に10回のフィールド調査、聞取り調査、文献収集をおこなった。首都ビエンチャンでは農林省関連部局で、サワンナケート県では県の農林関連部局で、郡レベルでは郡農林事務所にて、聞き取り調査と文献収集をおこなった。また調査対象村落にて社会経済調査を行うとともに、参与観察をおこなった。

第2章(ラオスの森林政策と林野構造):林野行政構造として、中央、県、郡の農林行政の構造を把握し、末端の農林専門機関である郡農林事務所を取り巻く関係について、中央の専門機関と地方の行政機関の双方に属する二重の従属構造を示し、末端林野行政が必ずしも中央政府の意向をくんだ政策実施を行わないことを示した。

また、ラオスにおける保護地域管理政策の概要を示し、法制度に含まれている問題点を抽出した。保護地域設定の明確な基準が示されておらず、何を「保護」するのかが明確でない。また、保護地域内の森林産物の利用を厳しく制限する一方で、住民に対する権利についての保証がない。保護地域を厳正保護地区と利用地区に区分したが、その基準が明確ではない。またゾーニングの構想が末端の現地行政まで十分にいきわたっておらず、ほとんどの保護地域ではいまだに領域を厳正保護地域として取り扱っている、などである。

第3章(調査地の概要):サワンナケート県はラオスでも有数の米の産地であるが、山地や周辺の丘陵地は米不足が起こりやすく、多くの貧困層の村が存在している。プー・サンヘー保護地域周辺では、中地ラオ族、中でもブル族が多く居住している。そこで調査対象村落を、ブル族が居住し、保護地域と村の領域が重なった村落とし、3つの対象村落の概要について示した。

第4章(森林関連事業の理念とズレの実態):調査対象村で実施された保護地域管理政策において、事業の理念と運用の過程でみられたギャップを明らかにし、その検討を試みた。具体的には、・情報の伝達、・農地分配、・土地森林類型と規則、・焼畑地、・保護地域の存在、・住民参加型での計画策定、・隣接村との村界の事業、の7つの不履行および非遵守行為の内容の検討を試みた。・「行政から住民への情報伝達」は、中央政府からの政策普及についての指導がなく、「機能しない仕組み」であり、「中央に起因した地方行政の不履行」と言える。・「個人への農地分配」は、援助機関からの経済的援助と十分な日程がなければ、事業が実施は出来ず「機能しない仕組み」、その実施内容も地方行政の能力を超えた業務「能力の不足」であり、「中央行政に起因した地方行政の不履行」といえる。・「土地森林類型と利用規則の非遵守」では、現実の土地森林利用と事業による土地利用図との乖離は大きく、地域住民側も遵守はできない「日常の抵抗」。このため地域住民による規則不履行が起こる「当事者の非遵守」。また地方行政側は、これを厳しく取り締まることもなく「意思の欠如」、事実上目こぼしをおこなっている「地方行政の判断」。・「焼畑の目こぼし」と・「保護地域内の違法行為」では、地域住民は生活のために継続せざるをえず「日常の抵抗」をおこなっており、「当事者による非遵守」である。地方行政側は、これを黙認し取り締まることはない「地方行政の判断」であり、積極的に取り締まる姿勢は見せなかった「意思の欠如」。・「住民参加による計画作成」は、援助の入った村落以外は実施されておらず、「郡農林職員の不履行事項」と解釈し、地方行政の能力や機材不足より「能力の不足」であった。また、業務が実施できないのは、郡レベルの行政の実情を把握していない「中央に起因した地方行政の不履行」といえる。

第5章(地域住民による森林資源の利用と土地森林の利用):調査対象村の地域住民による森林資源や土地の利用について、その実態を明らかにした。

N村の事例では、保護地域への現金収入の依存度はNTFPの採取であり、全森林の40-60%ほどある。採取するNTFPは樹脂や果実であり、木材を伐採するものではない。村内の住居用の建材として保護地域から樹木が採取されることがあるが、販売用伐採は禁止されており、その圧力も限定的である。また、日常的に利用するNTFPは村落周辺や近隣の二次林や農地周辺に強く依存しており、これが保護地域への資源の圧迫を弱めてくれている。

一方K村では、焼畑休止から長期間経過して植生が擬似一次林へと回復したものは、焼畑放棄地とみなされ、慣習的土地利用権がなくなる。つまり焼畑は、二次林の休閑林のみを伐開しているおり、密林となったものは利用していない。またK村では、政府の焼畑の禁止政策という外的要因だけではなく、水田耕作への憧憬という内的要因より、多くの地域住民が水田の所有を望んでいた。90%もの世帯が水田を持ち、60%の世帯が焼畑を破棄しており、水田への想いが強かったといえる。

第6章(森林管理をめぐる顕在および潜在的課題):地域住民および地方行政が考える森林管理をめぐる課題について検討を行った。具体的には、調査対象村と地方農林行政機関でおこなった聞き取りをもとに取り上げたよい事例と問題点を取り上げ、それぞれ顕在的な課題と潜在的な課題とに分け、分析をおこなった。

もっとも大きな問題点は、人間関係における課題であった。地域住民間の経済格差によるギャップ、地方行政官による地域住民との民族の出自の相違による相互理解の困難さが挙げられた。保護地域設定による資源利用の制限も課題として挙げられているが、地方行政官によって厳格な法制度実施がなされていないため、これは潜在的な課題とされている。一方よい事例としては、地域住民の森林資源管理に持続可能なものが多く含まれている点であった。

第7章(結論):村落レベルでの森林管理をみると、地域住民による森林管理にはさまざまな持続的な森林管理システムが見られた。地域住民によるNTFPの採取は、日常的に利用するものは村落周辺の二次林や農地で採取しており、二次林の存在は保護地域に対するバッファーゾーンとして積極的に評価をすることができる。

