学位論文要旨



No 216835
著者(漢字) 陳,玉彦
著者(英字)
著者(カナ) チン,ユーヤン
標題(和) 小児悪性腫瘍におけるMET遺伝子およびPTPN11遺伝子の解析
標題(洋) Analyses of the MET and PTPN11 Genes in Pediatric Malignancies
報告番号 216835
報告番号 乙16835
学位授与日 2007.09.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16835号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 教授 矢富,裕
 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 准教授 辻浩,一郎
 東京大学 講師 八杉,利治
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

個体の発生や組織臓器形成の調節、細胞の増殖分化や細胞分裂の制御のためには、細胞内外において複雑なシグナル伝達が必要である。これまでにシグナル伝達にチロシンリン酸化反応が重要であることが明らかにされてきた。蛋白質のチロシンリン酸化は、チロシンリン酸化酵素(キナ-ゼ)とチロシン脱リン酸化酵素(フォスファタ-ゼ)で調節される。チロシンキナ-ゼは受容体型と非受容体型に分類され、受容体型チロシンキナ-ゼ(RTK: receptor protein tyrosine kinase)の多くは、細胞外からの増殖シグナルや分化シグナルに関するリガンドを介して活性化され、標的蛋白質のチロシン残基を特異的にリン酸化し、様々の細胞内シグナル伝達分子へと情報を伝える。チロシンキナ-ゼの活性化は白血病、肺がんなど多くの癌腫の発癌過程で重要な役割を果たしている。チロシンフォスファタ-ゼ(PTP: protein tyrosine phosphatase)ファミリ-はこれまでに約90のメンバ-が報告されており、クラシックPTPsも受容体型と非受容体型に分類され、このうちシグナルを正や負に制御する遺伝子も報告されている。以上より、チロシンリン酸化酵素とチロシン脱リン酸化酵素は共に様々な腫瘍の発生や進展に重要な役割を演じている事が推測されている。

横紋筋肉腫(rhabdomyosarcoma: RMS)は小児軟部腫瘍の中で最も頻度が高く、組織学的には胎児型(embryonal type; ERMS)と胞巣型(alveolar type; ARMS)に大別される。近年の集学的治療によりERMSの治療成績は改善されてきたが、ARMSは他の小児固形腫瘍と比べても依然として極めて予後不良である。ARMSに特徴的な遺伝子異常としてPAX3-FKHRとPAX7-FKHR融合遺伝子が知られているが、これ以外にCDKN2A (p16、p14)遺伝子の変異やMET遺伝子の高発現も報告されている。METはRTKに属し、hepatocyte growth factor/scatter factor (HGF/SF)の受容体である。HGF-METシグナルは再生、増殖、転移など様々な生理機能に関与している。HGF-METシグナルとp16、p14は、それぞれ筋肉の発育、細胞周期およびTP53依存性アポトーシスに関与することが判明している。p16は悪性黒色腫、膵臓癌、肺がんなど様々な癌で変異を起こしていることが報告されており、METも腎臓癌や肝癌など多くの癌で変異や高発現が検出されている。また、p16、p14の欠失とMETの高発現を同時に起こしているトランスジェニックマウスではRMSを高頻度に発症することが判明している。

PTPN11遺伝子はnon-receptor protein tyrosine phosphataseをコードし、2つのSrc homology-2 domain (SH2)とprotein tyrosine phosphatase domainを有する。PTPN11遺伝子は様々な組織の細胞質に発現し、サイトカイン、成長因子などによってRasなどを介し、細胞内シグナル伝達に関与する。PTPN11は当初Noonan症候群の原因遺伝子として報告され、さらに骨髄異形成症候群(MDS)、特に若年性骨髄単球性白血病(JMML)にもPTPN11の変異が認められた事から、白血病発症の原因遺伝子としても注目されている。また、Noonan症候群に発症するRMS、神経芽腫(NB)も報告されている。

私はチロシンキナーゼであるMET遺伝子およびチロシンフォスファタ-ゼであるPTPN11遺伝子の横紋筋肉腫の発症、進展における意義を検討した。また、コントロールとして、神経芽腫および小児造血器腫瘍におけるPTPN11遺伝子の変異の頻度も検索した。

材料

1. MET遺伝子の解析:RMSの細胞株7株および新鮮腫瘍32例

2. PTPN11遺伝子の解析: RMSの細胞株7株、新鮮腫瘍30例、NBの細胞株25株、新鮮腫瘍40例、 および白血病の細胞株95株(AML19株、CML5株、T-ALL14株、B-ALL12株、B-precursor ALL45株)、新鮮検体261例(AML85例、MDS17例、JMML22例、T-ALL5例、B-precursor ALL90例、乳児白血病42例)

