学位論文要旨



No 216836
著者(漢字) 佐野,真幸
著者(英字)
著者(カナ) サノ,マサキ
標題(和) 新生児・乳幼児における中枢聴覚伝導路のMRI信号強度変化に関する研究 : 中枢精査目的で撮影された児192例の検討
標題(洋)
報告番号 216836
報告番号 乙16836
学位授与日 2007.09.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16836号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 准教授 百瀬,敏光
 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 准教授 川原,信隆
 東京大学 講師 朝蔭,孝宏
内容要旨 要旨を表示する

<研究の背景>

新生児・乳幼児の中枢聴覚伝導路の発達は聴覚機能との関連で臨床的に重要な研究分野である。中枢聴覚伝導路とは中耳を経由し内耳で分別変換された聴覚信号が蝸牛神経(第VIII神経)を経て蝸牛神経核、上オリーブ核、外側毛帯核、下丘、内側膝状体でそれぞれ信号処理され聴放線を経て聴皮質(Heschl gyrus)で知覚される経路である。更に左右聴皮質は脳梁線維(脳梁膨大部)で結合する。本研究はこの中枢聴覚伝導路について中枢精査目的で撮影された192例の新生児・乳幼児における脳MRI画像を対象として行った。MRIは一般臨床の場に普及し頭蓋内病変や中枢神経疾患に関する研究が数多くなされ臨床応用されている。中枢神経系の発達についても研究が行われ、現在では髄鞘化など神経系の発達で指標となる重要な要素がMRI信号強度の変化を見ることで評価が可能と考えられている。しかしながら聴覚に関する神経系の発達研究は乏しく中枢聴覚伝導路の信号強度が生後どのように変化していくのかこれまで報告したものはない。MRIは組織の構成成分の変化を信号強度の変化として検出することが可能であり、中枢聴覚伝導路についても他の神経系と同様に神経伝導路や神経核の発達が信号強度変化として反映されるものと考え本研究を考案した。中枢聴覚伝導路の研究はいまからおよそ80年前の1920年に胎児脳組織標本を用いたFleschigの研究により聴放線の髄鞘染色が行われ内側膝状体からの聴放線の走行と聴皮質(Heschl gyrus)の位置が同定されたことに始まり、以来詳細な組織標本研究(Yakovlev, Rorke and Riggs, Moore)が行われてきた。これらの組織研究では蝸牛神経核から聴皮質に至る中枢聴覚伝導路が髄鞘化により成熟していく過程が示され、後の聴覚発達に関する研究に多大な貢献をした。これらの組織研究によって示されてきた中枢聴覚伝導路の発達過程がMRIを用いてどのように表されるのか知るために中枢聴覚伝導路が発達過程にあると考えられる新生児・乳幼児期の脳MRI画像を用いて中枢聴覚伝導路のMRI信号強度変化を生後週数別に解析した。またその信号強度変化が中枢聴覚伝導路の発達を示すものか否か過去の組織研究と比較し検討することとした。図1はMRI画像(T2強調)における下丘の信号強度変化を示す。上段は組織研究における髄鞘染色の写真(黒点線枠が下丘)で下段がMRI画像である。下段のMRI画像で下丘に相当する部位(青点線枠)が発達に伴い低信号化していく過程が示される。

第1章(研究1)では脳幹聴覚伝導路である蝸牛神経核、上オリーブ核、外側毛帯、下丘についてMRI画像で各部位を同定し信号強度の変化時期を解析、組織研究と比較検討した。第2章(研究2)では大脳聴覚伝導路である内側膝状体と聴放線、および左右の聴皮質を結ぶ脳梁膨大部について同様に解析、比較検討した。また我々は先天性高度感音難聴条件下での脳幹・大脳聴覚伝導路の発達が健聴児群と比較し違いがあるのか否かMRIの信号強度を用いて調べることにした。この理由としてこれまで中枢神経系の画像研究は数多くなされてきているものの聴覚に関する研究は非常に乏しく、特に先天性高度感音難聴条件下での中枢聴覚伝導路の発達評価は全くされていない状況であること、また先天性高度感音難聴児に対する人工内耳手術件数が年々増加するに伴い難聴の早期発見が遅れ補聴下の教育が遅れた難聴児は聴覚ならびに言語の獲得が早期発見、早期補聴訓練を受けた児に比べ遅れることがわかってきたもののその原因が未だ不明であることがあげられる。我々は内耳・蝸牛神経に起因する先天性高度感音難聴により脳幹・大脳聴覚伝導路への音刺激が少なくなる結果、中枢聴覚伝導路の発達が健聴児に比べ遅れる可能性を考えた。この仮説を検討するため第3章(研究3)で先天性高度感音難聴を有し補聴器の装用効果が乏しく人工内耳埋め込み手術を行った児12例の脳幹・大脳聴覚伝導路のMRI信号強度を評価し研究1・2の群(健聴児群)と比較検討した。

