学位論文要旨



No 216838
著者(漢字) 山中,由里子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,ユリコ
標題(和) 寓意としてのアレクサンドロス : イスラーム古典期の信仰と歴史意識において
標題(洋)
報告番号 216838
報告番号 乙16838
学位授与日 2007.09.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16838号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 杉田,英明
 東京大学 教授 蔀,勇造
 東京大学 名誉教授 竹内,信夫
 東京外国語大学 教授 上岡,弘二
内容要旨 要旨を表示する

ギリシア世界にとって1世紀半も脅威であったアケメネス王朝を倒し、わずか10年強の間にアジアにおける覇権の構造を覆したマケドニアの青年王、アレクサンドロス。彼の遠征の衝撃はギリシアからインドまでの人々の記憶に深く刻まれた。ヘレニズムの潮が引き、西アジアにおいて新たな権力・文化・信仰の波が押しては引いてゆくなかでアレクサンドロスは、その時々の、その土地の思潮によって、英雄の如く讃えられ、神の如く敬われ、また悪魔の如く罵られた。アレクサンドロスをめぐる言説は、様々な歴史的コンテクストにおいて常に再生され続け、幾世代もの権力者、宗教家、思想家、詩人、作家たちにインスピレーションを与え続けたのであった。彼の強烈な個性と超人的な威力に、彼が征服した領土をさらに越えたほぼ地球全域の人々が、今なお惹きつけられ、そこに自らの信条、夢や野望、畏怖の念や権力意思を投影している。

アレクサンドロスの言動や性格については、大王の生前から既に流布していた様々な伝説的逸話があり、また彼の唐突な死に続く混乱期には諸々の派閥が私利を図り情報操作をした。現存する歴史資料には、最も信憑性が高いとされるアリアノスの『遠征記』から、一般に「ウルガタ」(俗伝)と呼ばれる伝奇的要素がより強い史料があるが、現代の歴史家たちはこれらの資料から政治的なプロパガンダや伝説の層を取り除いた「史実」を抽出しようとしてきた。本論はむしろ「虚構」の部分に注目し、人々がアレクサンドロスという人物に何を見出し、何を投影し、彼にまつわる言説をいかに操作してきたのかを解明する。

分析の対象とするのは、イスラーム古典期のアラビア語・ペルシア語で書かれた様々な分野のテクストである。「イスラーム古典期」とは、西暦7世紀にアラビア半島にイスラームが興り、その信徒たちが軍事的、政治的な勢力を持ち西アジアを制覇してから、アッバース朝が終にモンゴル軍の侵攻により1258年に滅亡するまでの6世紀ほどの間とする。

ギリシア・ローマ、エジプト、メソポタミアやペルシアにイスラーム以前から存在したアレクサンドロスに関する言説は語り継がれ、また翻訳されるなどして、その知識はイスラーム世界へと継承された。それらの言説は、現代の歴史家たちがより史実に近いと見做すアレクサンドロス伝ではなく、伝説的なアレクサンドロス伝であったが、その知識の主要な源泉は三つの系統に整理することができる。第1章では、歴史的事象と伝説の結びつきを示した上で、これらの伝説の形成と伝播の過程を追う。

第2章「預言者アレクサンドロス」では、まず『コーラン』に登場する二本角(ズ・ル=カルナイン)とアレクサンドロス伝承の関連を解く。ユダヤ教徒に神の国を地上にもたらすメシアとされ、キリスト教徒にはイエス・キリストの先駆者と見做されるといったように、先行する一神教によってすでに神聖視されたアレクサンドロスを、イスラーム教は自らの宗教の擁護者、布教者、預言者「二本角」として受け入れた。その受容の過程とイスラーム教独自の解釈を明らかにする。さらに宗教・神学関係の著作にだけでなく歴史書や叙事詩においても、二本角との関連において神聖視されたアレクサンドロスに焦点を当てる。

第3章「歴史の中のアレクサンドロス」では、それぞれの時代の歴史家たちがどの情報源を通してアレクサンドロスに関する知識を得たのか、彼らが古代史をどのように再構築し、そこにアレクサンドロスをどう位置づけたのか、という課題に迫る。イスラームの勃興から東方イスラーム世界にイラン系王朝が誕生するまでの歴史学の発展史を背景に、アレクサンドロスに関する歴史叙述を追うことによって、ムスリムの知識人たちがイスラーム以前の古代史をどのように認識していたのか、そしてその中でアレクサンドロスはどのような位置を占めていたのかということが解明される。