近年では、焼畑抑止政策などの外的な要因だけではなく、住民自身の意識の変革など内的な要因とあいまって水田化が進み、焼畑面積はさらに減っている。また地域住民の慣習から、焼畑は二次林を切り払って行うことになる。すなわち、密林を伐採する慣習もないので、焼畑を継続したとしても、保護地域への圧力は、ほとんどないといえる。

地方行政も、焼畑面積も限られ、密林を伐採していないことを理解しており、無理に取り締まるほどのものではないと認識している。また、保護地域への資源利用、NTFP採取に関しても、目こぼし(Slippage)されている。地方行政の目こぼしが、地域住民との紛争を回避している。中央政策として、焼畑を認めていない以上、現地行政レベルの認識として今後も黙認の判断がなされることが現実的であろう。

地方行政の業務不履行は、単に怠惰だとか能力不足だけで否定的に見られがちであった。しかし地方行政が、なぜ業務を実施ができなかったのかを検討しなければ、失敗した理由を明確に示すことはできない。

森林管理に関わる課題では、社会関係資本の問題が重要である。森林管理制度を運用するのは地方行政であり、受益するのは地域住民である。彼らの相互関係が、森林管理に大きな影響を与える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ラオスの地方農林行政による保護地域管理政策と地域住民との関係についてフィールドワークで収集した情報に基づいて論じた実証研究である。

序章では、アジアにおける地域住民に配慮した政策の欠如、保護地域管理政策の課題、地域住民の生計の糧としての二次林の位置づけ、等について整理した。そして、(1)保護地域管理政策の理念と運用のギャップを検討し、(2)地域住民による森林資源と土地の利用実態を明らかにし、(3)それらの知見に基づき、地方行政による政策の不履行が地域住民の森林管理に及ぼす影響について検討すること、を研究課題として設定した。

第1章では、森林政策の理念と実態のズレを検討する「Slippage論」、「途上国の現地行政論」、「社会主義国の二重従属論」、「日常の抵抗論」、地域住民による森林資源利用を検討する「二次林論」、森林管理のアクター間の課題を検討する「社会関係資本論」といった既存の学問を整理・検討した上で、以下の仮説を立てた。・ラオスの地方農林行政による業務不履行に、地域住民の生計を維持するための「目こぼし」が含まれている。・地域住民が生計確保のため規則を遵守せず、日常の抵抗をおこなっている。・地域住民は焼畑地や二次林を利用することで生計をたてており、二次林利用が保護地域のバッファーゾーンとしての役割を持っている。・地方農林行政による目こぼしと地域住民による日常の抵抗によって、二次林利用が厳格に禁止されず、両者の紛争が未然に防がれ、また保護地域のバッファーとして役立っている。これらの仮説を検証するため、文献調査、およびラオスのビエンチャン、サワンナケート県での各アクターによる聞き取り調査、そして対象村落での参与観察を実施した。

第2章では、ラオスの農林行政の構造、末端農林行政による二重の従属構造を示し、末端林野行政が中央政府の意向をくんだ政策を実施していないことを示した。また、ラオスにおける保護地域管理政策の概要を示し、法制度に含まれている問題点を抽出した。第3章では、調査対象地であるサワンナケート県、プー・サンヘー保護地域、調査対象村落の概要について示した。

第4章では、調査対象村での保護地域管理政策の理念と運用の過程でみられたギャップを明らかにし、その検討を試みた。「行政から住民への情報伝達」は、中央政府からの普及についての指導がない「機能しない仕組み」であり、「中央に起因した地方行政の不履行」と言える。「個人への農地分配」、「住民参加による計画作成」、「隣接村との村界」はいずれも、援助機関からの支援がなければ実施できないため、「能力の不足」といえ、また「中央行政に起因した地方行政の不履行」といえる。「土地森林類型と利用規則の非遵守」、「焼畑の目こぼし」、「保護地域内の違法行為」は、生活のために違法行為をせざるをえない地域住民による「日常の抵抗」すなわち「当事者による非遵守」といえる。一方、行政側は「地方行政の判断」で黙認し、積極的に取り締まらない「意思の欠如」があったことを示した。

第5章では、調査対象村の地域住民による森林資源や土地利用について、その実態を明らかにした。N村では、保護地域で非木材森林産物の採取をおこなっているが、資源に大きな圧力を与えるものではない。K村では、焼畑は休閑林のみを伐開しており密林は利用していない。同時に、外的・内的要因より、多くの人々が焼畑から水田への転換を行っていることを実証した。

第6章では、地域住民および地方行政それぞれが認識する森林管理の課題の検討を行うため、聞き取りをもとによい事例と問題点を取り上げ、分析をおこなった。最大の問題点は人間関係、すなわち地域住民間・地方行政間・地域住民と地方行政間それぞれにおける相互不理解であった。保護地域設定による資源利用の制限は、潜在的問題にとどまっている。よい事例では、地域住民の森林資源管理に持続可能な仕組みが多く含まれている点が明らかにされた。

第7章では結論として、先に示した作業仮説が検証されて微修正された。また地方行政による政策実施よりslippageの類型化をおこない、住民に不利益を与える政策を実施しないというslippageがおこった場合に、「目こぼし」があることが明らかにされた。そして、政府が焼畑を認めない政策をとっている以上、現地行政レベルの認識として今後も黙認の判断がなされることが現実的であること、また地方行政と地域住民の相互関係を含む社会関係資本の構築の必要性が指摘された。

以上のように、本論文は、これまで研究成果がほとんどなかったラオスの保護地域管理政策と地域住民との関係について、地道なフィールドワークで収集した情報に基づいて明らかにしており、学術上および政策実践上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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