<対象>

研究1,2では2001年から2005年の間、東京大学医学部附属病院で中枢精査目的で核磁気共鳴画像(MRI)を撮影された0歳から4歳児、修正生後週数-4週から224週(4歳6ヶ月)、192症例2688画像(男児98症例、女児94症例、平均生後週数8.7週、1症例につきT1強調・T2強調7画像ずつ計14画像を解析した。マイナス週数は早産児を示す)の脳MRI画像を対象とした。いずれも脳疾患が疑われ撮影された症例で髄鞘化異常を来たしている疾患、聴覚伝導路に器質的病変が認められる症例は除外している。また明らかな先天性難聴を指摘されている症例も除外した。研究3では2001年から2005年の間、東京大学医学部附属病院で先天性高度感音難聴を指摘され人工内耳手術試行目的で術前評価として撮影された症例のうち第1章、第2章の群と同年齢で比較可能(age matching)な224週以下の症例とし、脳幹から聴放線・脳梁膨大部まで中枢聴覚伝導路全体が撮影されているもの4例(男児2例、女児2例)、および脳幹レベルのみ撮影されているもの8例(男児4例、女児4例)で、年齢分布76週から216週(1歳7ヶ月~4歳6ヶ月)、計12例の脳MRI画像を対象とした。

<評価方法>

研究1では脳幹聴覚伝導路の4部位 蝸牛神経核、上オリーブ核、外側毛帯、下丘を検討した。研究2では大脳聴覚伝導路の3部位 内側膝状体、聴放線、脳梁膨大部を検討した。研究1・2ともにMRI画像上で各部位を同定し生後週数別に信号強度の変化を画像診断の定量的評価の手法である関心領域(ROI)法により解析した。ROI値の測定はCentricity Web-J (GE横河メディカルシステム)を用いた。T1強調画像では低信号から高信号への変化、T2強調画像では高信号から低信号への変化が観察され中枢聴覚伝導路の各評価部位とその周囲組織のROI値の差をとりコントラストを表す信号強度差率として数値化し、修正生後週数別に統計処理しその変化の推移をみた。研究3では先天性高度感音難聴児群について研究1・2と同様の手法で中枢聴覚伝導路各部位の信号強度差率を算出し、研究1・2の同週数・月齢児の信号強度差率と比較検討した。

<結果>

研究1・2の結果を図2に示す。中枢聴覚伝導路のMRI信号強度変化時期を組織標本研究で報告されている髄鞘染色の時期と比較すると脳幹聴覚伝導路では3ヶ月半~5ヶ月(11~19週)ほど遅れてMRI画像上に信号強度変化が反映されることが示された。大脳聴覚伝導路では組織標本研究と比較し1ヶ月~6ヶ月(3~24週)ほど遅れて反映されることが示された。研究3の先天性高度感音難聴児群では全症例において研究1・2の群との間で有意差は認められなかった。図3に月齢別の信号強度変化時期の模式図と先天性高度感音難聴児群の解析結果を示す。

<考察・まとめ>

白質伝導路(外側毛帯・聴放線・脳梁膨大部)の発達はこれまでの組織研究から神経線維の髄鞘化が重要な要素と考えられており、髄鞘化により髄鞘を構成する脂質タンパク層中の脂質の増加がT1強調像での高信号化、水分量の減少がT2強調像での低信号化として反映されることが報告されている。灰白質神経核(蝸牛神経核・上オリーブ核・下丘・内側膝状体)においても白質伝導路同様、髄鞘化による脂質タンパク層の脂質の増加がT1強調像の高信号化として、水分量の減少がT2強調像での低信号化として表されると考えられるが灰白質では髄鞘化と同時期にみられる組織変化としてグリア細胞やシナプスの増加と樹状突起形成があり、この変化により自由水、水分子の減少が一層著明となりT2強調での低信号化の一因となることが組織標本とMRI画像の対比研究から報告されており灰白質神経核のMRI信号強度変化には髄鞘化以外の要素も反映されているものと考えられる。研究1・2でMRI画像の信号強度変化が組織研究の髄鞘染色時期と比較して遅れる理由としてMRIも組織染色同様ミエリン鞘の構成成分の変化(脂質の増加および水分子の減少)を検出しているが、髄鞘化変化は突如として起こるものではなく徐々に起こるものでミエリン鞘構成成分の変化も徐々に変化していくためMRIで検出するには組織染色より多い十分な変化、すなわち脂質量の十分な増加と水分量の十分な減少が必要なためと考えられた。研究3では我々の考えた仮説には合致せず先天的に中枢への聴覚刺激に乏しい先天性高度感音難聴児においてもMRI信号強度で評価する限り中枢聴覚伝導路は正常発達している可能性が示され、中枢聴覚伝導路の発達・髄鞘化は外的聴覚刺激には依存しないものと考えられた。