ムスリム知識人の信仰心と歴史意識におけるアレクサンドロスに論点を絞ったのは、宗教と歴史が政治権力と切っても切り離せない関係にあり、権力をめぐる言説においてこそ「アレクサンドロス」という記念碑的な存在の本質が最も顕著に現れ、そして効力を発することを論証することができると考えたからである。すでにイスラーム以前の文明や宗教が、共同体意識の高揚や教義の擁護のための強力な「駒」としてかかえてきたアレクサンドロスを、西アジアの新しい支配者となったムスリム共同体が、自らの存在意義の確立のためにいかに利用したか。本論が狙う所はそこにある。

イスラーム共同体の形成期に形作られた「二本角」のイメージは強烈な寓意、つまり歴史性をまったく排除した象徴としてのアレクサンドロスであるが、歴史学の発展にともなって、その時間軸上の存在は(現代の史学からみれば不正確ではあるものの)具体性をおびてくる。このようにアレクサンドロス伝を追うことによって、イスラーム世界における学問体系の発展史が明らかになる。しかし、アレクサンドロス自身は寓意から歴史的人物へという単純に移り変わるわけではなく、彼をめぐる言説には常に寓意性と歴史性が鬩ぎ合い続けるのである。

審査要旨 要旨を表示する

山中由里子氏の博士学位請求論文「寓意としてのアレクサンドロス―イスラーム古典期の信仰と歴史意識において」は、表題にある「イスラーム古典期」(山中氏はそれを7世紀のイスラーム台頭から、西アジア制覇を経て、13世紀半ばのアッバース朝滅亡までの時期とする、と定義している)において、アレクサンドロス大王をめぐってアラビア語、ぺルシア語、パフラヴィー語で書かれたさまざまな分野のテクスト(歴史資料から文学作品までを包摂する)を分析し、それらのテクストを通じて「人々がアレクサンドロスという人物に何を見出し、何を投影してきたか」を個別に考察したうえで、それらのテクストが見せる言説の様相を総体的に把握しようとするものである。

これを行なうにあたって山中氏が採用する方法は、歴史的に生成されたテクスト群からアレクサンドロスに関する歴史的真実を批判的に抽出するという先行研究に多く見られるものとは異なり、それらのテクストがそれぞれの時代あるいは地域においてどのような意味を負託されていたかを析出し、それを比較論的に考察しようとするものである。この方法を山中氏は「寓意解釈」あるいはallegoresisと呼んでいる。この点に関しては、審査冒頭に、山中氏から口頭で補足説明があり、審査員との間に質疑があった。

山中氏の論文は3章より成り、これに「序論」と「結論」が付けられている。全編を通じて、各章で考察の対象となるテクストに関する膨大な先行研究(その多くが個別テクストの本文校訂、テーマ分析、歴史学的考察、など特定のテーマ設定と方法論に拠るモノグラフである)を精査し、それらを踏まえ、あるいは批判しながら、山中氏は独自の総合化に向かう分析と考察を進めて行く。特に、イスラーム世界において造形されたアレクサンドロス像のなかに相互に異なる側面が存在することに着目し、その側面を一つ一つ取りあげながら、本論文の全体構成のなかで、それをイスラーム世界固有のアレクサンドロス受容、即ち寓意解釈の多様性として示そうとする。

テクストのなかに語り出されるアレクサンドロスが示すその多様な顔のうち、山中氏がもっとも重要なものと考えるのは、信仰と歴史意識に映し出されるそれである。前者は第2章で「預言者」としてのアレクサンドロスとして、後者は第3章で歴史的規範あるいは伝説的英雄としてのアレクサンドロスとして論じられている。それに先立つ第1章においては、イスラーム世界におけるほぼすべてのアレクサンドロス物語の源泉テクストともいうべき偽カリステネス「アレクサンドロス物語」の諸写本の成立と系譜、その内容と本文の異同が詳細に論じられている。

本論文は本文・注を含めて40万字をゆうに超える大著である。さらに、偽カリステネス「アレクサンドロス物語」写本に関する系譜及び校訂・注釈に関する完璧なビブリオグラフィー、本論文中に言及される原典資料の、ギリシア語、ラテン語は言うに及ばず、パフラヴィー語、アラビア語、ペルシア語の校訂・翻訳文献、本論文では分析の対象とはならないがヘブライ語、シリア語などの同種文献に関する詳細な目録が付録されており、これは本論文の価値を高めるとともに、背後にある山中氏の十数年にわたる研究の蓄積を如実に物語っている。

以下、本論文の構成に即して、各章の内容を概観し、審査委員の評価乃至批判を随時記しておく。

第1章は、「アレクサンドロスに関する知識の源―古代世界からイスラーム世界へ」と題され、まず源泉テクストとして位置づけられる偽カリステネス「アレクサンドロス物語」写本の生成、伝播が考察され、その概要が記述される(第1節)。それを補足する形で、アラブ世界において重要な意味を持つようになる「アリストテレス書翰」(偽撰とされる)についての分析(第2節)、偽カリステネス写本とは異質の要素を含む「イスラーム以前のイラン」におけるアレクサンドロス伝承とパフラヴィー語ゾロアスター教文献におけるアレクサンドロスが考察され、そこにペルシア独自の内容が盛り込まれている(山中氏に拠れば「過去の捏造」)ことが指摘される。本章は、第2章、第3章の考察を支える基礎部分であり、先行研究の成果の紹介とそれに対する山中氏の批判的考察によって論述されている。この章に関しては、資料(特に関連地図)に関して、また史料の解釈に関して、審査委員からいくつかの疑義が示されたが、すべて細部の補正を促すもので、論述の本旨に触れるものではない。

第2章は「預言者アレクサンドロス」と題され、まず『コーラン』第18章「洞窟」82-97節に書かれている「二本角」と呼ばれる人物が考察の対象となり、シリア語キリスト教伝説と対比されながら、それがアレクサンドロス伝説と融合してゆくプロセスが追跡される。これがイスラーム世界独自のアレクサンドロス神聖化の基点をなしているのである(第1節)。続いて、タバリー『タフシール』からニザーミーのアレクサンドロス物語に至る四種(他の二つはサァラビー『預言者伝選集』に代表される預言者伝とディーナワリー『長史』)の著作を順次取り上げながら、多くのテクストの引用と分析を通じて、預言者アレクサンドロスの造形が完成されてゆく過程と様相が論証される。本章は、本論文の独自性を最もよく示すものであり、多くの新しい知見が示されており、イスラーム研究に新境地を開くものであるとの評価がなされた。

それに続く第3章は「歴史の中のアレクサンドロス」と題され、イスラーム歴史学の展開のなかでアレクサンドロスがどのように描かれてきたかを考察しようとするものである。その際、アリアノス、プルタルコスなどの古代ギリシア・ローマの歴史書がイスラームの歴史記述にほとんど影響を与えなかったこと、従ってイスラーム世界の歴史書に現れるアレクサンドロス像は、もっぱら第2章で考察された偽カリステネスの諸写本や「二本角」伝承を伝える宗教文献を主たる源泉とし、それに時にはササン朝ペルシアの政治・宗教的立場を反映するアレクサンドロス像が関与していたこと、つまりそれがイスラーム歴史学固有の課題と深く関係していたことを山中氏は指摘している。この立場から、「ハディースの時代」と定義される初期アラブ歴史学(第1節)から、世界史的展望を持つようになる全盛期のイスラーム史学(第3節)、さらにはイスラーム世界の東方拡張に伴ってそれぞれの地方色を持つようになるブワイフ朝、カズナ朝の歴史記述(第4節)に至るまでの多種多様な歴史文献が博捜され、分析の対象とされる。その結果、大きな差異や偏差を超えて、アレクサンドロスが各時代・各地域のイスラーム王朝の理念を表象するものであったことが論証される。

この第3章は本論文の半ばを占めるスペースを配当されている。その結果として、個別の論述の力強さは評価できるが、記述の濃度に全体として均質性を欠き、また第2章の論旨との関係性が見えにくいこと、また引用テクストの原文掲載が一部のみに行なわれるというような形式的整合性を欠いていること、などの問題点が審査委員から指摘された。しかしながら、質疑応答の一つ一つが真剣かつ濃密な学問的対話となっていたことも事実であり、それは本論文の稀に見る質の高さを証明するものであった。

アレクサンドロス物語を対象とする本論文に類似の総合的研究としては、中世ヨーロッパに関して既にジョージ・ケアリー『中世のアレクサンドロス』という古典的著作があるが、本論文はその「イスラーム世界編」とでもいうべきものを目指すものである、と山中氏は序論で表明している。事実、本論文において展開される考察は、この野心的な目標に見合う構想を持ち、本論文が我が国のイスラーム研究を大きく前進させる成果を示していることは、審査委員全員が等しく認めることであった。

総合的にみて、イスラーム世界において歴史的に蓄積されてきたアレクサンドロス文献群総体の寓意解釈論的読みという新しい課題に挑戦し、具体的なテクスト分析を通じてその課題を達成した本論文は、単にアレクサンドロス研究に新しい寄与を為すばかりでなく、歴史的事実とは別の次元に構成される物語言説のより広範な研究にも貴重な貢献を為すものとして高く評価されること、また本論文の明快な論述と具体的な分析は、山中氏の研究者としての高い見識と研究能力を証明するものであること、それが審査委員全員の一致した結論であった。

論文査読と口頭試問の評価に基づき、本審査委員会は慎重な審議の結果、全員一致で、本論文が山中由里子氏に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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