方法

1. Real-time quantitative PCR(RQ-PCR)解析により、RMSの検体におけるMET、p16およびp14遺伝子それぞれの発現および相対DNA copy numberを定量した。

2. Western blot analysisおよび免疫沈降を行って、RMSの細胞株においてMETの蛋白発現およびリン酸化状態を解析した。

3. PCR-single-strand conformation polymorphism analysis(PCR-SSCP)法と直接塩基決定法を用いて、MET遺伝子の傍膜領域とtyrosine kinase domain(exon 14-21)およびCDKN2A、TP53遺伝子の全coding領域の変異の検索を行った。また、PTPN11遺伝子の全coding領域の変異を検索し、RMSの検体について、直接塩基決定法でNRAS、KRAS、HRAS遺伝子の変異の検索も行った。

4. RT-PCRを用いて、RMSの検体におけるPAX3-FKHRとPAX7-FKHR融合遺伝子の発現を検討した。

5. RMSの検体において、MET、p16およびp14の発現と臨床的因子の相関について統計的解析を行った(Mann-Whitney U test、Fisher's exact test、log-rank test)。

結果

RMSにおけるMET、p16/p14、TP53遺伝子の解析

1. RMSにおけるMET、p16、p14の発現および相対DNA copy number:METの発現はRMSの細胞株7株および新鮮腫瘍17例ですべて検出され、METの高発現(> mean value)は24検体中7検体で認められたが、ゲノムの増幅はみられなかった。p16の低発現または発現消失は24検体中11検体で検出され、p14の低発現または発現消失は24検体中10検体で検出された。細胞株3株および新鮮腫瘍2例でCDKN2AのDNA copy numberが半分以上に低下していた。MET の高発現を有する新鮮腫瘍2例でp16とp14の低発現または発現消失も同時に検出された。

2. RMSにおけるMETの蛋白発現およびリン酸化: RMSの細胞株7株ではMET の蛋白発現はmRNAの発現と一致した。蛋白の高発現が認められた4株のARMSのうち3株で自己リン酸化が検出された。

3. RMSにおけるMET、CDKN2A、TP53の変異:RMSの細胞株7株と新鮮腫瘍32例ではMETの変異が検出されなかった。ARMSの細胞株SJRH-18ではp16のコドン80にnonsense変異が検出された。この変異はp14ではPro135Leuのmissense変異に相当する。細胞株7株中5株および新鮮腫瘍17例中3例ではTP53の変異が検出された。

4. RMSにおける融合遺伝子の発現:ARMSの細胞株4株および新鮮腫瘍3例でPAX3-FKHR、ARMSの1例でPAX7-FKHRが検出された。PAX3-FKHRを有する細胞株4株のうち3株、新鮮腫瘍3例のうち2例でMETの高発現が検出された。

5. MET、p16/p14の発現量と臨床的因子の相関の解析:METの発現量は病期、融合遺伝子および予後と相関していた(P = 0.04; P = 0.04; P = 0.02; Mann-Whitney U test)。胞巣型および年長児(> 3y)のMET発現量が高い傾向がみられたが、有意差は認められなかった。p16とp14の発現量は3歳以下の症例に有意に低かったが、病期、病理像、予後などとの相関はみられなかった。

RMS、NBおよび造血器腫瘍におけるPTPN11、RAS遺伝子の解析

1. RMSにおけるPTPN11の変異:RMSにおいて37検体中1例の胎児型RMSでPTPN11の変異(A72T)が検出された。

2. RMSにおけるRASの変異:PTPN11の変異を有していない胎児型の細胞株1株および胎児型の新鮮腫瘍1例でNRASのmissense変異がみられ、NRASを活性化させる変異であった。

3. NBおよび造血器腫瘍におけるPTPN11の変異:NBの計65検体ではPTPN11の変異が検出されなかった。JMML22例中11例でPTPN11の変異がみられた。MDSでは17例中1例、AMLでは細胞株19株中2株、新鮮検体85例中1例、乳児白血病では42例中1例でPTPN11の変異が検出された。検出された変異はすべてmissenseで、N-SH2 domainのエクソン3のコドン60、61、72、76に集中した。また、B-precursor ALLにおいては90例中1例のt(1;19)転座を有するpre-B ALLで新たな変異(R152H)がみられた。この変異は180例の正常コントロールでは検出されなかった。

考察

RMSにおいてMET遺伝子のmRNAと蛋白の高発現が認められ、さらに高発現の検体でMET蛋白がリン酸化された事からMETのチロシンキナーゼ活性が恒常に高い事が示された。一方、p16とp14の発現低下または発現欠失が認められ、p16とp14の変異およびTP53の変異も検出され、さらに頻度は少ないものの、RMSの胎児型においてPTPN11および下流のNRASの変異も検出されたことから、これらの遺伝子が協同作用で一部のRMSの発生に関与する可能性が示唆された。また、METの発現量は予後と相関し、RMSの進展にも関与すると考えられる。METの特異的抑制剤の開発によって、難治性RMSの新たな治療法になる可能性も考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は腎臓癌、肺がん、白血病など多くの癌腫の発癌過程で重要な役割を果たしていると考えられるチロシンキナーゼであるMET遺伝子およびチロシンフォスファタ-ゼであるPTPN11遺伝子が小児軟部腫瘍の中で最も頻度の高い横紋筋肉腫(rhabdomyosarcoma: RMS)の発症、進展における意義を明らかにするため、これらの遺伝子および関連遺伝子CDKN2A (p16、p14)遺伝子、TP53遺伝子、RAS遺伝子が横紋筋肉腫における変異および発現の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. RMSにおけるMET、p16、p14の発現および相対的DNA copy number:real-time quantitative PCR(RQ-PCR)解析により、METの発現はRMSの細胞株7株および新鮮腫瘍17例ですべて検出され、METの高発現(> mean value)は24検体中7検体で認められたが、ゲノムの増幅はみられなかった。p16の低発現または発現消失は24検体中11検体で検出され、p14の低発現または発現消失は24検体中10検体で検出された。細胞株3株および新鮮腫瘍2例でCDKN2AのDNA copy numberが半分以上に低下していた。MET の高発現を有する新鮮腫瘍2例でp16とp14の低発現または発現消失も同時に検出された。

2. RMSにおけるMETの蛋白発現およびリン酸化: Western blot解析および免疫沈降を行った結果、RMSの細胞株7株ではMET の蛋白発現はmRNAの発現と一致した。蛋白の高発現が認められた4株のARMSのうち3株で自己リン酸化が検出された。

3. RMSにおけるMET、CDKN2A、TP53の変異:PCR-single-strand conformation polymorphism analysis(PCR-SSCP)法と直接塩基決定法を用いて、RMSの細胞株7株と新鮮腫瘍32例ではMETの変異が検出されなかった。ARMSの細胞株SJRH-18ではp16のコドン80にnonsense変異が検出された。この変異はp14ではPro135Leuのmissense変異に相当する。細胞株7株中5株および新鮮腫瘍17例中3例ではTP53の変異が検出された。

4. RMSにおける融合遺伝子の発現:RT-PCRにより、ARMSの細胞株4株および新鮮腫瘍3例でPAX3-FKHR、ARMSの1例でPAX7-FKHRが検出された。PAX3-FKHRを有する細胞株4株のうち3株、新鮮腫瘍3例のうち2例でMETの高発現が検出された。

5. MET、p16/p14の発現量と臨床的因子の相関の解析:METの発現量は病期、融合遺伝子および予後と相関していた(P = 0.04; P = 0.04; P = 0.02; Mann-Whitney U test)。胞巣型および年長児(> 3y)のMET発現量が高い傾向がみられたが、有意差は認められなかった。p16とp14の発現量は3歳以下の症例に有意に低かったが、病期、病理像、予後などとの相関はみられなかった。

6. RMSにおけるPTPN11の変異:RMSにおいて37検体中1例の胎児型RMSでPTPN11の変異(A72T)が検出された。

7. RMSにおけるRASの変異:PTPN11の変異を有していない胎児型の細胞株1株および胎児型の新鮮腫瘍1例でNRASのmissense変異がみられ、NRASを活性化させる変異であった。

以上、本論文は横紋筋肉腫においてチロシンキナーゼであるMET遺伝子、またはチロシンフォスファタ-ゼであるPTPN11遺伝子が一部のRMSの発生に関与する可能性を示した。さらに、MET遺伝子はRMSの進展にも関与することを明らかにした。本研究はこれらの遺伝子が横紋筋肉腫の発症、進展における役割を解明し、難治性RMSの新たな治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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