我々は健聴児において中枢聴覚伝導路が生下時にはまだ完成しておらず年齢を経るなかで徐々に発達していく過程をMRI信号強度による定量的研究で明らかにした。MRI信号強度の変化は脳組織標本の髄鞘染色される時期と比較し1~6ヶ月(3~24週)遅れて現れた。これは組織学とは別のMRI画像による発達指標の必要性を示唆し、本研究結果はその指標になりうるものと思われる。本研究は新生児・乳幼児の中枢聴覚伝導路の発達をMRI信号強度で評価した初めての報告であり、先天性高度感音難聴条件下での中枢聴覚伝導路の発達をMRI信号強度を用いて評価、健聴児群と比較検討を行った初めての報告である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、新生児・乳幼児における中枢聴覚伝導路の発達および先天性高度感音難聴児における中枢聴覚伝導路の発達について、核磁気共鳴画像(MRI)の信号強度変化を用いてはじめて検討したものであり、下記結果を得ている。

1.中枢精査目的でMRIを撮影された0歳から4歳児の画像を解析し、中枢聴覚伝導路の信号強度が月齢とともに変化する過程を評価、標準モデルを作成した。新生児・乳幼児期における中枢聴覚伝導路のMRI信号強度変化の時期を組織標本研究で報告されている髄鞘染色の時期と比較すると脳幹聴覚伝導路では3ヶ月半~5ヶ月(11~19週)、大脳聴覚伝導路では組織標本研究と比較し1ヶ月~6ヶ月(3~24週)ほど遅れて反映されることが示された。

2.先天性高度感音難聴を指摘され人工内耳手術試行目的で術前評価としてMRIを撮影された児の画像を解析し、中枢聴覚伝導路の信号強度を健聴児群と同月齢、同年齢で比較し異常があるか検討を行ったところ、全症例において中枢聴覚伝導路の信号強度に異常は認められなかった。

以上、本論文は健聴児において中枢聴覚伝導路が生下時にはまだ完成しておらず年齢を経るなかで徐々に発達していく過程をMRI信号強度による定量的研究で明らかにした。MRI信号強度の変化は脳組織標本の髄鞘染色される時期と比較し遅れており、これは組織学とは別のMRI画像による発達指標の必要性を示唆し、本研究結果はその指標になりうるものと思われる。また先天性高度感音難聴児群の検討では先天性高度感音難聴が中枢聴覚伝導路の発達に影響を及ぼすという仮説には合致せず先天的に中枢への聴覚刺激に乏しい先天性高度感音難聴児においてもMRI信号強度で評価する限り中枢聴覚伝導路は正常発達している可能性が示され、中枢聴覚伝導路の発達は外的聴覚刺激には依存しないことを明らかにした。

MRIは一般臨床の場に普及し頭蓋内病変や中枢神経疾患に関する研究が数多くなされ臨床応用されている。中枢神経系の発達についても研究が行われ、現在では髄鞘化など神経系の発達で指標となる重要な要素がMRI信号強度の変化を見ることで評価が可能と考えられている。しかしながら聴覚に関する神経系の発達研究は乏しく中枢聴覚伝導路の信号強度が生後どのように変化していくのかこれまで報告したものはない。そのため、今後の中枢聴覚伝導路の発達研究のために、新生児・乳幼児期における中枢聴覚伝導路の経時的なMRI信号強度変化の標準モデルが求められていた。また先天性高度感音難聴児に対する人工内耳手術件数が年々増加するに伴い難聴の早期発見が遅れ補聴下の教育が遅れた難聴児は聴覚ならびに言語の獲得が早期発見、早期補聴訓練を受けた児に比べ遅れることがわかってきたもののその原因は未だ不明で、その原因の一つとして内耳・蝸牛神経に起因する先天性高度感音難聴により脳幹・大脳聴覚伝導路への音刺激が少なくなる結果、中枢聴覚伝導路の発達が健聴児に比べ遅れる可能性が考えられてきた。しかしながらこの仮説を検討するための手法はまだ確立されておらず非侵襲的に先天性高度感音難聴児の中枢聴覚伝導路の発達を評価する手法が求められてきた。このような背景のもと本研究は行われており、新生児・乳幼児の中枢聴覚伝導路の発達をMRI信号強度で評価した初めての報告である。また先天性高度感音難聴条件下での中枢聴覚伝導路の発達をMRI信号強度を用いて評価、健聴児群と比較検討を行った初めての報告でもある。MRI信号強度の経時的変化をみることで中枢聴覚伝導路の発達指標として用いることができ、今後の中枢聴覚伝導路の発達研究を行う上で重要な貢献をなすと考えられる。また先天性高度感音難聴児群の検討結果は難聴の早期発見がされなかった先天性高度感音難聴児の言語獲得が早期発見、早期補聴訓練を受けた児に比べ遅れる原因を研究するうえで重要な貢献をすると考えられる。以上の点から本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク